「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

飯舘村へ農産物支援

2012年11月16日 | 脱原発
 お隣の中川村で、昨年、原発事故で大きな被害を受けた飯舘村の人たちを夏祭りに招いたことをこのブログでも紹介した。その後も中川村では、秋には支援米を運び、今年の夏祭りにも飯舘村の人たちがいらっしゃるという形で、支援・交流が続いている。そして今度は、中川村の隣の飯島町の農家から提供されたネギ1万本を届けるので、一緒に行きませんかというお誘いをいただいた。昨年の報告会は大鹿村議会も共催させていただいたし、飯舘村の人たちの生の声を何度かお聞きしている中で、機会があれば、ぜひ現地の様子を自分の目で見たいと思っていたので、喜んで参加させていただくことにした。この14日~15日の一泊で、中川村、飯島町、その他近隣町村からの総勢15名で行ってきた。

 飯舘村の役場の移転先、福島市飯野の飯舘村飯野支所に到着。右側が飯舘村の方々。


 仮設住宅単位でネギを分配するということで、各仮設住宅から来られた軽トラに、米袋に詰め込んだネギを数を数えながら積み込む。ネギの品種は松本一本ネギ。


 ネギを配り終え、庁舎でお茶をいただいた後、仮設住宅を見学させていただいた。ここは松川第一応急仮設住宅という飯舘村の仮設住宅の中では一番規模が大きいところ。ここに111世帯213名が暮らしているそうだ。やはり子どものいる世帯は先に村を出たので、仮設住宅に暮らすのは高齢者が多く、平均年齢は71歳だとか。世帯人数も平均1.5人ほどで、48世帯は一人暮らしとのこと。


 入り口にはプレハブのお店が2軒。右側は直売所で、野菜も売っていた。




 ここには「あづまっぺ!」というサポートセンターがあって、交流サロンとデイサービス、介護予防教室なども行われている。また、買い物や病院に行く村のバスも出ている。この仮設住宅は、ある意味では飯舘村にいたときより便利な面もあるようだったし、管理人をされている女性もとても熱心な方で、比較的恵まれているところのようだったが、それでも、住み慣れた村を離れ、世帯分離してお年寄りだけで暮らす寂しさや無念さをこらえているストレスで、血圧が上がったり病気になる人も多いそうだ。
 この日は、飯坂温泉にある飯舘村の保養施設「いやしの宿いいたて」に泊まり、飯舘村の副村長、議員さんたちと交流会。ここは閉鎖した民間の保養施設を飯舘村で借り受け、村民は日帰り入浴が無料、仮設住宅からバスも出ている。

 翌日は村民が避難してしまった飯舘村で、そのまま存続している特別養護老人ホームにお米やネギなどを届けるとともに、除染作業の様子を見たいとお願いする。
 最初に二枚橋というところで行われていた住宅の除染現場で、お話を聞いた。屋根はふきとる、または洗浄、壁もふきとりか洗浄、あるいはブラシング、外の土ははぎ取って赤土で客土、裏山は20m落ち葉を除去、10mまでいぐね(屋敷林)を伐採とのこと。気が遠くなりそうな作業。
 田んぼはやはり表土を数センチ削り取って客土。モデル事業で除染し終わったところを案内していただいたが、飯舘村の方たちとお別れした後に通ったところでは、まさに客土の作業中だった。除染した田んぼで稲の試験栽培も行われていて、今は収穫を終えて検査中だそうだ。


 これは飯舘村役場庁舎。


 ここに線量計があり、0.65μSVと表示されている。


 この空間線量については、以前、長谷川健一さんの話などで、この周辺だけ徹底的に除染されて低くなっていると聞いていたので、少し離れた植え込みのところでエアカウンターで測ってみたところ、やはりというか、2.38μSVあった。「広報いいたて」のお知らせ版に各行政区の放射線測定値が掲載されているが、10月24日の地上1mの数字を見ても0.85~9.23μSVある。

 飯舘村では、全村避難の後も、室内の空間線量はそれほど高くないからということで、幾つかの事業所が残されていて、そこで働く人たちは避難先から通勤してきている。特養もその一つで、移動することのリスクの方が大きいという判断から残されている。入所者は90人で、職員も90人ほど。「外の玄関先の線量は1.4μSVあるけれども、中に入れば0.2μSV以下です」とおっしゃっていたが、やはり若い人は辞めて、職員が減ってしまい、募集してもなかなか集まらないそうだ。施設自体は本当に明るく広々としていて、素晴らしい施設だった。


 特養の前で案内していただいた議長さんたちと分かれ、津波の痕跡を見るべく南相馬の海岸方面へ向かう。もう1年8か月もたち、がれきなどは片付いて、何もない空間が海べりに広がっていたが、そのまましばらく南下していくと、まだ片付いていないがれきや、壊れたままの家が目に入ってきた。そして、警戒区域の通行止め。

