「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

田舎暮らしの医者事情

2005年04月30日 | 田舎暮らし
 今日は子供の部活で、2~3年生は村外で練習試合、1年生は学校で練習だった。上の子を試合会場まで送っていったものの、途中で具合が悪くなって、結局1試合もせずに連れて帰ることになった。土曜日は村の診療所はお休みだが、先生がいれば診てもらえるので、電話して聞いてみたら、連休中は先生不在とのこと。出先だったので、やっている病院を聞いて、帰りがけに寄って診てもらったら、インフルエンザだった。2年生の子も2人インフルエンザになっていたので、多分そうじゃないかとは思っていたのだけど、やっぱり。
 家に帰ってみたら、学校に練習に行っていた弟のほうも具合が悪かったそうで、寝ている。熱を測ったら、38.6度。この子もインフルエンザ? でも、帰ってきたばかりで、また遠くの病院まで連れていく気力もなく、本人も家で寝てるほうがよさそうだったので、申し訳ないけど、そうさせてもらうことにした。
 熱を出して、すぐに病院に行って薬をもらった兄のほうは、夜には熱が下がり始めていたけど、弟のほうはまだまだ高熱。だからといって、兄の薬を弟に飲ませるわけにもいかないだろうしな。明日も熱が高かったら、村外の休日当番医を探して連れていくしかないかな。
 診療所が休みのときに具合が悪くなると、あるいは診療所で対応しきれない病気になると、やはり病院が遠いので大変だ。暑い中、文字どおりロング・アンド・ワインディング・ロードを遠くの病院まで連れていくのは、それだけで本人もかなり消耗してしまう。そんなわけで、村では今、急患はヘリコプターで搬送している。車で50分ほどかかるI市で一番大きい市立病院まで15分なのだそうだ。 

河川清掃

2005年04月29日 | 田舎暮らし
 毎年みどりの日は、自治会単位で、河川清掃・道路清掃が行われている。うちの自治会では例年、男衆は河川清掃(草刈り作業)・道路清掃、子供たちはごみ拾いをして、その間に女衆が寄り合って、五平餅をたくさん作って、作業終了後に慰労の五平餅会が行われていた。
 でも、今年は河川清掃はあったが、五平餅会はなく、作業した人たちだけで、焼き肉で慰労会を行った。高齢化が進み、だんだんおばさんたちが出てくるのが大変になってきたためらしい。20年前に私たちが来たころ40~60代だった人たちは、もう60~80代だもの、まあ、無理もないな。

 今日の信濃毎日新聞によれば、この4月1日現在の村の高齢化率は48.8%で、天龍村と並んで県内トップだそうだ(ちなみに5番目まで下伊那郡)。ほぼ2人に1人が65歳以上というのだから、すごい数字だ。この20年間にも、私たちのように外から転入する人もいるが、確実に過疎化・高齢化が進行してきた。
 今こうやって自治会で行っている草刈り作業も、機械を使った作業はだんだんみんな大変になってくるだろうし、本当にどうなっていくのやら。 

チェルノブイリから19年

2005年04月26日 | 脱原発
 1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故から19年。多くの人たちにとっては、もはや忘却のかなたにあるのかもしれない。しかし、チェルノブイリはいまだ終わっていない。
 国内には幾つか今も支援を続けるグループがあるが、例えばチェルノブイリ救援中部の人たちは1990年以来ウクライナの人たちと交流を続け、新生児のために汚染されていない粉ミルクを送ったり、医療機器を寄附したりなど、さまざまな援助を続けている。
 大地の放射能汚染は今も続いている。例えば原発から60~70㎞離れたウクライナのナロジチ地区での昨年の食品放射線測定結果を見ると、野生のきのこでは最高58200ベクレルもの放射線が測定されている。きのこでは90%以上が基準値を超えている。野生のベリーも最高7540ベクレルで、78.8%が基準値を超えている。
 一般の食品は他地区から持ち込まれるものが多いのか、数値は低いが、牛乳・乳製品では18.3%基準値を超えている。汚染された牧草地で酪農が行われているせいだろうか。
 ナロジチ地区は避難地域になっていたが(広河隆一『チェルノブイリ消えた458の村』にも出ています)、政府が居住地域に格上げしたそうだ。でも、汚染がなくなったわけではない。セシウム137の半減期は30年だそうだから、まだ半分にもなっていないはず。
 汚染地域の多くは美しい田園風景の広がる自給的な農業地帯だ。でも、大地は汚染されたまま、外からの食品を購入しなければ、安全な食物を得られない。

