「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

水道の凍結

2006年01月27日 | 田舎暮らし
 一昨日の朝、水道が凍った。今年の冬は厳しい寒さが続いていたので、凍るかもしれないなとは予期していたものの、やはり朝起きて、水が出ないのは困る。もちろん屋外の立ち上がり部分には凍結防止ヒーターを巻いてあるし、室内の湯沸かし器も水抜きをしたりしているが、地下60センチの水道メーターボックス部分で凍ってしまうことがある。
 幸い、うちは山の水も引いているので、水道が凍っても、朝食ぐらいは作れる(というか、もともと食事作りにはカルキのない山の水を使っている)。子どもを送って帰ってきてから、予備の凍結防止ヒーターをメーター周辺に巻いて待つこと1~2時間、無事、水が出るようになった。
 山の水は、出てはいるものの、すごく水量が減って出が細い。日本海側の大雪とは対照的に、こちらでは降水量が非常に少ない状態が続いている。先日、東京あたりで積雪があったときも、曇った程度だった。上伊那の箕輪ダムでは貯水量が最低水準を更新し、節水を呼びかけているとの記事もあった。

 昨日の朝は凍らなかったけど、今朝、また凍ったので、しばらくヒーターを巻きっぱなしにすることにする。あとどのくらい、この寒さが続くのかな。
 

早口の語り手

2006年01月21日 | テープ起こし
 いや~、打てども打てども、分数が増えていかない。よくもまあ、こんな早口でしゃべりまくること。ようやく粗起こしを終えてみたら、約2時間で40字×1400行にもなってしまった。同じ案件を連続して引き受けているけど、文字数にして、いつもの1.5倍近くある(よく1時間2万字程度といいます)。
 しかも、音声ファイル。今までチェックの仕事のほうが多かったこともあって、フットコントローラーは持っていないので、カセット+トランスクライバーよりはるかに手間取る。さすがに疲れた。

 去年の今ごろの日記に、私が仕事を頂いている会社はテープにダビングして送ってくれると書いたが、やはり世の中の趨勢。音声ファイルで頂く仕事がじわじわ増えてきていた。今年に入ってからは、トランスクライバーはまだ2回しか使っていない。音声ファイルだと、ネット上でやりとりできるから、こちらとしても宅配便を待つ時間もなく、雪道で配達の遅延を心配する必要もない。発注側にすれば、コストも時間も短縮できるわけで、当然この流れはますます加速化していくだろう。
 本気でフットコントローラーを何とかしないといけないなと思った。

 予定外に仕事に手間取ったおかげで、今日は車座集会「知事と語ろう 信州の明日」がせっかく村内で行われることになっていたのに、行けなかった。残念。
 
 

薪でたくお風呂

2006年01月20日 | 田舎暮らし
 ちょっと前に薪ストーブの話を書いたけど、以前はお風呂も薪でたいていた。灯油と薪兼用の風呂釜で、薪を作る暇がなくなってからは、専ら灯油でたいていた。この風呂釜、だいぶ年季が入ってきて、最近時々燃え方が不安定になる。今日もそうで、いつもと同じ時間たいても、全然ぬるい。困ったなと思いながら、はたと思い出した。薪を足せばいいんじゃない。
 このところ、夜は薪ストーブをたいているので、薪はある。ついでに、処置に困っていた子どもの工作も燃やしちゃえ。
 灯油でたくと、外がマイナス十何度なんてときは、火が消えると、すぐ冷めてくる。でも、薪だと、ぼうぼう燃える勢いが収まっても、しばらくはおきが残っているから、なかなか冷めない。特に冬なんて体が冷たいから、最初にちょうどいい温度だと、じきぬるく感じて追い炊きしなきゃいけないけど、薪だと、最初ぬるめでも、じわじわ暖かくなってくる。
 何か体のしんまで暖まった感じがして、久々に薪のありがたさを実感させてもらった。 

どんど焼き

2006年01月15日 | 田舎暮らし
 今日は小正月行事のどんど焼き。本当は昨日の予定だったけど、雨だったので、今日に順延した。この行事は各地区ごとに行われるので、それぞれの地区の事情でどうにでも決められる。昨日悪天候の中で行った地区もけっこうあったみたいだったけど、私たちの地区はさっさと順延を決めてしまった。
 少し前までの寒さから一転して、昨日は雨だったし、今日も夕方までプラスの気温で、田んぼの土は解けてぐちゃぐちゃ。例年だったら、いちばん寒さの厳しい、がちがちに凍っているときなのに、こんなに暖かく穏やかなどんど焼きは、初めてかもしれない。それに、今年は何だかみんな静かに火を見ていて、随分おとなしいどんど焼きだった気がする。子供が減ったせいかな。
 あらかた燃えてしまったあとは、持ち寄ったお重でお決まりの宴会。
 (デジカメを持参するのを忘れて、写真は4年前のものです)

