Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ジェミニマン」

2019年11月02日 22時29分37秒 | 映画(2019)
51歳は老け込むにはまだ早い。


「アラジン」の大ヒットで健在ぶりを見せつけたW.スミス

新作は、自分の若いクローンと対決するというアクション作品。ちょっとB級臭が漂う作品でもそれなりの格が備わってしまうところがスターの証と言える。

実際のところ見どころは若いW.スミスを見ることの1点と言っても過言ではない。CG技術の進歩は見事だなーと、青いW.スミスで思ったことを再び味わう映画でもある。

主人公の設定は51歳。脂の乗り切った世代でもあるのだが、一方で子供がいれば成人を迎えてもおかしくない。そういった意味では、次世代に様々なことを継承する役割を持つ年代でもある。

自分の行動パターンを完璧に読み、若さゆえの運動量で攻撃してくるクローン青年に脅威を感じるのははじめだけ。実は青年は戦闘兵としては発展途上であり、やがて主人公は彼を悪の道から救いまっとうな道を歩ませたいと思うようになる。

クローンの父親という設定が強いためか、本作の主人公は、目の前に魅力的なヒロインが現れても恋愛感情の欠片も見せずに伝道師であり続ける。意外と言うべきか肩透かしと言うべきか。

器用だから何でもできるW.スミスではあるけれど、彼の魅力を最も引き出せるのは陽気でノリがいいキャラクターを演じさせたときだと思うので、この配役は少しもったいなかった気がする。

次作はなんと17年ぶりの「バッドボーイズ」シリーズ最新作。こちらも引退がちらつく設定になっているが、どんな活躍を見せてくれるだろうか。

(65点)
コメント (2)
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「イエスタデイ」

2019年10月22日 09時01分25秒 | 映画(2019)
「アビイロード」50周年記念エディション、絶賛発売中!


「ワンスアポンアタイムインハリウッド」の記事で「おとぎ話」という表現を使ったが、もっと明確におとぎ話な映画が登場した。

もしも自分以外の誰もビートルズを知らなかったら。

主人公はのジャックは、ホームセンターの店員として働きながら路上ライブ等の音楽活動を続けるシンガーソングライター。しかし売れる見通しはまったくなく、彼の理解者は幼なじみのエリーだけだった。

そんなある日、全世界で12秒間の大停電が発生し、同時刻にジャックはバスとの衝突事故に遭う。大けがから目覚めた瞬間、世界は今までと別のものになっていた。

退院祝いでエリーからもらったギターでビートルズの"Yesterday"を奏でると、友人たちが感動してジャックに尋ねる。「すばらしい曲。どうして今まで隠していたの?」「これはビートルズじゃないか」「ビートルズって何?」

PCでビートルズを検索しても出るのは昆虫のカブトムシばかり。ジャックは世界からビートルズが消えていることに気付く。「これは大変なことになった」

ビートルズがなくなったことは、人の生き死にに直接関係することではない。でもジャックは思ったのだ。彼らの音楽は世界になくてはならない。そしてそれをできるのは自分しかいないと。

もちろん彼がミュージシャンだったからということもあるが、NO MUSIC, NO LIFE。音楽がない世界に対する危機感が彼を行動に走らせる。そんなジャックのやさしさが、観る側をぐっと引き寄せて冒険の旅を共にすることに成功している。

そのやさしさが困難を招く展開もよくできている。ビートルズの楽曲がジャックの曲として世の中に出回り、空前のヒットを記録すると、人々はジャックを時代の寵児ともてはやしはじめる。

でも彼は知っている。自分はすばらしい曲を世の中に残すための伝道師に過ぎないことを。Ed Sheeranまでが「君はモーツァルトで、僕はサリエリだ」と言うほどに存在が大きくなり過ぎた彼は、ついには大切なエリーとも離れ離れになってしまう。

ビートルズの曲を人々に伝えるために奮闘してきた彼は初めて立ち止まって考える。自分にとって大事なこと、すべきことは何なのか。そして彼は驚くべき行動に打って出る・・・。

発想はドラえもんの「もしもボックス」的であり非常にわかりやすい。一瞬の事故で世界が変わる展開もベタなだけに、脚本のR.カーティス、監督のD.ボイルの二人の御大の味付けにかかってくるわけだが、前述のとおり温かい主人公たちの物語ははじめからおわりまで心地よかった。

