「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

三六災害50年

2011年06月29日 | 地震・防災
 今年は伊那谷の各地に大きな被害をもたらした昭和36年の災害から50年ということで、19日に飯田でシンポジウムが行われたり、各地で語り継会等が行われ、今日は大鹿で語り継ぐ会が開催された。
 19日のシンポジウムでは、サイドイベントとして「演劇的記録 三六災害五十年」が上演され、大鹿村からも40人が合唱で参加した。子どもたちの作文の朗読や、大西山崩壊のときのエピソードを基にした芝居、合唱により構成されている、ふじたあさやさん作の演劇で、一部、子どもの朗読の声が小さくて聞き取りにくいところもあったが、東日本大震災のすさまじい津波被害の様相も思い起こされて、リアルに迫ってきて、涙が止まらなかった。
 式典に入ってからは、時間がどんどん押して、楽しみにしていた松島信幸先生の講演では、興味深そうなところが端折られてしまって、ちょっと残念だった。最後の方、主人公は自然であり、災害に遭って、自然を恨むのでなく、自然から生かされる住み方をということ、また日ごろから周囲を観察して、自然感覚のようなものを体得しようというお話は、松島先生らしいと思った。演劇の中の子どもの作文で「大西山が憎い」という言葉があった。自分の家族を奪った自然に対して、恨みや憎しみがわくのは当然の心情ではあるけれども、一方で、やはり自然が先に存在して、人間はそこに後から生まれてきたものにすぎないので、自然を恨んでも仕方ない。自然の脅威は人間には計り知れない大きなものであることを、今回の東日本大震災でもまざまざと見せつけられたばかりだ。その中で、どう生きるかというとき、前兆現象的なサインを見逃さず、危険を感じたらすぐ逃げることができるような、松島先生の言う自然感覚的なものを身に付けることが大事だろう。

 今日の大鹿の語り継ぐ会の方では、三六災というと、すぐ大西山の大崩壊が浮かぶけれども、まずは集団離村するに至った北川地区の方々の体験談を聞く映像を見た。中央構造線の露頭がある北川地区に、多いときには110戸もの家があったという。36年の災害当時は38戸だったそうだが、そこが鉄砲水や土石流で数戸を残してほとんど破壊されてしまったとか。3名が濁流に巻き込まれてしまったそうだが、「この狭い谷間の土石流災害にもかかわらず、3名の犠牲者であったことは、隣近所の声かけや避難指示に迅速に対応した北川集落の共助の賜物であり奇跡的な状況でした」(資料から)。道路も通信も途絶えた中で、この地に救援の手が入るまでに何日もかかっており、山の中で、まさに共助で生き延びた方々だ。壊れた家から米俵を運び出し、泥で炊き込みご飯のような色がついたご飯を食べたという話もあった。
 大西山の崩壊で被災した今井積さんのお話で印象的だったのは、田んぼの中を腰まで泥につかりながら、命からがら逃げて助かった後、清水地区の集会所でお世話になったそうだが、その避難生活の中でいただいた鍋とまな板とお椀を今でも大事に使っているということで、持参してくださっていたこと。鍋は穴があいても修繕して、まな板は半分になって、厚みも本当に薄くなるほど使い込んであった。このお椀で飲まないと、味噌汁を飲んだ気がしない、これらが50年前のお世話になった日々を語り掛けてくれるという。そういう気持ちで三六災後の50年間を生き続けていらっしゃるということを、本当にすてきだなと思った。過疎・高齢化が進む中で共助が難しくなりつつある現実もあるけれども、共助の心は大災害を経験した村の人たちの中にしっかり受け継がれている。

 その他、河川事務所や治山事務所、三六災当時、隣の生田で中学校の先生をしていたという信大の北澤先生のお話など聞く。
 またプログラムの予定時間をだいぶ過ぎて終了し、その後、大西、文満の慰霊碑に移動して、献花・焼香。
 

リニア計画中止を求める署名

2011年06月27日 | リニア新幹線
 信毎にも紹介されましたが、伊那谷の有志でリニア新幹線計画の中止を求める署名活動を始めました。
http://www.shinmai.co.jp/news/20110626/KT110625ATI090001000.html

 署名用紙はこちらからダウンロードできます。情報拡散と署名にご協力お願いします。

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私たちはリニア中央新幹線計画の中止を求めます。
        (署名呼びかけ文)

