「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

備忘録

2012年10月18日 | その他
 気が付いたら2週間以上もブログを放置してしまった。サイドバーに貼ってある植林ブログパーツ「gremz」が、1週間更新しないと木がへなへなになってしまうので、以前は1週間過ぎると気になっていたのだけど、すぐに目に入らない位置に移動したら、あまり気にならなくなってしまった。もっと放置すると枯れてしまうのだろうか?

 それはともかく、twitterやfacebookの記事は消えてしまうので、とりあえず備忘録として記録しておきます。
 10月4日は産業文化祭の実行委員会があった。今年の産業祭は11月11日(日)に開催。この日は東京の「反原発100万人大占拠」行動をはじめ、各地で原発ゼロを目指すアクションが予定されているので、行けたら行きたいと思っていたけれども、実行委員の一員なので村の産業祭が優先。原発を何としても維持したい勢力の巻き返しがすごいけど、民意の多くは脱原発であることを、やはり明確に示したい。アクションに参加できる方はぜひ。
 7日は村民運動会の予定で前日に準備もしたけれども、夜に雨が降り、グラウンドコンディション不良のため中止。
 9日は議員で集まって、議会報告会の開催について話し合う。今月の全戸配布に入れてもらったとおり、来月11月4日(日)と6日(火)に議会報告会を開催することになった。今、各地の地方議会では議会改革の取り組みが進められているが、大鹿村の議会でも、議会がどんな活動をしているのか知っていただき、また村民の意見をお聞きして、議会や村政を身近に感じていただくための試みとして、とにかく一度開催してみようということになった。去年は女性議員二人だけの報告会を2回ほど開催したけれども、そうではなくて、議会全体としての報告会。今後も継続して開催できるように、ぜひ多くの人に参加していただいて有意義な場にできればと思う。
 11日は豊丘村で北部事務組合の地域活性化講演会。松本大学観光ホスピタリティ学科の佐藤博康先生より「新しい観光の形を考えよう―地域の再活性化のために―」と題して、地域活性化のテーマ、スタートは身の回りから、持続可能な観光の理念、観光産業は平和な産業であるといったお話をいただいた。ここでも、活性化のためにリニアというのは本当か、都会の人間は首をかしげるといったお話があった。質疑の中で、直接情報発信することが大事で、そのためのプラットフォーム、ポータルサイトという話があったが、大鹿村のWeb発信は本当に遅れている。
 13日は、9月30日のリニア沿線住民の交流集会を受けて、横浜で代表者会議が開かれることになっていて、飯田のリニアを考える会の方々が車を出すから大鹿からもと言われて、代表でも何でもないが、参加してきた。その日は緑の政治フォーラム・かながわ「原発再稼働してまで、リニア新幹線は必要なの?」という集会があって(川崎市議の猪股美恵さんが司会をされていた)、その後に会議が行われ、「リニア新幹線沿線住民ネットワーク(リニア沿線ネット)」として、とりあえず東京、神奈川、山梨、長野、岐阜各県の5団体により連携組織が発足することになった。長野県からは飯田・リニアを考える会が参加。愛知県と静岡県がいないので、今後加わってくれると心強い。これまでNO!リニア連絡会でも署名活動をしていたけれども、沿線で統一した署名活動を行うことになり、文案のたたき台が示された。
 15日~16日は富士吉田に住む友人が、やはりリニア問題で大鹿を見たいという人たち2人と一緒に来る。山梨県では今、リニア活用基本構想骨子(案)に係る意見交換会が開催されていて、3人は富士吉田で開催された意見交換会に行ってきたそうで、資料をお土産に持ってきてくれた。資料にはどう考えても過大としか思えないリニアの需要予測結果が示されていた。いずこも同じ。 

twitterのブログパーツについて

2010年11月16日 | その他
 gooブログでもようやくブログパーツでtwitterのウィジェットを貼れるようになったので、早速右上に表示している。しかし、このブログパーツ、リツイートといって他の方の発言でいいなと思ったものをそのまま転載の形でつぶやく機能がtwitterにはあって、共有したい情報の拡散によく使われているけれども、それがRT(リツイート)であることが分かるように表示されない(mixiのtwitter連携ではリツイートは反映されないようになっていた)。私自身のつぶやきと同じように表示されているので、ブログパーツ上では区別がつかないけれど、そうした他の方の発言の引用があることをご承知おきください。多分そっちの方が多い。枠の上の「akimtl1984」のアカウント名をクリックすれば、twitterに飛ぶので、そちらで私自身のつぶやきとそうでないものの区別はすぐつきます。

