「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

立て続けの訃報

2008年12月26日 | その他
 冬至の日、「人間家族」というミニコミ誌を3代目編集発行人として月刊で出し続けるとともに、反原発やカウンターカルチャー、ネイティブアメリカン関係の本などを出版し続けてきた大築準さんが亡くなったという知らせが届いた。59歳。今月初めに、末期がんで入院しているという知らせを受けて、夫がお見舞いに行ってきたばかりだった。ちょうどその日、南アルプスフォーラムで山梨に行っていた夫は、そのまま南伊豆の大築家へ向かう。
 23日、大築さんのお通夜の日、今度は何とナナオが亡くなったという知らせが届く。85歳の大往生。世界中を旅して歩いた詩人サカキナナオは、ここ1年半ほど大鹿村の小渋川最上流の釜沢という集落の友人の所に滞在していた。(最近リニア新幹線の南アルプス貫通ルートで話題になっているところだ。ナナオは南アルプスにトンネルをぶち抜かれる姿なんて見たくなかったのだろうなと思った)。ナナオはこちらに来る前は、大築さんの関係で南伊豆に滞在していて、大築さんはナナオの詩集を2冊出版している。前日、ナナオは大築さんのお葬式に行かなくてはいけないと言って、どうやって行ったらいいかという話をしていたそうだ。大鹿村の山奥から伊豆半島の先端までの物理的距離を、肉体を離れることによって、一気に飛んでいってしまったのかもしれない。大築さんの弔いの場には、ナナオの祭壇も急きょ作られたと聞く。
 23日はちょうど自治会の会合もあって、ばたばたしていて、24日とにかくナナオの顔を見に行く。とても穏やかな顔をしていた。今ごろナナオのスピリットは「地球B」も超えて、宇宙の彼方まで自在に飛び回っているのかな。
 25日、今度はナナオのお別れ会が釜沢で開かれる。公共交通では来られない山奥の村に、しかも雨降りのあいにくの天気にもかかわらず、遠方からも大勢の仲間たちが駆け付けた。最初は知り合いのお坊さんが来てお経を上げてくれると聞いていたけど、来られなくなったとのことで、結果的にそうした宗教的なセレモニー一切なしの、乾杯で始まる賑やかなお別れパーティーだった。集まった人たちの服装も皆思い思いの格好。ナナオの詩に曲を付けて歌っているミュージシャンたちが歌い、イェルカがアメリカからのメッセージを読み、その中には5歳になるナナオの孫の詩もあった。(私は子どもの迎えのため早く帰ったのでその後の様子はあまり知らないが、次々歌あり、踊りありの賑やかな宴会だったとか)。
 昼間の雨は夜の間に雪に変わり、翌朝は辺りがうっすら白くなっていた(この26日朝の釜沢の風景は こちら )。そこから飯田市の斎場まで1時間半くらいの道のりを、十数台の車が連なっていく。いよいよ火葬になる直前の最後のお別れの時には思わず声を上げて泣く人もいて、昨夜はどんちゃん騒ぎをしていた人たちも皆しんみりとなる。待っている間、またナナオの詩を読んだり、あと宮崎さゆりさんがナナオに捧げる詩を読んでくれた。
 ナナオの骨は量も多く、真っ白でとてもしっかりしていて、最後の最後、骨になってまで、集まったみんなを感嘆させたナナオであった。しっかりときれいな形で残ったのどぼとけの骨を大勢の人が携帯で写真に撮っていた。ナナオは太平洋に散骨してほしいと言っていたという話もあるそうだが、取りあえず二つの骨壺に収めた分は釜沢に持ち帰り、四十九日までは置いておくとのこと。そのほか、何人もの人が分骨して持ち帰った。それぞれの人がナナオとの思い出のある場所に散骨をされるのだろう。

 それにしても、ナナオの追悼を、本来ならまずは大築さんが「人間家族」でやったろうにと思う。スタジオリーフは大築さんがほとんど一人でやっていたので、もちろん「人間家族」も夏に出たきりになっているし、それこそナナオの詩集なども注文できるような状態ではなくなっているようだ。誰か「人間家族」を引き継ぐ人はいないものかな。せめて、中途で休刊状態になっているものについて、終刊号だけでもきちんと出せたらいいのに。
 
