昨日は、伊那市で開催された、福島県飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの講演会を聞きに行った。昨年夏、お隣の中川村で飯舘村の皆さんをお祭りに招き、報告会には大鹿村・議会も共催の形で参加した。同じ「日本で最も美しい村」連合の一員であり、また、平成の大合併のときに住民投票で自立を選択し、独自の「までい」の村づくりを進めてきたところが、原発事故により本当に理不尽な状況に置かれていることに心を痛めてきた。ネット等で見ていると、いろいろ気掛かりな情報も目にし、昨年12月に長野で行われた長谷川さんの講演をまとめた冊子も読み、ぜひ生の声をお聞きしたいと思って出かけた。
長谷川さんは飯舘村の中では原発から遠い前田という行政区の区長さんをされている。原発事故直後の早い段階から、京大の今中さんや外部のジャーナリストの人たちから飯舘村の空間線量がとんでもなく高いという情報を得ていたが、村はそうしたデータを公表してくれるなという姿勢で、逆にこの高い放射能を浴びながら暮らすすべはないのかと聞いたそうだ。御用学者がどんどん入ってきて、安全だ、マスクも要らないといった話をしていったが、そうした話の翌日に計画的避難区域に指定されることになった。人は避難することになったけれども、牛には移動制限がかかっていた。酪農組合の理事をしていた長谷川さんは、酪農家をみんな集めて話し合い、苦渋の決断で廃業を決めたり、20km圏内で餓死する牛の映像を見て、何とか牛を殺させないためにと国会議員にも働き掛けるなどして奔走されたことなど、本当に生々しいお話をたくさんお聞きした。
飯舘村の話を聞くとき、さまざまな理不尽な話に憤りを感じるとともに、もう一つ思うのは首長の判断という問題だ。菅野村長の進めてきた「までい」の村づくりの話は本当に学ぶところが多く、去年の報告会の後も、励ますつもりが逆にこちらが励まされたという感想を聞いた。その方が、去年の原発震災以来、高い線量が検出されたことを口どめさせたり、国と一緒になって「除染」まっしぐらで、村民の声に耳を傾けようとしないという話を聞くと、一体どうして?と思ってしまう。本当に情熱を込めて独自の村づくりを進めてこられただけに、村がばらばらになってしまうことを何とか避けたいという思いも人一倍強いのだとは思うが。同じ酪農家出身の村長として応援してきたという長谷川さんは、村長の気持ちも分かるとおっしゃりつつ、しかし、「思い」だけでは駄目だ、「現実」を見なくてはとおっしゃる。
実際、除染は自衛隊や大成建設などによってさまざま進められているけれども、あまり効果は上がっていないという。新聞等で発表される飯舘村の空間線量は0.9μSV程度。それは「いちばん館」という場所に国が設置した計測器の測定結果で、そこは徹底的に除染が行われたそうだ。しかし、そこから10メートル離れると、2.4μSVになったりするという。昨日、資料として配られた村内各地の空間線量を見ると、例えば前田字古今朝地内で、地上1mの値が2月16日2.96μSV、2月23日は3.42μSVに上がっている。さらに、最新の「広報いいたて」を見ると、5月10日で4.61μSVになっている。
最近、飯舘村がまとめた避難指示区域の再編案によれば、帰還困難区域(年間被曝線量50mSV超)は長泥行政区だけになっているけれども、その長泥地区では5月10日9.35μSV。村の案では帰還困難区域とされていないけれども、指定を求めているという蕨平行政区も8.39μSVと高い。
除染が思うようにできなかった、やはり帰ることは難しいとなったときのために、飯舘村を離れるという選択肢も考えて、今から移住先を探しておかなくてはいけないのではないかということは、誰もが感じるところだと思う。
村民アンケートを取るべきだと何度も言い、そのたびに「取ります」と返答するけど、いつまでたっても取らないというお話があったが、先ほどの「広報いいたて」を見ると、「飯舘村民の避難生活実態及び帰村意向等に関するアンケート調査への協力のお願い」とあって、ようやくアンケートが発送されたようだ。
