原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ついに我が手元にも届いた「振り込め詐欺注意」勧告

2019年03月17日 | 時事論評
 (写真は、昨日年金振込金融機関から私宛に届けられた「振り込め詐欺注意」葉書。)



 過去にだました男の数は両指があっても数え切れないが、今の今まで男にだまされる事など露知らずこの世を渡って来ているた原左都子だが…
 (いえいえ、単なる冗談ですのでどなたもお気になさらないで下さいませませ。)



 「アポ電」とやらで、自宅にいた高齢女性が強盗に遭い殺害される事件が発生した直後期から。

 我が亭主が、「うちはマンション全館セキュリティシステムの入替えにより、個別住居玄関先にも防犯カメラを付けておいてよかった。」と言い始めた。

 私が応えて「その考えは十分に甘い! 玄関ドア前に防犯カメラを付けたからと言って、訪問者を信じてしまったら誰しも玄関ドアを開けるよ。 要するに相手もそんな高齢者の“他人を信じる弱み”を狙っての殺害行動であるのは歴然だ。 貴方(亭主のこと)もだまされる部類だねえ~。」

 それに私が更に付け加えて。
 「ただ訪問にせよ電話にせよ、この私も見知らぬ相手から殊、娘の話題を持ち出されるときっと動揺するね。 それは十分に想像出来る。 私の一番の弱みは娘だねえ。 もしも電話や自宅訪問で“オタクの〇〇さん(娘の名)に関して何らかの不都合が生じたためにお金が必要だ、などと切り出されたものならば、一目散にカネを積みかねない危険性は確かに私にもある…」

 亭主曰く、「結局、振り込め詐欺とは皆その論理に従ってだまされるんだよ。」


 加えて亭主が言う。
 「アポ電」にせよ、何某かの振り込め詐欺にせよ、資産がある高齢者の名簿が世に出回っているとメディアで見聞する。 要するに詐欺犯とは、それらの名簿を元にターゲットを絞り込んで犯罪に及んでいるようだ。 まあ、我が家には詐欺犯に狙われるような財産が無い故に安心だろう。」

 私が応えて、「そうは言えないかもよ。 例えば年金振込金融機関の担当者が私利目的の“悪意”で高額預金者の名簿を横流ししても不思議じゃないよね。 そうは思いたくないけど、そんな名簿が世に出回っているとすれば、その名簿の出元の候補として金融機関が疑われても不思議では無かろうし。」

 加えて私曰く、「例えば学校が毎年配布している“緊急電話連絡網”など、その“悪の温床”で、塾等の外部機関へ高額で販売されているんだよ。 我が家も娘が学生時代に大いにその犠牲になっているよ。」

 亭主応えて、「それを言えば、大学を筆頭として学校の“卒業者名簿”“同窓会名簿”も世で高額で取引されているらしい」
 私応えて、「その被害には既に十分に遭っているよ。 貴方が通った某私立大学・大学院名簿を通して、過去にどれ程自宅まで“寄付金を出せ!”等々の連絡被害に私が対応し撃退して来たことか! 私の場合は国公立出身だから、それ程の電話攻撃はさすが無かったけどね。」



 私論に入ろう。

 特に今時の高齢者とは、もしかしたら過去の栄光に基づくプライドにこだわりつつ現世を生き延びている輩が多い実態ではなかろうか?
 そうした場合、(振り込め詐欺でなくとも)出身大学・大学院等々より「寄付」を願い出られた場合、これぞ待ってました!とそれに反応するのやもしれない。

 その種の安易な反応が、「振り込め詐欺」犯罪を煽り増殖させてしまっているのではなかろうかとの私見は乱暴過ぎるであろう。


 ただ、特に十分な財産を持つ元気なお年寄り達には、考えて欲しい事がある。
 
 実際問題、振り込め詐欺に引っかかる高齢者とは、確かに資産家(財産家)達の様子だ。
 
 そう結論付けた場合、まさにビンボーな我が家など「振り込め詐欺」のターゲットとはなっていない事実に心より安堵させられる。


 とにもかくにも、財産家(資産家)高齢者の皆様におかれましては、今後共に振り込め詐欺被害には十二分にご留意されますように。

Meeting Bus and  Pickup Beetle

2019年03月16日 | 人間関係
 (写真は、一昨日の3月14日に娘が職場から持ち帰ったホワイトデーのお返し品のひとつ。)



