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強奪の資本主義

2009-07-05 | 都市計画・まちづくり
林 直道(2007年)『強奪の資本主義』新日本出版社
 この本は2008年の世界経済危機の前に書かれたものですが、戦後の経済史を通して金儲け本位の日本資本主義の現在の問題が予測されています。宮本憲一は「経済大国」(1989、小学館)化までを書いていますが、それ以降の現代までのバブルや、小泉構造改革のからくりがわかりやすく書かれています。
 1の概要で、「強奪資本主義に転落した」日本の説明で、大量の非正規労働者の創出、公正さを捨てた、儲けの邪魔である自営業者と社会保障の削減、そして4段階の転落への道です。最初に日本が戦後、繁栄してきたのは日本国憲法があったからだとしています。この点は宮本と同じ考えですし、平和運動家はここをもっと強調すべきだと思います。
第1段階 対米従属体制固め 戦後の民主化、2.1ゼネスト弾圧、松川事件
第2段階 巨大な経済発展  朝鮮特需、高度成長、春闘、公害
第3段階 バブル崩壊長期不況 米の国際収支の赤字減らしで低金利押し付け
第4段階 強奪政策への暴走 労働法規制緩和、福祉切り捨て、大企業優遇、構造改革
 第2段階で、朝鮮特需以降は欧米に追いつけで「産業技術を熱狂的に導入しました」。高度成長の理由の1つに、政府の大企業優遇策があります。その具体例として、国鉄のトヨタへの引き込み線を挙げています。国鉄の負担で新線を引いて、車運搬車を作るなど特別サービスです。上郷工場から碧南の衣浦港に運ぶため、トヨタが要望して作ったものです。しかし、陸送の方が安いということで、使うことをやめてしまいました。当時の「岡多線の収支は100円の収入をあげるのに、1085円の経費を使っていたのです」。国鉄は旅客では黒字でも貨物の赤字が大きく、国鉄労働組合が目障りで、政府・自民党は民営化を強行しました。
 第3段階では、バブル発生は1985年からの円高不況に対する金利引き下げです。背景にアメリカの圧力もありました。投機に大企業も乗り出しました。結果、89年12月に株価暴落でした。90年代は長期不況に入りました。「政府と財界のまちがった不況対策」では、95年から0.5%以下にし、法人税を大幅に引き下げました。もう一つの不況対策が公共事業のバラマキと、ソ連崩壊後も軍事費の増大です。それが現在の借金を作っています。
 第4段階の一番の問題は小泉構造改革で、痛みだけが残っている現在は国民にも失敗がわかっています。この点に関しては、「世界」09.1月号で高杉良が「改めて問う、竹中-小泉路線とは何だったのか」が明快です。小泉内閣の構造改革(2001~2006)には、長期不況からの脱出を望み、「改革」に期待したのでしょう。「郵政民営化」を最大の争点とし、劇場型選挙で自民党が大勝しました。「骨太の方針」で、民営化・規制緩和をすすめ大企業の利益追求を応援しました。それとアメリカの圧力で、不良債権早期処理を強行しました。「政府は預金保険機構というトンネル機関をこしらえ、ここへ総額70兆円という莫大な公的資金を注入し、その資金を使って債権放棄した銀行の穴埋めをしたわけです」。結局国民が大企業を救済し、尻拭いをしたわけで、中小企業には債権放棄されませんでした。郵政民営化のほかに、労働法、大店法の規制緩和、社会保障の切り下げなどがあります。この間、中国の高成長が日本経済に幸いしたことです。それと車、電気のアメリカ輸出の増大が大企業のみの好景気を生み出しました。(この展開は二宮「新自由主義の破局と決着」が詳しい)
 この決別として著者は、1「ルールなき資本主義」の異常を改める、2大企業の国際競争力強化、成長で格差は解消しない、3国民の消費力を高める、4少子化を激化する雇用政策をやめるなどです。さらに、対米追随路線を転換し、平和友好のアジア共同体をつくるという現在に通じる提案です。
(写真は工場への引き込み線の跡)

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