日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

宿題をちゃんとしてきた人

2020-11-14 | リブレリア
あなたは何を手がかりに一冊の本を選ぶのだろう。
作者、タイトル、表紙、解説、あらすじ。
自分の本と呼べる一冊に辿り着くのに、膨大な数がありすぎるけど、宝探し、砂浜の砂の一粒にたどりつく醍醐味を考えればそれもまた趣であろ。

電車の中で今朝のあたしの背中を押し、つまらない日々もまんざら悪くはないと思わせる一編にであう。
そしてああ、やっぱり、この人はちゃんと宿題をしている人だと思い、自分もそういう人になりたいし、なるための今日だと思う。




この本をはじめ、彼女の書く一連のストーリーを読みながら思うのが、何とまあ、真っ当な旅人であるかということだ。希有と言っていいほどの、真っ当な旅人。

中略

中村さんは処女作でもある旅の本『インパラの朝』で開高健賞を受けている。
それで思い出したのだが、文豪開高健の文庫、『夏の闇』の解説でCWニコル氏が、母国のウェールズではこんな言葉があると書いていた。
「宿題をちゃんとしてきた男」
そして開高さんがそうだった、と続くのである。それぞれの時代でやるべきこと、経験すべきことをちゃんとやって年を重ねている人物という意味合いだろうと思われる話である。男であれ、女であれ。

当たり前のようでこれはなかなか大変なことである。
もとより、ふつうの日常を積み重ねて、出来る「宿題」もあるとは思う。だが、極論と思われるかもしれないが、生きるか死ぬかのような極限状態、非日常の極地を経た(そのような宿題をした)上での自然体、優しさ、迫力みたいなものである。ニコルさんがいうのは、そんなことではないかと思う。
そして、中村さの文章に、そのような「ちゃんと宿題をしてきた」ということを感じた。凛とした人物をかんじさせる文章。文は人であると改めて思う。
「私は、自宅のテレビから得られる膨大は知識よりも、旅で得られるわずかな手触りにこそ真実があると考えています。(中略)さあ、旅にでよう。世界を楽しもう」
この本なかにある、ネットで知り合ったルーマニアの少女に向けて書いたというメールの一文である。足すこともない。この一文に彼女の旅が表象されている。

『食べる。』
集英社文庫 中村亜希著
引用は森枝卓士の解説から。

この解説が旅の本質をそして、中村亜希のすごさをまさに端的に「解説」をしていたのだった。
本来なら本文を紹介すべきであろうそれをしなかったのはあたしにとって二冊目の中村亜希本を読んでいてこの解説をおもいだしたからだ。


彼女の著作は読んでいくうちに、なんと硬派にそして楽しげに旅をするのかと羨ましくもあり、その胆力、度胸と気力に羨望と畏怖を感じさせる。
女一人旅。
ここまで淡々と爽やかに旅ができることの凄さに感動すら覚えるのだ。
自分の旅と比べてなんとバランスの良いことか。
騙し騙され、信じて人の機微に触れやっぱり旅は人なりと思えるかどうか。
ああ、とてもステキな一冊に出会ったと解説を読めば、オマケの解説すら極上の文章であったのだ。

そして今朝の手元の一冊。
中村亜希著『もてなしとごちそう』




どれも文字通り味わい深い文章である。
彼女の文章はちゃんと五臓六腑に沁み渡る。
消化不良をおこさない文章といってもいい。
地味滋養
臓器のひだに何かが流れ込んでくる今朝の一編。
森枝卓二の解説を思い出させるほどの一編。


ヒン
九年越しの食卓ーミャンマー


この章にでてくる「スーチー」とはまさにあのアウンサンスーチー女史のことであるはずなのに、それ以上の意味を持って語られている。
タイトルの通りでいえばメインはヒン、ミャンマーのご飯のおかずの総称であったはず。
なのにそれはあくまでも脇役で「スーチー」と言葉を交わす友人との話である。
ごちそう(ここではヒンのこと)よりやはりヒンをもてなす彼女ともてなされる彼女の話なのである。
ごちそうともてなしでなく、もてなしとごちそうの話。

もう、朝からいろんなものがつまってつまって、思わず上を見上げる。
何かがこぼれ落ちそうで、冒頭の文章を思い出したのだ。
ああ、著者はちゃんと宿題をしてきた人なのだと。




こんな友人に出会うには、もてなす側の真摯さも必要であるが、それを引き出すための魅力を中村亜希という人物がちゃんと持っていたということだ。
旅で一期一会の出会いすら貴重なのに、そこを軽々と超えてまた会いに来たよといえる関係を築けるということ。
毎日、顔を合わせる人とですら友人関係をつくるのは難しいのに(毎日だから余計に難しいのかもしれないけど)通りすがりの一時で友人とも呼べるべき人を得るということは奇跡ともいうべき出会いではなかろうか。
お互いがお互いを思いやり合うということの難しさを、日常を生きるあたしたちはちゃんと知っているはずだ。
そこを軽々と、気負いなくすることの難しさも。
だからこそ彼女の人間力の高さに裏打ちされた文章は朝のあたしに天を仰がせるし、宿題をちゃんとしてきた人ということを思い出させる。
自分は彼女ようにヒンを食べ、ミャンマーの友人のことを思えるかと考えながら、いま一度、この話を読み返す。

日常でこそ、中村亜希の人間としての軽やかさを見習いたいものである。
こういう人間力で人間関係を作れたらすごいことだと思う。
いつかあたしも「宿題をちゃんとしてきた女」と評されたいものだ。
旅が遠い日常のそんな朝に思う事。