7日付朝日新聞の声欄に、「都心の野宿者 過疎地担えば」というタイトルで、山梨県の遊休農地で都心の野宿者の人たちが野菜栽培を始めたり、荒れた里山の手入れを行ったという投稿が出ていた。以前から、都市のホームレスの人たちと過疎地をうまく結びつけることができたら、どちらにとってもいいんじゃないかなと思っていたので、実際にこういう試みが動きだしていることを、とてもうれしく思った。
投稿者は99年から都心の野宿者への食材支援をしているそうで、そのために佐久かどこかで農場もされていたと思う。たしか以前にもそのような記事を見たことがあった。その試みが定着して、広がっているのだろうと思う。
往々にして過疎地の人は、人口減を嘆きつつも、一方でどこのだれだか分からない人がたくさん入ってくるのは嫌う傾向がある(最近の物騒な世相を思えば、当然といえば当然だが)。空き家があっても、いつか戻ってくるかもしれないから、先祖のお墓があるからなど、さまざまな理由で、なかなか貸してもらえないことが多い。
畑だって、都会から来た人間は無農薬にこだわったりするから、十分手が回らなければ、結果的に害虫を呼んだり、草の種を周囲にまきちらしたりしかねない(畑状態にして除草を怠ると、遊休農地だったときとは別の種類の畑にとって厄介な雑草が出てくる)。空いているからといって、すんなり貸してもらえるなんてことは、ほとんどありえないことだと思う。
そう考えると、投稿者の試みが拡大してきたのは、本当に地元の人たちの信頼を得られるような地道な努力の積み重ねがあってのことだろうなと思う。ぜひ、この方たちの試みが良き先例となって、こうした過疎地と都心地との協働がもっと広がっていけばいいな。
長野県の北部地域では、この大雪に対して、ついに自衛隊が派遣された。
投稿者は99年から都心の野宿者への食材支援をしているそうで、そのために佐久かどこかで農場もされていたと思う。たしか以前にもそのような記事を見たことがあった。その試みが定着して、広がっているのだろうと思う。
往々にして過疎地の人は、人口減を嘆きつつも、一方でどこのだれだか分からない人がたくさん入ってくるのは嫌う傾向がある(最近の物騒な世相を思えば、当然といえば当然だが)。空き家があっても、いつか戻ってくるかもしれないから、先祖のお墓があるからなど、さまざまな理由で、なかなか貸してもらえないことが多い。
畑だって、都会から来た人間は無農薬にこだわったりするから、十分手が回らなければ、結果的に害虫を呼んだり、草の種を周囲にまきちらしたりしかねない(畑状態にして除草を怠ると、遊休農地だったときとは別の種類の畑にとって厄介な雑草が出てくる)。空いているからといって、すんなり貸してもらえるなんてことは、ほとんどありえないことだと思う。
そう考えると、投稿者の試みが拡大してきたのは、本当に地元の人たちの信頼を得られるような地道な努力の積み重ねがあってのことだろうなと思う。ぜひ、この方たちの試みが良き先例となって、こうした過疎地と都心地との協働がもっと広がっていけばいいな。
長野県の北部地域では、この大雪に対して、ついに自衛隊が派遣された。
素敵な試みですね。お互いが生きるのがいいね。ホント協働だね。広がることを切望します。
北海道時代を思い出して雪が懐かしい私ですが、暮らしていくのは生易しいものじゃない大雪ですね。
札幌の雪祭りの時も自衛隊は大活躍です。雪を運ぶだけじゃなく、安全に雪のお滑りを滑れるように小さい子をフォローしてくれたりもします。
美しい村からの発信を楽しみにしています。
寒さの折り、ご自愛くださいね。
この大雪による雪崩の危険で、北信の栄村の秋山郷というところでは、地区に通じる国道が通行止めになって、完全に孤立状態になったのだそうです。
雪の中に家が埋もれているような光景は、映像を見ると、すごいなと思いますが、なかなか実感として分からないですよね。でも、雪下ろしをしないと、家がつぶれてしまうとか、本当に山の上まで岩を運ぶシジフォスの神話のような世界ですね。雪もさらさらの粉雪なら、軽くて除雪も比較的楽ですが、家がつぶれるぐらいだから、本当に重たいのでしょうね。
こちらは、昨日の日中から、ちょっと寒さが和らいでいます。といっても、朝の外気温は氷点下10度以下ではありますが。
『朝日』に掲載された拙稿をお読みいただきありがとうございました。
“信州から野宿者の食を支える”として、都内で長期失業から路頭に迷う人たちの炊き出しに、食材を送り続ける活動を展開しています。