風景がひとの心に与える影響は大きい。
小渋川のむこう、遠く谷の奥に赤石岳が見えた。
きれい。
脳のなかで何かが分泌されたようだった。
ここに、大山脈を貫くトンネルが口を開ける事と、それにまつわるエトセトラは、
人々の暮らしに何をもたらすのか。
トンネルが掘られたら水がそこからぬけてしまう。湧水がかれる。
想像してみよう。この大開発により、犠牲になるものはとてつもなく大きい。

大鹿(注)は、この開発に巻き込まれる多くの人里の、ひとつの象徴にすぎない。
すぐそこに、人の暮らしの危機がせまっている。

リニアは本当に“夢の乗り物”でしょうか?
説明不十分なまま、考える余地なく通されてきた過去の公共事業の数々。『国策』とよばれる印籠は、人々に何を強いてきたのでしょうか。3・11の震災から私たちは学ばなければいけません。予測できない自然の脅威と、技術で制御できない力。それはもはや人類の手には負えません。今回の原発事故が私たちにもたらしたものは一体何でしょうか。
リニア新幹線については、2010年3月から国の審議会において議論されてきましたが、今年5月12日に最終答申が出され、それに基づいて同月26日に南アルプスを貫くルートが整備計画決定され、27日には国交省からJR東海に建設指示書が手渡されました。しかしそれは『3・11』以降、世の中のエネルギーへの意識が変化し、リニア構想自体に数多く疑問の声が寄せられている中でその意見は反映されることはなく、また沿線住民への説明などは全く不十分なまま出されたものです。いまリニアは過去の原発の推進がそうであったように、国民の真の認知のないまま計画が進んでいます。
このリニア問題を私たちだけのものでなく、全国的な問題としてその必要性や問題点などを一緒に考えていただきたいと思います。
「リニアは私たちの未来に、本当に必要なものでしょうか。」
そしてそれは、かけがえのない自然を壊してまで造らなくてはいけないものなのでしょうか。沿線の水源の問題、電磁波の影響、トンネル出口(予定)のがけ崩れへの懸念、電力供給(原発が何基も必要といわれる)、廃土の行方など、問題は山積み、説明も不十分なのにこの事業がなかば強引に推し進められるのは一体なぜなのでしょうか。復興に全力を挙げ生活スタイルを見直さなければいけない今、リニア構想は時代に逆行しているとしか思えません。「より早く、より便利に」ではなく、自然と共生し、安心・安全に暮らせる未来を私たちは望んでいます。(注:長野県大鹿村は南アルプスのふもとに位置する。)
2011.6月 ~NO!リニア連絡会~

リニア中央新幹線計画中止を求める要望書

リニア新幹線については、2010年3月から国の審議会において議論されてきましたが、今年5月に最終答申が出され、それに基づいて同月26日に南アルプスを貫くルートが整備計画決定され、27日には国交省からJR東海に建設指示書が手渡されました。しかしそれは、『3・11』以降、世の中のエネルギーへの意識が変化し、リニア構想自体に数多く疑問の声が寄せられている中でその意見は反映されることはなく、また沿線住民への説明などは全く不十分なまま出されたものです。
いまリニアは過去の原発の推進がそうであったように、国民の真の認知のないまま計画が着々と進んでいます。
南アルプスには貴重な動植物が多数生息しています。また「山は、水がめである」といわれますが、トンネルを掘れば水が出るのは明らかです。水の流れが変われば水源の確保は難しくなりますし、生態系にも影響します。自然破壊により失ったものは、もはや人間の力では修復できません。多くの犠牲を払ってまでこのリニア新幹線が私たちの生活や未来に本当に必要なものだとは思えません。「より早く、より便利に」ではなく、これからは自然と共生し、安心・安全に暮らせる未来を私たちは望みます。
よってここにリニア中央新幹線計画中止を求める事を、賛同者の連名をもって申し入れます。                 2011.6月 ~NO!リニア連絡会~


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 また、飯田リニアを考える会では、飯田市、下伊那郡内の首長や議員など公職にある人たちにリニアについての公開アンケートを送付した(うちにも送られてきた)。アンケートは経済性や安全性、環境への影響など、20の質問項目によってリニアに対する考え方を問うもの。7月2日締め切りで、結果も公表される。
http://sbc21.co.jp/my-cgi/sbc_news.cgi?page=seventop&date=20110624&id=0175010&action=details

