「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

ハイチ支援あれこれ

2010年01月28日 | 非戦・平和・社会
 右のブックマークにあるクリック募金のサイトで、ハイチ地震緊急支援ツイッター募金というのをやっているそうだ。最近は鳩山さんはじめ、政治家も次々始めたというのでよく話題になっているtwitter、ちょっと関心はあるし、愛読していたブログが、書いている人がtwitterを始めてから更新頻度ががくんと落ちてしまったので、フォローしたいかなと思ったりもして、時々アカウントを取ってみようかという気にさせられる。でも、冷静に考えれば、今のところブログで手いっぱいだし、これ以上PCに向かう時間を増やしたくもないので、やっぱりやめたとなって、今のところ登録はしていない。
 twitterでつぶやかなくても、英語のサイトだけど、ここでハイチへのクリック募金ができる。いずれも、1回につき1円と微々たるものだけど、数が集まればそれなりの額にはなる。
 募金はあちこちでやっているけど、こちらはMusic for Reliefというところの、ハイチ救済募金キャンペーンアルバム。全10曲入ったアルバムがダウンロードできて、値段は決まっておらず、自分で決めた額を寄附するようになっている。中にデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」をピーター・ガブリエルがカバーした曲が入っていて、どちらも好きな私としては、早速聞いてみたけど、ずっとスローで重たい感じになっていて全然違うのが面白かった。
 iTunes Storeでは、アメリカのMTVで行われたハイチ救援スペシャルライブ「Hope for Haiti Now」がアルバムランキングのトップになっていた。この番組のことを紹介した先日の新聞によれば、25年前のアフリカ救援キャンペーン曲「We are the World」を再録音する話も持ち上がっているとか。(この曲は、日ごろJ-POPしか聞かない子供が、中学校の音楽会で歌って以来えらく気に入ったらしくて、今でも時々聞いている。スティービー・ワンダーとブルース・スプリングスティーンが好きなんだそうだ)
 いろんな形の支援が少しでも多く現地にしっかり届きますように。

NIMBY

2010年01月25日 | 非戦・平和・社会
名護市長選は基地移設に反対する稲嶺さんが僅差ながら勝った。
基地、原発、廃棄物処理場等々、みんな自分の近所にできると嫌な施設ということで、NIMBY(Not In My Back Yard)というらしい。嫌なものを受け入れてもらう代わりに、お金が飛び交う。電源交付金とか、地域振興策とか。でも、ひとたび受け入れれば、例えば豊かな海とか、いくらお金を積まれても買えないものを失うことになる。それ以前に、そもそも話が降ってわいたときから、反対、賛成に地域が二分されて、コミュニティがずたずたになってしまう。
自分の近所でなくても基地は要らない。基地の要らない平和な世の中になってほしい。

写真は全然関係ないけれども、今朝の中央アルプス。最近写真をあまり載せていなかったのと、中央アルプスにかぶさるようにかかっている雲が面白かったので(というか、写真では伝わらないと思うけど、実物はちょっと不気味なくらいの印象だった)。