「津波」の影響が、すぐ目に見えて感じられるものだとすれば、「放射能」は、人々を徐々にむしばんでいきます。何年も、何十年もかけて……。(中略)そして、1986年4月26日から、私たちが遠ざかれば遠ざかるほど、チェルノブイリがより身に迫って感じられるようになるのです。医学的・社会的・精神的なチェルノブイリが……。(中略)インド洋で起こった地震と津波の犠牲者についての公式データが、20万人に上るとすれば、ジトーミル州では、チェルノブイリ事故後18年の間に、住民数が同じ人数だけ減っています。私たちは、常に恐怖におびえ、明日に対する信頼感を持てないまま、ここに住んでいます」(救援中部「ポレーシェ」より、「チェルノブイリの人質たち」基金代表ヴラディミール・キリチャンスキー氏の言葉)
 

What's this?

2005年04月24日 | 田舎暮らし
 写真が小さくて分かりにくいと思うけど、これは何でしょう? 
 かつての羊小屋のほうに水を回している黒パイプにピンホールがあって、そこから噴き出した水が凍ったもの。幾つもの氷柱がにょきにょきしていて、それが何ともユニークで、思わず家にいた下の子に声をかけたら、彼は最初気づかずに踏んづけてしまった(上のほうが壊れている)。
 朝日にあたって、少し溶けかかって、それがキラキラしていて、なかなかきれいだけど、それにしても、もう4月下旬なのに。冬の写真じゃない。今朝の写真!
 よく晴れて日中は暖かくなったが、本当にこの時期、寒暖の差が激しい。

ソフトテニスの講習会

2005年04月22日 | 子ども・教育
 数日前に急に決まった話で、実業団のトップクラスのソフトテニスの選手が2人来て、中学校のソフトテニス部の子供たちに教えてくれることになった。ソフトテニス用品の有名メーカーの専属の方で、用具の宣伝も兼ねて、無料で講習会を行ってくれるということで、それが今日行われた。
 明日、近くの市で講習会を行うので、そのついでに足を伸ばして来てくれることになったそうだけど、それにしても、まさかこんな山奥だとは思わなかっただろうな。びっくりしただろうな。
 おまけに、今日はまるで冬に戻ったかのような寒くて風の強い日だったけど、仮入部中の1年生も含めて、二十人ほどの子供たちが基礎をしっかり教わることができた。
 私も中学・高校時代の部活は軟式テニスだったが、中学のときなんて、きちんと教わった記憶があまりない。最初のスタートのときに、トップクラスの人にきちんと教えてもらえるなんて、すごく幸せなことだと思う。お手本で打ってくれたストロークや、スマッシュの素晴らしいこと! 
 
 手際よく子供たちの人数分色紙を用意してくれた人がいて、終了後には全員サインまでもらって、大喜びだった。こんな山奥まで来てくださったお二人に感謝!

テープ起こしのメーリングリスト

2005年04月18日 | テープ起こし
 トランスクライバーBM-76生産完了という話題を同業者のMLに投げかけてみた。2年前に開設されたこのMLも、最近はあまり活発とは言えない状況だった。実際、私自身もROM専門だったのだけど、この話題がテープ起こし業界のMLで全く話題にならなかったとしたら、どこで話題になるんだという思いもあって、思い切って投稿してみた。
 早速管理人さんがアンケートを企画してくださったり、この業界の実態がうかがえる投稿も幾つか続き、2年間のROMのおわびぐらいにはなったでしょうか。勢いで、思い切り外した投稿も含めて、今日は3回も投稿してしまった。
 このMLの前に存在した「おこし太郎」会のMLには、随分お世話になった。田舎住まいで全く情報がなく、通信教育を終えたものの、どうやって仕事を探していけばいいのか途方に暮れていたときだったので、まさにMLのおかげで今がある。そんな意味でも、MLには感謝しているし、今後もいいコミュニティであり続けてほしいと思っている。
 特に今の時代、BM-76の生産完了に典型的に現れているように、「音声を文字にする」という仕事自体が大変な過渡期にある。昨秋流れた参院で速記廃止というニュース、録音媒体の多様化、あるいは音声認識ソフトと、変化が激しい中で、自分の仕事のスタンスを考えていくためにも、同業者のこうしたコミュニティはとても貴重な場だと思う。今はブログがはやりだけど、やはりMLにはMLの役割があると思う。
 そんなわけで、同業者の皆さん、たまには投稿しましょう(反省も込めて)。500人が1年に1回投稿すれば、毎日1~2通はあるはず。