小学校音楽会

2011年06月24日 | 子ども・教育
 今日は小学校の音楽会に来賓として出かける。下の子が小学校を卒業したのが6年前だから、7年ぶりということになるのかな。当時も少人数だったけれど、さらに減っていて、全校でこれだけ。1年生と6年生は11人で二けたの人数がいるけど、2年生は5人しかいなかった。なので、かつては各学年の歌と合奏があったけれど、合奏は1・2・3年合同、4・5年合同となっていた。あと、以前はあったPTAや先生たちのプログラムがなかった。その代わりというか、最後に校長先生作曲のオペレッタ「青い目の人形物語」が全校生徒と先生方とで上演された(大鹿村には、1927年にアメリカから贈られた青い目の人形(ルイーズちゃん)が、戦時中にも処分されずに守られて保管されていて、73年に小講堂の押し入れから見つかったそうだ。83年には青い目の人形を守る会が発足し、人形の歩みを語り継いでいる)。
 人数が少ないと、特に二部合唱などは本当に一人一人がしっかり声を出さなくてはいけない。でも、広い体育館いっぱいに元気な声が響き渡った。全校オペレッタの前の全校二部合唱「ビリーブ」は、プログラムに歌詞が印刷されていて、会場のお母さんたちなども一緒に歌う。自然をテーマにしたものや、何となく今の状況に合っているように感じられる歌が多かった気がして、選曲もよかったなと思った。
 

6月議会終わる

2011年06月20日 | 議員活動
 15日に始まった6月議会は、報告1件、議案が5件、請願が3件あり、議案と請願は総務社協委員会、産業建設委員会の二つの常任委員会に分けて付託され、16日に常任委員会、17日に一般質問、そして、20日に常任委員会報告を受けて、議案はすべて原案どおり可決され、また請願3件も採択されて閉会。
 報告は「平成22年度大鹿村一般会計繰越明許費繰越計算書の報告について」で、「繰越明許費」というのは、地方自治法第213条に「歳出予算の経費のうちその性質上又は予算成立後の事由に基づき年度内にその支出を終わらない見込みのあるものについては、予算の定めるところにより、翌年度に繰り越して使用することができる」とあって、その翌年度に繰り越して使うことのできる経費のこと。公会計システム導入事業とか、住民生活に光をそそぐ交付金事業、きめ細かな交付金事業、補助輪道整備事業等々が並んでいた。「光をそそぐ」と「きめ細かな」は昨年10月に緊急総合経済対策として創設された地域活性化交付金で、景観の妨げになっている新小渋橋のところの電線を移設するなど。
 議案第1号「大鹿村課設置条例の制定について」は、大鹿村分課条例にそれぞれの課の分掌事務が定められているけれども、それは大鹿村組織規則の中に定められているので、「課の分掌事務は、規則で定める」とした大鹿村課設置条例を定め、分課条例の方を廃止するもの。
 議案第2号「大鹿村税条例の一部を改正する条例の制定について」は、東日本大震災にかかわる地方税法の一部改正に伴う村税の特例などを定めたもの。
 議案第3号は一般会計の補正予算、第4号は国民健康保険特別会計の補正予算、第5号は村営水道特別会計の補正予算。
 産業建設関係では、林道中峰黒川線の災害復旧費で約5900万円。現場を見てきたけど、こんな感じで道が半分になってしまっていて、ずっと下の方まで崩れている。ボーリング調査だけで500万円だそうだ。
 総務費の中には「マスコットキャラ制作委託料」などというのもあって、マスコットキャラ???とも思ったが、幾つか質問は出たものの、そのまま通った。
 請願は、少人数学級の早期実現や複式学級の編成基準の改善、教職員定数増を求める意見書提出に関するものなど、教育関係の3件。
 一般質問については、自分の質問は先日書いたとおり。他には、獣害対策についてや、副村長選任について、原発事故深刻化・長期化への対応について、防災対策についてなど、全員が質問に立った。
 19日には飯田で開催された三六災の50年のシンポジウムに参加。これについては、29日に村内で語り継ぐ会も行われるので、併せて。

 