追記:「人間家族」でなければ、「名前のない新聞」しかないだろうと夫と話していたら、早速アパッチさんが「ナナオの足あと(追悼掲示板)」を立ち上げてくれた。「名前のない新聞」3月号もナナオの追悼特集だそうです。(amanakuni blogより)

冬至

2008年12月21日 | 田舎暮らし
 今日は冬至で、今年もあと10日ほど残すのみとなった。昨日、ゆずも買ってきたし、うちの畑で穫れたカボチャも残してある。今年はかなり早い時期に初雪が降ったかと思うと、その後暖かくなったり、寒暖の振れ幅がすごく大きいけど、平均すれば、今のところはやはり暖かめといえるのだろう。今朝は外気温もプラスで霜もなく、午後からは雨の予報。去年の冬至も雨だった。スキー場に雪がないという記事も出ていたけど、この先はどうなるか(取りあえず、この雨の後はまた冷え込みそうな予報)。

 特に寒冷地に住んでいると、寒いより暖かい方が過ごしやすいし、雪が少ないのだって、スキー場にとっては死活問題だけど、一般の生活者には少ない方が楽なので、「温暖化」という言い方は、地球環境問題の深刻さを伝えるのに、やはり適切な言葉とは思えない。二酸化炭素の排出量を減らさなくてはいけないと言われながら、減らすどころか増え続けているのも、一つには「地球温暖化」という言い方では危機意識を十分に喚起できないせいじゃないかとも思えてしまう(というより、地球環境問題を矮小化し、あたかも二酸化炭素が最大の問題であるかのごとき錯覚を与えているとも言ってもいい。何せ二酸化炭素削減のために原発推進とか、どう考えても地球環境の将来を考えたらおかしいことがまかり通っている)。
 とはいえ、これだけ不況になると、当然みんな無駄な出費は控えるだろうから、まず確実にエネルギー消費は減るだろうなと思う。そうなると、地球環境のためには不況も悪くないのかもしれないが、一方で派遣切りや内定取り消しなどのニュースを聞くと、そんな甘いことを言ってられる事態でもない。
 こういうニュースを聞くたびにいつも思うのは、不況で厳しいときこそ、まず雇用は確保すべきじゃないかということだ。平均的な日本人は世界水準から見れば圧倒的にリッチなのだから、ボーナスカットなり、高い給料は減らしてでも、あるいはワークシェアリングなどを取り入れて、何とか人を切らない方策は取れないものかと思う。雇用の確保こそ、企業の最大の社会的責任ではないのか。この寒空に社員寮も追い出そうなんて、本当に血も涙もあったもんじゃない。地方自治体レベルで救済に乗り出しているところが出てきているけど、国も能がない一律の定額給付金なんかより、こういうことにお金を重点的に使うべきなんじゃないかと思うのだが・・・。

つい先日聞いた数字。世界の栄養不良人口は8億5000万人で、年間400万人増加しているとか。一方、栄養過剰人口は13億人。日本の食料廃棄量は220万トン。

浜岡原発1・2号機廃炉

2008年12月14日 | 脱原発
中部電力、浜岡原発2基廃炉へ 耐震工事費かさみ(朝日新聞) - goo ニュース

遅すぎるぐらいだとは思うけど、これはやはり裁判をずっとやってきたことの成果だろうと思うと、まずは単純に嬉しい。大体1号機は2001年から、2号機は2004年からずっと止まっているのだし、このまま廃炉にしても、エネルギー供給にも何の問題もない。もう運転開始から30年以上たっている老朽化した原発だ(当初、原発の耐用年数は30年といわれていた)。1000ガルにも耐えるとかいう耐震改修工事にさらに巨額のお金を費やすことなど即刻やめてしまった方がいい。中電だって、本音としては1・2号機はあまり動かしたくないんじゃないかと思っていたけど、やはりそうだったかという感じ。検討中とのことだけど、ぜひこのまま廃炉にしてほしい。