音楽が主要な素材であるが、物語の基軸はジャックとエリーのラブストーリーである。このあたりを物足りないとする向きもあるようだが、やさしいラブストーリーが最近少ないと思っていたところなので好印象であった。

小ネタも楽しい。実は世の中から消えていたのはビートルズだけではなかった。そのチョイスが絶妙でくすっと笑わせてくれる。

そして忘れちゃいけないのが、クライマックスの直前にジャックがある人に会いに行く場面だ。ビートルズがいない世界は、こういう世界でもあるんだという。冒頭で「ワンスアポンアタイムインハリウッド」を引き合いに出した理由でもあるのだけれど、この場面は音楽ファンのおとぎ話でもある。

殺伐とした時代にポツンと浮かぶオアシスのような映画。そういえばOasisも消えていた。ジャックにはまだまだやらなければならないことが残っている。

(85点)
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「ジョーカー」

2019年10月06日 10時24分46秒 | 映画(2019)
何もない、だから無敵。


何度もリブートされるアメコミ作品。なぜ繰り返し焼き直しされるのかといえば、それはアメコミがベースにしている世界が、その時々の社会を描写するのに適した素材であるからにほかならない。世の中の移り変わりが目まぐるしいから頻繁に作り返されるのである。

バットマンシリーズでおなじみのゴッサムシティは混迷の社会の象徴である。分断される民衆、不満を抱く人たちが暴動に走る姿は、いま世界中で見られる光景と重なる部分が多い。

希代の敵役・ジョーカーの誕生譚を描いた本作。ゴッサムシティの片隅で年老いた母親と暮らす孤独な男・アーサーフレックは、精神疾患を抱えながらも道端で大道芸を演じることでぎりぎりの生活を送っていた。

社会の底辺で誰にも振り返られることのない存在。しかし彼の心の内には、コメディアンになること、同じアパートで暮らす女性と仲良くなることといったささやかな夢があった。

ある日、彼は母が熱心にしたためている手紙の内容を見て愕然とする。それは、次期市長候補とも言われる有力者・トーマスウェインと母のただならぬ関係であった。

自分の存在とは何なのか。不当な大きな力によって人生を歪められたのか。必死に探し求めた先に待っていた事実とは。

「これは悲劇ではない。喜劇だ」

アーサーにとって、これまでの人生すべてが崩壊したときの台詞である。同時にアーサーフレックという男が「ジョーカー」という存在に生まれ変わった瞬間でもあった。

不遇な生い立ちに脱出不可能な貧困のスパイラル。そして社会を混乱に陥れる悪役へ。客観的にみれば救いようのない話なのだが、生まれ変わったアーサーは憑き物が落ちたように生き生きとしはじめる。

象徴的なのはラストシーン。画面の奥からはまぶしいほどの光が差し込み、その方向へ意気揚々とステップを進めるアーサーの姿。やがて画面の奥でトムとジェリーのような追いかけっこの姿が映る。

この映画は彼にとって明らかにハッピーエンドなのだ。

主演のJ.フェニックス。もともと演技力の高さに定評があるが、本作はまさに独壇場。冒頭から、独特の高い笑い声や鬱屈した内面を絞り出したような表情の変化で圧倒する。狂気を体現した肉体改造ぶりもすごい。

脚本や演出も巧い。アーサーの妄想を曖昧に入れ込むことは、彼のもやもやを共有しつつ、生まれ変わった後の落差を体感させることに成功している。憧れていたレイトショーへの出演のどんでん返し(自宅リハーサルと本番で起こる事件)も効果絶大だった。

持たざる者のカリスマ、ジョーカー。現実にも社会の不満を背景に持ち上げられている人がちらほら見られる。彼女らの出現はハッピーエンドなのか、更なる混沌への入口なのか。

(90点)
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「アス」

2019年09月16日 07時39分42秒 | 映画(2019)
戦略なき影の軍団。


ドラえもんに「かげとり」という話がある。

庭の草刈りが面倒くさくてドラえもんから影を切り取るひみつ道具を出してもらったのび太。何も言わずに言うことを聞く影に調子に乗ってあれこれやらせていると、やがて影が人格を持つようになり、本当ののび太が影に近付いていくという少し怖さを含んだ作品である。

