日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

夢のまた夢

2006-03-19 | Weblog

将来、○○になりたいというような夢っていつまで持ってました?
あたしなんてそんな夢もってたかどうか忘れちゃいましたよ。

今日は相方の同僚が所属してる吹奏楽のオーケストラの定期発表会でした。
そのオーケストラが人数少ないときから、見に行かせてもらっておりました。
初めの頃はあんまし上手くなかったし、観客もパラパラだったのが、年々、上手くなりいまでは観客動員数もたいそうなものとなりました。
チケット代払っても見に行く価値がでてきたし、今では逆に楽しみなイベントの一つとなっています。
吹奏楽のオーケストラが年々、上手になっていく様は感慨深いものすら感じます。
団員も増え、音の厚みが増し、さらには技術も上がっていく。
そうすると音楽から感動がうまれるのです。
あたしには音楽の才能と経験はないけど、いいなあと思う。
あたしも楽器なんかやりたいなと心から思います。
やっぱ音楽はいいよね。

この演奏会をいっしょ見た方は吹奏楽経験者でした。
なんの経験もないあたしですら音楽やりたいなとおもうんだから経験者なんてなおさらそういうふうに思うんじゃなかろうか??

その人は昔の若い頃に戻れるならもう一度音楽をやりたいと言ってました。
将来こうしたい、こうなりたいって夢はいつからなくしてしまうのでしょう。

小学生の頃は間違いなく持ってたはず・・
そして社会人10年目になるとそろそろあやしくなってくるよね。
音楽で人生を楽しみ、生きていきたいと思っていた気持ちは夢はどこに置いてきてしまったんだろう。

うちの弟が就職活動で行き詰ったときに相方に投げかけた疑問がありました。
「いつまで自分探しをすればいいのか?」と・・・

相方の答えが思いのほか印象的でした。
「自分に間違いないものがあるのならそれを追っていく価値があるだろう。だけど自分自身についていえばそんなものはないから自分探しなんて考えもしなかった。」というような事を言ったのです。

この言葉は深いね。
自分について過小評価する必要はないけど、過大評価をしてしまうとこんなはずではなかったとか、こんな仕事じゃつまんないとか・・考えてしまう。
かといってそれだけの力や技量があれば自ずと評価はさせるだろうし、努力もおしまないのだろう。

いい年して自分探しみたいな事を言ってる人ってだいたい大したことない人が多いように感じます。
努力もしてないしさ・・・
かくいうあたしも努力してない人間なので現実に対して文句は一切言う事が出来ないわけです。

そうかんがえると夢なんていまさらねとも思うし、現実に満足してはいけないという危機感も生まれてくる。

夢のまた夢であっても純粋な子供のように○○になりたいという思いも捨ててはいけないのだろう。
但し、その頃と違って将来という残された時間が少ないだけにはやく結果を出す事を求めらる訳です。

自分探しをしている方々
自分に残された時間と持っている資質を見極めないとほんと無駄な時間をあがく事になるんだと思います。
もちろんあたしを含め多少なりとも野心があるのなら、地に足ついた地道な人生設計が必要なんだなとも思います。

音楽を聴いて人生の指針について考える一時となりました。



 

コメント
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