アバター

2010年02月10日 | その他
 昨日は前期選抜で在校生はお休み。雨の予報だったので、桐林のサンヒルズで12時から練習とのこと。遠いので、送って、家に帰って、また迎えに行くのは、時間とガソリンの無駄なので、今、話題の「アバター」を見に行くことにする。1時から170分ということで、ちょうどいい。平日の昼間とはいえ、世界中で評判になっている映画なのに、観客は6人だけだった。美しい3D の映像が話題になっているわけだけれども、飯田は3Dではなくて通常版。でも、3Dではなくても、十分美しい映像だった。
 日ごろ世間で話題になっている映画を映画館に見に行くことなどほとんどないと、去年「点の記」を見に行ったときにも書いた私だけど、たまたま先日、東京にいる子供と電話で話したときに話題になったのと、北山耕平さんのNative Heartの、最近のツイートをまとめた記事で、「『アバター』は『ダンス・ウィズ・ウルブスの宇宙版』とキャメロン監督が考えていたという記事を読んだし、アメリカ・インディアンのヒトたちのなかからはあまりいい話は耳にしないのだが、ボリビアのモラレス大統領は「反資本主義の映画だ」と絶賛してるという。実際のところどうなの?」「アル・ゴアが「あなたの子供がどうしても不都合な真実を見たがらないなら、アバターを見せなさい」といってる。ぼくは不都合な真実を見て原発のセールスかと思ってがっかりした。おなじことが起きるなら無駄ではないかな?」と触れられていたので興味を持った。
 森と共生して平和に暮らす先住民の聖地の下に希少鉱物資源が埋まっていて、それを掘りたいがために、彼らを力づくで移動させようとするという、まさにアメリカ等で行われてきたこと。美しい森で戦いが繰り広げられ、巨大なシンボルツリーが破壊されたりする光景は本当に悲しく、いかにも侵入者の側が愚かしく暴力的に描かれている。「アバター」を見て、うつ状態に陥る人がたくさんいるという話も、分からないでもない気がした。

Windows7とMO(後日談追記)

2009年12月02日 | その他
 先日、7年前のノートパソコンをメモリの増設もしないで使い続けていたつれあいが、ついに観念して新しいノートパソコンを買ってきた。何せメモリが256MB のままだったから、セキュリティソフトが動くたびに何もできなくなってしまっていたようだし、そうでなくても重たい画像の作業をする際にしょっちゅうフリーズしていたようで、よくぼやいていた。さんざんメモリの増設を勧めたのだけど、面倒に思ったのか何なのか、ずるずるとそのまま使い続けていたけれど、結局、メモリの増設ではなくて、Windows7を搭載した新しいパソコンを購入する方を選んだ。
 当然のことながら、Vista登場の際に言われた、今までのソフトが使えないという問題があれこれ発生するだろうなとは予期していたけれど、まず今まで使っていたMOドライブが使えなくなった。メーカーのサイトを見ても非対応とのこと。つれあいは今までデータの保存をすべてMOにしていて、かなりの量のMOがある。これも外付けHDDの方がいいんじゃないのと言っていたのだけど、人間、特に年を取ってくると、とかく今までやってきたことを変更するのは面倒で避けたいと思ってしまう。彼がMOに保存しだしたころは、外部ストレージといえばCDかMOで、私も電気屋さんでストレージの信頼性としてはMOの方がはるかに高いといわれて、MOドライブを購入した口だ。実際、書き換え回数も1000万回以上とハードディスクをも上回るし、耐久性も一番高いらしい。
 しかし、Windows7に対応したMOドライブを調べていたところ、MOのメーカーが生産を中止するとの情報が目に入った。日立マクセルは既に9月末で生産中止、三菱化学メディアも12月末で生産中止とか。ソニーは継続するそうなので、完全になくなるわけではないみたいだけど、どうなるやら。需要が減少しているためとのことで、やはりMOは外付けのMOドライブを買ってこないと使えないという点が大きいのだろう。CDやDVDならどのパソコンでも普通に読み書きできるし、今はUSBメモリのような手軽なメディアもある。
 それでも、大量のMOを新しいパソコンで読み込めないのは困るから、Windows7に対応したMOドライブを買ってくると言っていたつれあいだが、電機店に行っても店に置いていなかったといって、結局、安売りしていたからと大量にCDを買って帰ってきた。

