世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日本は侵略国家ではありません。(1)

2008-12-19 11:12:36 | Weblog

田母神論文は、アパグループの第1回「真の近現代史観」懸賞論文募集で、最優秀賞を受賞したものである。(正式には、最優秀藤誠志賞と言う。藤誠志とは、アパグループ代表の元谷外志雄氏のペンネームである。)

いろいろと議論されているから、この件については御承知の方々も多いことと思うが、実際にその内容については殆ど方が詳しく承知していないことと思う。

ここではその内容を自分なりに解説してみたいと思う。以下、この論文を章節を追って、二行でその内容を確認してみたい。

田母神論文の表題は「日本は侵略国家であったのか」と言うもので、A4で9頁に及ぶボリュームのものである。

1.田母神論文の解説(田母神論文は正論です)

第1節
19世紀後半、日本は日清・日露戦争で得た権益を守る為に、各種条約に基づき中国大陸に軍を配置したのであり、無条約の状態で大陸に進出(侵略)したことはない。

第2節これに対し蒋介石国民党は、頻繁にテロ行為を繰り返し邦人に対し大規模な暴行、惨殺行為を繰り返す。これは国民党内に入り込んだ共産党ゲリラによるものであった。

第3節
日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件は、その共産党ゲリラによるものであり、劉少奇も東京裁判で話している。張作霖事件もコミンテルンの仕業との説が有力となっている。

第4節
欧米列強の植民地政策は過酷であったが、満州も朝鮮半島も、日本は共に内地化を図った。そのため満州も朝鮮も治安が回復し、人口が増加した。圧政から開放され生活が向上した。

第5節
日本は満州・朝鮮で現地人教育に力を入れた。9つの帝国大学中、京城帝大は6番目と早いし、朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。蒋介石・何応欽も卒業生である。

第6節
朝鮮李王朝のイウン殿下も陸士を卒業し、皇族の梨本宮方子妃殿下をお妃としている。清朝皇帝であり満州皇帝であった溥儀殿下の弟君には、華族の嵯峨浩妃殿下が嫁がれている。

第7節
イギリスはインド人へ教育もしなかったし、英王室からお妃を嫁がせることもなかった。日本は、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の5族共和を唱え現地人を同等に扱ったのである。

第8節・辛丑(しんちゅう)条約
義和団事件講和議定書に基づき居留民保護のため日本は兵を駐屯させていた。パリ講和会議で米国の入知恵で中国は対華21箇条の不満を述べるが、英仏は日本に賛成している。

第9節
当時、ルーズベルト政権内にもコミンテルンスパイが300人は居た。ハル・ノートの作者のハリー・ホワイトは中でも上位のコミンテルンスパイで、大統領に工作をしていた。

第10節ルーズベルトは日本から戦争を仕掛けさせることを目指していた。ハル・ノートはそのための最後通牒であった。アメリカの罠であり、さもなくは日本は植民地となっていた筈だ。

第11節
大東亜戦争がなければ、東亜の開放は百年、二百年は遅れていたであろう。人種平等の世界もなかったであろう。尊い命を捧げた幾多の英霊に感謝してもしきれるものではない。

第12節
あの大東亜戦争は愚劣な戦争だった、などと言う馬鹿が居るが、人類の歴史を振り返れば評価は異なってくる。現在でも、国際関係を話し合いで再構築することは非常に困難だ。

第13節
東京裁判は、日本にだけ責任を押し付けたものだ。このマインドコントロールから抜け出すことが必要である。そして日本の独自性の確立が、最も必要なことである。

第14節
自分の国を自分で守ることは、外交交渉の後ろ盾となる。諸外国では普通の考え方である。東亜諸国ではこの戦争を肯定的に評価している。侵略国家とは、正に濡れ衣である。

第15節
日本は古い歴史と優れた伝統を持つすばらしい国である。そして歴史的事実を偏見なく見てゆけばそのことかよくわかる。それが輝かしい日本の歴史を取り戻すことになる。


と言うのが、「田母神論文」の要旨である。これは将に「正論」である。近現代の歴史を少しだけ紐解いてみれば、これが正論であることがよくわかる。政府見解こそ、マインドコントロールされた間違った見解である。

小生のこのブログは、将にこのことを証明するために、諸文献を(偏見と独断だが)読み解いて解説しているのである。小生のこのブログを読めば、幾ばくかは、田母神論文の証明と理解につながるものと思う。
(続く)
コメント (2)
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