「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

大鹿クラフトまつり

2015年10月26日 | 地域おこし
 昨年初めて開催されて今年2年目となる大鹿クラフトまつりが、10月24日、25日の2日間、お天気にも恵まれて賑やかに開催された。
 入り口では大きな鹿の作品がお出迎え。


 県内外から多数の出店があった。クラフトだけでなく、大鹿村産の新鮮野菜やお米などの販売も。去年は食べ物の出店が少なくて早々に売り切れてしまっていたけど、今年はフード屋台も増えた。「大鹿やきそば(鹿肉入り焼きそば)」なんていうのもあった。


 こちらは「お菓子の家」。子どもたちが手作りクッキーにカラフルなデコレーションを楽しんでいた。


 野外ステージではライブ。こちらはスティールパンというドラム缶から作られた打楽器の演奏。


 ステージの向こうは紅葉の美しい山々と赤石岳。


 村のホームページでも紹介されている。今年は元気づくり支援金をもらって、のぼりや法被なども用意していた。村の新しい若者イベントとして、しっかり定着していってくれそう。

 大鹿クラフトまつりのfacebookページ

 

大鹿クラフトまつり

2014年10月29日 | 地域おこし
 先週末は土日の2日間、大西公園で「大鹿クラフトまつり」が開催された。大鹿村では初めてのイベントで、地域おこし協力隊3年目になる、木工体験交流施設「KASUGAI」の竹岡さんを実行委員長として、Iターン者やIターン2世などの若い人たちが中心になって企画したもの。これまでの手仕事展などの流れを発展させて、村外からも広く出展者を募ったクラフト展に、タテタカコさんや湯澤かよこさんなどを呼んでの音楽ライブ、ライブペインティング、野菜の直売なども加わって、盛りだくさんの楽しいイベントになった。しかも、同時開催イベント「原田芳雄プロジェクト」として、赤石荘さんが「大鹿村騒動記」の上映会やロケ地ツアー、コンサート等も企画されていて、何よりお天気に恵まれ、山々は紅葉が美しく、村内が大勢のお客さんで賑わった2日間だった。若い人たちの全く新しい企画に対して、村内のさまざまな人たちが協賛という形で支援し、ボランティアスタッフも大勢加わって、すてきなコラボレーションができたイベントの成功は、村の新たな可能性を感じさせてくれるものだったと思う。ぜひ来年以降もいい形で広がりを持ちながら続いていくといいなと思った。

 大鹿クラフトまつりのfacebookページや、特にライブペインティングですてきな絵を描いていた青木連君のfacebookページに当日の写真がたくさん掲載されている。
 






植生調査

2013年04月25日 | 地域おこし
 今日は、大鹿の100年先を育む会の活動の一つとして行っている植生調査、今年度の第1回目で釜沢~御所平方面。昨日までの冷たい雨も上がり、暖かな日差しの中、木々の芽吹きを楽しみながら歩いてきた。今、大鹿村の各集落では花桃やしだれ桜、芝桜、水仙等々、色とりどりの花々が本当に美しいけど、山々の芽吹きのやわらかな萌黄色のグラデーションもまた美しい。小渋線はだいぶ若緑色になってきたけど、村内でも最奥のこのあたりはまだ芽吹き始め。ところどころ、山桜の薄いピンクが目立つ。





 萌黄色というよりは赤っぽい色もある。


 イワツツジのピンク。 


 カツラの若葉は赤っぽくてかわいい。


 ヒトリシズカ


 植物調査ということで、飯田美博の研究員の方に教わりながらメモを取ったりしているけど、ひらひらと舞うクジャクチョウに目を留めたり、オオルリやエゾムシクイ、センダイムシクイなど、鳥の歌声に耳を傾けたり、ゆったりと山歩きを楽しんだ一日だった。

 今日はちょうどリニアの猛禽類調査の人が来ていて、この近辺で私たちが出会っただけでも3か所で調査していた。希少猛禽類は2営巣期(12~8月)、月3日ずつ現地調査することになっていて、一昨年の12月から毎月来ている。(非営巣期は9~11月に1回、3日)

講演会など

2012年09月01日 | 地域おこし
 今週は、火曜日に中央大学学術講演会「限界集落は克服できるか―イタリアの小規模山岳自治体がヨーロッパ中から注目される理由―」、金曜日に南アルプスリレー講座第1回「植物から見た南アルプスの魅力」、そして今日は「リニア中央新幹線を見据えた地域づくり講演会」を聞きに行った。

