「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

シカ被害地を歩く

2010年08月30日 | 自然・環境
 昨日は、前日の講座に続き、実際に現地を見てみるということで、しらびそ峠から尾高山方面を歩いた。上の写真は出発少し前のしらびそ高原からの展望。針葉樹林帯を専ら足元の植物を見て歩いていたけど、途中の展望が開ける場所からは南アルプスの山々の景色もばっちり楽しめた。
 前日お話しいただいた農工大の先生のほか、美博の学芸員さんや地元の植物に詳しい人たち、動物に詳しい人も一緒で、少し歩いては足を留めて、いろいろ解説していただく。シカに食べられると、基本的に、小さくなっても花を付けて子孫を残せるものは生き残れるけど、そうではないものはなくなっていってしまうそうだ。
 ここらの林床は矮性化したミヤマクマザサ。スズタケは枯れてしまうそうで、上部が枯れたスズタケも少しあった。スズタケは葉の先端から葉が2枚出ているので見分けられるとのこと。

 シカが増えると、減る植物ばかりでなく、増える植物もあるという話を前日聞いたが、こちらのミヤマタニソバとミヤマタニタデもそうで、種がシカの糞によってばらまかれて増えるのだそうだ。

 この二つとミズとサワギクを、シカが増えると増える植物の4点セットですと言って、学芸員の方が摘んで見せてくれた。
 さすがに猛毒のトリカブトは食べられずに、しっかり花を咲かせている。

 一方、コバイケイソウも有毒の植物だと思ったけれども、こちらはやられているみたいだった。


 いろいろな植物がうんと小さくなって、生き延びている姿が見られた。また、急斜面など、鹿が入りにくそうなところには低木もあったりした。
 こんな感じのゆっくりペースで、尾高山の頂上までは行けずに、途中の2121mの地点でお弁当を食べて引き返す。

 ここの林床にあるのはシラネワラビとのこと。ワラビもシカが食べないので、一面に広がっている。

 休憩タイムには、畑のトウモロコシをゆでて、参加者の人数分背負ってきてくださった方がいて、いただいたり、美濃加茂からいらした方からはびっくりするほど甘くておいしい干し柿をいただいたり(蜂屋柿というのだそうだ)、休憩時間の談笑も楽しい。
 久々の山歩きで、しかも、とてもたくさんのことを教えていただけて有意義な一日だった。聞いたことをどれだけ自分のものとして覚えられるかは心もとないけど、当然、村内でも同じことが起こっているので、今度はそういう目で村の植物のことももっと勉強したいなと思った。
 


鹿の増加と植生変化

2010年08月28日 | 自然・環境
 うちの村は人間の数よりも鹿の数の方がはるかに多く、畑の被害なども多いという話はたびたび書いているが、被害というだけでなく、家の周囲からオニユリやユウスゲ、オオバギボウシ、オカトラノオ、カワラナデシコ、ツリフネソウなどの花がすっかり消えてしまったり、少なくなってしまったりしていて、風景としても寂しいし、今年の10月に名古屋でCOP10が開催されるので、よく言葉が聞かれるようになった「生物多様性」という点でも、すごく問題なのではないかなと思っていた。最近は6月ころまで、まるでちゃんと草刈りをしているかのごとくに草が伸びない。夏になると、鹿が好きではなさそうな草だけ背丈が伸びて、あとのところはやはり草丈が低いままの状態だったりしている。あと、耕作を休んでいる何年間かの間に、毎年植生が変化しているのが感じられる。2~3年ほど前に、一面の菜の花畑(といっても、外来種のカラシナ系の雑草)になったかと思うと、次の年には鹿に食べられて、花が咲く時期がずっと遅れて、量的にも激減した。このまま鹿の増加に対して、有効な策が打てないままでいたらどうなるのかというのは、農業被害だけでなく、本当に切実な関心事になっている。
 今日は伊那谷自然友の会の生物講座で、「ニホンジカが増加した20年間に何がどう変わったか」と題した講座があったので、話を聞きに行った。残念ながらこの地域の話ではなくて、奥多摩あたりの話が中心だったけど、奥多摩で鹿の高密度化によって出現が大きく変化した植物として、減少種の中には、やはり共通するなと思うものが多かった。遷移度とか、やや難しい話も多くて、分かりにくい部分もあったけれど、中型・大型の、要は目立つ草本類が減っているみたいだ。減るものだけでなく、新たに鹿の好まない植物が増えたりもするので、多様度指数という点では、調査地の中ではあまり変わらないところもあったけれども、アヤメが消えてしまった櫛形山では、多様度指数が大きく減っていた。ここらも櫛形に近いのではないかという気がする。
 明日は、尾高山・シラビソ峠周辺を実際に歩いて観察するとのこと。

もう一つパブコメ

2010年08月19日 | 自然・環境
 パブコメついでにもう一つ。最近ツイッターでよくリツイートされているもので、原子力委員会が「原子力政策大綱」の見直しの必要性に関する意見募集を行っている。プレスリリースはこちら