99年春、佐久市の支援者と2人で遊休農地を無償で借りてジャガイモづくりをはじめたことがきっかけです。当時は年間100万の予算を組んでコメ(古米)を買っていましたが、膨れ上がる配食数に予算はたちまちパンク。食材の一部を自家生産する代わりに、浮いた経費をコメの購入費に宛てようという苦しい台所事情がありました。
この試みが『信濃毎日新聞』地域版に紹介されるようになると、読者から余剰米や野菜の提供申し出が相次ぎました。換金作物の無償提供という予想もしなかった事態に驚くとともに、余剰農作物の処分に困る生産者が少なくないという地域事情を知ることができました。提供者の一人は余剰米収集の助っ人として、佐久市や小諸市、北佐久郡を引き受けてくれています。地元の人だけにどこに話をすればコメが集まるということを知っているんですね。本人が地元のJAにかけあって、農協が維持管理するコイン精米所に寄付を募るチラシを貼る事に快諾してもらいました。
野宿者自身が炊き出しの食材をつくりだすという構想は99年当時からありました。まずはわたしたちが地域でしっかり関係を築いてから実行に移そうという段取りに3年を費やしました。02年夏、当事者十人に当時小諸にあった畑でタマネギの収穫を手伝ってもらったことを最初に、以降毎年(04年を除く)農繁期は月一回の頻度で来てもらっています。彼らはふだん炊き出し現場を切り盛りしています。支援者が何でもお膳立てをするのではなく、社会復帰が容易にできるよう、当事者に責任を持たせた『仕事』を依頼しています。支援者は経費負担と調理器具、食材を提供するのみにとどめています。
昨年春、南アルプスのふもと・白州=山梨県北杜市=で野菜作りを再開しました。前年の04年は小諸の畑をふだん維持管理していた友人が長野市に転出。耕作を休止せざるを得ませんでした。白州に住む男性(74)が日常の管理を引き受けてくれると手を挙げたからです。私が信頼に足る人物かどうか、3年かけて見た上での判断だそうです。
7月中旬の豪雨被害は私たちの畑にも及びました。畑が冠水し、水が引く数日の間に土中のジャガイモが皆腐ってしまいました。収穫量は当初予想の800㌔がたったの12㌔です。しかし、気落ちしてもいられません。大根の種をまきました。今週末はさらに野沢菜、白菜の種をまきます。
当事者の就農という展望は持っていません。私一人で実務をこなしている関係で、そこまでやると身が持たないというのが正直なところです。すっかり心身を消耗させてしまった彼らに、心の癒しの提供ができただけで良しとしようと思うことにしています。
長文失礼致しました。
山谷農場 藤田 寛
リンク先を拝見して、
>「『食』より『職』を欲していたんだ。こういう機会を作ってもらってうれしい」「心が癒される」と好評です。
とのこと、本当にそうなんだろうなと思います。
いわゆる先住民族の人たちが、それまでの生活手段を奪われて居留地に押し込められて、政府の保護で暮らすようになって、アル中が増えたりする事情にも通じるように思いました。
大雨でジャガイモが腐ってしまったとのこと。
農業は自然の中での営みゆえに、思うようにいかないことも多々あって大変なこともまた事実ですよね。
大根や野沢菜、白菜が豊作でありますように。
お一人で実務をこなしていらっしゃるとのこと、それもまた大変なことかと思います。今の試みが今後とも継続し定着して、参加者、協力者ともじわじわと広がっていくことを願っております。
ありがとうございます。
信州で支援活動をうまく立ち上げることが出来たのは幸運だったと思っています。一緒に野菜作りを始めた友人は地域の教会の牧師で、併設保育園は地域から高い評価を受けています。余剰米の収集では「あの保育園の園長(牧師のこと)さんなら大丈夫だ」という安心感が提供者にあったことは容易に推察できます。『信濃毎日新聞』に紹介されたことも信用につながりました。 記事から県内各地のまち(むら)おこし団体とのつながりも生まれ、「援農」という仕掛けの提案も受けました。
茅野市の社会福祉協議会も記事が縁でした。01年から毎年秋から冬にかけて「ひとにぎりのお米」運動を同市はもとより諏訪地域全体で展開してくれています。困った時はお互いさまだからと、昨年は1000を超える住民が持ち寄ったコメは3㌧に達したそうです。
“信州から野宿者の食を支える”活動は休みなく続いています。
山谷農場 藤田 寛
こういう時代だからこそ、よけいに人と人との信頼関係を丁寧に築いていくことが大事だと思うし、そうした信頼関係によって実現していった試みに、希望を感じます。
ぜひ今後とも、良い方向に展開していきますように。