 一つ目の「限界集落は克服できるか」は、イタリアの行政に詳しい中央大学法学部の工藤裕子先生のお話。日本とイタリアは面積も近く、南北に長い国土、背骨に山脈があって、海沿いの都市に人口が集中していることなど、地政学的にも似ている。ただ人口は日本の約半分で、小規模な自治体が多く、人口10万人以上の自治体はわずか0.5%、3000人未満の自治体が全体の6割を占めるという。カンパニリズモ(郷土愛)が強く、例えば自己紹介で自分を「イタリア人」とは言わず、たとえ数百人の村であっても「○○っ子」というのだとか。企業も伝統工芸などの中小企業が非常に元気なのだそうだ。
 日本と同様に、高度成長期には向都離村で、南部から北部の工業地帯へ、山岳地帯から平野部への移民が多く、人口が半減した山岳自治体も珍しくなかった。しかし、80年代以降の新潮流として、都市化に伴う問題点がさまざま浮上する中で、スローフード、キロメートル・ゼロ(生産・消費の移動距離がゼロ、つまり地産地消)、アグリトゥリズモ(アグリツーリズム)といった考え方が広がり、農業・畜産への回帰(Uターン)が起こってきている。またヨーロッパ特有の事情としては、EUの規則とのせめぎ合い、例えば伝統的な自然発酵のチーズがEUの衛生基準に合わないといったことなどから、特産品の付加価値が見直されることになった。スローフードの目指すものも、まさに食を通じた地域の再発見、再評価であり、ライフスタイルの見直しでもある。等々の概括的なお話と、実際のイタリアでの事例をお伺いする。ちょうど大鹿村でも、千葉県の子どもたちの山村留学が行われたばかりで、また、チーズ作りの農場のお話はアルプカーゼのお話を聞いているようでもあった。
 リニアについては「非常に危険です」と一言。陸の孤島のような場所だからこそ、来た人にいかに長く滞在して楽しんでもらえるかという形の観光を考えないといけないというお話だった。

 南アルプスリレー講座は、昨年から大鹿の100年先を育む会の植物調査でお世話になっている飯田美博の蛭間さんのお話。私自身は育む会の調査や講座にかなり参加しているので、その中でお聞きしている話が中心だった。
 南アルプス地域は、(大鹿にはあまりなけれども)標高800m以下の丘陵帯、台地帯の常緑広葉樹林(→アラカシ林、ウラジロガシ林)から、800~1400mの低山帯の落葉広葉樹林、常緑針葉樹林(→イヌブナ林、モミ-ツガ林、クリ林)、1400~2000mの山地帯の落葉広葉樹林、針広混交林(→ウラジロモミ林、ミズナラ林、ブナ林)、2000~2600mの亜高山帯の常緑針葉樹林(→シラビソ林、コメツガ-トウヒ林)、2600m以上の高山帯の常緑針葉低木林(→ハイマツ群落)が垂直分布している。
 その中で、南アルプスの植物の魅力として、蛭間さんは、山体が大きく広大な亜高山帯針葉樹林があること、北岳・仙丈岳など高山植物の宝庫であること、多くの高山植物が分布する最南端の地域であること、ハイマツは世界分布の南限、固有種・隔離分布種や遺存種が多いこと、石灰岩地に特有な植物相があること、地元住民の意識の高さを挙げられて、特に亜高山帯、山地帯、石灰岩地の魅力をアピールしたいとのことだった。なので、南アルプスのかれんな高山植物の話を期待していた人がいたとしたら、ちょっと違う話だったかもしれない。いろいろな針葉樹のまつぼっくりや、話に出てきた植物の標本を回して見せていただく。話に出てきた地元住民うんぬんは、具体的には育む会のことを言っていたと思うけれども、世界自然遺産や世界ジオパーク、エコパークを目指すならば、より広範な地域住民の意識を高めることが必要だろう。

