「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

最近1週間ほどの活動

2011年08月29日 | 議員活動
 何となく忙しくて、ブログの更新がなかなかできないでいる。twitterのつぶやきは消えてしまうので、備忘録的にまとめておく。 
 今年のお盆休みは3人の子どもたちがちょっとずれて帰省。義母も来てくれて、しばし賑やかな日々。猛暑の東京から涼しい大鹿に来て、リフレッシュしてもらえただろうか。畑もサルの被害はあったものの、キュウリやトマト、スイカ、枝豆、トウモロコシなど、自家産の野菜をたっぷり食べてもらった。一番長くいた下の子が26日に東京に戻り、また夫婦二人だけの生活に戻る。
 
 先週は、23日火曜日にリニアが明かりで通ると思われる付近の植生調査に同行、釜沢の三正坊の先から小渋川の川原を上流に向かって歩く。
 水曜日は中部伊那(飯島町、松川町、中川村、大鹿村)の議員研修会があって、午前中はマレットゴルフ大会、午後は研修会で、各町村から県に上げる課題を出したり、講演会では鳥獣被害対策の話や、松川青年の家の方から鳥の繁殖についてのお話をお聞きする。
 木曜日は全員協議会で、協議事項の1番目は、リニアの環境配慮書に対して村から出す意見についての説明だった。小渋川を明かりで通過するとされたことに対して、地すべりの誘発や落石の危険など周辺の防災対策に大きな影響を及ぼす可能性が高いとして、トンネルとすることや、大鹿村内の水環境について記載されていないけれども、十分調査し影響度合いを把握した上で対策を明記すること、残土処理計画の概要を早期に提示し、地域と一緒に検討すること、地元説明会の開催などを求める内容。
 個人としての意見も提出しようと思って、改めて環境配慮書の全文を読み直そうと思って、(長野県分)として公表された4章、5章だけでなく、6章の変更部分をチェックしていたら、中央構造線付近はトンネルとされていた(6-27)。4章の中では「できる限り短い距離で通過する」とだけ書かれていたので、トンネルなのか、明かりなのかはっきり分からないと思っていたけど、どうやらトンネルらしい。中央構造線の両側は本当に崩壊地、地すべり地の連続なので、安全性の面からいっても、また景観の面からいっても、その方がいい。これで、村の要望のように小渋川もトンネルで通過してくれれば、少なくとも施工後の景観的には影響は少なくて済むのだけれども・・・。
 土曜日は以前にもいらした高尾の環境NGO虔十の会の坂田さんや、日本自然保護協会の辻村さんがいらして、中央構造線博物館でしばらく話をした後、釜沢の調査ボーリング現地をご案内。夕方からは、隣の中川村で開催されていた「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会に。自然保護協会の方がいらしたことは、翌日の信毎の記事に載った。
日本自然保護協会、リニア問題で大鹿村を視察

 今日は、前に行った若者定住促進事業の視察の続きで、平谷村と根羽村へ。下伊那の北端から南端までということで、改めて下伊那の広さを感じる。長野県の枠で見ると、高校に通うのも大変なところだけど、一方で名古屋が近く、153号線沿いで、平谷はスキー場やゴルフ場もあり、観光立村になっている。大鹿ではせっかく映画で評判になって観光客がたくさん来ても、受け入れ態勢が不十分だったりするが、平谷は人口530人と大鹿の半分以下だけど、食事処はたくさんある。根羽は人口的には大鹿とあまり変わらない。根羽杉がブランド化されていて、他地域では飯伊森林組合だけど、根羽は単独の森林組合になっている。同じ小さな山村でも雰囲気がそれぞれ違って、いろいろ学ぶところがあり興味深い視察だった。 

リニア環境配慮書説明会

2011年08月18日 | リニア新幹線
 今日の午前中、飯田の地場産業振興センターにおいて、JR東海によるリニアの環境配慮書の説明会が開催された。8月5日に長野県内分の環境配慮書が公表され、9日に伊那市で説明会が行われたが、その際に牧野飯田市長が飯田でも開催するよう求めていた。飯田・下伊那地域では現飯田駅にリニア駅併設を求めているけれども、JR東海が天竜川右岸平野部に描いた半径5kmの円内には飯田駅は含まれておらず、両者の隔たりは大きい。駅位置問題に対する関心の高さを反映してか、会場には700人もの人が来ていたそうだ。大鹿からも村長、副村長はじめ、議員もみな参加した。

リニア説明会 飯田で開催 水源問題や駅設置で質問(信毎Web)

