「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

大鹿歌舞伎満員御礼

2011年10月31日 | 田舎暮らし
 大鹿歌舞伎の追加公演が無事終わった。

「大鹿歌舞伎」初の追加公演 原田芳雄さん追悼(信濃毎日新聞)

大鹿歌舞伎追加公演 「原田さんの追悼になった」(読売新聞)

声援とおひねり飛ぶ 「大鹿歌舞伎」追加公演に1800人(中日新聞)

原田さんに捧ぐ 大鹿歌舞伎再び(朝日新聞)

 人口1200人弱の小さな村に、とにかくすごい人出だった。朝7時からの整理券配布に、一番早い人は2時ごろから並んでいたとか。私は整理券を配る係をしていたけれど、7時の時点では約150人くらいの人が並んでいて、整理券の分だけで700席近くが埋まってしまった。その後も続々と人が詰め掛け、小学校の体育館は2階のギャラリーまでいっぱいになり、さらにランチルームで中継を見られるようにもして、そちらで見ていただいた方も結構いらしたようだ(これは神社の境内に入りきれないことを想定して、先々週の定期公演のときも準備していた。そのときは体育館に入りきれたので中継は行わず、今回初めての試み。歌舞伎そのものを見るのなら、アップにもなるし、そちらの方が見やすかったという話も後で聞いた)。先々週も今回も天候がはっきりせず、定期公演のときは雨が上がることを期待して、ぎりぎりまで会場の判断を保留したので、会場準備が大変だったが、今回は逆に、途中で雨が降り出すことが予想されたため、前日のうちから会場変更を決定し、準備も前日のうちにできていたので、その点はスムーズにいったのではないかと思う。そうした判断も含めて、この秋の2回の歌舞伎公演は、役者も裏方も本当に大変だったのではないかと思う。いろいろ不備な点もあったかもしれないけど、とにかく大勢のお客さんに来ていただいて、ほぼ無事終わって、地元メディアにもたくさん取り上げられて、みんなほっとした気持ちだろう。当日しかかかわっていない私でさえ、翌日は何か風邪っぽく脱力感。
 今回の歌舞伎は体育館での開催となり、神社の境内で行われる本来の大鹿歌舞伎とはやはり少し雰囲気が違ったのは否めない。今回初めて大鹿歌舞伎を見にきてくださった方も多かったと思うけど、神社の境内で行われる歌舞伎、別の季節の大鹿を、ぜひまた見に訪れてくださるといいなと願います。

臨時議会

2011年10月26日 | 議員活動
 昨日は臨時議会があった。9時15分から議会運営委員会が開かれ、会期は1日限りと決定し、その後、9時半から全員協議会、11時15分から臨時議会。議会というのはすごく形式的なことが多いところだけれど、臨時議会のときなどは特にそれを感じる。

 全員協議会の協議事項は、一つは、大河原床固工群の工事が終了したので竣工式を12月4日に行うとのことで、その説明。6月に飯田で行われた三六災害のシンポジウムで上演されて好評を博した「演劇的記録 三六災害五十年」がその中で上演される。大鹿の人たちが合唱団として大勢参加し、ぜひ村内でも上演したいという話になっていたが、竣工式と併せて実施するそうだ。

 次にリニア方法書についての説明で、環境配慮書に対する村の意見へのJR東海の見解、また先日の説明会で住民から出た意見やそれに対するJR東海の回答を踏まえて、村として意見を出していきたいという説明があった。「広報おおしか」10月号で、村民に対しても「村として意見を提出しますので、ご意見をお寄せいただきますようお願いします」と記載してあるので、意見はあるけど、自分で直接JRに意見を提出するのはちょっとという人は、村に意見を寄せてください。方法書の縦覧は明日27日(木)まで、意見の締め切りは11月10日までなので、お早めに。
 (ちなみに、2年後とされる準備書の段階でも説明会が開催され、意見募集が行われるが、その段階では具体的なルート等が決定したものとして示されることになる。その前に住民が法的な手続きの中で意見を言えるのは、今回の機会しかない。文書で提出された意見に対しては、次の準備書の中で、このような意見が寄せられたとして、それに対する見解とともに記載されるはず。また、月曜日に飯田市で開催された説明会では、大鹿での説明会とは違って、予定時刻になったら質問を打ち切られたが、その際、飯田の環境保全事務所に職員が常駐しているので、いつでも質問・意見を受け付けるとも言っていた)

 その他、歌舞伎の追加公演についての報告事項や、北部の火葬場の候補地についてなど。

 臨時議会の議案は補正予算で、台風災害に遭った美しい村連合の一員である十津川村への寄付金、大河原床固工群竣工式の関係費用、歌舞伎公演の際、会場に入りきれない場合に備えて、ケーブルテレビで別会場で中継するための引き込み線工事、座布団のリース料など、交流センターの音響設備の修理費といったところ。すべて原案どおり可決。

※今日は天気が良かったので、鳥倉林道へ行ってきた。twitterに赤石の写真を載せたほか、こちらにも写真を載せています。
 
 