 

織り姫工房

2005年04月16日 | 手作りあれこれ
 5年ほど前から、村の民俗資料館「ろくべん館」にある古い機を使って、かつての織り手だった方に教えていただきながら、機織りをしているグループがある(織り姫工房)。私も実は2年ぐらい参加していたのだけど、テープ起こしを始めてから時間が取れなくなってしまって、ずっと休んだままになっている。
 草木染めの糸をを使って織った作品を、さくら祭りや産業文化祭などの機会に出店して、販売している。今では自分は織っていないくせに、あたかもメンバーのごとく出店に座って、草木染めの優しい色合いの織物を見ていると、ああ、また織りたいなという思いがふつふつわいてくる。
 写真が小さいけど、下半分のところに写っているのは、裂き織りの敷物。あとは、ショールやコースター、バッグなど、小物を販売している。
 今年から織り姫工房のメンバーが「ろくべん館」の管理人になったので、機織り体験もできるはず。
 

さくら祭り

2005年04月16日 | 田舎暮らし
 今日はさくら祭りだった。昨日おとといあたりようやく開花し始めたばかりで、咲き具合はどうかと心配だったが、5分咲きぐらいにはなったかな。天候もまずまずで、ふだんは高齢者ばかりの村だけど、町場に出ている子供たち、孫たちが帰ってくるのに加えて、外からの観光客もあって、かなりのにぎわいだった。
 イベントも組まれていて、例年は演歌歌手が来て歌っていたのだけど、今年は毛色が変わって、さわやかな歌声の2人組みの女性歌手だった。高校の吹奏楽部の演奏会も行われた。あとは、村のイベントの定番となっているよさこいソーランの「美翔連」、大鹿太鼓、獅子舞など。
 手作り木工品の出店では、手作りコマのコーナーがあって、子供たちが群がっている。
 ここは昭和36年の大災害の跡地に、復興を願って、こつこつ桜を植えてきた方たちがいて、それが今や3000本になった、いわば新しい桜の名所。知名度はまだまだ低いが、名古屋方面からはシーズン中、日帰りバスも出ているらしい。祭りとして、種々のイベントが組まれるのは今日だけだが、開花期間中は出店があって、夜間もライトアップしている。来週あたり満開になったら、今度は夜桜を見にいこうかな。
 

トランスクライバーBM-76生産完了

2005年04月14日 | テープ起こし
 同業者のブログ(すー7号さん日本ぺんぎんさん)で、トランスクライバーBM-76が生産中止という記事を見た。ソニーのサイトでも生産完了となっている。本当についこの前、新しいのを入手したばかりだったので、絶妙のタイミングだった。私も元音声がMDや音声ファイルであっても、ほぼ100%テープにダビングしたものを会社が送ってくれるので、基本的にまずはトランスクライバーで作業している。まだ、なくなってしまうとつらい。まあ、買ったばかりだから、当面は大丈夫だろうけど。
 それにしても、今のところ、録音自体はまだカセットテープもかなり使われているように思う。マスコミ系の取材なんかだったら、ICレコーダーが手軽なのでかなり移行しているだろうけど、地方議会なんかどうなのだろう。村の議会だって、もちろんカセットテープ。でも、これからは会議場なんかの録音機材そのものがカセットテープじゃなくなっていくのだろうな(田舎なので、世間一般の事情はよく分からない。もうそうなっているのでしょうか?)。

7人の修学旅行

2005年04月12日 | 子ども・教育
 次男たちが今日から2泊3日の修学旅行に出掛けた。行き先はオーソドックスなところで、京都・奈良。ちなみに小学校の修学旅行は東京に行く。
 前にも書いたと思うが、3年生はたった7人。それに担任の先生2人、養護の先生、校長先生と引率が4人。おまけに添乗員までついて、子供7人に大人5人の団体(?)。ちょっとしたグループ旅行みたいな人数で、制服を着ていなかったら、とても修学旅行というイメージじゃない。
 宿泊先も何とか旅館じゃなくて、なんとペンション。ホームページで見てみたら、本当に小ぢんまりとしたところのようだった。夕食も宿の食事ではなくて、外に食べに行くのだそうだ。これまたホームページで見たら、けっこうしゃれた店。今日は和洋中のバイキングで、明日はステーキだって。何とまあ、リッチな修学旅行だこと。
 今日は天気が悪かったみたいだけど、明日はどうかな。京都の桜はもう散ってしまっただろうか?