 牧野市長は冒頭の挨拶の中で、リニアは必ずしもプラスの効果だけではなく、ストロー現象などマイナスの効果もある、プラスの効果を最大限にするためにも、現駅併設、コンパクトシティ化といった話をされた。確かに、今の飯田市は中心市街地は空洞化で衰退し、アップルロード方面と座光寺方面に分散してしまっているので、郊外駅ではまちづくりがしにくい面はあるだろうと思うけれども、単純に考えて、やはり市街地を通ることになれば、騒音や電磁波等、生活環境への影響も大きいし、用地買収も含めて難しく思える。実際、飯伊地域として現駅併設を求めるといっても、地域内には温度差がかなりある。今日の説明の後の質疑の際にも、もう現駅併設ではなく、高森・座光寺とはっきり決めてくれといった意見も出て、少なからぬ拍手まであった。今日の説明会を受けた後の広域連合の会議では、引き続き現駅併設を求めていくことになったそうだけれども、どこまでそれを貫き通していくのかなと思ってしまう。いずれにしろ、一般の市民も交えた中で時間をかけた丁寧な協議がなされ、きちんと情報公開がなされることで、リニアのマイナス面がもっと明らかになっていくことを期待したい。

南信州広域、JR東海に意見書で反論へ 環境配慮書説明会受け(信毎Web)

 大鹿村にとっては、駅位置の問題よりも、膨大な残土の処理など大鹿の独自マターがあって、そうした質問もしたかったのだけれども、9時~10時半という短い時間の中で、水源問題、駅位置問題、その他の環境問題全般という順で質疑が進み、時間切れとなってしまって何も質問できなかった。今度はぜひ大鹿村でもきちんと説明会を開催してほしい。
 
 5日に公表された長野県分の環境配慮書への意見募集は26日まで。環境配慮書の全文、および意見フォームはこちら

 私自身はそもそもリニアの必要性自体に疑問を持っていることをこのブログでも何度か書いているけれども、最近発売になった信州発産直泥つきマガジン『たぁくらたぁ』というミニコミ誌にも「脱原発社会にリニア新幹線は要らない」という短い原稿を書いた。特集は「3・11メルトダウン日本 脱・原発社会へ」で、フクシマ・リポートには先日中川村にいらっしゃっていた飯舘村の佐藤長平議長のお話も載っている。


 

飯舘村報告会など

2011年08月08日 | 脱原発
 お隣の中川村で、8月5~7日の2泊3日、原発事故で全村が計画的避難区域になった福島県飯舘村の人たちを夏祭りに招いた。
故郷離れた気持ち共有を 中川の夏祭りに飯舘村民招こう
飯舘村民 中川村の竹灯籠がお出迎え 祭りに合わせ招く
福島県飯舘村の住民を招き「中川どんちゃん祭り」
 同じ「日本で最も美しい村」連合の一員でもあり、大鹿村、大鹿村議会も報告会を共催という形でかかわった。せっかくだから、報告会だけでなく、できるだかかわりたいと思って、お迎えのキャンドルナイトから参加。

 横向きになっているけれど、ガラスびんに入れたキャンドルを飯舘村のマークの形に並べてある。真っ暗になる前の薄暮の時間帯、柔らかなみつろうキャンドルの光がとてもきれい。


 竹灯籠がたくさん並べてある。節のところを目の形にくり抜いて、かわいらしい笑顔のよう。


 こちらのオブジェには、右側は「絆」、左側は「結」の文字が彫り込まれている。
 これらの約1000個のキャンドルの優しい光に包まれて、ミニコンサートが行われた。フルートや歌やらいろいろあったけど、西洋のこぎりのような楽器の不思議な響きが面白かった。最後には、大きな輪になって、飯舘村の村歌をみんなで歌う。

 6日の午前中は、菅野村長と、よさこいソーラン「いいたて愛」の長谷川さんのお話をお聴きする。
 菅野村長からは「『おカネの世界』から『いのちの世界』へ」と題して、飯舘村がこれまで進めてきた「までい」(※)という言葉に象徴される村づくりの話、原発事故を受けてのお話をいただいた。外から見ていると、ホットスポットになってしまった飯舘村から、なぜもっと早く遠くに避難しないのかと心配になるけれども(もちろん、汚染状況が分かっていながら知らされず、当初、避難区域にもされなかったことの、政府の対応のひどさは言うまでもないが)、何せ6000人の人口の村に3000頭の牛がいたところだ。仕事の問題や、家族がばらばらになってしまうことの大変さ。周囲の先に避難したところの状況を見ると、特養や病院などの高齢者は、避難自体の大変さで亡くなられる人も多かったとのこと。それでも、今はほぼ全村避難が完了し、県外に500人くらい、移転した役所近辺に5000人くらいが移り住んでいるという。村の消滅は何とか避けたいということで、特養など屋内作業の事業所が8~9社残り、また防犯パトロールも実施しているそうだ。そういう話を聞くと、従事される方の被曝量が気になってしまったりもするし、本当に状況は厳しい。
 せめてあの原発事故が、経済優先、足し算の世界ではなく、引き算の豊かさ、いのちの世界、人の絆の素晴らしさが気付く一つのきっかけになっていただかないと、私たちの苦しい厳しい避難生活があまりにも空しくなるというお話に頷きながら、改めて、何としてもこの「3・11」を、みんなで日本の社会のあり方を変えていくきっかけにしないといけないという思いを強くする。
 長谷川さんは、かつて「若妻の翼」という、若いお嫁さんたちをヨーロッパ研修旅行に派遣する事業でヨーロッパに行かれた方で、「村が人を育ててくれた」という言い方をされていた。村長さんのお話が概括的、理念的なお話が多かったのに対して、長谷川さんのお話は原発事故時の具体的な状況が伝わってきて、涙がこぼれる。報告会には役場の車で行ったので、いったん大鹿に帰ったけれども、ぜひとも彼女たちの踊りを見に来なくてはと思って、夕方また「どんちゃん祭り」に出かける。