世界に一枚だけのセーター

2006年01月11日 | 手作りあれこれ
 1986年~2000年まで、羊を飼っていた。当時、草だけで飼えて手間が掛からず、養蚕の衰退で利用されなくなった桑の有効利用もできるということで、羊が注目されて、うちの村でも農協の補助で、2年連続、20頭ずつの緬羊が導入された。有機農業を志す人たちの間でも有畜複合経営みたいなことがいわれていて、我が家でも飼い始めた。
 諸般の事情で、現在は、うちの村だけじゃなくて、どこでも緬羊飼育は衰退してしまったと思う。今ごろになって、ヘルシーな羊肉が見直されているのが残念に思うけど、写真は、その我が家で飼っていた羊の毛を自分で紡いで編んだセーターです。マフラーも手紡ぎ糸で織ったもの。色は後から玉ねぎの皮で染めた。
 素人の手紡ぎで、ぼこぼこの糸なので、かなりごつい代物だけど、この厳寒期には何より暖かい、私の宝物です。

薪ストーブ

2006年01月10日 | 田舎暮らし
 昨日、ちょっと我が家に人が集まることがあり、中学生の息子が「薪ストーブぐらいたこうよ」と言って、なんと薪割りをしてくれた。以前集めてあった長いままの木を、正月休みに夫が少し玉切りしてくれて、あとは割るだけの状態になっていた。子ども心に、お客さんは暖かい薪ストーブでもてなしたいと思ってくれたのかな? そんなわけで、昨日、今日と、久しぶりに薪ストーブをたいた。
 薪ストーブと一口にいっても、いろいろグレードがある。田舎暮らしの雑誌などには、北欧あたりの何十万円もするようなストーブの広告がよく出ているが、そんなものはなかなか手が出ない。
 一方、ホームセンターなどに行くと、ぺらぺらの鉄板でできたストーブが数千円程度で手に入る。これは上に鍋が二つぐらい置けて、料理もできるという、けっこう重宝な代物で、以前は夏場以外は、ほとんど薪ストーブだけで料理していたこともある。ただ、これは鉄板が薄いので寿命が短いし、たくとすぐ熱くなるけど、火が落ちるとすぐ冷めるという欠点もある。
 今のストーブは何年か前に隣町のホームセンターで見つけた安い中国製か何かの鋳物のストーブで、鋳物でこの値段ならと思って買った。耐熱ガラスの窓がついていて、火が見えるのもいいなと思った。
 でも、実はこの耐熱ガラス、内側からすすがついて、特に前面の窓はかなり真っ黒になってしまう。あと、鋳物のストーブはストーブ自体が暖まるのに時間がかかって、火をつけてすぐには暖まらないという致命的な欠点がある。薪自体の火持ちはいいし、割ってない太い薪でも燃えるから、夜最後に堅木の太いのを入れておけば、朝までおきが残っていたりするので、ずっとコンスタントにたき続けるにはいいと思うけど、短時間ずつたくのにはあまり向かないかな。 

過疎地とホームレス

2006年01月08日 | 田舎暮らし
 7日付朝日新聞の声欄に、「都心の野宿者 過疎地担えば」というタイトルで、山梨県の遊休農地で都心の野宿者の人たちが野菜栽培を始めたり、荒れた里山の手入れを行ったという投稿が出ていた。以前から、都市のホームレスの人たちと過疎地をうまく結びつけることができたら、どちらにとってもいいんじゃないかなと思っていたので、実際にこういう試みが動きだしていることを、とてもうれしく思った。
 投稿者は99年から都心の野宿者への食材支援をしているそうで、そのために佐久かどこかで農場もされていたと思う。たしか以前にもそのような記事を見たことがあった。その試みが定着して、広がっているのだろうと思う。
 往々にして過疎地の人は、人口減を嘆きつつも、一方でどこのだれだか分からない人がたくさん入ってくるのは嫌う傾向がある(最近の物騒な世相を思えば、当然といえば当然だが)。空き家があっても、いつか戻ってくるかもしれないから、先祖のお墓があるからなど、さまざまな理由で、なかなか貸してもらえないことが多い。
 畑だって、都会から来た人間は無農薬にこだわったりするから、十分手が回らなければ、結果的に害虫を呼んだり、草の種を周囲にまきちらしたりしかねない(畑状態にして除草を怠ると、遊休農地だったときとは別の種類の畑にとって厄介な雑草が出てくる)。空いているからといって、すんなり貸してもらえるなんてことは、ほとんどありえないことだと思う。
 そう考えると、投稿者の試みが拡大してきたのは、本当に地元の人たちの信頼を得られるような地道な努力の積み重ねがあってのことだろうなと思う。ぜひ、この方たちの試みが良き先例となって、こうした過疎地と都心地との協働がもっと広がっていけばいいな。