講演の後の質疑応答では、「長谷川さんが村長になってはどうか」という質問も出たが、長谷川さんは今の村長にちゃんと村民の声を聞いてもらうようになってほしい、責任を取ってもらわなくてはと言って否定された。今秋には村長改選があるそうで、移住派と移住反対派に分かれてしまうと、また村ががたがたになってしまう、それは避けたいとおっしゃっていたのが印象に残った。
長谷川さんは飯舘村の中では原発から遠い前田という行政区の区長さんをされている。原発事故直後の早い段階から、京大の今中さんや外部のジャーナリストの人たちから飯舘村の空間線量がとんでもなく高いという情報を得ていたが、村はそうしたデータを公表してくれるなという姿勢で、逆にこの高い放射能を浴びながら暮らすすべはないのかと聞いたそうだ。御用学者がどんどん入ってきて、安全だ、マスクも要らないといった話をしていったが、そうした話の翌日に計画的避難区域に指定されることになった。人は避難することになったけれども、牛には移動制限がかかっていた。酪農組合の理事をしていた長谷川さんは、酪農家をみんな集めて話し合い、苦渋の決断で廃業を決めたり、20km圏内で餓死する牛の映像を見て、何とか牛を殺させないためにと国会議員にも働き掛けるなどして奔走されたことなど、本当に生々しいお話をたくさんお聞きした。
飯舘村の話を聞くとき、さまざまな理不尽な話に憤りを感じるとともに、もう一つ思うのは首長の判断という問題だ。菅野村長の進めてきた「までい」の村づくりの話は本当に学ぶところが多く、去年の報告会の後も、励ますつもりが逆にこちらが励まされたという感想を聞いた。その方が、去年の原発震災以来、高い線量が検出されたことを口どめさせたり、国と一緒になって「除染」まっしぐらで、村民の声に耳を傾けようとしないという話を聞くと、一体どうして?と思ってしまう。本当に情熱を込めて独自の村づくりを進めてこられただけに、村がばらばらになってしまうことを何とか避けたいという思いも人一倍強いのだとは思うが。同じ酪農家出身の村長として応援してきたという長谷川さんは、村長の気持ちも分かるとおっしゃりつつ、しかし、「思い」だけでは駄目だ、「現実」を見なくてはとおっしゃる。
実際、除染は自衛隊や大成建設などによってさまざま進められているけれども、あまり効果は上がっていないという。新聞等で発表される飯舘村の空間線量は0.9μSV程度。それは「いちばん館」という場所に国が設置した計測器の測定結果で、そこは徹底的に除染が行われたそうだ。しかし、そこから10メートル離れると、2.4μSVになったりするという。昨日、資料として配られた村内各地の空間線量を見ると、例えば前田字古今朝地内で、地上1mの値が2月16日2.96μSV、2月23日は3.42μSVに上がっている。さらに、最新の「広報いいたて」を見ると、5月10日で4.61μSVになっている。
最近、飯舘村がまとめた避難指示区域の再編案によれば、帰還困難区域(年間被曝線量50mSV超)は長泥行政区だけになっているけれども、その長泥地区では5月10日9.35μSV。村の案では帰還困難区域とされていないけれども、指定を求めているという蕨平行政区も8.39μSVと高い。
除染が思うようにできなかった、やはり帰ることは難しいとなったときのために、飯舘村を離れるという選択肢も考えて、今から移住先を探しておかなくてはいけないのではないかということは、誰もが感じるところだと思う。
村民アンケートを取るべきだと何度も言い、そのたびに「取ります」と返答するけど、いつまでたっても取らないというお話があったが、先ほどの「広報いいたて」を見ると、「飯舘村民の避難生活実態及び帰村意向等に関するアンケート調査への協力のお願い」とあって、ようやくアンケートが発送されたようだ。
講演の後の質疑応答では、「長谷川さんが村長になってはどうか」という質問も出たが、長谷川さんは今の村長にちゃんと村民の声を聞いてもらうようになってほしい、責任を取ってもらわなくてはと言って否定された。今秋には村長改選があるそうで、移住派と移住反対派に分かれてしまうと、また村ががたがたになってしまう、それは避けたいとおっしゃっていたのが印象に残った。