一般質問

2011年06月17日 | 議員活動
 6月定例議会が15日から始まり、今日は一般質問が行われた。「一般質問」というのは、大鹿村議会会議規則の第61条に「議員は、村の一般事務について、議長の許可を得て、質問することができる」と定められているが、「特定の議案とは関係なく、政策提案・提言を行ったり、役所の仕事・行政事務全般について執行機関の見解を求めること」(ザ・選挙「地方議員の『質問』とは何か」より)。あらかじめ議長に質問内容の要旨を文書でを通告しなければならないことになっていて、その内容から外れた質問は通告外として認められない。今回の場合でいうと、通告の期限は6日だった。私はリニアのことを質問したいと思っていたのだけれども、6日の時点では、9日に飯田でJR東海と飯伊地区との意見交換会が行われることが分かっていたので、その内容によっては事態が変わっているかもしれないと思いながら、通告書を提出した。実際、意見交換会どころか、7日は環境配慮書が公表されて、13日にはJR東海が大鹿村に来たとのことで、随分変わってしまった。でも、通告外の内容は聞けないので、原稿を作るときに悩んだ。その分、質問の文言が曖昧になってしまったところがあったかもしれない。一つの質問事項について3回まで質問できて、一人当たりの持ち時間は20分と決まっている。通告書の内容は以下のとおり。

1.リニア新幹線計画について
  整備計画決定され、リニア新幹線の計画が具体的に動き始めているが、村としての対応、住民への情報提供など、今後どのようなスケジュールで進められるのか。配慮書作成前にJR東海に住民の声を伝える機会はあるのか。飯田市では水源域を避けるよう要望しているが、大鹿村としても、水源への影響や、「日本で最も美しい村」づくり、南アルプス世界自然遺産登録推進などとの整合性が懸念される。村長として、リニアの村へのメリット、デメリットをどう考えておられるか。

大鹿発電所について
2.大鹿村には県の発電所が二つあり、非常時には村内に直接配電される取り決めになっているそうだが、その割には長時間の全村停電が多い。具体的にどのような事態になると直接配電されるのか。渇水時など、発電所の実際の発電状況はどうなっているのか。福島原発事故後、自然エネルギー推進の流れになってきている中で、地域内エネルギー自給に関心が高まっている。大鹿の自然エネルギー自給率は828.4%とされており、何らかのモデル事業のような形でも、大鹿発電所の電気を村内で使えるように働き掛けできないか。

 それに対する村長の答弁は、リニアについては、JR東海が大鹿村に来たときに水源のことや、環境配慮について要望を伝えたということ、スケジュールについては、3km幅のルートを示す時期についてはJR側から明言はなかったとのことだった。リニアのメリット、デメリットについては、具体的なものが出てこないと分からないとか、メリットがデメリットになったり、デメリットがメリットになる可能性もあるのではないかといった曖昧な答弁だった。
 発電所については、停電が発生すると、中電でまず原因調査をするが、初期段階で原因が不明だったり、重大なものですぐ復旧できない場合に企業局へ連絡が行く。企業局は伊那にあるそうで、その企業局の人と中電の人が両方来ないと切り替えができないそうなので、早くても1時間半くらいかかってしまう。休日や夜間などで人がいない時間帯だと、もっと時間がかかってしまうということだった。また、渇水期には発電量は20%くらいに落ち込むそうだが、それでも村内の需要を賄う程度の発電量はあるだろうとのこと。できるだけ早く切り換えてもらうことの要望とともに、現在、生田から来ている送電線の周囲の木の伐採や、2ルートにすることの要望もしているということだった。村としても、山に囲まれた大鹿村では、村内で発電した電気が村内で使えるようになればいいという思いはあるけれども、電気事業法の関係でできないとのことだったので、現在、送発電分離の議論も出てきているので、ぜひ要望していってほしいとお願いする。

 初めての一般質問で緊張もして、きちんとメモも取れなかったけれど、村内では後日ケーブルテレビで放映されるし、「広報おおしか」の議会だよりにも掲載される。

計画段階環境配慮書

2011年06月13日 | リニア新幹線
 リニア新幹線については、先月12日に中央新幹線小委員会の最終答申が出た後、26日に整備計画決定、27日にはJR東海に建設指示が出たと思ったら、先週には「計画段階環境配慮書」なるものがJR東海から発表されて、長野県以外の中間駅やルート案が示されるなど、このところ急ピッチで動き始めてきた。
 長野県内ではBルート、Cルートでもめた経緯もあり、答申が出た後、知事が初めてJR東海社長と会談したが、その際に、スケジュールありきでなく、地元の意見を十分聞くことを求め、やはり先週、諏訪、木曽、飯田の各地で、JR東海と地元との意見交換会が開催された。それを踏まえて、今度は21日に県の協議会で県内の意見調整を図るとのこと。地元首長などとの意見交換会と報道されていたので、大鹿村長も当然出席するのかと思ったら、飯田では飯伊地区の期成同盟の会長、副会長など8名のみだったそうだ。長野県内の駅位置、ルート案も、県の協議会の後に発表されるらしいが、そうなると線引き前に飯伊地区としてでなく、大鹿村としての懸念事項を伝える場はあるのかどうか。飯田市が市の水源域回避を求めていると聞けば、当然、大鹿村の水だって心配だ。何せ南アルプスは氷河期の雨水までも蓄えている巨大な水がめらしい。地下水の挙動など、事前アセスで100%把握することは困難であることは、審議会の中でも触れられている。