もう一人の自分の存在。ドッペルゲンガー現象とも言われるが、内在的であれ物理的であれ昔からドラマを作りやすく、その大概が自分の存在が危うくなるサスペンス仕立てとなる。

本作はその恐怖の部分を際立たせた作りになっており、分身たちは恨み骨髄で敵対心をむき出しにして襲ってくる。普通の家族である主人公たちがダブルキャストとして分身たちを演じ、不気味な表情を湛える様は本当に怖い。

ただ全体的には釈然としないところが多い作品であった。

物語の発端である1986年の遊園地の事件と、クライマックスに用意されている意外な展開が繋がっており、それはいずれも主人公のアデレードに端を発するものなのだが、彼女が特別な存在であるという前提を抜いても分からないことだらけなのだ。

世界中で分身たちが反乱を起こしたということは、アデレードの分身がリーダーとなって先導したとしか考えられないが、劇中にそれを匂わせる演出はない。

そもそも彼女たちは何によって現世と隔てられていたのかが分からない。地下世界に繋がる長い一方通行のエスカレーターが出てくるが、アデレードの分身が子供のころそれを突破して遊園地のミラールームへ行ったことをみると、さほどの障壁ではない。分身に知能がないためと考えると、分身たちが一斉に反乱を起こした経緯がますますもって理解できない。

ところどころにサインのように現れる宗教的なメッセージも、分身たちが再現するHands Across Americaも、不気味さを強調する道具という部分ばかりが強過ぎていまひとつ伝わってくるものがない。

いまのハリウッドの流行から類推すれば、反トランプ、少数派にやさしい社会をということで、赤いつなぎの分身たちが延々と連なる不気味な光景は現代社会の歪みとその怖さを表現しているのだろうが、多様性を認めた先には更に歪んだ未来が待っているのではないかとうがった見方をしてしまう。

ラストのどんでん返しに至ってはとってつけた感が満載で頭を抱えざるを得ない。J.ピール監督についていけないこちらが悪いのだとは思うが、誰かにしっかり解説してもらいたいところだ。

(50点)
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「ロケットマン」

2019年09月08日 10時42分25秒 | 映画(2019)
あふれ出る才能。一部で作品完成。


好きなアーティストは誰?と尋ねられると返答に困るが、言えるのは、いつ訊かれたとしてもElton Johnは確実に3指に入るということ。

彼が書くメロディーラインの美しさは並ぶ者がいない。決して単純な作りではないのに万人の心に響く洗練性、メジャーもマイナーも、バラードもロックンロールも何でもござれの万能性。80年代は彼の新作が出るとすぐに貸しレコード屋へ行ったものだ。

"Candle in the wind 1997"が世界一売れたシングル盤としてギネス認定されるなど、記録に残る超大物アーティストであるEltonであるが、わが国国内での人気や知名度となると疑問符が付くところ。しかし今回、おそらく昨年の「ボヘミアンラプソディ」の成功の余波であろう、本作が全国拡大公開されることになった。

映画は、彼の様々な曲をミュージカル調に流しながらその激動の半生を描くというもの。「ボヘミアンラプソディ」のときも記事に書いているが、今回も挫折のエピソード自体に新鮮味はない。あるあるの域を脱することはない。

しかしそれでも、全篇を通してEltonの曲が流れることがうれしい。観る前から聞いていた話だが、曲の時系列はばらばらであり、物語と曲の絡みは完全なフィクションである。それが分かっていても、なんとなく「この曲はこの時期の彼の状態にぴったり」と思えてくるところが興味深い。

何より彼の特筆すべき記録は、1970年から30年に渡って毎年Billboard TOP40にヒット曲を送り込んできたことである。本作では、依存症や人間関係で不安定になった様子が描かれるが、そんなときも彼はずっとクオリティの高い曲を書き続けてこられた。おそらくこの記録は今後も破られることはないであろう。

その天賦の才能によって生み出された曲が山ほどあるのだから、中にはある時の状態に合致したものがあるのも納得なのである。

ただ基本的に大きくフィーチャーされる曲は彼のキャリアの前半が中心となる。80年代発表の"I guess that's why they call it the blues"、"Sad songs (say so much)"などはワンフレーズのみの登場にとどまり、しかも所属事務所の社長に即刻全否定される。なんとも贅沢な扱いに苦笑する場面だ。