ごみの減量

2010年01月24日 | 自然・環境
 今日はある自治体のごみの話を聞いていた。日本のごみ焼却量は断トツで世界一だという話が出てきて、そうなのかと思って、ちょっとググっていたら、数年前の「広報ながのけん」がヒットした。少し古い数字ではあるが、世界全体の一般廃棄物焼却炉の実に3分の2が日本にあり、一人当たり焼却量もやはり世界一とのことだった。今は日本でも分別収集が当たり前になって、資源化が進んでいるとはいえ、世界から比べれば後れていて、ごみの量が多いという状況は恐らく変わっていないのだろうという気がする。
 うちの村では、ごみは十数種類に分けるけれども、東京のつれあいの実家のある区などは、以前よりも分別が後退して緩くなっているらしい。分別により焼却ごみが減ってしまって、連続運転するのにごみの量が足りないとか、生ごみの割合が多くなって温度が上がらないなどの理由で、分けたプラスチックを足して燃やすことがあるという話もだいぶ以前に聞いたことがあるので、そんなせいもあるのかもしれない。
 あるいは、物によってはリサイクルはかえってエネルギーを余計に使うといった話もあった。村でも廃プラ(容器包装)は、きれいに洗って、乾かしてから出さなくてはいけなくて、生ラーメンのスープなど、小さな袋の中をきれいに洗って出すのは手間もかかるし、洗うのに必要なお湯その他考えたら、これは本当にエコなのかと疑問に感じることがないとは言えない。紙にビニールコーティングしてあるものなど、「その他紙」で出すのか、「廃プラ」で出すのか、区別が付かないようなものも多々あるし、正直言って分別はかなり面倒くさい。中には、きちんと分別しないで出す人がどうしてもいて、時々無線で「今後このようなものは収集できません」と注意を促している。
 ごみ問題の世界の大きな流れは「燃やさない・埋め立てない」という方向で、なるべく資源化していこうということだけれども、今日話を聞いていた自治体でも理念は掲げても現実はなかなか難しいというところのようだった。処理場周辺の住民は悪臭その他に悩まされているとの話もあった。
 前述の「広報ながのけん」によれば、長野県は日本の中ではリサイクル率が1位らしいが、世界の先進国に比べればずっと低い。直近の08年の数字では県全体では23.8%で、ちなみに大鹿村は48.5%で8位だった。ところが、同じ「日本で最も美しい村連合」の発足時からのメンバーである徳島県上勝町では、2020年までにごみをゼロにするというゼロ・ウェイスト宣言をしていて、リサイクル率は04年で80%に達している。ここはおばあちゃんたちが葉っぱビジネスでたくさん稼いでいるので有名だけど、ほかにもいろいろ先進的なことをしていて、以前に美しい村づくりの関係で講演会があって、話を聞いたのを思い出した。上勝町のごみの分別は何と34種類だそうだ。「混ぜればごみ、分ければ資源」、あらためて、十数種類の分別で面倒くさいなんて言っていてはいけないなと思った。
 

祝島

2010年01月21日 | 脱原発
 昨日は大寒だったけれども、まるで春のような陽気で、夜から雨が降り出す。昨日の朝まではうちの周囲はほとんど雪に覆われていたけれども、この暖かさと雨で、日当たりの良いところはだいぶ地面が見えてきた。今朝は何とプラス7度。でも、この後は再び寒さが戻ってくるようで、明日の朝の最低気温の予想はマイナス7度。

 昨夜は、山口県上関町の原発建設に反対して、昨年行われた埋立準備作業に対して抗議行動をしたりしてきたシーカヤック隊の若い人が来て現地の話をしてくれるとのことで、出掛けてきた。原発予定地の目の前に当たる祝島では島民の9割が原発建設に反対しているそうだが、一昨年、山口県知事が中国電力に対して公有水面埋立免許を交付、昨年9月に、祝島の漁船やシーカヤックの隊の人たちが抗議行動をする中、埋立準備作業(ブイの設置)が強行されたとのこと。

 ちょうど少し前に発行された「なまえのない新聞」の1月号で、祝島で映画(「祝(ほうり)の島」を撮っている纐纈(はなぶさ)あやさんのインタビューが掲載されていた。纐纈さんは映画を撮る理由を「祝島の人達の姿や生き方を見ていると、私自身がどう生きていきたいか、どういうふうにこれからの世界、未来につながっていけばいいのかというのが見えてくるような気がするんです。祝島では原発建設にまつわることも含めて現在進行形でいろんなことが起きていますが、それだけではなくて、島の人達の生活にはこれからに通じる希望の光が見える(笑)、そう感じるんです」と語っている。原発がテーマではないと。島の経済を支えているのはお金ではなくて、まずは目の前の豊かな海と、島という限定された中で相互扶助やあるものを分かち合う信頼関係であり、お金より大切なものがあるということを、理念ではなくて、そうやって島の人々は毎日生きているのだと。
 昨夜の彼の話にも、やはりそういう世界に通じる話が多くあった。付け加えれば、ネットで書くと言葉が一人歩きしてしまうので、自分は直接話はするけれども、ネット上には書かないし、皆さんも書かないでくれとも言っていたので、彼の話の具体的内容については触れない。