 ところで、この「環境配慮書」というのは、この4月27日に公布されたばかりの改正環境影響評価法で新たに導入された、戦略的環境アセスメント(SEA)によるものらしい。事業者は立案段階から、過去の事例などから工事が環境に及ぼす影響を予測する「配慮書」を国に提出してから、アセスに入るようになる。改正法の施行は2年後とされているけれども、JR東海とは改正法にのっとって配慮書を公表し、広く意見募集するとのことだ。以前に信大の環境マイスターの集まりで戦略的環境アセスメントの話を聞いたときは、計画立案前に複数案を検討するとのことだった。環境省の意見書でも複数案を検討するように要請されていたと思うが、今回発表された中には複数案は示されていなかったように思う。幅3kmの中でどう通すかだけの選択肢になってしまうのだろうか。
 
 環境配慮書はJR東海のホームページから見ることができる。長野県はルートが発表されてからになるらしいが、他の地域は7月7日まで意見募集が行われている(ネット上のフォームから送れる)。配慮書全文を読むのは大変かもしれないけど、要約版もあって、そこに主な環境配慮事項が表で示されている。例えば問題になっている地下水については、「山岳部等において、工事の実施時は、トンネル工事等に伴い地下水が湧出し、地下水位への影響が考えられますが、今後、明確な影響を把握するために、周辺の水利用調査を行う等、影響度合いを確認し、防水工の施工等の適切な対策により、地下水位への影響を回避、低減します」などと書かれている。




脱原発100万人アクション

2011年06月13日 | 脱原発
「6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
 今なお放射能の放出は続いています。
 私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。
 全国各地域の人々とともに、
 6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。
 6月11日は、声をあげましょう!
 今こそ脱原発へ!!」

 ネット上でのこうした呼び掛けのもと、6月11日は全国各地、 のみならず世界各地でも連動して、脱原発のさまざまなアクションが行われた。長野県内で近いところでは松本市でもサウンドデモが行われたけれども、伊那谷界隈では特に呼び掛けはなかったので、うちではつれあいが浜岡とかかわりが深いので、静岡に行くことした。ちらしには雨天延期と書いてあったけど、前日にネットで午後には雨が上がる予報なので実施するとのことを確認。
 どしゃぶりの雨の中、国道152号線をひたすら南下。途中、袋井の野草社に寄り、多分10年ぶりぐらいに石垣さんに会ってから、静岡へ向かう。石垣さんは、今、発売元だった新泉社の社長になっていて、本の内容によって新泉社の名前で出したり、野草社の名前で出したりしているらしい。最近、昨年亡くなった立松和平さんに生前託されていたエッセイをまとめた本を3冊、野草社から出版することになったいきさつなどお聞きする。前から欲しかった『天竜川の神人―生と死の祭り』と、ごく最近出たティク・ナット・ハンの『ブッダの〈気づき〉の瞑想』の2冊を入手。
 野草社に着いたときはまだ降っていた雨も、出るころには上がっていた。パーク&ライドができる愛野駅に車を駐めて、東海道線で静岡まで。静岡は4月の菜の花パレードには1000人くらいの人が集まったそうだけど、今回は浜岡がとりあえず止まったせいもあるのか、天気のせいもあるのか、主催者発表250人くらいで、かなり少なめ。パレード出発前に千葉から来たという遠井地下道さんが「静岡はもっと集まっていると思ったのに」と言いつつ、「電気より元気を!」と歌い、戻ってから、大鹿の内田ボブが原発葬送歌を歌う。