後日談:実はMOドライブが使えなかったのは、単にMOドライブの機器本体が壊れていたせいであったらしい。私のほとんど使っていないMOドライブで試したら、何とWindows7の新しいPCでも問題なく使えたそうだ。メーカーサイトでは非対応となっていたのに。新しいMOドライブを慌てて買わずに済んで良かった。それに10年以上前の画像処理ソフトも何の問題もなくインストールできたそうだ。非対応と書かれていても、意外と使えるものなんだな。(子どもの持っていたWindows98のころのG社のマルチメディア図鑑なんて、XPでも使えなかったのに)。

1Q84

2009年06月25日 | その他
 一昨日、父の見舞いに東京に行ってきた。術後は順調に回復しているようで、私が行った日に抜糸だったそうだし、前日から(まずはおかゆからだけど)食事も取れるようになっていて、翌日には点滴も外せるとのことだった。1週間断食状態だったので、体重が3kg減ったと言っていて、頬の肉が少し落ちたような気がしたけど、顔色も悪くなく、まずはほっとする。回診の先生も「順調ですね」と声をかけてくれて、来週早々にも退院できそうだとのこと。退院後は特に食事制限もなく、何を食べてもいいとか。あとは、リンパ節転移や再発がないことを祈るばかり。とはいえ、もう80歳近いので、癌の再発がなくても、やれ動脈硬化だ何だかんだ、どんな問題が生じるか分からないし、今のうちにできるだけ親孝行をしておきたいものだと改めて思う。

 東京への行き帰りの高速バスの中で、話題の『1Q84』のBook1を読んでいた。日ごろ忙しくて、あまり小説も読まないし、そもそもベストセラー本を話題になっている最中に新刊の単行本で買うなんてこと自体、私にはほとんどありえないことなのだけど、発売前の新聞広告で見た『1Q84』というタイトルに引かれて、読んでみたいなと思っていた。その少し後に、発売前から増刷というすごい売れ行きぶりがニュースになって、こんな田舎じゃすぐには手に入らないのかと思ったら、たまたま高森の書店で見つけたので、つい衝動買いしてしまった。
 病院へ行ったら、弟が入院している父が暇だろうと思ってか、やはり『1Q84』を差し入れていたらしくて、ちょっと話題になる。(もっとも、父はほかに読む本がたくさんあって、まだ読んでいなかった)

 内容はそれなりに面白くて、翌日Book2も一気に読んでしまったけれど、いかにもオウム真理教やヤマギシ会、エホバの証人みないなものが出てきて、フィクションなのだけれども、それが現実に存在するものを類推させるので、何か農業コミューンがオウムになってしまったみたいな錯覚や偏見を生んだりするんじゃないかという一抹の危惧を覚えた。その他、いろいろ思うところ、引っ掛かるところはあるけれど、これから読む人もいると思うので、ここには書きません。