 仕事では、原発を推進する立場の人たちの話を聞くこともある。推進したい人たちにとっては、彼らは彼らなりの論理で原発は必要であると考えていて、日本は原発の比率を今よりさらに高めなければいけないと思っているのだから、新規立地があちこちで頓挫しているのは本当に頭の痛い問題なのだろうと思う。原発を推進したい人たちと現地で反対している人たちの間の根本的な違いは、やはりこのお金に対する考え方にあるのではないかと思う。世の中にはお金に換えてはいけないものがあるのだという現地の人たちの思いを少しも理解しないで、補償金というお金で解決しようとするやり方を続けても、溝は埋まらないと思う。

asahi.comと地方版の紙面

2010年01月18日 | 田舎暮らし
 村では新聞は下の方の住宅がまとまっている所では各戸に配達されるけれども、上の方の点在している所までは配ってもらえないので、当初、村に越してきたばかりのころは新聞は取っていなかったけれども(当時はテレビもなかったので、時々新聞を買ってきたり、ラジオを聞いたりする程度で、随分情報過疎の状態で暮らしていた)、今はつれあいの職場近くの新聞受けまで配達してもらっている。なので、私が紙の新聞を読めるのは早くてその日の夜か、つれあいが休みのときや持ち帰るのを忘れたときは、何日か後にまとめて読むことになる。
 先日、会社から月1回送られてくる外部作業者あてのメールに、このところの世界中の寒波は「北極振動」によるものだと昨日(14日)の新聞に出ていたけれども、見ましたかと書かれていた(テープ起こしにはボキャブラリーが重要)。あれ? ネットでは北極振動がどうのという話をちらっと見かけた気はするけど、新聞では見た記憶がないなと思って、まずはニュース検索をして、asahi.comに載っているのを見つけ、その記事の基になった気象庁のプレスリリースも読んだ。
 大雪の原因は「北極振動」 寒気、流れ込みやすく(朝日新聞)
 北半球中緯度帯の顕著な寒波について
 asahi.comを見ると、14日2時2分と書いてあるので、14日の新聞を改めて探してみたけれども見つからない。ここは夕刊はないので、15日の新聞も探してみたけれども、やはり載ってなかった。朝刊だけの地域だと、やはり随分カットされてしまって読める記事は少ないのだなと思った。
 ところが、今朝iGoogleに設定しているasahi.comのトップ記事を見て驚いた。
 静岡~九州の海底に「崖」400キロ 名大など確認
 18日5時23分と書いてあるけど、これは一昨日の16日の新聞に載っていた記事と全く同じ。分岐断層がまさに浜岡の下にあるとつれあいが話題にしていた記事だったので、すぐ気付いた。信毎webなどはその日のニュースは朝には載っていなかったり、載っていても写真がなかったりするけれども、朝日のような大手だったらネットの方が早いのかと単純に思っていたけれども、紙面の都合その他でいろいろまちまちなのかな。しかも、今聞いた話だと、東京の方の紙面では図が載っていなかったのだとか。朝刊だけのローカル版でもちゃんと載っていたのに。
 新聞の中身が各社によって随分違うということはメディアリテラシーの話でよく言われることだけど、同じ新聞でも(単に朝刊だけで記事が少ないだけではなくて)微妙に違うこともあるのだなと思って面白かった。

地震

2010年01月17日 | 地震・防災
 今日は阪神・淡路大震災から15年の日。地震といえば何よりもハイチの被害の大きさには本当に胸が痛む。人口1000万人くらいの国で死者が10~20万人、家がつぶれたりした被災者が300万人とかいうのだから、国自体が壊滅状態といってもいいかもしれない。しかも、世界がすぐに救援に乗り出そうとしても、空港や港湾、道路などの交通インフラがやられているので、救援物資などもなかなか届かないという。何とか助かる可能性のある方が一人でも多く助かり、支援の手が一人でも多くに行き届きますようにと願わずにおれない。

 本当に甚大な被害をもたらした地震だけれども、地震自体は地球の自然の営みなので、人間のレベルではいかんともしがたい。ハイチはいわば空白域になっていたそうだから、地球のレベルからいえば起こるべくして起こった地震ということになってしまうのだろうと思う。ハイチは中南米で最初に独立した、世界初の黒人共和国でもあったのに、その後は政情不安が続いたり、独裁政権などで、経済は停滞し、西半球最貧国ともいわれる国なのだそうだ。さらに、「山がちな地形で、かつては緑豊かな国だった。しかし、燃料用の違法伐採が横行し、現在では森林は国土のわずか2%に減少。丸裸になった山の急斜面にぜい弱な構造の住居が密集、大雨が降るたびに洪水や地滑りで甚大な被害が出る悪循環となっている(東京新聞1/15」となると、これだけの被害がもたらされたことにはやはり人災的な側面も少なくないのだろうと思ってしまう。

