「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

大鹿村のジオサイト看板めぐり

2014年06月29日 | 自然・環境
 今年の9月に日本ジオパーク全国大会が南アルプスジオパーク中央構造線エリア(伊那市、飯田市、富士見町、大鹿村)で開催される。その中で各市町村別のジオサイトツアーが予定されていて、大鹿村でも5か所のジオサイト等をめぐるツアーが行われることになっている。そのための勉強会が中央構造線博物館で開催されていて、3回目の今日は実際にジオサイトの解説看板をめぐり、それぞれの場所のポイントを学んだ。梅雨どきには珍しい好天に恵まれ、楽しい一日となった。全国大会のときも天気がよいといいなと思った。
 日本ジオパーク全国大会の日程、内容はこちら

 まず中央構造線の北川露頭。


 次に河合の断層鞍部。


 夕立神の緑色岩など。


 夕立神展望台で、晴れてくっきりと姿を見せた赤石岳を眺めながら昼食。


 鳥倉林道から上蔵集落の地すべり地形を見下ろす。その向こうは大西山の崩落地。ちょうど53年前の6月29日に大崩落が発生し、42名の方が亡くなられたということで、みんなで黙祷。

 
 上蔵の福徳寺。国の重要文化財にもなっている鎌倉時代に建てられた長野県で二番目に古い木造建築物。謎に満ちた福徳寺の歴史のお話をいろいろお聞きする。


 中央構造線の安康露頭。時間があれば、もう一か所、大西公園にも行く予定になっていたが、今日は安康までで時間切れとなった。


 南アルプスジオパークは今のところ長野県内の中央構造線エリアだけ。今後、山梨、静岡も交えた3県で世界ジオパークを目指している。そして、3県にまたがる南アルプスエリアは今月11日に生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)に登録された。地球を知るジオパークも、その上に暮らす生き物を守るエコパークもつながっている。ジオパークの周知は伊那市を中心に少しずつ広がっているけど、今後はユネスコエコパークについての取り組みも望まれるところ。

講演会「中央構造線の始まりから現在まで」

2013年10月26日 | 自然・環境


 今日は中央構造線博物館開館20周年特別企画の3回目として、中央構造線研究の第一人者である早稲田大学教授の高木秀雄先生による「中央構造線の始まりから現在まで―日本最大の断層である中央構造線の1億年の歴史をひもとく―」と題した講演会が行われた。台風27号の接近が危惧されたが、幸い当初の予報よりはだいぶ沖合を通過し、雨も昨夜はかなり降ったものの午前中までで、講演が始まるころにはすっかり上がっていた。そんな天候の中、遠方からも大勢の方が聴きにこられていた。
 講演は、まず日本列島の位置付け、火山と地震、断層などについての前置きのお話の後、中央構造線の活動の歴史として、1億年前の中央構造線の始まり、断層岩の分類、マイロナイトのお話、6000万年前、4000万年前、2000~1500万年前といった時階での活動史などをお話しいただいた。やや専門的で難しい内容も多かったが、皆さん熱心に聴講されていた。



 講演終了後は大西公園に移動し、鹿塩マイロナイトなどを観察。台風が通り過ぎたら急に寒くなった。




 川は昨夜の雨で濁って増水していたけど、青木川と小渋川の濁り水の色がはっきり違うのが興味深かった。

中央構造線博物館20年

2013年08月11日 | 自然・環境
 昨日は大鹿村中央構造線博物館開館20周年特別企画の第2弾として、博物館設立を提案し、展示の監修をされた松島信幸先生の講演会が行われ、今日は松島先生の案内で観察会が行われた。
 博物館はそもそも平成2年に当時の建設省から中央構造線資料館の構想が提案され、建物は平成4年に完成している。展示については松島先生の提案により徹底した現物主義が貫かれ、平成4年から岩石標本を集めたりなどの作業が本格化した。ちょうどそのころ、飯田の美術博物館で行われていた松島先生の地質講座に通っていたつれあいが、そうした作業をお手伝いすることになり、翌平成5年8月の開館後もそのまま博物館で仕事をすることになった。以来20年。当初は学芸員資格はなかったので学芸担当員と称していたが、その後、放送大学で資格を取り、平成14年に学芸員となり、博物館も平成15年に博物館法に基づく登録博物館となった。この間のいろいろなことを思い起こすと本当に感慨深いものがある。