黄色いレンガ道に別れを告げて、まだ自分の足で立っているよと再生を果たしたという下りでハッピーエンド。"I'm still standing"は洋楽を聴き始めたころの大好きな曲。当時創生期だったミュージックビデオの再現まであって個人的に満足だった。実際はこの曲の後も依存症の時期は続くのだが・・・。

T.エガートンが吹替えを使わず熱唱。Elton本人とは「キングスマン:ゴールデンサークル」繋がりと言える。すっかり気に入られたようでライブでのゲスト出演の映像も先日見かけた。本人に寄せるのではなく、熱量で物語に魂を吹き込む姿が清々しかった。

(75点)
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「ワンスアポンアタイムインハリウッド」

2019年09月01日 00時32分55秒 | 映画(2019)
ハリウッドのやさしいおとぎ話。


1960年代後半から70年代にかけての時代の印象は、戦争、暴力、混沌である。泥沼化したベトナム戦争、国内では安保闘争から学生運動や過激派による事件、オイルショックなど不穏な言葉ばかりが思い浮かぶ。

そんな時代の最中、1969年に起きたシャロンテート事件は、名前は聞いたことはある気がするが、詳細を知ったのは今回が初めてであった。

ヒッピーたちのカルト集団が新進の若手女優を惨殺した事件はハリウッド史上最大の悲劇と呼ばれていると言う。

その事件を題材にした映画を、なんとあのQ.タランティーノ監督が作った。しかもL.ディカプリオB.ピットという2大俳優が主演というのだから興味が湧かないはずがない。

観る前は、3人とも過激な演出がハマる顔触れだけにそれなりの覚悟をしていたのだが、始まってみるとかなりコミカルな場面が多かった。

L.ディカプリオ演じるリック・ダルトンは、50年代にテレビシリーズの主役として人気を博していた。しかし映画界へ転身しようとして失敗し、今は新たなスターの引き立て役として単発の悪役しか仕事が来ない状態である。

彼にいつも寄り添うようにいるのがB.ピット演じるクリフ・ブース。リックのスタント俳優であるとともに、彼の私生活のほとんどを面倒見るマネージャー的な役割を果たす。わがままで気分屋のリックを冷静にとりなしているように見えるが、実は彼にもいわくつきの過去があるようで・・・。

と、この二人はいずれもフィクションのキャラクターなのだが、彼らの周りを実際にあった映像作品や人物が彩っていて、観ているうちに昔のハリウッドの実話をなぞっているような感覚に引き込まれていく。

リックはもう少しで「大脱走」の主役になっていた。クリフがブルースリーにけんかを売った。そしてリックが住む邸宅の隣に引っ越してきたのが、R.ポランスキー監督とシャロンテート夫妻であった。

「ローズマリーの赤ちゃん」を世に出して飛ぶ鳥を落とす勢いのポランスキー監督がヒエラルキーの頂点とすれば、落ち目のリックは1ランク下、そのマネージャーでトレーラーハウスに住んでいるクリフはもう一つ下になる。その更に下に位置するのが路上にたむろするヒッピーたちである。

物語の序盤で画面を横切るようにヒッピーたちが歩いていく。そのうちの一人がクリフに目配せをする。

この立場の違う登場人物たちがどう交差していくのか。意味ありそうでなさそうな長いシークエンスの重なりが、緊張感を生むとともに後半への期待感を増加させる。

そしてすべてが繋がるクライマックス。この展開は正直予想していなかった。

何故この事件を題材に選んだのか、そして事件をどう描いてみせたのか。事件の背景を少しなぞっただけなのに涙があふれそうになった。更にとても爽快な気分になった。

次から次へと出てくる当時のテレビや映画の映像、人々のファッション、自動車に娯楽施設の造形。おそらく細部まで緻密に忠実に作り上げたに違いない。贅沢を味わいつつ、かつ予想外に心が温かくなる快作であった。