 今日のリニアを見据えた地域づくり講演会は、日本経済研究所の傍士銑太氏の講演と、地域の事例発表、南信州交流の輪、飯田西中、ネスク・イイダ、上郷地域まちづくり委員会の野底山森林公園の取り組みの四つ。
 傍士さんはJリーグの理事をされているそうで、スタジアムの資料があったり、またご当地プレートを提唱されていて、その資料もあった。タイトルに「リニア時代を見据えた」とあったけれども、冒頭、2027年をどう見るかというのは難しい、15年前の1997年はどうだったか、いかに時代が変化するかということ、そして、今は日本の針路が転換を求められているとして、1.経済は目的ではない、2.人口増加時代の価値観から人口減少時代の価値観、3.先進国唯一の中央集権システムから地方分権に変わっていかなくてはならないという3点を挙げられた。地域と国の関係は、中央集権の支配関係ではなく、地域でできないことを国がやると言う補完関係にならなければいけない。そのためには意識改革が必要。また、未来の原動力として、地域意識の表現力(文化)、小さい単位の力(個の自立)、つなげる力・つながる力(連帯・複合)の三つを挙げられた。Homeのある風景、自信と誇りを持てる地域をつくること。飯田の未来を考えるとき、何を変えていかなければならないかという変える勇気とともに、変えてはいけないもの、変えられないことを受け入れる忍耐、その二つを見極める知恵、そしてサイレントタイム、静かに声を聞く時間が必要と締めくくられた。

ジオパーク

2012年02月19日 | 地域おこし
 今日は伊那市で行われたジオパーク交流集会に行ってきた。ここ大鹿村も、南アルプス(中央構造線エリア)として、日本ジオパークの一つに認定されている。村内には中央構造線の北川露頭、安康露頭や、鳥倉林道~塩見岳(さまざまな付加帯の岩石を観察できる)などのジオサイトがあり、解説看板も設置されている(中央構造線博物館のサイトもご覧ください)。とはいっても、南アルプスジオパークを構成する市町村(伊那市・飯田市・大鹿村・富士見町)の中で、伊那市はとても熱心だけれども、残念ながら、村の中ではジオパークの認知度がそれほど高いとは思えないところがある。あるいは、博物館に限定されたものと考えている人も多いのではないかと思う。
 今日の基調講演のお話にによれば、「ジオパーク」とは、ヨーロッパで始まった地質・地形を見所とする自然の公園で、地球と人類のかかわりを学べる「大地の公園」であること、また、地質・地形遺産を含めた自然遺産を保全するとともに、ジオツーリズムを通じて地球科学の普及と地域の振興を目指すという非常に広がりを持ったもので、審査基準の中にも、自治体、地域社会、観光協会、研究機関などが参加してボトムアップ的に設立された、しっかりした運営組織という文言が入っている(南アルプスジオパークでも、観光協会や教育委員会なども含めた関係団体による協議会が、来週24日に設立総会が開催されて正式に発足する)。
 ジオパークの関連事業の成果発表では、島原半島、糸魚川、南アルプスの三つのジオパークで行われた子どもキャンプの紹介があり、また、シンポジウムでは、磐梯山ジオパークの福島県北塩原村の小椋村長、阿蘇ジオパークの阿蘇市・佐藤市長、糸魚川ジオパークの糸魚川市・米田市長、そして南アルプスジオパークの伊那市・白鳥市長が、それぞれのジオパークの取り組みを熱心に紹介されていた。糸魚川市は世界ジオパークが発足する前から、市独自でジオパークという言葉を使っていたそうで、当時、箱物全盛の時代に、まずはソフトからということで学芸員を入れたというお話が印象的だった。
 ないものねだりではなく、地域資源を見直し生かすことで地域振興につなげること。理科離れがいわれる昨今の子どもたちに格好の自然体験教育、環境教育の場となること。もちろん子どもだけでなく、ガイド養成など、地域の人材の養成・発掘。さらには日本のジオパークの場合、火山や断層など一方で災害と結び付くものも多く、防災教育にもなること等々。あるいは、今まではばらばらに動いていたものが、ジオパークという切り口でチームプレーができるようになったというお話もあった。今、日本には既に20のジオパークがあり、今年もまた幾つか増えるらしい。東日本大震災の被災地では、環境省の三陸復興国立公園構想と共働した三陸ジオパーク構想もあるそうだ。
 さまざまな広がりを持ち得るお話を聞きながら、村でもこの「ジオパーク」という切り口をもっと積極的に位置付けて活用できればいいのにと思ってしまった。先日説明のあった第4次総合振興計画(案)の柱の中には、世界自然遺産やジオパークの文言もなくて、質問したら、「中央構造線博物館の活用」という中でやっていくとのことだったけれども、何かなあ・・・。 

※本文中、「南アルプスジオパーク」のサイトにリンクを貼ろうとしたら、「不正な書式」が含まれているとして投稿できなかったので、日本ジオパークのサイトの中の南アルプスジオパークの紹介にリンクしています。gooブログだけでの問題なのでしょうか?