 

産業文化祭

2012年11月11日 | 田舎暮らし
 今日は産業文化祭だった。朝からあいにくの曇り空で、昼過ぎまでは何とかもって、もちつきなども外で行われたものの、演芸の部に入って美翔連の踊りの途中くらいからぽつぽつと雨が降り始め、肌寒い一日だった。
 室内の農産物の展示。


 着物からリフォームした「ねこ」や袖無し綿入れ、もんぺなど、今年も好評で、ほとんど売り切れていた。寒かったし、早速着ていた人も多かったかもしれない。


 大鹿歌舞伎の際にも販売していた大鹿景清のマスコット人形「おかげ君」


 三伏峠の高山植物や塩見岳、富士山の写真が展示してあった。


 保育園の年長さんと大鹿太鼓の皆さん。このころはまだ降ってなかった。


 昨日の小渋橋からの赤石岳。こんな天気の日だとよかったのだけど。



議会報告会

2012年11月06日 | 議員活動
 先日4日の夜と、今日の午後、2か所の会場で、大鹿村議会としては初めての議会報告会を開催した。チラシを全戸配布したほか、無線でも何日間かお知らせしてもらい、一体どれくらいの人が来てくれるものか、本当にどきどきだったが、初日は13人、今日は8人の方に参加していただき、少ない人数ながらも活発にいろいろな意見をいただいた。
 初日にまず言われたのは、議会が何をやっているのか全然分からないのが現状なので、今後もこういう機会を多く持っていただきたいということだった。大鹿村ではケーブルテレビで議会の録画中継が、議会が終わって何日か後に3日ほど流れるが、アーカイブされてはいない。「議会だより」も行政の広報の中に2ページほど定例会の報告があるだけで、議案の中身も分からない状態だ。今回報告会を開いたことを歓迎する意見を何人かの方々からいただくとともに、議会だよりを発行するなど、もっと議会の議論の内容などを伝える努力をしてもらいたいという、しごくもっともな意見をいただいた。私も含めて、そうした状況を補う意味で個人で議会報告を作っている人はいるが、やはり個人で配るのでは一部の人にしか伝わらない。
 2日間を通じて最も多くの人から意見が出たのがリニアの問題。JR東海が具体的な情報を一切出さず、来年の秋の準備書でと言っていることに対して、決まってから対応するのでは遅い、もっと村長の考えを引き出せとか、村民の意見を聞いてほしい、議会でも議論をしてほしい、講師を招いて村民に問題点を明らかにしてほしい等々の意見をいただいた。議会でも一般質問等で、ルートが決まるまで待っていては遅いので、問題点や対応策を想定して考えておくべきということは何度か言っていて、村の方でも検討を始めている旨を議長から回答。
 初日はこのほか、NPOあんじゃネットの方から美しい村のトイレの問題、買い物難民のための移動購買、配食サービスなどをしたいという話をいただいたり、鳥獣害対策、空き家対策、監視カメラ、登山バスの時間のことなど、いろいろな意見をいただいた。
 今日は参加者がやや少なかったが、林業の作業道整備、若者定住促進、あるいは観光施設で働く方から、観光客の声として登山道をもっと整備してほしいという話等々いただく。
 また、村の将来をの方向性を問うような一般質問がないとか、ただ質問するだけでなく、自分ならこうするという腹を持った質問をしてほしいとか、議員の資質を求めるような意見もいただいた。
 今回の報告会はきちんと録音をとって文字起こしもしたので、これを基にまた議員たちの中で話をして、次からの議会に生かすとともに、また村民への報告という形でフィードバックもしていきたい。

秋葉古道ウォーキング

2012年11月03日 | 田舎暮らし
 今朝は今季一番の冷え込みで、畑は真っ白に霜が降り、水たまりにはごく薄く初氷。車のフロントガラスも真っ白で、暖気が必要な季節になった。

 今日は秋の恒例となった秋葉古道ウォーキングで、今回はうちのすぐ近所を通るコースだった。天気もよく、紅葉もきれいで、道中、思いがけない山の幸もあったりして、心地よいウォーキングを楽しんだ。
 出発点の交流センターから中尾に上がる途中から、大西山や地蔵峠方面。大西公園の桜の紅葉した葉っぱがまだ残っている。


 伊那坂東33札所の19番札所となっている中尾茶屋堂で、看板を見ながら解説をお聞きする。伊那坂東33札所は上片桐の瑞応寺から始まって、中川村、大鹿村、生田、33番の山吹の領法寺まであるが、12番~25番までが大鹿村にあるそうだ。


 中尾から南山に登り、中峰や梨原方面、塩見岳の頭もちらっと見えるカフェマヤさんの畑の周囲でお弁当。午後はそこから松ノ田、狐坂を通って、ランカンへ下り、あと塩川沿いに塩の里まで。