 偶然のことではあるけれど、私がこの山奥の村に転居したのは1984年の夏。

デジカメ修理中

2009年05月12日 | その他
 3年前に購入して、いつも持ち歩いているデジカメのシャッターカバーが開かなくなった。以前から半開きの状態になることは時々あって、爪先でこじ開けていたけれど、ここへ来て、ほぼ毎回開かなくなってきた。修理費があまり高くつくようだと、いっそ新しいデジカメに買い替えたくなるところだけど、このデジカメはカード会員になっている某家電量販店で購入したもので、保証書を探してみたら、5年間修理保証の対象品になっていた。だったら直した方がいいに決まっているので、先日お店に預けてきた。10日~2週間ぐらいかかるとのことで、しばらくデジカメを使えない。
 デジカメはどんどんスペックが良くなって、しかも安くなっているので、買うときにちょっとけちると(これを買った当時でも、もう1万円くらい出せば、手ぶれ補正付きのが買えたのだった)、直後といってもいいくらいに、あきらめた機能が付いたものが同じ予算で買えるようになったり、さらに安くなったりしていたのを、恨めしい思いで見ていたのだった。
 でも、先日つれあいがデジカメをなくして、新しい防水機能付きの機種を買ったけれど、1000万画素になったからといって、格段にきれいな写真が撮れるわけでもないことが分かった(暗いところなどでの手ぶれ補正機能の実力はまだ試してないから分からないけど)。
 私の購入した機種はオートでお任せ撮影ももちろんできるけれど、どちらかというと、マニュアルでいろいろ遊べるところが気に入って購入した機種。でも、実際にその機能を使いこなしているかというと、とてもそうは言えない。幸い修理保証で直ってくることだし、もっと自在にカメラの機能を使いこなせるようになってから次のデジカメを考えよう。

ネットカフェ

2009年03月08日 | その他
 ネットカフェなるところに初めて行ってみた。子どもの送迎で片道1時間の飯田市近辺まで行かなくてはならないときに、半日程度の用事だと、送ってから家に帰っていると、またすぐ出掛けなくてはならない羽目になるし、時間もガソリンももったいない。昼間なら買い物でもして時間をつぶせるけど、早朝なんかだとコンビニぐらいしか開いてない。去年、座光寺にも24時間営業のネットカフェがオープンしたと聞いて、もしかして使い道があるかもと思っていた。ネットカフェ難民なるものが話題にもなっていて、一体どんなところかという興味もあった。そう思いつつ、一度行ってみたときは満室で、その後は特に利用したいという状況もなく、その存在も忘れかけていた。
 今日は年度末の繁忙期ということで、何とか家に戻らず出先で仕事をしたいと思った。ノートパソコン持参で図書館にでも行くかと思いつつ、ふとネットカフェの存在を思い出して、行ってみることにした。コミックの本棚がずらっと並んだ奥に、個室スペースがずらっと並んで、何か不思議な空間。インターネットは地球の裏側とも瞬時につながれる反面、近くの人とはむしろ分断されるような面もある印象を持っているけど、まさしくそんな感じがした。どんな人が来るのかなと思うけど、中に親子連れの姿もあって、「え?」と思ってしまった。コミックでも読みに来るんだろうか。
 3時間パックで約1000円で、お茶やコーヒーは自由に飲める。静かに仕事もできたし、うちまで往復するガソリン代などを考えれば悪くはない。ただ、たばこのにおいがちょっときつかった。(備え付けのPCにもOffice程度は入っていたけど、音声再生にDigital Voice Editorを使いたかったので、持参のノートで仕事をした)

講演会

2009年02月21日 | その他
 昨日の朝は久々の雪景色で10cmぐらい積もっていたものの、じき雨に変わり、おおかた解けて、うちの周囲もまだら模様になってしまった。今日も晴れているし、この先も暖かそうな予報なので、じきに解けてしまうだろう。