 私のところには地震や防災絡みの仕事が結構よく来る。一口に地震・防災といっても、その研究領域は地球物理から耐震工学から被災後の自治体の対応等々、実に多岐にわたる。最近はよく「減災」という言い方がされて、防ぎようのない天災が起きたときに、いかに被災を減らすかという視点で研究や対策が進められている。地震自体の研究でいえば、科学技術を駆使して地震のメカニズムを探る研究がいろいろ進められても、いろいろなことが分かれば分かるほど肝心なことが分からないという側面もあるらしい(例えば予知はなかなかできない)。そういう意味では、やはり自然に対する謙虚な気持ちを忘れずに、個人でもできる「減災」対策はしっかりと取っておきたいと改めて思う1月17日である。

雑穀もち

2010年01月16日 | 田舎暮らし
 数年前から諸般の事情で田んぼを作れなくなって、自分の所で取れたもち米がなくなってしまって以来、せっかく臼と杵があるのに、もちつきもしなくなってしまって、市販ののしもちや鏡もちを買うようになってしまった。そうなってしまうと、友達のところでついたもちを頂いたりすると、すごくうれしい。中でも、その辺では買えない普通の白いもちではないもちは、特に貴重でうれしい。
 先日、恒例の新年の集まりを持ったときに、ふりだし塾の友達が、アワ、コキビ、ヒエ、タカキビの雑穀もちを持ってきてくれて、後で少し頂いた。コキビは以前作っていたこともあるので、キビもちはうちでも何度もついたことがあるけど、ここのキビもちは、コキビ100%なのだそうで、つぶつぶが残っていて、それがまたおいしかった。アワとヒエのもちは多分初めてかもしれない。
 田んぼの少ない山間地では、昔はこうした雑穀類がたくさん作られて、米の不足を補っていたので、白い米やもちの方が貴重だったのだろうけれども、そういう先入観のない今の時代の私たちから見ると、色とりどりの雑穀は見て楽しいし、おいしいと思うし、何より健康にいいということで、最近は随分見直されている。「つぶつぶクッキング」みたいな形で、雑穀のつぶつぶを挽肉に見立てたようないろんなレシピも開発されている。
 でも、実際それを作物として作るとなると、なかなか大変だった記憶がある。脱穀後も、キビはお米の精米器で時間をかければ、カラが取れたけれど、アワやヒエはどうなのかな。お米のようにそれ用の道具はないから、どうやって食べられるようにするかというところから調べるか、試行錯誤を繰り返すかだったんじゃないかと思う。本当に頑張っているなあと改めて感心するとともに、ありがたくいただきました。
 

寒波

2010年01月14日 | 田舎暮らし
 一昨日、昨日と雪が降り、うちの周囲はすっかり銀世界になった。一昨日は低気圧の通過で湿った重たい雪が降り、その後は冬型になって、翌朝はその上にさらさらのパウダースノーが降り積もった。といっても、積雪量としてはせいぜい十数センチ程度。積雪量よりも、とにかく寒い。昨日はずっと曇天で時折雪が舞う天気で、日中もずっとマイナス5度くらいだった。今朝はマイナス10度。日中はたまに薄日がさして、昨日よりは少し気温が上がったとはいえ、マイナス3度程度で、やはり真冬日。
 この寒空の中、村内では多くの集落でどんど焼きが行われた。以前、祝日法の改正で成人の日が15日でなくなってから、どんど焼きの日も集落によって連休中になったりしていた所もあったけれども、今年はほとんどの集落で今日だったらしい。でも、うちの地区は、今年は平日だと準備ができないとのことで、11日に行った。たった6軒だけなので、みんなの都合でどうにでもなる。

 先日の日記に東京の実家で温度差を感じると書いたので、よほど断熱のいい暖かい家に住んでいると思われた方がいたようだったけれども、たまたまマンションの暖かさを経験して、それとの比較で書いた話。確かに今住んでいる家は断熱材をしっかり入れたので、外はマイナス10度以下でも家の中の居室内が凍ることはまずない。でも、玄関に置いてある野菜は葉物などは凍るし、洗濯機を凍らせた話もこのブログに書いたし、キッチンの窓際の湯沸かし器は厳寒期には水抜きをしている。また広い家なので、暖房していない部屋はやはり寒い。
 この時期、特に朝起きるときに寒いので、子どもがアパート暮らしをしていたときに頂いたオイルヒーターが使わずにほこりをかぶっていたのを思い出して、今年になってから寝室に設置して、タイマーで朝起きる少し前ぐらいにスイッチが入るようにしてみている。電気での暖房は高くつくという頭があるので、温度設定は低くしてあるものの、寒くない程度にはなるので、布団から出るのが随分楽になった。
 こうしてまた電気使用量が増える。今日は検針の人が来たけれども、今月は初めて使用量が売電量を100kWhほど超えた(327kWhと225kWh)。それでも、金額にすると、こちらが払う方が6971円で、入ってくる方は10800円。使用量も前年同月実績よりは80kWhほどは少ない。

