原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「科学哲学」 小講座 Ⅰ

2020年05月26日 | 自己実現
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「科学哲学」の第一回目の授業より転載したもの。 字が綺麗なのは、大学入学直後頃の授業だったため、授業中のメモ書きを自宅で清書していた故だ。)


       


 我が2度目の大学にて一番インパクトを受けたのは、実は専攻分野では無いこの「科学哲学」だった。
 
 我が2度目の大学入学の第一の真の目的は、まさに「学問を徹底的にやる!」 ことだった。
 と言うのも、既に医学分野ではある程度の実績を積んで来ていた。
 もしも2度目の大学(大学院)修了後に職が無くとも、十分に医学の世界で食っていける!との自負があった。 (実際、大学長期休暇中には医学専門分野の人材派遣にて“高給”を稼いでいた。 加えて高齢出産にて我が子を授かった後に、再び医学基礎研究の職に就いた時期もある。)
 それ故に“就職(食い扶持)のため”ではなく、純粋に再び“学問をやる”ことを優先することが叶ったのだ。

 この「科学哲学」だが、月曜日の第1校時の授業だった。
 我が記憶によると、入学後一番最初に受けたのがこの授業だったように思う。

 大教室に入ると、学生がまばらだ。 (5,6人だっただろうか?)
 前から2番目くらいの席に座って、W先生の授業に集中した。
 どうやら、このW先生は哲学者ウィトゲンシュタインとプラトンの崇拝者のご様子だった。 (後のプラトンの授業で私はプラトンにはまり、我が娘の命名は迷い無くプラトン哲学より引用した。)



 このW先生に関して、私は「原左都子エッセイ集」 2009.01.26付 「偉大なる哲学者の“遺産”」と題するエッセイにて取り上げさせて頂いているため、それの一部とこのエッセイに頂戴したコメントを以下に引用させていただこう。

 
 ウィトゲンシュタインと言えば、20世紀を代表する哲学者の一人である。
 私は残念ながらウィトゲンシュタインの著作を一冊も紐解いておらず、その業績に未だ触れずにいる。 そんな私ではあるが、哲学者ウィトゲンシュタインの名前は私の脳裏に鮮明に刻み込まれている。

 それには理由がある。
 30歳代での再びの学生時代に、私は当時の自分の専門ではなかった哲学にはまり、卒業認定単位とは関係なく哲学の授業を何本もはしごしたのだが、その中で一番没頭したのが「科学哲学」であった。
 この「科学哲学」の授業に大いにインパクトを受けた私は、担当講師(他大学の教授でいらっしゃったが、我が大学には講師で来られていた)の先生を密かに尊敬申し上げた。 そして、この先生の追っかけをして「科学哲学」を2年に渡って2度(単位取得後の再受講は原則禁止のため2度目は“隠れ受講”だったのだが)と、同先生による「自然科学概論」を受講したのである。
 (私が最初に「科学哲学」にはまったのは、おそらく元々理系で医学関係の職業経験があったというバックグラウンドも大きいと思われるが。)
 
 この先生をここではw先生としておこう。 このw先生というのが、とにかく“哲学者”そのものでいらっしゃるのだ。 浮世離れしているというのか、冗談のひとつも出ないどころか、無駄口の一切ない授業で口を開けば哲学なのである。 そのためか学生には滅法不人気のようで、大教室にいつも受講生が5,6名程しかいない。 最初の頃は訳がわからないまま授業に出ていた私であるが、そのうちW先生の哲学の世界にどんどんと引きずり込まれていった。
 
 このW先生の授業が、これまた唐突だ。いきなり英文の哲学論文のコピーを受講生に配布する。 そして、前方に座っている私に「じゃあ、あなた、ちょっと訳して下さい。」と来るのだ。 哲学専門用語はてんで分からないし、辞書も持ち合わせていない。 四苦八苦しながらしどろもどろ日本語に訳していると、専門用語に関しては先生が手伝って下さりながら、私は何とかプラトンに関する論文を訳した記憶がある。 こういう授業の唐突さも不人気で、さらにだんだんと受講者が減っていき、結局最後まで残ったのは私を含めて3、4人だったように思う…。 学生の人気におんぶしたがる大学教員も多い中で、W先生はそういうことには我関せずで、相変わらず哲学者でいらっしゃる。これがまた魅力的なのだ。

 なぜ、ウィトゲンシュタインの名が私の脳裏から離れないのか。 それは、上記のごとくご自身が哲学者でいらっしゃるW先生が授業中におっしゃった一言によるものだ。
 「古代より現代まで世界中に多くの偉大な哲学者が存在するが、その中でも私が特に影響を受け、偉大と考える哲学者は“プラトン”と“ウィトゲンシュタイン”です。」と明言されたのである。
 後に私が、我が子の名前をプラトンから引用するに至るほどプラトンにはまり、また一昨年の夏にプラトンが創設したアカデメイアを訪れるためにギリシャまで旅立ったのは、W先生の影響力に他ならない。

 一方で、ウィトゲンシュタインもいつかは紐解きたいと思いつつ、未だ実現していない。
 そうしたところ、先だっての1月18日(日)の朝日新聞日曜版別刷り「奇想遺産」のコラムにウィトゲンシュタインが取り上げられていて、久々にW先生のことを思い出した、といういきさつである。
 この朝日新聞記事に目を通すと、偉大な哲学者ウィトゲンシュタインの横顔を垣間見る事ができ興味深い。
 “ウィトゲンシュタイン・ハウス 大哲学者癒した「建築療法」”と題する記事の一部を以下に要約してみよう。
 ウィトゲンシュタインの人生は2期にわかれる。極限まで論理の抽象化を進めて、数学のようにかわいてスカスカな印象を与える『論理哲学論考』は、哲学の歴史を変えた本と今では言われる。しかし、時代の先を行き過ぎて誰からも理解されない。
 厳密な彼が建築デザインしたウィトゲンシュタイン・ハウスは物の寸法からディテールまで異様なほどに整理されている。彼は2年間この家の設計と工事に没頭することにより人間が変わった。後期は普遍的な厳密さより、多様なコミュニケーションを大切にする人間的なものとなった。箱庭を作って患者をなおし、いやすという箱庭療法というメリットがあるが、これは大哲学者の「建築療法」であった。大哲学者ともなると箱庭療法の結果さえ、歴史に残った。