あらためて、地震工学の最新の知見や、中越沖地震で柏崎刈羽原発があれだけ壊れたことをも無視した一審判決のむちゃくちゃぶりもよく分かる。

東海地震がいつ起こってもおかしくないと指摘されて30年以上たち、東海単独でなく、東南海地震と連動して起こる可能性が高いのではないかといわれている。その場合、当然ながら東海単独で起こる場合よりも、さらに巨大な地震になる(特に揺れの継続時間が長くなる)。1・2号機を廃炉にして、新たに6号機を造ることを検討しているとのことだが、新設もとんでもないことだと思う。その場合、ほぼ間違いなくこの巨大な東海・東南海地震に遭遇することになる。そもそも大規模なプレート境界型の地震が周期的に起こることが分かっているこの場所に原発を造ること自体が明らかに不適切なのだから、何とか一つずつ廃炉にしていく方向に行ってほしいものだと思う。

この冬一番の冷え込み

2008年12月07日 | 田舎暮らし
 ややしおれかかっていたgremzくんは、昨日のエントリーで何とか元気を取り戻してくれた。さらに環境キーワードを使うと特別な効果が現れるとのことで、鳥が飛んできてくれた。なるほど、これは楽しい。

 昨日の夕方の市町村別天気予報で、今日の朝6時の予報がマイナス7度だった。
夜練る前に既にマイナス7度だったので、朝起きたら一体何度になっているのかと思いつつ、この冬初めて、ちゃんと湯沸かし器の水抜きをしてから寝る。
 朝6時、快晴。玄関の外側の温度計をチェックしたら、マイナス8度だった。朝方さらにぐんと冷え込むというほどのことはなかったようだけど、やはりこの冬一番の冷え込み。水道のメーターボックス内にまだ保温用の発泡スチロール等何も入れていなかったので、ちょっと心配だったけど、無事だった。メーターボックスは今まで何回か凍ったことがあって、今年の夏に水道工事をしてもらったとき、以前のものより少し深めの寒冷地仕様の物に交換してもらってある。これで凍らなくなるといいのだけど。
 子どもを伊那大島駅に送って、帰路7時45分、小渋線入り口の電光掲示板ではマイナス6度だった。天竜橋で中央アルプスの写真を数枚撮っている間にも手がかじかんでくる。こんな寒い朝にも小渋ダム付近には何台も車が止まっている。釣り客らしいけど、よくこんな寒いときにと思う。
 日中はよく晴れて暖かくなり、午後からは自治会の道普請で側溝掃除だったけれど、日陰はがちがちに凍っていて、スコップが立たなかった。ちょっと例年より遅かったし、ちょうど一番冷え込んだ日になってしまったので仕方ない。


(今朝の天竜川と中央アルプス)

省エネ意識

2008年12月06日 | 自然・環境
 このところ多忙で更新が滞っていたら、何となくgremzくんの木がしおれてきたような気がするので、取りあえず何か書いておかなくて。
 今ポーランドのボズナニではCOP14(気候変動枠組条約締約国会議)が開かれているけど、日本では不況の話や政局の話ばかりで、新聞にもあまり載ってない。京都議定書の関係では、2012年までに1990年比で6%CO2を削減しなくてはいけないことになっているのに、削減どころか増えているのが現状で、排出権取引だの何だの、いろんな京都メカニズムといわれるものを駆使したとしても、7%だったか何だったか削減しなくてはいけないらしい。産業部門では省エネが進んでいるので、CO2の排出は増えていないけど、運輸部門と民生部門で増えていて、運輸も頭打ちになってきている中、民生部門とサービス部門で相変わらず増え続けているのだとか。
 そこのところで、先日聞いた話だけど、どこかの研究所が省エネ意識の有無が実際のエネルギー消費にどのくらい影響するかということを調べたそうだ。いろいろな省エネ行動を心掛けている世帯と、無頓着な世帯、平均的な世帯と分けて、そのエネルギー消費量を比較すると、省エネ世帯は平均世帯よりも2割少なく、無頓着な世帯は平均世帯より3割多いらしい。自分一人やったって何も変わらないと思う人も世の中には少なくないと思うけど、実は意識の力はかなり大きいのだと改めて思った。
 ヨーロッパの方では閉店法というのがあって、夜は店を閉めなくてはいけない国もあるらしい。コンビニを規制すべきだという話が時々浮上したりするけど、いよいよCO2排出を減らせないとなったら、そういうことにもなるかもしれない(うちの村にコンビニはないから関係ないが)。上からの規制でそういうことになるより、自分たちの意識変革で物事を変えていける方がずっといい。