日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

with マスクの世界

2020-11-05 | Weblog
マスク姿がスタンダードになった昨今。
だれがこんな未来を予想しただろうか。
手塚治虫も星新一ですら想像できなかった世界が現実のものとなっている。
より感染力がつよく強力なウィルスが出現して、蔓延することの恐ろしさはハリウッド映画の中でだけよい。
この手の作品はひとつのジャンルとして確立している娯楽のはずが、ぞわりぞわりと現実を侵食するから、さらなる恐怖をかきたてるものになってしまった。

さて、マスク。
業績の悪かったアパレル業界をすくうもの
ついにルイヴィトンも10万円のフェイスシールドを発売してきたよ。



シュッとカッコつけてる場合じゃないけど。

マスクが必需品ともなればピンからキリ、松竹梅の品揃えは当たり前でそれぞれの好みに応じた選択肢が増えるのもー当たり前の経済構造。
黒いマスクも普通、カラフルなマスクも違和感なし。
黒いマスクはロックな人がつけるものという偏見もなくなり、カラフルなマスクは中華圏のものという固定観念もなくなったところで、やっぱり白いサージカルマスクをつけている。

目も覚めるような派手なアクセサリーに違和感がないのになぜにマスクは無難一辺倒なのかと自分に問えば、それはきっとマスクが嫌いの一言で片付くような気がしている。

自分のためにつけているとは思えないマスク。
他人を守り、医療を守るためのマスク。
万が一のときに人にうつさない、感染をひろめないためのもの、そして心の奥底では世間体。
誤解を恐れずにいうならば、マスクをするのが社会生活をおくるうえでのルールとなっているからマスクをしているという人が圧倒的多数に違いない。
自分もそうだけどマスクが大前提で、電車で街中でマスクをしていない人をみるとちょっと驚くし、不安になる。
マスクをしていなくても大丈夫な人がほとんどであろうに。
公共の場でマスクをせずに話すなんてもってのほかという社会上の同意と総意。
それを「予防策」と呼ぶのだろう。

自分の為でないマスクはサージカルマスクで十分ではあるが、メイクを楽しめない、おしゃれを邪魔するマスクを逆手にとって、マスクをファッションとして楽しむというのも自然な流れ。

でも、個人的にファッショナブルなマスクはサングラスのような気恥ずかしさを感じてしまう。

サングラスさえかけてしまえばカッコイイ・おしゃれ上級者ともいうべきやってやった感。
一番目につく場所に自分の嗜好をさらけだす気恥ずかしさ。
サングラスごとき気負わずにかけられる人は黒いマスクも柄物マスクもなんともおもわないだろうけどさ

お手本にしたいマスク姿










目標は高く、現実は棚に上げて


わたしにマスクを楽しめる日はくるのだろうか。
いや、その前にはやく収束してほしいこの状況。



ここまでやればマスクをファッションとしてといえるだろうけど。

欲しいもの、買えるもの。
頑張って背伸びしてここまでが限界




これくらいはいける?






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