雑穀料理の試食・調理体験会

2012年02月04日 | 地域おこし
 今日は楽姓クラブの人たち主催の雑穀料理の試食・調理体験会に参加してきた。楽姓クラブは10年ほど前に発足した上蔵地区の女性有志のグループで、地域の遊休農地を活用して花を植えたり、雑穀を作ったり、小学生の農業体験学習を受け入れたり、秋には「雑穀まつり」を行ったり等々、いろいろな活動を行っていて、一昨年には農水省の「豊かなむらづくり全国表彰事業」で、関東農政局長賞を受賞したりもしている。
 今回は食と地域の交流促進の補助事業の一環で、「大鹿村の雑穀で作った料理を食べながら伝統的な食べ方や現代的な食べ方を一緒に調理し学びましょう」という参加者募集のチラシを見て、うちでも以前はこきびを作ったりしていたこともあるけど、ご飯に炊き込んだり、きびもちにするくらいしか食べ方を知らなかったので、ぜひいろいろな食べ方を知りたいなと思って参加した。


 手前はたかきびのおはぎ。あんことごまのおはぎに、くるみだれがかけてある。左は炊いたこきびを入れたサラダ、汁物はこきび入り豆乳シチュー、右のお皿半分写っているのがフライビーンズ。


 こちらは炊いたこきびを使った肉巻きフライ。
 写真を撮ってないけど、さらにらゆで小豆のデザートもあった。

 伝統的な食べ方というよりは、楽姓クラブの皆さんが考案された現代的な食べ方が主だったけど、どれもとてもおいしくいただいた。雑穀料理というと、最近では「つぶつぶクッキング」が思い浮かぶけど、本当にいろんな食べ方の工夫の余地のある食べ物だと思う。ふりだし塾の人たちは、たかきびを使ってジャージャー麺風にしたのを、フリマのときによく売っている。それもひき肉みたいな食感で、かつヘルシーで、とてもおいしい。
 食後には雑穀についての講演もあり、雑穀の雑には多様性という意味もあると言われて、そのとおりだなと思った。
 参加者はIターンの人が多く、地域の人たちと一緒に料理しながら、いろいろ教わったり交流ができて、おなかも心も満たされる、とても良い集まりだった。



 本職のシェフの方も参加してくださって、ちょっとしたこつなどをいろいろ教えてくださる。



第4次総合振興計画策定のための住民説明会

2011年12月07日 | 地域おこし
 昨日と今日の2日間、昼3時~、夜6時半~の計4回、大鹿村第4次総合振興計画策定のための住民説明会が開催された。今後10年の大鹿村のあり方を方向づける基本構想だし、また、このために行った住民アンケートの結果報告もあったので、それなりに人は集まるのだろうと思っていたが、私は最初と最後の2回参加したけど、いずれも人は少なかった。
 その住民アンケートだが、1200人弱の人口に対して、500人に発送して、281人からの回答(56.2%)とのこと。約4分の1の住民が回答したことになる。この手のアンケートの平均的な回収率と比べて高いのか低いのか分からないが、私の実感的としては少ないなと感じた。ちょうど同じころ、信大の学生さんだったかの社会調査のアンケートも来ていて、そっちはかなり面倒くさいアンケートだったので、そのせいもあるのかなと思ってみたり。
 アンケートでは、約半数の人が村は「住みやすい」と感じている。そして、村のよいところとしては、75.8%と断トツで「豊かな自然・景観がある」ことが挙げられている。大鹿村の「郷土の誇り・宝」と思うものも、「大鹿歌舞伎」54.4%、「自然・景観(山川)」48.4%が3位以下を大きく引き離して挙げられている。一方で、村の住みにくいところとしては、「交通の便が悪い」「よい働き口が少ない」「高齢になった時に不安」が50%台、また日常生活で困っていることや、整備する必要があると感じることとしては、「買い物の不便さ」「雇用の場」「幹線道路」などが挙げられていた。そして、今後10年くらいの間、村に住み続けたいと思うかという問いには、条件付きを入れると約8割の人が住み続けたいと考えているという結果だった。
 アンケートの中には「リニア中央新幹線のトンネル事業を村の活性化に結び付ける取り組みについて」というのがあって、どういう結果が出るのか興味津々だったが、「村の自然や生活環境が悪化しない範囲での事業なら、取り組むべきだ」が38.4%で一番多く、次が「村の自然環境やイメージを守るため、トンネル関係事業には慎重に対応すべきだ」の24.9%、「村の産業や雇用を増やすため、どんな事業でも積極的に取り組むべきだ」は15.7%、「事業関係の用地提供など、求められれば協力したい」は6.8%。このアンケートに対しては、説明会に出席していたリニアに反対の住民の中から、「トンネル事業を村の活性化に結び付ける取り組み」と、推進前提の選択肢であったことへの苦言が呈された。「取り組むべき」が1位ではあるけれども、村の魅力は何と言っても「自然・景観」であることは多くの村民の共通認識であり、「自然や生活環境が悪化しない範囲で」という限定付きであることは、村としてきちんと押さえておいてもらいたいと思う。
 こうしたアンケート結果や、前回の第3次総合振興計画の評価も踏まえて、第4次の基本構想の検討案では、村の課題として、(1)人口の減少・高齢化に伴う問題の克服、(2)村の自然環境・伝統文化の継承、(3)安全・安心な地域の維持、(4)活気を生み出す地域の再生の4点を挙げ、それぞれについて重点施策(案)が挙げられていた。今回の説明会の席で住民から出た意見も反映させながら、肉付けされて、最終的には来年の3月に策定されることになる。この総合振興計画については、12月定例会の一般質問でも取り上げる予定だけれど、ぜひもっと多くの人に関心を持ってもらいたいなと思います。