 昨日の講演は「なぜ大河原から赤石嶽が見えるのか?」というタイトルだった。実は開館翌年の2月にも松島先生の講演が行われていて、その中でも、なぜ大河原から赤石嶽が見えるのかという話をされている。大河原からも四徳大橋からも赤石嶽が見えるのは、小渋川の谷の直線性によるもので、それは南アルプスのねじ曲がりによって小渋断層ができ、そこが弱線となって直線の谷が刻まれたということだそうだ。そんなお話のほか、後半には先生が昔撮られた大鹿村の写真が次々に映され、昭和25年ごろの青木橋(小渋橋)からの赤石とか、50年前ごろの上蔵とか、50戸くらいあったころの釜沢とか、今との比較もあり、とても興味深かった。


 今日の観察会は上青木の大沢蛇紋岩崩れや引の田の地すべりなどを見て歩いた。蛇紋岩というのはもろくてとても崩れやすい岩石で、大沢をさかのぼっていくと堰堤(谷止工)が連続して幾つも築かれている。本当に行けども行けども堰堤という感じだった。




 堰堤の前で説明される松島先生。


 そして、崩壊地。


 山腹工で手当をしてある斜面。


 壊れた堰堤。

 
 その後、2月にリニアのボーリング調査が行われたところや、引の田の地すべりなども見る。中央構造線付近で行われたボーリング調査は地質が悪いのでだいぶ苦労したみたいだ。


栂村山・前茶臼山観察会

2013年06月15日 | 自然・環境
 今日は伊那谷自然友の会と大鹿の100年先を育む会との共催による「大鹿村栂村山・前茶臼山観察会」に行ってきた。天候が心配されたが、早朝に降っていた雨は上がり、午後になって下りの途中から少し雨が降りだし合羽を着込んだけれど、大した雨にはならず、苔むした針葉樹林を楽しく観察しながら歩いてきた。
 栂村山付近、ふわふわ、もこもこした苔のじゅうたんの庭園のような場所で休憩。




 前茶臼の大崩壊地の上から。晴れていれば、南アルプス方面も見えたはず。


 前茶臼の頂上(2331m)。展望なし。


 マイヅルソウやコミヤマカタバミがたくさん咲いていた。




講演「鹿塩温泉の水と塩はどこから来たのか?」

2013年06月01日 | 自然・環境


 今日は大鹿村中央構造線博物館の開館20周年記念特別企画の第1回目として、産総研の風早康平先生をお迎えして「鹿塩温泉の水と塩はどこから来たのか?」と題した講演が行われた。標高750メートルの山奥で大昔から湧き出ているといわれる鹿塩温泉の塩分濃度は、海水の3.5%よりも高い約4%もあるという。この不思議な塩泉の起源を探るお話だった。鹿塩温泉ということで、会場は公民館鹿塩地区館のホールだったが、遠方からも大勢のお客さんが来られて、かなり専門的な話もあったが熱心に聴講され、講演終了後には、明治時代に黒部銑次郎らが岩塩を探して掘削した坑道や墓所など、鹿塩温泉ゆかりの地を見学した。

 一般に温泉というと火山を思い浮かべるが、この地域に火山はない。非火山性の温泉としては、古い天水や海水が地温によって暖められた温泉水が多数存在するが、鹿塩温泉は天水起源ではなく、これらとも違う。もう一つの種類は有馬温泉を典型例として、非火山性で天水起源ではなく、塩分濃度が高く、断層や構造線に沿って湧出するもので、鹿塩温泉もこの仲間なのだそうだ。そして、その水はどこから来たのかというと、フィリピン海プレートがマントル内に沈み込んだときに放出された水で、マグマと同じ起源ではあるけれども、低温のためマグマになれなかったもので、「スラブ起源水」または「スラブ水」というのだそうだ。また、有馬温泉型といっても、高温の有馬温泉と冷泉の鹿塩温泉とは水温のほか水質、成分も違うが、それは鹿塩温泉水の方は長期間、地殻の内部に滞留しているために温度が低下したのではないかとのことだった。特に驚いたのは、最後の方に出てきた話で、大鹿村では1日2000kgもの塩が湧き出しているということ。この深い山奥で、とてつもなく長い時間をかけて湧き出している、これだけ塩分濃度の高い水、やっぱりオリジナリティの高いとても不思議な温泉なのだなと改めて思った。

風早先生


山塩館の製塩所。


※博物館の20周年特別企画として、引き続き、8月10日には松島信幸先生による「なぜ大河原から赤石岳が見えるのか」、10月に高木秀雄先生による「中央構造線の始まりから現在まで」という二つの講演会を予定している。
 