 7月20日に「原子力政策大綱の見直しの必要性に関する検討について」というのが決定されたそうで、それによれば、「原子力政策大綱が策定された平成17年10月以降、国内外の原子力利用には様々な変化が見られる。これらの変化を踏まえ、原子力委員会は、策定から5年が経過した原子力政策大綱について、見直しの必要性の有無の検討を行う。その検討にあたっては、平成18年より政策評価部会等で実施した原子力政策大綱に対する政策評価の結果を踏まえるとともに、政策の進捗状況や原子力を取り巻く環境の変化、さらに、これらを踏まえた大綱のあり方や現大綱に示されている政策に対する意見を各界各層から幅広く聴き、参考とする」とのこと。
 ホームページ上で意見を入力できるようになっている。

 ちなみに、原子力政策大綱とは、概要によれば、「数十年間程度の国内外情勢の展望を踏まえ、原子力発電や放射線利用等について、今後10年程度の間に各省庁の連携の下に推進する施策の基本的方向性を示したもの」で、原子力の推進については、
「【原子力発電】2030年以後も総発電電力量の30~40%程度以上 を担う。このため、①既存施設の最大限の活用と新規立地への取 組、②既存炉代替に向けて、改良型軽水炉の開発、 ③高速増殖 炉は2050年頃から商業ベースの導入を目指す。
【核燃料サイクル】使用済燃料に含まれるプルトニウム、ウランの有効利用(再処理、プルサーマル)を着実に推進。六ヶ所の再処理能力を超える使用済燃料は中間貯蔵。
【放射線利用】新材料創製技術やがん治療等に活用し普及」などと書かれている。

 これは9月21日まで。

 

パブリックコメント

2010年08月17日 | リニア新幹線
 国交省で中央新幹線に関するパブリックコメントを募集しているので、思い付くまま書いて、メールで送った。以下、送った内容です。

(意見)
・中央新幹線のCルート、南アルプス長大トンネルには、特に安全性の見地などから危惧を覚えます。
・これからの人口減少社会、また高速道路料金の低廉化を考えると、JR東海の出している需要予測は相当甘いのではないかと思われます。難工事により工事費が予想を大幅に超えることも想定され、単独事業といっても、結果的には国による財政援助が必要になるのではないかと考えられます。だとしたら、他の公共事業も見直されている中、その必要性もより慎重に議論されるべきではないかと考えます。
・リニア新幹線はまだ実験線の段階で、完全に確立された技術とはいえないようですし、電磁波の影響等も懸念されます。また、大量の電気を必要とするので、省エネルギー化の流れにも逆行します。
・東海道新幹線の改修工事や東海地震に備えてということであれば、何も巨額の投資をして、多々疑問のあるリニア新幹線を作らなくても、他の方法もいくらでも考えられるはずです。東海地震の際には、南アルプス南部地域も相当な被害が想定されます。

(理由)
・南アルプス地域の地質の脆弱性は当然把握しておられると思いますが、恐らく住民の実感とは懸け離れていると思われます。年間4㎜のスピードで隆起を続ける、日本列島の中でも今現在一番動いている地域であること、国道152号線は地蔵峠、青崩峠の2個所で寸断されていますし、この地域では土砂崩落による通行止めは日常茶飯事です。小渋川、青木川の谷底に顔を出す計画であるとのことで、トンネル出入り口付近で土砂崩れ等があった場合、大惨事が予測されます。
・長大トンネル工事に伴い、排出される大量の土の捨て場が村内にはありません。狭い急峻な地形の中で無理に近場に置こうとすれば、新たな土砂災害の要因となります。また、村外に運び出すとすれば、村内の狭い道路を大型ダンプが頻繁に行き交うことは、村民の生活破壊にもつながります。
・大鹿村は、日本で最も美しい村連合に加盟し、小さくてもオンリーワンの村づくりを進めていますが、リニアによる電磁波、騒音、大土木工事等は、そうした「美しい村」の価値や景観を著しく破壊します。
・南アルプス地域では、世界自然遺産への登録を求めて保護活動が進められています。ただでさえ鹿による食害等で生態系がかなり荒らされているところに、大規模な工事を行うことは、自然破壊に拍車をかけます。

静かなお盆休み

2010年08月15日 | 田舎暮らし
 昨日は雨が降ったりやんだりのあいにくの天気の中、恒例の夏祭りだった。天気予報も悪かったし、夕方にはかなり降ったので、本当に花火をやるのかなとも思ったけれども、その後小やみになり、そのまま予定通り開催された。今日は曇りベースで雨は降らなかったので、延期しても良かったように思うけれども、昨日の時点では今日の予報もぱっとしなかったし、今日だと帰らなくてはいけない人も多かったろう。本当にこういう天気のときの開催の判断は難しいのだろうなと思った。結果的に、雨は降ったりやんだりで大したことはなかったけれど、確実にお客さんは例年より少なかった。何せシートにごろんと寝そべって見ることもできないし、前の花火の煙がなかなかひかなくて、もやっと見えたり、中には煙に隠れてしまった花火もあったのはちょっと残念だった。
 うちは今年は上の子どもたちもいないし、ほかの来客もなく、さらに「ゲゲゲの女房」に出てくる「妖怪いそがし」に取りつかれたかのようなつれあいも仕事があるから来ないと言うし、下の子と二人だけだったので、食べ物も特に作っていかずに、祭り会場であれこれ買って食べる。
 あと、暇だったので、先日作ったアカウントでちょっと祭りのツイッター中継的なことをしてみようかなと思って、空もようなどをツイートしてみたけど、日ごろ携帯のカメラを使いこなしてないので、写真をアップロードできなくて、結局、文字だけのツイートを少ししてみただけだった。