(95点)
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「天気の子」

2019年07月28日 11時33分20秒 | 映画(2019)
世界の形を変えたがり。


台風崩れの熱帯低気圧が通り過ぎて、関東地方もどうやら梅雨明けを迎えそうだ。

例年より雨の季節が長かった今年、映画館へ行く度に流れていたのが本作の予告。

「雨、雨、雨」

新海誠監督の繊細なタッチで描かれた雨雲の下の東京の景色はリアリティを持って捉えられ、その後の少女が発する「今から晴れるよ!」という台詞に不思議と惹きつけられた。

社会現象にまでなった前作「君の名は。」で岐阜県に彗星を落とした新海監督。今回も日常の景色をダイナミックに書き換えてみせた。

前作ではその展開のスケールに面食らってしまったが、今回は多少なりとも身構えていたのかもしれない。主人公の帆高と陽菜が「変えてしまった」東京の景色は案外すんなり受け入れることができた。

物語は今回の方が好きだ。思い悩む少年・帆高、天空と結節する気高さを持つ陽菜の主人公二人だけでなく、彼らを囲む大人たちや陽菜の弟といったキャラクターが生きていた。

そして予告でもその力の一部を見せつけていた画の美しさである。

100%の晴れ女が祈ると、世界に光が差し込みぱあっと世界が輝き出す。湧き立つ雲が雨をもたらし、雨の一粒一粒が大海を泳ぐ魚のように躍る。

「天気」という題材がいかに鉄板だったかというのが分かる。

天と地をつなぐ者として悲しい運命を持つ陽菜。突然消えた陽菜を前に帆高は思う。「愛にできることは・・・」。

世界がどうなろうと構わない。大事な人と一緒にいることを選ぶ。

最近は異常気象とよく言うけれど、それはちっぽけな存在である人間の立場から見た話である。その意味からすれば、「ぼくたちは世界の形を決定的に変えてしまった」というのも実はおこがましい話で、実際は「世界の形を変えることをしなかった」に過ぎない。

自分のステージでもっと自分のために生きていい。利己的な思想の助長にも聞こえかねないが、人どうし、国どうしの衝突が多くなる中で、うまく生きていけない人は増えている。そうした人たちにこの話が届けばいいと思った。

(85点)
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「ハッピーデスデイ2U」

2019年07月15日 10時14分45秒 | 映画(2019)
お気楽多次元旅行。


前作「ハッピーデスデイ」で3度繰り返したユニバーサルのオープニングタイトルは今回画面が3分割。これが今回の鍵である。

興行の都合とはいえ、短期間の連続公開となったことで話にすんなり入っていけた。作品の時間軸としても、前作の直後が舞台になっているから感覚としても一致している。

冒頭、前作では端役に過ぎなかった東洋系の学生がタイムループに巻き込まれる。主人公のツリーが謎の解明に乗り出すが、なんと前作の事件も含めて原因はこの学生・ライアンの科学実験にあったことが判明する。

実験の衝撃で再びループに閉じ込められるツリー。真相を知っている以上抜け出すことはそれほど難しくないのではと思われたが、新たな事実が判明。これがオープニングの分割画面である。

そこからの展開は基本的には前作と大して変わらない。第2作だからもう少し過激に、更に理屈をこねくり回した風を装いましたという程度。なにより観る側が映画の空気を知っているからホラーやサスペンス要素はゼロに近く、もはやこれは学園コメディである。

様々な死に方を披露した前作のハードルを越えるために、今回のツリーは不必要に過激なリセットを繰り返す。いくら生き返ると分かっていても自分からあんなところに飛び込んだりはできないと思うが・・・。そもそもこれほどまでに命を粗末にするのってキリスト教的にはどうなの?と心配になってくる。

もちろん単なる前作の上塗りではないところもある。異なるバースで展開される物語の中で、前作とは違う立場で登場するルームメイトや教授、そしてツリーの母親などの存在は、ツリーだけでなく観る側にも快い混乱を与える。そしてどちらの世界を選択するか判断に迫られる場面で、彼女は再び成長を見せることになる。

さすがにネタ的にもう発展の余地を見つけるのは難しいと思うが、2作品には十分に楽しませてもらった。また別の小気味よい作品が出てくることを期待したいと思う。

(70点)
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「トイストーリー4」

2019年07月14日 22時27分45秒 | 映画(2019)
冒険は無限の彼方へ。


完璧な完結篇と言われた「トイストーリー3」から9年。なぜ続篇を作ることが必要と制作陣は思ったのか。

賛否両論はあるかもしれない。しかし、確かに本作にはこれまでのシリーズで扱われてこなかった側面が描かれていた。

一つは女性の自立と活躍だ。「トイストーリー2」以来の出演となるボー・ピープが最近のディズニープリンセスのように駆け回る。

アンディの妹・モリーの持ち物だったボー・ピープはアンティークショップへ引き取られた。物好きな買い手が現れないかぎり誰かの所有物になることはない。そう悟った彼女は、新たな道を切り開くべく店を飛び出し、無数の子供たちが集まる移動遊園地で独自の活動を展開していた。