 以上の朝日新聞の記事を読むと、私が尊敬申し上げるW先生は、もしかしたら前期のウィトゲンシュタインの影響を大きく受けているのではないかと、私には見受けられる。 何やら、前期のウィトゲンシュタインとW先生に共通点があるように感じられるためだ。 そして私も、哲学の本髄とは極限まで論理の抽象化を進めることにあるようにも感じる。

 いや~~、それにしても、ウィトゲンシュタインといいW先生といい、真に偉大な学者というのは一見変人のように見えても、必ずや後世に影響力という遺産を残せる普遍の存在であるものだ。 


Comments (4) 

哲学か~ (ドカドン)2009-01-26 21:39:34
哲学は、難しい。
でも、物事をたやすくして、多くの人に教えるのも、いい様に思う。大衆に向けて、発信する時、心がけるのは読み易さ・・・。
哲学の世界は「極み」の郡に属し、大衆「文学」とは、あいまみれないのじゃないのかな?
学者すごい、でも浮世にまみれないと、大衆の心を引き付ける物を生み出す事が、しんどいのかもしれないね?

ドカドンさん、哲学と出会って人生観が変わった私です。 (原左都子)2009-01-27 10:16:06
哲学は確かに難解です。
現在では、大衆が読みやすいように書かれた哲学書も増えていますが、それでも“哲学的感覚”を持ち合わせていない人々にとっては、やはり難解な学問であろうと思います。
確かに哲学は「極み」の郡に属するのかもしれません。
偉そうな事を言っている私だって、実は読みこなせないです。
ただ、一時期哲学にはまって“哲学的感覚”を持てたことにより、私の人生観が大きく変化したことは事実です。
哲学と出会う前までの自分の薄っぺらさを痛感させられました。哲学の思考の深さに感銘を受け、事象の多面性、多様性に気付かされることにより、人間性が豊かになり、浮世で生きていくことが数倍楽しくなった私です。

素晴らしい遺産に触れられたのですね。 (ガイア)2009-01-27 13:47:08
ウィトゲンシュタインと言う哲学者は名前だけは知っています。オーストリアのウイーンの出身すね。シュタイン或いはシュテインと言う名前は多いですね。哲学の世界に疎い私ですから、読んでいませんが。
A先生が学生に不人気だったそうですが、受講生の多い、少ないに関わらず授業を続けるところが魅力的ですね。大学の講義は本来その様なものだと思います。学生の人気を気にしている大学教員なんて本物ではありませんね。
W先生が浮世離れされた哲学者であられることが、先生の醸しだす人間としての魅力であり、最後まで残った学生はそれを感じていた、分かっていたのだと思います。
受講中には難しい、難解だと思っていた先生の講義が卒業後の後年にある切っ掛けによって思い起こされ、なるほど、そうだったのか、と思う事が私にも屡あります。
例えば私の場合、それは文学の講義に於ける太宰治の世界であったり、造型理論の講義に於けるカンディンスキーや映像の講義に於けるエイゼンシュタインの世界であったりします。
確りと勉強はしませんでしたが、卒業後デザインの現場で思い出し、真面目に勉強をしなければ、と思いました。
私たちは様々な領域に於いて、何らかの形(例えば講義を通して哲学の)で過去の偉大な遺産を受け継いで来ているのですね。
何かを切っ掛けに学生時代の講義を思い出し、偉大な遺産を再認識する事は、今後を生きる上でのヒントになります。その様な意味に於いて、原さんのこのエッセイを楽しく有意義に拝読しました。

ガイアさん、そうなんです! (原左都子)2009-01-28 16:17:59
W先生との出会いは、私にとりまして本当に運命的だったと思えます。(と申しましても、あちらは私のことは憶えていらっしゃらないでしょうが。)
私の若かりし頃を振り返りますと、結果としてはある程度の実りある人生を歩めていたようにも思えます。ですがその実態は、ごく一部の偏った知識の下での自己の快楽と都合の良い結果ばかりを優先していたように今は感じます。
ですが、W先生との出会いは私の根本を揺さぶってくれたように思えます。
哲学者でいらっしゃるW先生の授業は本当にインパクトがありました。
難解ではあるのですが、ほとんど聞く耳を持たない私のような人間にも訴える力があるということこそ、真の学者であるとの印象を持たせていただけました。
ガイアさんには、その辺の私の思いを理解して頂けると思っておりましたが、やはり思い通りのコメントを頂き、何だかとても安心致している私です。
我々は、過去の賢人の偉大な遺産を受け継ぐ能力を育み、それを後世に伝える努力も怠るべきではないと再確認致しました。
 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーの一部と頂いたコメントを引用したもの。)


 つい先程、このW先生に関しウィキペディアにて調べたところ、 何と! 2018年に71歳の若さで他界されているではないか!
 誠に惜しい“天才人材”を亡くしたものだと、意気消沈……

この記事についてブログを書く
« 左都子の「法学概論」 小講座 Ⅷ | TOP | 左都子の「科学哲学」 小講座 Ⅱ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 自己実現