キツネ

2011年10月20日 | 田舎暮らし
 お昼ご飯を食べているとき、ふと窓から外を見たら、何やら尻尾の長い動物が横切るのが見えた。「え、こんな真っ昼間から?」と思って、外に出てみると、キツネだった。10mくらいの距離まで近づいても逃げる気配がなく、じっとこちらを見ている。それどころか、家にデジカメを取りに戻ると、近寄ってくる。普通、こうした動物を見かけるのは夜が多いのだけれども、こんな真っ昼間から、それも全然逃げないで寄ってくるなんて、信じられない。もしかして、猫の餌なども食べに来ていたのかも。最近サンダルがしょっちゅうどこかに消えていたのも、こいつの仕業だったのかしら。

【追記】このキツネ、隣の家に最近ちょくちょく来ているそうで、宅幼老所に勤めている彼女がその話を村のおばあちゃんたちにすると、狐の嫁入りの話やお稲荷さんの話で盛り上がったそうだ。内山節さんの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』によれば、1965年頃を境に日本人はキツネにだまされなくなったそうだが、村のお年寄りたちの間にはキツネにだまされる精神文化がまだ生きているのかもしれないと思った。

リニア環境影響評価方法書説明会

2011年10月19日 | リニア新幹線
 昨日は交流センターでJR東海によるリニア新幹線の環境アセス方法書の説明会が行われた。大鹿村では3年前に水平ボーリング調査が行われており、南アルプス長大山岳トンネルの坑口になることが確実視されてきたことから、早くから住民の懸念も大きく、関心も高い。質問者の一人が言ったように、まさに「この日を待ちわびていた」だけに、会場いっぱいの人が集まり、質疑応答の時間にはたくさんの手が挙がり、次々に質問・意見が出された。当初の予定時間は7時~8時半で、後半が質疑応答に当てられていたけれども、「これだけ手が挙がっているのだから、時間を延長してくれ」という声が上がり、45分ほど延長して、計13人がいろいろな観点から質問・意見を述べた。私も幾つか質問事項を用意して、みんなの質問の状況を見て、抜け落ちているところを質問しようと思っていたけれども、時間切れで打ち切られて質問できなかった。
 多くの住民の一番の関心は、やはりどこに坑口や斜坑ができて、どのような工事が行われ、工事用道路をどうするのか、膨大な土砂の運搬などがどのように行われるのかといった具体的なことだが、方法書で示されているのは3km幅の概略ルートだけで、具体的なものは全く示されていない。質問に対しても、そうした具体的なことは次の準備書で示すという回答のみで、その準備書は早くて2年後だという。そして、準備書ができた段階でまた説明会を開いて意見を聞くというので、そうではなくて、具体的なことが決まる前のプロセス段階で、しっかり情報開示して住民の声を聞いてほしいという強い要望が出された。
 また、電力消費量、原発との関係についてや、活断層や東海地震、環境アセスで専門家の助言を聞くというときの専門家の選定について、水源、温泉源泉への影響や磁界の問題、事故時の避難方法など、幅広い観点から意見や質問があったけれども、どれも予期された答えというか、住民に納得のいく回答はなかった。
 終了後も残ってJR側と話している人がいたので、私も時間切れでできなかった質問をしてきた。一つは、山梨実験線の延伸工事によって現実に水がれが起こっていることに対し、JR東海としてどのような補償なり対処をしているかということ。簡易水道だけでなく、水源や川が枯渇したという訴えは数十件に上るというが、それらに対してきちんと対応しているのかどうか。もう一つは、山岳トンネル斜坑坑口周辺の現地調査の考え方として、調査範囲は土地改変区域から概ね600mと記されているけれども、坑口の具体的な場所は決まっていないという。決まっていないのに600mというのはどういうことか。これから行われる説明会の席上で誰か聞いてくれないかな。その他、細かいことも含めて疑問点は多々あるけど、他地域の説明会に行って聞いてくるか、飯田のJR東海の環境保全事務所に行って聞いてくるか。

鳥倉林道

2011年10月12日 | 山の風景


 家の周囲でも、ヤマザクラやヌルデなどが赤く色づいてきている。今日は天気が良かったので、標高の高いところはもっと色づいているかなと思って、週末から忙しくなりそうだし、午後から鳥倉林道方面に行ってみた。夕立神に寄って、さらに登山口ゲート前の駐車場から屏風岩方面までデジカメ片手にお散歩。確かに見頃にはもう少しだけど、赤や黄色に鮮やかに色づいている木々も結構あって、十分楽しめた。山小屋はもう営業終了しているはずだけど、駐車場には数台の車があり、下山してくる人にも出会った。





 帰り道、夕立神の前を通ったら、駐車場に「非戦」のステッカーを貼った車が1台。誰かなと思って再び立ち寄る。ちょうど夕日に照らされた赤石がきれいだったので、立ち話しながら、またしばらく山を見ていた。夕立神パノラマ公園は、展望台改修工事中というか、今は老朽化した前の展望台を撤去して何もない状態になっている。さらに、展望の妨げになっていた周囲の木をかなり伐採してあって、カエデやシラカバなども切られていたので、何かがらんとして殺風景な感じがしてしまった。