 そんな天気の中、夜、基礎自治体のあり方を考える講演会に出掛けた。普段、仕事で毎日のように講演会だの、会議だの、シンポジウムだのをヘッドフォン越しに聞いているので、生の講演会を聴きにいこうなんて気には、めったにならないのだけど、先日、市町村合併や道州制についての話を聞いたときに、何度も名前が出てきた、総務省の市町村合併に関する研究会の座長を務めた人だったので、興味を引かれて出掛けてみることにした。村の広報に出ていたから、オープンな講演会なのだろうと思っていたけど、実際にはほとんど行政関係者ばかり聴きに来ていたような感じで、行政関係者向けの勉強会だったのかしら?と、すごく場違いなところに行ってしまったような感じだった(何せ受付にあらかじめ市町村ごとに参加者の名簿ができていたし)。
 全国の市町村合併の検証を取りまとめた人として、本音のところでどう思っているのか聞きたいなという気持ちもあったけど、質疑応答のときに挙手する人は誰もいなかったし、ただでさえ場違いなところに来てしまった感じだったので、とても質問などできるような雰囲気ではなかった。でも、まあ、最近気になっている道州制や定住自立圏についての話も、現在のところの大体の雰囲気はつかめたので、頭の整理にはなったかなと思う(与党次第という不透明というか、歯切れの悪い部分も多々あったが)。
 定住自立圏については、要は地域振興策なのだそうで、従来の過疎法が箱物主体だったものを、飯田市の場合でいえば医療連携など経常費の支援をするものだという話で少しイメージがつかめてきた気がした。
 何度も繰り返して、こうした町村の連携を大事にした方がいいと言われていた。この地域では、以前から南信州の広域連合など、広域連携はいろいろ行われてきたので、ある種それが当たり前のようにも感じてもいたけど、必ずしも他地域もそうであるわけではないらしい。いずれにせよ、うちの村のような小さな村が村のまま生き延びていくには広域連携は必須なので、今後もそれぞれの町村が独自性を保ちつつ、いろいろな形で緩やかに連帯していけたらいいなと改めて思った。
 
 



地域起こしの話

2009年02月14日 | その他
 昨夜からの雨で、今朝は分厚い雲がたれこめて暗く、異様なほど暖かかった。朝7時前の外気温は何と12度もあって、子どもが「外の方が暖かいみたい」と言うほど。例年なら、その数字にマイナスが付いてもおかしくないぐらいの時期なのに。

 週の初めごろ、日経ビジネスに「日本の未来が見える村」として下條村のことが取り上げられていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090209/185533/?P=1
 下條村は出生率の高い村として有名で、同じ郡内のことだし、ある程度は知っていた内容だったが、昨日の仕事では鳥取県の智頭町の話を聞いた。ここの地域起こしも有名らしくて、2000年に出ている岩波ブックレット(『地域からの挑戦』)は3日で1万部ぐらい売れたとか。もしかしたら、そのころ名前ぐらい耳にしていたのかもしれないけど、「ひまわりシステム」とか、「ゼロ分のイチ村おこし運動」とか、へえ、そんなことやってるんだと思った。最初はたった二人の人間が、全くの四面楚歌の状態からスタートしたのだとか(そういえば、何年か前に村内で開催された美しい村づくりの講演会でも、どなたか、地域を変えるのに、3人いれば始められると言っていた気がする)。
 本当に全国各地にユニークな地域起こしをしている所はたくさんあるのだろうなと思いつつ、また、そこにかかわっていく大学の先生の話もとても面白かった。私の学生時代は、例えば社会科学の学者が地域起こしみたいなものに積極的にかかわっていくようなことは、あまりなかったような気がする。たまたま私のいた大学の先生たちがそうだったのか、東京在住だった私の関心がそういうところになかっただけなのかは分からないけど。今こうして過疎の村に住んで、しかも合併の話が持ち上がったときは、まさに当事者として考えざるを得なかったから、今も仕事で地域起こしの話などが出てくると、すごく興味深い。何かもう一回学生になって勉強し直したくなってしまうような・・・。
 