 飯舘村の虎捕太鼓の皆さん。女性ばかりの太鼓のグループ。


 「いいたて愛」の皆さん。
 どちらも、避難生活でばらばらになっていたのを、中川村のお祭りがきっかけで再び集まって練習されたという。


 飯舘村のみこし。いろいろなメッセージが寄せ書きされている。
 
 両日とも、大鹿村を出るときはどしゃぶりの雨だったけれども、ダムの所のトンネルを抜けると、路面が乾いていて、5日は虹もかかったとか。6日の夜は一時少し雨も降ったけれども、大したことなく、お天気もちゃんと応援してくれているのだなと思った。

※「までい」については、ぜひ本棚にも登録した『までいの力』をご覧ください。本の帯に「繋がっていれば、決して負けない」という言葉がある。飯舘村の人たち同士の繋がりとともに、今回みたいな飯舘村をはじめとする被災地の人たちと他地域の人たちの繋がり、ネットワークが広がっていくことが、きっと大きな力になるに違いないと思った。

研修・講演会続き

2011年08月08日 | 議員活動
 このところ忙しくて、すっかりブログの更新を怠っていた。
 先々週は、月曜日は長野県の町村議員の研修会で松本へ。防災と県の観光施策の話を聞く。火曜日は烏帽子岳登山、水曜日は北部ブロックの介護・保健・福祉の合同講演会。木曜日は同じく北部ブロックの議員研修会で、消防の方から東日本大震災と防災の話。この日は講演を聴いた後、分科会、全体会議、懇親会もあった。金曜日は入っていた予定が前日にキャンセルになって、お休み。
 日曜日は茅野市の諏訪理科大で開催された「みんなのエネルギー・環境会議」に行ってきた。昼前から7時までの長丁場で、基調講演「原子力エネルギーと民主主義―原発は正義に適うか?―」に続き、全体会議が「原子力」「再生可能エネルギー」「政策決定」「ライフスタイル」の四つのテーマで行われた。事前のプログラムを見ただけでも、そうそうたるメンバーだったけど、さらに福島瑞穂さんや、なんと菅総理まで第二部のところに飛び入り参加。いろいろな論点が出て、とても興味深い集まりだった。ただ、発言者が多すぎて、一人の持ち時間はとても少なく、じっくり話し合いができる場ではなかったけれども、1回目なので、今後に期待したい。こうした会議の初回が東京ではなく長野県でできたことも良かったと思う。こちらに当日の動画がアーカイブされている。今日の信毎の科学欄にも紹介記事が載っていた。

 先週の月曜日は、NPO法人あんじゃネットの人たちと一緒に、若者定住促進事業の視察に、阿智村と泰阜村へ。火曜日は特に予定もなく、買い物に行ったりしていて、帰ってきたら、テープ起こしの仕事依頼の電話が入り、水・木と久々にテープ起こしのお仕事。選挙の後、議会の仕事の様子も分からないし、例年、春~夏は比較的仕事が少ない時期なのでお休みにするつもりだったけれど、結構忙しいみたいで、たまたま時間が空いていたのでお引き受けする。
 金曜日は中川村へ、飯舘村の人たちをお迎えするキャンドルナイトに参加。土曜日は午前中、飯舘村の報告会に行って、いったん帰り、夕方からまた「どんちゃん祭り」に。
 日曜日の昨日は伊那谷自然友の会のジオツアーで二児山へ。また、明日は森林・林業・林産業活性化促進議員連盟・長野県連絡会議で大町へ行く。
 飯舘村の話と二児山については、写真も撮ってあるので、時間が取れたらまたアップします。

※追記 二児山についてはこちらにアップしました。