 

村民運動会

2011年10月09日 | 田舎暮らし
 ここ何年か、村民運動会といっても、子どもは学校の用事でいなかったり、つれあいは仕事だしで、自分1人だけだと張り合いもなくて、一応係もあるので参加しているだけみたいな状態になっていたけれども、今年は村議になって、本部のテントに座って商品を配ったりする役になったので、前日の準備から終了後の慰労会まで、しっかり参加。慰労会に出たのは何年ぶりかしら。
 分館対抗種目は、このところずっとボウリング(バレーボールで10m離れたビール瓶2本を倒す)に出ていたけど、今年は「暗夜の一撃」という、目隠しをして1斗缶を叩く種目に出た。以前出たときは、目隠し状態では全然真っすぐ歩けなくて、隣のチームの方まで行ってしまいそうなくらい曲がってしまったので、すごく苦手意識があった。今年もやはり曲がって歩いたものの、たまたま隣のチームが叩く音がしたので、そちらに少し寄って叩いたら、何と当たって、自分でもびっくり。チームの成績に貢献できて嬉しかった。
 「なわない競争」は、毎回書いているように田舎の村民運動会ならではの種目。自分は今回出なかったけど、ベテランチーム、若手チーム、6組のエントリーがあり、やはりベテランチームが圧倒的に早かった。縄ないはわら仕事の基本中の基本。近くに寄ってきて、なわないの様子を見ているギャラリーも多かったので、来年はまたエントリーが増えるといいなと思う。
 他の種目の様子をこちらにも載せました。

地域まめったいサミット

2011年10月02日 | 地域おこし
 昨日は、午前中、中学校の大鹿祭に参加した後、泰阜村に向かい、「第4回地域まめったいサミット~やっぱり、このむらで暮らしたい!~」に参加してきた。地域まめったいサミットというのは、主催者の長野県社会福祉協議会のホームページによれば、「とくに過疎化・高齢化などの課題を抱える中山間地域において、支え合い、知恵を出し合いながら誇りを持って暮らす人々の声を聞き、住み慣れた地域で自分らしく暮らす、という地域福祉の目指す姿と、それを実現できる地域づくりを考える場」として開催されているもので、今年で4回目。宅幼老所「まめ大福」を運営しているNPO法人あんじゃネットの友人に誘われていた。内山節さんの講演、松島村長との対談、そして、泰阜村の地域の人たちによるリレートーク「やっぱりこの村が好き!」といったプログラムで、私は昨日の午後だけで帰ってきたけど、2日目の今日は「やすおか村めぐり」が行われている。
 泰阜村は2003年に田中康夫元知事が住民票を移したことで一躍全国区で有名になったけれども、平成の合併問題のとき、当初、飯田・下伊那全体で一つの市として合併する案が検討された中で、いち早く、合併すると村の福祉が後退するとして、自立を宣言したところで、当時からとても関心があったものの、これまでなかなか行く機会がなかった。先日、やはりあんじゃネットの若者定住促進事業の視察で、初めて泰阜村を訪れ、山村留学事業を行っているNPOグリーンウッドを訪ねたりもして、今回は松島村長と内山さんの対談もあるということで、ぜひ参加したいと思った。
 内山さんは立教大学の大学院などで教鞭を執られている哲学者だが、趣味の釣りをきっかけに群馬県の上野村に長期滞在するようになり、東京と上野村を行き来する半村民として、さまざまな著作を発信されている。今年は3・11以降忙しく、村の方に滞在している時間が減ってしまっていて、いずこも同じ、畑の作物がだいぶ動物にやられてしまっているとか。現在の上野村の放射線量は大体0.15μSv程度で、通常時の約3倍。予想していたより多いそうで、漢方薬の材料になるホウノキの皮にセシウムが検出されたり、いろいろな影響が出ているとおっしゃっていた。東京の住居では、0.2~0.3μSvあったものが0.06μSvに減ってきていて、自然のない都会のコンクリートの上では雨で流されるけれども、自然の豊かなところは土に染み込んだりしてなかなか減らないという皮肉な状況になっているとも。
 復興についての話では、支援物資がたくさん届いても、行政はいかに平等に配るかを重視するので、全員に行き渡る数がないと配れなくて、倉庫に山積みになっているという話がよく聞かれたけれども、そうした点は平成の合併をしたところが特にひどかったそうだ。
 地域のコミュニティ、生きている人間だけでなく、自然や死者をも引き込んだ自治、自然と人間の関係が残されていることが大事といったことなど、いろいろなお話をいただいたが、その中で、内山さんは祭りと行事が維持できていれば、地域は何とかなるという言い方をされていた。祭りと年中行事が維持できているということは、地域の考え方やつながりが受け継がれているということだからと。
 
 帰り道、暗くなって何度か道を間違えそうになりながら車を走らせていると、2か所ほどで花火が打ち上がっているのが見えた。今朝の新聞を見たら、昨日は600年余りも続いているという山本の七久里神社の裸祭りだったようだ。