世界自然遺産とユネスコエコパーク

2013年02月02日 | 自然・環境
 今日は韮崎市で開催された「南アルプスフォーラムinやまなし~南アルプスのユネスコエコパーク登録に向けて~」という催しに行ってきた。パネルディスカッションの中で大鹿の100年先を育む会の植生調査の取り組みについての報告があり、役場から車が出るとのことで同乗させていただくことにした。南アルプスを世界自然遺産にという取り組みの中で、中央構造線エリアについては4年前から日本ジオパークに認定されているが、今度はエコパークにという話になっている。ジオパークも先日何とか再認定はされたものの、地域内での周知も不足しているし課題がたくさんある状況で、さらにエコパークといわれても、それが何を目指すのか、世界遺産とはどう違うのかとか、よく分からないところが多いので話を聞きたいと思った。
 第1部の基調講演では、まず「ユネスコエコパークの魅力と各地の取り組みについて」ということで、MAB計画委員会副委員長で横浜国立大学准教授の酒井暁子さんからお話があった。MABとはMan and the Biosphereの略で「人間と生物圏」と訳される。MAB計画とはユネスコが1970年から始めた生態系の保全と利用の調和を図る国際的な取り組みで、世界自然遺産が手つかずの自然を守ることが原則であるのに対して、ユネスコエコパーク(生物圏保存地域、Biosphere Reserves)は保護と利用ということで、生物多様性の保全と人間生活の調和を図り、地域社会の持続的発展を実現する場とのこと。そして厳重に保護すべき核心地域、環境教育や野外活動、調査研究、観光、レジャーなどに利用できる緩衝地域、人が暮らしを営み社会活動ができる移行地域の三つにゾーニングする。手つかずの自然を絶対視するのでなく、むしろ主体的に守るような意識を醸成する、それによって文化的な多様性を守ることにもつながるという言い方をされていた。日本では1980年に登録された屋久島、志賀高原、大峰山と大台ケ原、白山と、去年登録された綾の5か所あるそうだ。
 また保全と利用ということで、このユネスコブランドを観光や地域活性化に生かしている事例として、ドイツのレーン地方が紹介された。モザイク様の畑の景観が美しいところ。ここでは激減していたレーン羊という固有種を復活させたり、多品種のリンゴの特性を生かした加工品を開発したりといった形で、ブランド価値を創成しつつ地域アイデンティティの醸成を図り、地域活性化につなげているという。世界自然遺産は価値を「保存」するためのものだが、ユネスコエコパークは価値を「創造」するためのもので、「自然と共生する持続社会の世界的モデル」という言い方もされていた。
 次にMAB計画委員会委員で日本自然保護協会の朱宮丈晴さんから、綾ユネスコエコパークの取り組みについて紹介いただいた。綾町は照葉樹林プロジェクトもそうだけど、町ぐるみの有機農業でも有名なところで、美しい村連合の一員でもある。ここがユニークなまちづくりを進めてきた背景にあるのは、1966年に始まった自治公民館制度という地域との合意形成の場ができていることだという。などなど、いろいろヒントになる話があった。
 第2部のパネルディスカッションでは各地の取り組みということで、芦安ファンクラブ、南アルプス高山植物保護ボランティアネットワーク、大鹿の100年先を育む会からの取り組み紹介があった。第1部で時間がだいぶ押していたため、パネルといっても、3人からの報告だけでほとんど時間がなくなった。 
 今度2月23日には、伊那市長谷にて、やはりユネスコエコパークに向けたフォーラムが開催される。

植物調査(今年度最終)

2012年10月27日 | 自然・環境
 今日は大鹿の100年先を育む会の植物調査、今年度最終回で、鳥倉林道奥のヤツガタケトウヒとヒメバラモミを見にいった。鳥倉林道は先日の赤石岳初冠雪のときから3回目。こんなに短期間に何度もここまで来たのは初めてで、紅葉の変化をしっかり堪能させてもらいながら、きれいな赤や黄色の正体を教えていただく。
 この道沿いに赤が目立つのはカエデの仲間がたくさんあるせいで、今日確認したものは11種類に上った。例えば下の写真は登山口の駐車場のところだけど、ここだけでハウチワカエデ、コハウチワカエデ、オオモミジ、エンコウカエデの4種類あるのだそうだ。


 これも右側と左側のカエデは種類が違う。ハウチワカエデと・・・、もう写真だけではよく分からなくなってしまったけど(^^;)、どちらも里でよく見かけるイロハモミジとは葉っぱの形が少し違う。