 長野県の北部地域では、この大雪に対して、ついに自衛隊が派遣された。

ホピの予言

2006年01月04日 | 非戦・平和・社会
【ブログで囲もう浜岡原発!】に賛同します。

 東京に行く道中、『ホピの太陽の下へ―女三人アリゾナを行く』を読んだ。宮田雪監督「ホピの予言」という映画をご存じだろうか。チェルノブイリ原発事故のあと、甘蔗珠恵子さんの『まだ、まにあうのなら』や広瀬隆さんの『危険な話』などによって、反原発(脱原発)の運動が大きく盛り上がったころ各地で自主上映された映画。この映画と出会った女たちがホピの地を訪ねる話で、そもそもこの映画が撮られることになったあたりからの動きについても触れられている。
 「ホピ」というのはアメリカ先住民の部族の一つで、「平和な人々」という意味。原爆に使われたウランはホピの聖地から採掘したものだが、彼らの伝えてきた予言の中では、「決して母の内蔵をえぐりだすようなことがあってはならない。もしそれをえぐりだした時には、灰のびっしりつまったひょうたんとなって空から降り、やがて世界を破滅させるだろう」と言われている。ホピの長老たちは、この「灰のびっしりつまったひょうたん」とは原爆のことだと判断し、このまま世界が物質的な文明を続けていけば、破滅の道を歩むと考えて、国連などにも訴えてきた。 

 「原発・原爆一字の違い、どちらにしても……」。同じウラン燃料を瞬間的に核反応を起こさせるか、じわじわゆっくり起こさせるかだけの違い。まさか原発の耐震設計に偽造はないと思うが、そもそも耐震設計のベースとなる想定地震動を超える揺れが女川原発で観測されたことは、9月3日付の日記で書いたとおり。でも、耐震設計を強化して、どんな揺れにも大丈夫な設計にすれば、地震列島日本にこんなたくさんの原発が稼働していてもいいのか。どう考えても、それは自然に対する人間の傲慢さだとしか思えない。人間の想定外のことは起こりうる。さらに人間はミスをする。さらに最近は倫理観が失われた人たちが耐震偽装みたいなことまでやらかす。まさに「ホピの予言」にある堕落が始まっている。
 
 ホピの聖地などがあるコロラド高原は、地球自体のツボのような場所だとも言われるそうだ。そこで地下資源を掘り出しバランスを崩せば、地球規模に影響が及ぶともいう。異常気象は何も温暖化のせいだけではないだろう。「地球にやさしい」という言葉はものすごくポピュラーになったけど、本当の意味で「地球にやさしい」「サステイナブル」というのはどういうことなのか、きちんと考えていかないといけないと思う。

 北山耕平さんのこちらのブログもごらんください。

謹賀新年

2006年01月03日 | 田舎暮らし
 東京への帰省は通常と逆方向のため、高速バスも全く渋滞に遭うこともなく、時刻表どおりの運行。帰りのバスでは、なんと、これから帰省するという近所の家の子供3人が同じバスのすぐ前に乗っていて、びっくり。
 東京では、夫の実家近くのお寺にお参りして、子供のリクエストで映画を見にいって、さらに川崎大師にもお参りする。川崎大師は私は初めてだったけど、1日の夕方、もう暗くなってから行ったのに、まだすごい人で、ちょっと進んでは止まり、またちょっと進んでは止まりで、参拝できるまでに1時間やそこらは待ったと思う。私の実家ではよく明治神宮に行っていたけど、2日になってから行くことが多かったので、こんなに混雑した初詣は私も初めてかも。ふだん人混みにも行列にも無縁な子供たちは、さぞかし驚いたことだろう。夫は「これだけ待ったのだから、きっと御利益がある」と言って、子供たちにお守りを買ってやっていた。
 ちなみに、村の神社では夜の二年参りの時間帯に人がいて、お神酒がふるまわれる。1日の早朝は元旦マラソン・ウォーキング大会、その後は各自治会で新年会が行われる。
 本音をいえば、年の初めはやはり村で静かに迎えたいところだけど、今年は子供の部活の日程に合わせる形になった。今日は時折吹雪になって、東京から帰ってきた身にはすごく寒い1日だったが、「初打ち」とやらで、さすがに外では無理で、体育館でテニス。本当に熱心。