世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

ヨーロッパと日本(42)

2008-12-07 14:58:54 | Weblog

3月2日午前2時頃、日本駆逐艦「雷」いかづち)は蘭領ボルネオのパンジェルマシンに向け針路を、東南東方向へ変更した。そして午前9時50分頃、8,000m先に多数の浮遊物を発見する。近づくと漂流中の敵将兵とわかる。午前10時、艦長工藤俊作少佐は、「救助!」と叫び、「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、第3艦隊司令部高橋伊望中将宛に「我、タダ今ヨリ、敵漂流将兵多数ヲ救助スル」の無電を発信する。世紀の救助劇の開始である。

しかし浮遊木材にしがみついていた重傷者は、最後の力を振り絞って上から差し出された竹竿まで泳ぎ、竿に触れるや、安堵したのか、次々と力尽きて水面下へ静かに沈んでいったという。甲板上からは、声をからして「頑張れ」「頑張れ」と連呼が始る。この光景を見かねて独断で海中に飛び込み、救助する兵も現れたという。戦場で艦を停止させることは潜水艦に狙われるため、きわめて危険な行為であり勇気あるものであった。
事実漂流者を救助中に犠牲になった例は少なくないという。

1944年(昭和19年)10月25日、フィリッピン沖海戦で米軍に撃沈された重巡「筑摩」(11,900トン)乗組員を救助中の駆逐艦「野分」は、米軍機の攻撃を受けて沈没、乗組員273名全員が戦死している。

」のケースは、もちろん艦長の英断であった。
ここで一つの事実を述べておきたい。1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災が起こっている。この時陸上自衛隊中部方面総監松島悠佐陸将は、自衛隊法を墨守(ぼくしゅ、頑なに守る)して部隊行動を起こさなかった。そのため助かるべき多くの人たちが犠牲となってしまったのである。

そして「エンカウンター」の救助された422名の将兵には水と食糧が直ちに配られ、それから木綿のウエス(ぼろ布)とアルコールや貴重な水などで、身体についた油がふきとられ、衣類の支給も受けたという。

英海軍中尉サムエル・フォールもここで救助された1人である。フォール卿は戦後、外交官として活躍し、その功績によりサーの称号を受けている。フォール卿は外交官を定年退職後、1996年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓(じょうし、書物を出版すること、昔梓あずさの木を版木に使ったことから。清水国語辞典より)しているが、その巻頭に、「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と銘記し、顕彰したのである。

1998年(H10)4月29日、サー・フォールは「ザ・タイムズ」に論考を掲載し、工藤艦長の行為を紹介しながら、「友軍以上に厚遇を受けた」と記述し、当時天皇御訪英に反対する論調に反論したのである。この一文は英国の読者に感銘を与えた。

また工藤艦長の行動は、米国海軍軍人をも驚嘆させていたのである。
米海軍は、1987年(昭和62年)機関誌「プロシーディング」新年号で、サー・フォールが「騎士道」(Chivalry)と言うタイトルで工藤艦長の救助劇を称賛した論文を7ページに渡り特集したのである。
(続く)
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