 きれいな黄色の一つはオノオレカンバだそうだ。
 

 これまでここを訪れたのはほとんど午後だったので、午前中は光の当たり具合で、また表情が違って見える。土曜日ということで、写真を撮りに訪れている方も何組もいらした。


 今日の屏風岩の紅葉具合はこんな感じ。


 さて、今日の目的。ヤツガタケトウヒは八ヶ岳と南アルプスにしかない希少種。針葉樹の見分けは難しくて、教わって何となく分かった気になっても、すぐあやふやになってしまって、なかなか覚えられないのだけど、球果は普通のトウヒとはっきり違った。樹形はクリスマスツリーの形。


 ヒメバラモミもやはりトウヒ属の針葉樹で、八ヶ岳と南アルプスと秩父山地にしかない希少種。


 今年は、育む会の植物調査のおかげで、随分山歩きを楽しませていただいた(肝心の植物の名前の方は、教わっても教わってもなかなか覚えられないけど)。来年も続くので、また楽しみだし、せっかくの機会なので、参加者がもう少し増えるといいなと思う。
 

南アルプスリレー講座

2012年10月19日 | 自然・環境
 昨夜は富士見町で開催された第2回目の南アルプスリレー講座に行ってきた。今回は「南アルプスの動物の価値と危機」というタイトルで、信大の竹田謙一先生によるお話だった。竹田先生はシカの専門家で、大鹿のシカ対策にもご協力いただいている方なので、きっと南アルプスの高山植物に危機をもたらすシカの話が中心だろうと思って聞きに行く。
 南アルプスの生物多様性という点からいうと、いわゆる希少種で、ここにしかいない種類というのは、哺乳類では特にいないが、アズミトガリネズミとホンドオコジョが南限種になるそうだ。あと、鳥類のライチョウも南アルプスが南限。両生類ではアカイシサンショウウオが環境省の絶滅危惧1B類で、南アルプス南部にしかいない。
 特別天然記念物にもなっているライチョウについては、国の保護計画も進められているが、その生息域を脅かしているものの一つがシカの高山帯への進出。南アルプスではシカが高山のお花畑などに壊滅的な被害を与え、最近では防護柵で保護したりしている状況だけれども、ライチョウも高山植物を食べるので餌がなくなってしまう。スライドでは塩見岳の1979年のお花畑の写真と、同じ場所が2005年には花が全くなく草原になった状態、2010年には緑も失われ、裸地化しているところも目立つ状況になっている写真などを見せていただいた。この夏につれあいが塩見岳に行ったときには、同じ場所に土砂流出を防ぐための植生復元マットが敷設されていたそうだ。ダケカンバがシカの口が届く範囲はすべて葉っぱが食べ尽くされて、ブラウジングラインが形成されている写真なども見せていただいた。
 今やニホンジカの影響は、個別的な作物の食害などの農業被害から、林業被害、表土流出による土砂崩れ被害、さらには生態系改変をもたらす国民的な被害へと拡大しているという言い方をされていた。
 ニホンジカはカモシカと異なり、なわばりを持たないそうで、だから生息密度が高くなる。メスは定着傾向が強く、入笠山の牧場などもメスばかりだそうだ。一方、オスは広範囲を移動し、北沢峠にいた個体が、冬は白州まで下りて、夏はなんと塩見岳まで移動していたそうだ。
 長野県では十万頭以上生息していると推計されるシカを、5年後に3万5000頭まで減らすという管理計画を定めているが、猟師さんも高齢化し、数も減っている中で、いかにして?という問題も大きい。この管理計画を受けて、今年は大鹿村でもくくりわなを仕掛けて、シカをたくさん取っているけれども、食用に搬出できないので、穴を掘って埋めている状態で、それも心が痛むし、また別の影響も心配される。
 世界自然遺産ということでいうと、知床世界自然遺産においてもやはりエゾシカの採食圧による自然植生への影響が大きいため、エゾシカの保護管理計画が定められている。ここではエゾシカの増加要因が生態的過程か人為的なものかは判断できないとされているが、竹田先生は南アルプスにおいては人為的なものだとされた。人為的な要因でシカが増えて、生態系に甚大な影響が生じている現状に対して、人間の手で何とかしなくてはということなのだろうけれども、下手に人間が関与すれば、また別の問題を生み出すこともあるだろうし、難しい問題。最近、シカの天敵となるオオカミを導入したらどうかという話があるが、それについては竹田先生は否定的だった。よく成功例として挙げられるイエローストーンでは、すべてのオオカミに発信器を付けて管理しているそうだ。でも、日本の地形ではそれはとても無理だろうと。
 シカの話を聞いた後の帰り道、いつにも増して、たくさんのシカたちに遭遇した。