子供は一人じゃない。世界は限りなく広い。これまで持ち主に尽くすことがおもちゃの使命と定義づけてきたシリーズに、突然反旗を翻したかのような彼女の姿勢に戸惑ったのはウッディばかりではない。

しかし一方でシリーズは、持ち主の成長という抗い難いおもちゃの運命も描いてきた。前作でアンディからボニーへと受け継がれて、完全にハッピーエヴァーアフターといかないことは誰でも分かる。

そんな閉塞的な世界観に新しい一つの解を与えているのがボー・ピープの生き方なのである。そして彼女は持ち主のために生きるおもちゃを否定しない。これがもう一つの側面、多様性である。

多様性の代表とも言うべき存在が、ボニーの手作りおもちゃであるフォーキーだ。先割れスプーン、毛糸、アイスの棒で組み立てられた彼は、本人が言うように素材としてはTrash=屑である。

しかし彼は他の誰よりもボニーに愛情を注がれる。姿かたちだけではない、誕生した経緯その他を含めて、彼は唯一無二の重要な存在である。これを人間に置き換えれば、LGBTや少数民族といった社会問題に通じることが分かる。

「トイストーリー」は初めての本格長編CGアニメとして、技術の先端を開発する素材として誕生した。しかし、技術が十分に発展した今、世界的に認知されたキャラクターたちは大きな発信力を持つようになり、作品の役割も変わったのだ。そういった状況を考えれば、今回の続篇は必然だったのだろうと思う。

もちろん発信するテーマがあるといっても、作品が堅苦しくなるわけではない。今回も魅力的な新しいキャラクターが次々に登場して観る側を楽しませてくれる。"Yes, we canada"の台詞が印象的なスタント人形、デューク・カブーンが特に愉快な活躍を見せてくれるが、その声がK.リーブスと知って驚いた。

今回監督を務めたJ.クーリー監督は、さすがに「ウッディの冒険はこれで終わり」と言っているが、そのうち時代がまた彼らのメッセージを求める日が来るかもしれない。

(80点)
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「アラジン」

2019年07月13日 13時18分48秒 | 映画(2019)
安心と信頼のディズニーどまんなか。


最近ヒット作に恵まれていない印象があったW.スミス。誰もが知っている青い魔人・ジーニーは、彼のキャリア全体の代表作ともなりそうな会心の当たり役となった。

もはや大御所の部類に入る彼だが、持ち前の軽妙さは失われていない。何よりまだ50歳という若さだ。スクリーンいっぱいに歌って踊る姿を見ると、なんでこれまでこういう役が回ってこなかったのか不思議なくらいであった。

「誰もが知っている」と書いたものの、実は「アラジン」は本を読んだこともアニメを見たこともなかった。ランプをこすると魔人が出てきて3つの願いをかなえてくれるくらいの知識しかなかったので、物語自体もはらはらしながら楽しむことができた。よくできたいい話だね。

ディズニーは最近やたらと名作の実写化やリブートにご執心だが、向いている作品とそうでないものは分かれる。舞台は非西洋社会、芯の強い女性が活躍と多様性を採り入れながら物語は王道の勧善懲悪。ツボさえ外さなければという信頼を持つ本作はヒットが約束されていたと言ってもいいだろう。

とはいえ、その「外さない」ことが難しいわけで、G.リッチー監督はアクション、ミュージカル、ロマンスを満遍なく散りばめて、誰もが満足のいく作品に仕上げている。

W.スミスの存在感にやや圧倒されるものの、主役のM.マスードN.スコットも若さと清潔感があって好感が持てた。二人が歌う"A Whole New World"は、90年代の曲なのにもはやすっかり定番の名曲になった。

それにしてもディズニーは、ピクサーもMCUもスターウォーズも手に入れて、すっかり一強の帝国である。もう少しバランスがあってもとは思うが、おもしろい作品を世に出してくれるうちは特に文句は言うまい。

(85点)
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