立て続けの訃報

2008年12月26日 | その他
 冬至の日、「人間家族」というミニコミ誌を3代目編集発行人として月刊で出し続けるとともに、反原発やカウンターカルチャー、ネイティブアメリカン関係の本などを出版し続けてきた大築準さんが亡くなったという知らせが届いた。59歳。今月初めに、末期がんで入院しているという知らせを受けて、夫がお見舞いに行ってきたばかりだった。ちょうどその日、南アルプスフォーラムで山梨に行っていた夫は、そのまま南伊豆の大築家へ向かう。
 23日、大築さんのお通夜の日、今度は何とナナオが亡くなったという知らせが届く。85歳の大往生。世界中を旅して歩いた詩人サカキナナオは、ここ1年半ほど大鹿村の小渋川最上流の釜沢という集落の友人の所に滞在していた。(最近リニア新幹線の南アルプス貫通ルートで話題になっているところだ。ナナオは南アルプスにトンネルをぶち抜かれる姿なんて見たくなかったのだろうなと思った)。ナナオはこちらに来る前は、大築さんの関係で南伊豆に滞在していて、大築さんはナナオの詩集を2冊出版している。前日、ナナオは大築さんのお葬式に行かなくてはいけないと言って、どうやって行ったらいいかという話をしていたそうだ。大鹿村の山奥から伊豆半島の先端までの物理的距離を、肉体を離れることによって、一気に飛んでいってしまったのかもしれない。大築さんの弔いの場には、ナナオの祭壇も急きょ作られたと聞く。
 23日はちょうど自治会の会合もあって、ばたばたしていて、24日とにかくナナオの顔を見に行く。とても穏やかな顔をしていた。今ごろナナオのスピリットは「地球B」も超えて、宇宙の彼方まで自在に飛び回っているのかな。
 25日、今度はナナオのお別れ会が釜沢で開かれる。公共交通では来られない山奥の村に、しかも雨降りのあいにくの天気にもかかわらず、遠方からも大勢の仲間たちが駆け付けた。最初は知り合いのお坊さんが来てお経を上げてくれると聞いていたけど、来られなくなったとのことで、結果的にそうした宗教的なセレモニー一切なしの、乾杯で始まる賑やかなお別れパーティーだった。集まった人たちの服装も皆思い思いの格好。ナナオの詩に曲を付けて歌っているミュージシャンたちが歌い、イェルカがアメリカからのメッセージを読み、その中には5歳になるナナオの孫の詩もあった。(私は子どもの迎えのため早く帰ったのでその後の様子はあまり知らないが、次々歌あり、踊りありの賑やかな宴会だったとか)。
 昼間の雨は夜の間に雪に変わり、翌朝は辺りがうっすら白くなっていた(この26日朝の釜沢の風景は こちら )。そこから飯田市の斎場まで1時間半くらいの道のりを、十数台の車が連なっていく。いよいよ火葬になる直前の最後のお別れの時には思わず声を上げて泣く人もいて、昨夜はどんちゃん騒ぎをしていた人たちも皆しんみりとなる。待っている間、またナナオの詩を読んだり、あと宮崎さゆりさんがナナオに捧げる詩を読んでくれた。
 ナナオの骨は量も多く、真っ白でとてもしっかりしていて、最後の最後、骨になってまで、集まったみんなを感嘆させたナナオであった。しっかりときれいな形で残ったのどぼとけの骨を大勢の人が携帯で写真に撮っていた。ナナオは太平洋に散骨してほしいと言っていたという話もあるそうだが、取りあえず二つの骨壺に収めた分は釜沢に持ち帰り、四十九日までは置いておくとのこと。そのほか、何人もの人が分骨して持ち帰った。それぞれの人がナナオとの思い出のある場所に散骨をされるのだろう。

 それにしても、ナナオの追悼を、本来ならまずは大築さんが「人間家族」でやったろうにと思う。スタジオリーフは大築さんがほとんど一人でやっていたので、もちろん「人間家族」も夏に出たきりになっているし、それこそナナオの詩集なども注文できるような状態ではなくなっているようだ。誰か「人間家族」を引き継ぐ人はいないものかな。せめて、中途で休刊状態になっているものについて、終刊号だけでもきちんと出せたらいいのに。
 
追記:「人間家族」でなければ、「名前のない新聞」しかないだろうと夫と話していたら、早速アパッチさんが「ナナオの足あと(追悼掲示板)」を立ち上げてくれた。「名前のない新聞」3月号もナナオの追悼特集だそうです。(amanakuni blogより)