※今日は南アルプス赤石岳などが初冠雪。こちらに写真をアップしました。

植物講座

2011年09月10日 | 自然・環境
 今日は100年先を育む会主催の「オオシカ谷の植物講座」という催しに出かけてきた。飯田美博の学芸員をされている蛭間さんに、まずは樹木の見分け方という基本的なところを教わったり、リニアが明かりで通過すると思われる小渋川上流部と、身近なところとして大西公園~大磧神社界隈で調査していただいた結果などをお聞きした後、実際に大磧神社まで歩きながら植物を見てきた。
 大鹿村は、上は3120mの赤石岳から、小渋線と岩洞の分岐の松除橋のところは618mと、標高差がすごくあるので、高山帯から亜高山帯、針広混交林帯、落葉広葉樹林帯、モミ・ツガ林帯、落葉樹林帯、さらにアラカシなどの常緑広葉樹もあって、また石灰岩地には珍しい針葉樹などもあり、非常にたくさんの種類の植物がある。先日、小渋川上流の川原を歩いたときに同行させていただいたけど、そのときも百何十種類もの植物を確認し、長野県の絶滅危惧種に相当する種も見つけた。
 大西公園周辺では、公園も川原も造成地なので、やはり帰化植物が多い。そんな中で、田んぼの雑草みたいに思っていたウリカワが実は長野県では絶滅危惧Ⅱ類になっていると聞いて驚いたり。上の写真は大磧神社の桜の古木(エドヒガン)の幹に、シノブというシダがたくさん生えている様子。この木からは、ケヤキやコナラなども生えていた。
 いろいろ名前を聞いても、メモしただけでちっとも覚えられないけど、お勧めの図鑑(『検索入門・樹木』)を教えていただいたので、自分でも調べられるように早速注文した。
 うちの周囲でも、シカに食べられたりして随分植生が変化しているのを感じるけど、ただ漠然とでなく、具体的にどう変化していっているのか、ちゃんと把握しておきたいものだと思う。あるいは、希少種なんて知らなくて引っこ抜いて絶やしてたなんてことのないように。

田中優さんの講演会

2011年05月30日 | 自然・環境
 日曜日は飯田市の美術博物館で伊那谷自然友の会主催の田中優さんの講演会があった。今回の原発事故のこと、なぜ原発が推進されてきたか、たくさん設備投資してコストをかけるほどもうかる総括原価方式の仕組みや、原発をやめても夏場のピークを少しずらすだけで電気は十分足りる話、発送電分離によって電力の自由化を進めるべきこと、電力会社が莫大な広告費を使ってメディアをコントロールしていること、地熱、洋上風力、小規模水力など自然エネルギーの紹介、エネルギー自給→地域資源を活用して地域の中でお金を回すことなど、多岐にわたるテーマを分かりやすくお話しいただいた。田中優さんのお話はいろいろな具体的なヒントに富んでいて、話を聞いた人たちが希望を感じられるところが若い人たちに人気のあるゆえんかなと思ったりする。後半の質疑の中では、ビールが放射能の除染に効果があるなんていう話も。200名収用の会場は超満員で、さらにUstreamでネット中継もされた。こちらでアーカイブが見られる(最近の過去のライブ)。
 今日の午前中も再びもっと少人数で田中優さんのお話を聞く集まりに行ってきた。古民家の和室の会場で、昨日の話を受けて、ビールを飲みながらの気さくな集まり。
 昨日もそうだったけど、電磁波に敏感な方がおられるので、携帯電話はマナーモードでなくて電源を切ってくださいとのアナウンス。息苦しくなってしまうそうだ。よく「過敏症」という言い方をされるけど、実はほかの人が鈍感なだけで、本当は体によくないものを敏感に感じ取って知らせてくれる人だとも言える。先日、飯田にチェルノブイリの話を聞きに行ったときも、人間は探知機がないと目に見えない放射能の存在が分からないけど、ミツバチは事故後1週間くらい全く巣から外に出なかったという話を聞いた。
 その電磁波関連で言うと、オランダの基準は4ミリガウス。ところが、日本は2000ミリガウス以下という甘い基準が最近できたそうだ。去年、リニアの講演会で荻野先生もそういう話をしておられた。まるで今の放射能の暫定基準みたいなもので、日本人は電磁波に特別強いのか?と言いたくなってしまう。リニア飯田駅を現在の駅に併設することを飯田市では求めているようだけど、その辺の危険性は考慮されているのだろうか。推進する人たちの中には敏感な方はいないのかな。