 帰宅後、他の会場はどうだったのか気になって、ネットで情報を探す。新宿アルタ前には2万人ぐらい集まったとかで、すごい人波。チェルノブイリ原発事故後の88年に日比谷公園で2万人集まったけど、今回は新宿だけで2万人。全国、世界を合わせると、何万人の人が動いたのかな。ネットでも各地からの中継が流されたから、直接参加できなくても、ネット視聴という形で参加した人も大勢いたことだろう。「原発は要らない」とただ思うだけでなく、社会に向けて意志表示する人たちが確実に増えている。
 

ここ1週間ほどの活動報告

2011年06月08日 | 議員活動
 5月31日(火)、議会全員協議会。村長報告では、この2か月くらいの村長の日々の動きを報告いただく。ほぼ毎日のように、どこかで会議があったり、イベントがあったり、村長さんは忙しいんだなあと改めて感心する。
 6月2日(木)、南アルプス大鹿登山口開山式。あいにくの雨で、鹿塩地区館で安全祈願神事等が行われる。保育所の子どもたちのアトラクションがかわいらしかった。その後、お葬式に出て、夜は急きょリニアについて少人数でのミーティング。何せ整備計画決定されてから、どんどん動き始めているので、今後の取り組みについて話し合う。
 6月3日(金)、15日から始まる議会での一般質問に関して、お互い重複しないように打ち合わせ。
 6月6日(月)、一般質問の要旨を提出。一つはリニアのことにしたけれども、情勢がどう変化しているか分からない中で、1週間以上も前に出さなくてはいけないので、質問の仕方に悩んでしまった。
 6月7日(火)、午前中は議会運営委員会。定例会議の日程を決定。午後は飯伊地区・林活議連(森林・林業・林産業活性化議員連盟)の総会および研修会で、林業をめぐる情勢のお話をお聞きする。木材産業の低迷の中、県内でも製材用の生産量が減って、安い合板用の生産量が増えているので、生産額としては落ちているとか、切り捨て間伐から搬出間伐が求められるようになってきたので、そのためには路網の整備が必要だとか、戦後、造林した木が利用時期に来ているので、利用の促進を図らなければいけないなどといったお話。「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」というのがあるそうで、長野県内でも低層の公共建築物については原則木造、木造化が困難な建築物についても、可能な限り木材を使う、木材は原則として県産材とするという方針が定められているのだそうだ。それを聞いて、先日、田中優さんの講演でお聞きした、仮設でない復興住宅のお話を思い出した。大鹿のIターンの友人たちは結構地元産カラマツを使ってログハウスを建てているけど、うちは北米産材を使ったツーバイフォーで針葉樹の合版に囲まれている。日本はこれだけ木材資源があるのに、それを生かせずにここまで森が荒廃してきた流れは、変わっていくしかない。Iターンの友人たちの中には森林組合で仕事をしている人が何人もいる。大鹿村で仕事を考えたときにも林業はとても大事なので、しっかり勉強しなくては。
 帰宅後、夜のニュースで、JR東海がリニア中央新幹線の長野県以外の中間駅案を発表したとのことで、早速、JR東海のホームページをチェック。計画段階環境配慮書を全部印刷して、関係ありそうなところを拾い読み。これについては後日改めて書きます。
 
 

秋葉古道ウォーキング

2011年06月06日 | 田舎暮らし
 昨日は秋葉古道ウォーキング大会に参加。ここに書いたけど、こちらにも写真を何点か載せておきます。去年の秋は紅葉シーズンに青木谷の桃の平・深ヶ沢間を歩いたけど、今度は新緑の分杭峠方面。
 去年、土砂崩れが起きて通行止めになっていた手開沢から国道152号線を歩いて、北川露頭で休憩。


 分杭峠で昼食。温かい豚汁をいただいて、午後は国道から少し入った山道を歩く。


 川沿いの湿地にはクリンソウが咲き始めている。うちの近所のクリンソウとは、若干花の色が違って、ピンクが濃い。


 樹齢500年のサワラの大木「矢立木」。周囲の木よりひときわ高く真っすぐに伸びていて、なかなか全貌が1枚の写真に収まらない。


 この日の分杭峠は、日曜日の割にはそれほど大勢の人ではなく、気場のベンチも増えたような感じだったけど、まあまあ、みんな座るところがある程度だった。水場の方へ行く林道は通行止めになっていた(歩行者も)。そろそろブーム自体も落ち着いてきたのかな。

 今日は所用で、今度は152号線を安康露頭まで行ってきた。
桃の平の個人のお宅で植えているクリンソウもきれいに咲いていた。