 お盆休みの間に秋冬野菜の準備もしなくてはいけないけど、連日の雨で土がすっかり湿って重たいので、もう少し乾かないと作業できない。今日は8月28日までパブリックコメントを受け付けているリニア新幹線についての意見を少し書いて、机の前にツンドク状態になっている本のうち、読みかけだったベーシック・インカムの本と小説を1冊読む。
 ところで、今、リンク先を調べようと思って「中央新幹線、パブリックコメント」で検索をかけたら、Bルートを主張している岡谷市、諏訪市などのサイトがずらっと上位に並んだ。なるほど、市民にどんどんBルートを推す意見を出してもらおうということらしい(e-Gov「中央新幹線に関するパブリックコメントの募集について」はこちら)。

低い投票率

2010年08月09日 | 非戦・平和・社会
 長野県知事選は阿部さんの辛勝だった。本当に接戦だったけれど、自民党が推す方にはならなかったので、ほっとした。それにしても、今回の投票率は低かった。常識的に考えて、事前にあれだけ接戦だと報じられていれば、少なくとも阿部さんと腰原さんの支持者は投票に行くはずだと思える。そう考えると、投票に行かなかった人の多くは、どちらも支持しないか、あるいはどっちでも大差ないと思ったということなのだろう。特に今回は政党対決のようになってしまって、国政の場で、政権交代をなしたはずの民主党がどんどん自民党と代わり映えしない方向に行っているように見えるから、無党派の人たちから見たら、自民党も民主党もぱっとしないし、また、どっちでも大差なく思えたというところなのかな。もう一人の松本さんは、それらの組織対決に埋もれてしまって、とても勝ち目はなさそうだったし、阿部さんと松本さんで票を分け合って、腰原さんに行くのは避けたいと思った人も多かったと思うから、迷いも生じて、結局投票に行かないということもあったかもしれない。
 いずれにしても、新しい知事が誕生した。阿部さんの経歴を見ると、副知事を退職後、総務省の過疎対策室長をされていたみたいだ。長野版の事業仕分けをなさるそうだが、その際には、いろいろなことが非効率に見えるかもしれない過疎の小さな村の実情もきちんと理解していただきたいものだと切に願う。
 

経済成長なき社会発展は可能か?

2010年08月07日 | 非戦・平和・社会
 明日は長野県知事選。参院選の直後ということもあって、民主党と自民党の決戦みたいになって、大物議員も続々応援に来たりして、情勢調査でも両者が競り合っていて、真っ先に立候補表明した松本さんは厳しいと書かれているみたいだ。こういう三つどもえの選挙のときは、自分の考えに一番近い人に入れるか、アンチ自民に勝たせる方を重視するか、いつも悩みながら投票している。今回も3日ほど前の信毎の記事でも、投票先未定が4割以上ということで、同じように迷っている人も少なくないのかな。自分の思いはツイッターの方につぶやいた。いずれにしても、明日結果が出る。

 ところで、以前にも何回か、環境問題への対応と経済成長を何とか両立させようとする施策や風潮に対して、経済はどうしても成長し続けなくてはいけないのかという疑問を書いたことがあったと思うけど、しばらく前にツイッターで、「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」 という、朝日新聞に掲載されたラトゥーシュという経済哲学者の言葉が目に留まった。邦訳書が刊行されたというので、早速注文したものが昨日届いた。『経済成長なき社会発展は可能か? <脱成長>と<ポスト開発>の経済学』という邦題の分厚い本で、注釈もいっぱいあって、訳文も硬くて難しそうで、読むのはなかなか大変そうだけど、お盆休みに少し読めたらいいなと思っている。
 冒頭に日本の読者に向けた著者のメッセージが「『経済成長』信仰の呪縛から逃れるために」というタイトルで掲載されている。確かに「経済成長」というのは一種の信仰だよなと思った。もちろん不況で社会の底辺であえいでいる人たちがますます苦しくなるのは事実だけど、そこを社会福祉施策できちんと下支えできればという前提で、経済成長一辺倒でない在り方を模索しないと、やはり地球環境は待ったなしの状態だと思うのだけどな。ブックマークのMY本棚に早速登録(ほかの本も、ただ本棚に並べてあるだけで、レビューは全然書いてない)。

追記:「経済成長」信仰は資本主義と密接不可分な気がするけど(目次に「<脱成長>は資本主義の中で実現可能か?」とあった。中身はまだ読んでない)、日経BPの本日の必読記事に田原総一朗さんの「強欲な資本主義に「正義」はあるだろうか」という記事があった。「いま私たちは自由主義経済、資本主義経済を考え直さざるを得ない。改めて、そういう気持ちになって、私は戸惑っている」と。