 写真は夕刻の大西公園から。十月桜と赤石。

地域まめったいサミット

2011年10月02日 | 地域おこし
 昨日は、午前中、中学校の大鹿祭に参加した後、泰阜村に向かい、「第4回地域まめったいサミット~やっぱり、このむらで暮らしたい!~」に参加してきた。地域まめったいサミットというのは、主催者の長野県社会福祉協議会のホームページによれば、「とくに過疎化・高齢化などの課題を抱える中山間地域において、支え合い、知恵を出し合いながら誇りを持って暮らす人々の声を聞き、住み慣れた地域で自分らしく暮らす、という地域福祉の目指す姿と、それを実現できる地域づくりを考える場」として開催されているもので、今年で4回目。宅幼老所「まめ大福」を運営しているNPO法人あんじゃネットの友人に誘われていた。内山節さんの講演、松島村長との対談、そして、泰阜村の地域の人たちによるリレートーク「やっぱりこの村が好き!」といったプログラムで、私は昨日の午後だけで帰ってきたけど、2日目の今日は「やすおか村めぐり」が行われている。
 泰阜村は2003年に田中康夫元知事が住民票を移したことで一躍全国区で有名になったけれども、平成の合併問題のとき、当初、飯田・下伊那全体で一つの市として合併する案が検討された中で、いち早く、合併すると村の福祉が後退するとして、自立を宣言したところで、当時からとても関心があったものの、これまでなかなか行く機会がなかった。先日、やはりあんじゃネットの若者定住促進事業の視察で、初めて泰阜村を訪れ、山村留学事業を行っているNPOグリーンウッドを訪ねたりもして、今回は松島村長と内山さんの対談もあるということで、ぜひ参加したいと思った。
 内山さんは立教大学の大学院などで教鞭を執られている哲学者だが、趣味の釣りをきっかけに群馬県の上野村に長期滞在するようになり、東京と上野村を行き来する半村民として、さまざまな著作を発信されている。今年は3・11以降忙しく、村の方に滞在している時間が減ってしまっていて、いずこも同じ、畑の作物がだいぶ動物にやられてしまっているとか。現在の上野村の放射線量は大体0.15μSv程度で、通常時の約3倍。予想していたより多いそうで、漢方薬の材料になるホウノキの皮にセシウムが検出されたり、いろいろな影響が出ているとおっしゃっていた。東京の住居では、0.2~0.3μSvあったものが0.06μSvに減ってきていて、自然のない都会のコンクリートの上では雨で流されるけれども、自然の豊かなところは土に染み込んだりしてなかなか減らないという皮肉な状況になっているとも。
 復興についての話では、支援物資がたくさん届いても、行政はいかに平等に配るかを重視するので、全員に行き渡る数がないと配れなくて、倉庫に山積みになっているという話がよく聞かれたけれども、そうした点は平成の合併をしたところが特にひどかったそうだ。
 地域のコミュニティ、生きている人間だけでなく、自然や死者をも引き込んだ自治、自然と人間の関係が残されていることが大事といったことなど、いろいろなお話をいただいたが、その中で、内山さんは祭りと行事が維持できていれば、地域は何とかなるという言い方をされていた。祭りと年中行事が維持できているということは、地域の考え方やつながりが受け継がれているということだからと。
 
 帰り道、暗くなって何度か道を間違えそうになりながら車を走らせていると、2か所ほどで花火が打ち上がっているのが見えた。今朝の新聞を見たら、昨日は600年余りも続いているという山本の七久里神社の裸祭りだったようだ。