連休明けまでの「全国緊急事態宣言」後の“延長”調整が未だ国民に発表される段階に至っていないが。
本エッセイ集に於いて既に取り上げた「学校9月始業制」導入(原左都子自身は基本的に導入反対派であることは述べているが。)に関して、現在有識者(??)達の間で喧々囂々と意見交換がなされ始めている様子だ。
その中で、我が思考に近い見解を先程ネット上にて発見したため、以下にそれを引用しよう。
(参考だが、豊田真由子氏ご本人については、“良き印象”を抱かせて頂いていない事をあらかじめ明記しておく。)
豊田真由子氏、9月始業は「課題を先送りにしてるに過ぎない」反対姿勢示す
元衆議院議員の豊田真由子氏が30日、テレビ放送内で、にわかに論議が高まってきた学校9月始業制について、「課題を先送りにしているに過ぎない」と反対の姿勢を示した。
番組では9月始業について、全国知事会でも話し合われたことなどを議論。 コメンテーターとして出演した豊田氏は、9月始業は「すごく一番深刻な問題にふたをして、課題を先送りにしているに過ぎない」とバッサリ。
その理由について「9月に始めれば、学力格差を正せるというのは私は全く違うと思っていて」と切り出し、すでに国内でも私学の一部などはオンライン授業などを行っていることを挙げ「諸外国では当たり前のように双方向オンライン授業、課題を出してチェックしてっていうように、通常と同じレベルではないにしろ、毎日毎日子供は学習してます。進んじゃってます」とコメント。
勉強を進めている生徒と、進めていない生徒との差について、9月始業にした場合「こっちが進んでいるから、じゃあなしにして、こっからやらせようととは、ますます差が開くだけ」と、すでに勉強していた子と、していない子の差はなくならないと指摘。
9月始業を話し合うよりも「実際、今できることを、可能なことを最大限やることに注力すべきであって、9月にすれば解決するというのは違う」と、オンライン授業の整備など、他にするべきことがある強い口調で訴えていた。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
本エッセイ集数本前のバックナンバーにて、この問題に関連する原左都子の私事を語っているため、その部分を以下に引用させていただこう。
我が家など娘幼少時より、母親の私がサリバンをずっとやり遂げている家庭である。
そんな我が家に於いては、たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えたほうがよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。 (もちろん、集団生活を経験させ社会性を身につけさせるとの意味合いで、学校との場が役立ったとも言えるのだが。 反面、いじめに遭い転校を余儀なくされる等々、大変な思いをさせられ続けたものだ…)
そんな我が家に於いては、たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えたほうがよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。 (もちろん、集団生活を経験させ社会性を身につけさせるとの意味合いで、学校との場が役立ったとも言えるのだが。 反面、いじめに遭い転校を余儀なくされる等々、大変な思いをさせられ続けたものだ…)
(以上、バックナンバーより一部を引用したもの。)
我が娘の場合、生まれ持っての事情により私が「サリバン」をせずして成り立たない家庭だった、との特異的要件もあろう。
実際、大変な思いをして来ている。
特に娘の年齢が低い頃程、私が「サリバン業」に費やす時間と労力負担が大きかった。 ただ、我が長き学業経験や教職経験及び医学専門職経験が大いに活きたものだ。 その意味で我が家は“恵まれて”いたとも言えるだろう。
たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ娘を中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えた方がよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。
そんな我が家がもしも“新型コロナウィルス騒動”に巻き込まれ休校に直面したとしても、何ら不都合も無いどころか、娘とのマンツーマン教育が悠然と叶った気さえする。
もしも突如と「9月始業制」を告げられたとすれば、我が家にとっては半年間のサリバン業が“二度手間”でしかなく、大いなる迷惑感のみが募った事だろう。
ただ、現に「休校」を課せられている児童・生徒達及びその家庭が被っている“不安感”の程は計り知れないのが世の実情であろう。
上記引用情報内にも記されている通り、「コロナ騒動によりもたらされた教育格差拡大の是正」の問題は見過ごせない。 今後の子ども達の学力差の程が末恐ろしいまでに拡大してしまっている事実は想像可能だ。
そうだとして、最後に原左都子の私論だが。
だからと言って突如と「学校9月始業制」に持ち込むには、医学的側面からの考察が完全に抜け落ちている点も指摘したい。
「学校9月始業制」支持論者達とは、“新型コロナウィルス騒動”が9月までに「収束(終息)」に至っていると信じてのご発言なのだろうか?
そうであるのならば、「8月までにコロナ完全収束」の根拠を明瞭に提示して欲しいものだ!
我が私論としては、決してその結論には至らない。 むしろ、2020東京五輪の来年夏開催も危ぶまれるのではないか?? と悲観する立場だ。
もしも我が推測が当たった場合、今年の「9月学校始業」が更に休校を余儀なくされないとも限らない。
その危険性にまで配慮が及んだ場合、必然的に今年の「学校9月始業制」論理は破綻に至るのではなかろうか??