家の中の温度差

2010年01月05日 | 田舎暮らし
 今年も2日から東京に帰省し、つれあいの仕事も子どもの学校も明日からということで、今日戻ってきた。
 ところで、つれあいの実家は、築50年くらいの木造2階建て。いまだにサッシも入っていない、すき間風だらけの家で、東京だからうちよりはずっと暖かいと思って薄着で行くと、居間などは暖房で暖かいけれども、廊下や台所などはかなり寒い。私の実家はそれほどでもないけれども、やはり一戸建てなので、居間と階段やお風呂、トイレなどには結構温度差がある。今回東京に行った際、双方の実家に加えて、マンション住まいのお宅を訪れて、その暖かさに驚いた(私自身はマンションで暮らしたことはないし、私が東京に住んでいたころはまだマンション自体そう多くなかったので、当時マンション住まいの友人もあまりいなかったし、そもそもマンションという所にあまり行ったこともなかった)。スペースが狭いから廊下のような空間もないし、一戸建てだったら大抵日向きの悪い端っこにあるトイレやお風呂は真ん中にある。一歩ドアの中に入ったら、うち全体がすごく暖かい。
 よくお年寄りが寒いお風呂やトイレで倒れることが多いといわれるけれども、そうした家の中の温度差と、救急車の出動について調査した人の話では、実際、統計的にも、一戸建ての場合、集合住宅に比べて、トイレやお風呂で倒れて救急車を呼んだりするケースが多かったそうだ。さらに寒い家に住んでいる人ほど、温まって寝たいということで、お風呂の温度を高くする傾向があったとか。熱いお風呂では血圧が上がり、脳卒中や心筋梗塞を起こしやすくなる。だから、一戸建ての寒い脱衣場や洗い場、トイレなどを暖かくする工夫をしましょうという話だったけれど、今回マンションのお宅にゆっくりお邪魔して、本当に違うものだなと実感した。
 ただ、高齢者の健康を考えると大事なことなのかもしれないけれども、逆に子どもなどはそういう全体が暖かい所で生活していると、寒暖の変化に弱くなってしまうんじゃないかなという気もした(近ごろの子どもは外で遊ぶ機会も減っているし)。もちろん暖房箇所を増やせば、燃料費はかかるし、CO2の排出量も増える。若い人や子どもはむしろある程度温度差のある家でいいのだと思うけれども、現実はむしろ高齢者が田舎で寒い一戸建てに住んでいて、若い人が町の中でマンションに住んでいたりする。
 古い木造でもう一つよく問題になるのはやはり耐震性で、つれあいの実家も、耐震補強よりも、むしろ建て直した方がいいのではないかという感じだけど、建て直しとなると、費用面はもちろん、一時的に引っ越しをしなくてはいけないので、それには荷物整理が大変だの何だので、なかなかできるものではない(世の中で耐震補強の重要性がいわれながらも、なかなか進まないのも似たような事情だろうと想像がつく)。取りあえず住みながらでもできる程度の耐震補強をしてもらったそうだけど、義母が生きている間はそれで何とかもてばいいが・・・。

謹賀新年

2010年01月01日 | 田舎暮らし
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 このブログを始めて、ちょうど5年になりました。日々の暮らし、山の風景、そしてテープ起こしの仕事で耳にするさまざまなことの中で書き留めておきたいと思うことは多々あれど、じっくり考えて書き込むほどの時間も取れず、中途半端な書き散らしのようなブログですが、アクセスいただく皆さま方、本当にありがとうございます。
 写真はつれあいが昨夏、北岳に登ったときのものです。9年間のPC在宅ワークで、体力が随分落ちてしまいましたが、子どもの送迎生活もあと1年強。少しずつこの環境を生かした暮らし方に戻していきたいなと思っています。山歩きもしたいという気持ちを込めつつ、北岳山荘からの富士山の写真を載せます。