 娘関係の話題エッセイが続くが。


 冒頭より、ちょうど2年前の2017.03.15に公開した「インパクトがあったホワイトデーのお返し」と題するバックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。

 昨日(2017.03)娘が持ち帰ったバレンタインデーのお返しが、社会人1年目の娘の初々しさに相応しい物品であったことに親として目を細めさせてもらった。
 そんな中、一番目に付いたのが冒頭写真のお返しだ。
 モロゾフが発売している「Meeting Bus VOLKSWAGEN」と銘打つチョコレートとVOLKSWAGENバスのミニチュア模型セット商品なのだが。 そのわずか長さ6㎝のバス模型が実に精密に出来ていて、バス内に椅子もあれば運転席のハンドルも模倣して作られている。  (参考だが、ネットで調べると¥3,780-と高額商品だ! これを何個も職場の女性に配った男性の“やる気”の程がまた凄い!?!)
 「これをホワイトデーのお返しに選んで下さった方は、おそらく車のファンなのだろうね」と娘と共に唸りつつ、プレゼントのお返しもこうやって“自己主張の手段”として利用出来る事を認識したりもした。
 我が本音を語ると、「バレンタインデー」「ホワイトデー」などに潤うのは商魂たくましい営利企業ばかり、それに踊らされる庶民の姿をアホらしく思う人種である事実には変わりはないが…。
 ただ妙齢の娘を持つ母親の立場としては、こういう風に娘が持ち帰ったバレンタインデーのお返し品を拝見しつつ、その贈り主の人物像を想像出来る一時を楽しませてもらえる事自体が嬉しいものだ。
 若き世代にとってはそんなプレゼント慣習も捨てたものではないじゃないのかと再考した、昨日のホワイトデーだった。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)



 さて、社会人3年目にして職場での3度めのホワイトデーを迎えた娘が、またもやバレンタインデーのお返しの品々を持ち帰って来た。

 娘が勤務している職場(国内大規模某協同組合のシステム部だが)へは、娘は所属先の会社より出向勤務している立場である。 それ故にその出向期間がいつまで続くかに関して、4月の新年度が近づく2月頃から毎年心配させられるはめとなる。
 今年に関しても、娘は元より一家で気をもまされた。 と言うのも“石の上にも3年”とはよく言ったものであり、もしかしたら4年目より他企業への出向替えも十分あり得たからだ。  ただ、娘としてもやっと仕事に慣れた様子であり、娘本人こそが当該企業での業務続行を希望していた故だ。

 来年度もその職場での勤続が叶った娘にとって、今年のホワイトデーは安堵して迎えられた事だろう。
 
 その娘の職場に於いては、どうやら毎年バレンタインデーとホワイトデーの行事を職員達が比較的丁寧に実施する習慣がある様子だ。 
 バレンタインデーに際しては、職場の女性(とは言えども20数名中4名と少数のようだが)が話合い、つつがなく済ませたとの話は聞いていた。


 その“お返し日”であるホワイトデーの詳細を娘から聞いて、母親である私が唸ったのだ!

 20数名の男性が用意した4つのプレゼントが、テーブルに披露されたらしい。 
 それを女性4名が男性達の“掛け声”と共に、自分が欲しいプレゼントを一斉に指さす方策が採られたのだという。

 そして我が娘が指さしたのが冒頭写真の右側「Pickup Beetle」だ。

 このプレゼントを用意して下さった男性職員氏とは、2年前のホワイトデーに「Meeting Bus」をセレクトした人物に間違いない。
 娘の話によると、この男性は当該協同組合企業の正職員氏であるらしい。
 私の推測だが、この方、まさに相当の Volkswagenファンなのだろう。
 ところで昨日ネット検索したところ、モロゾフが販売していた2019年版の「Pickup Beetle」の販売価格が¥5,000- 近いのだ! (さすがにホワイトデーが終わった現在に於いては、例えばAmazonなどでは3割引き程の低価格で販売されているが。)

 この高額のホワイトデーお返しを易々と職場女性に差し出す男性とは、一体如何なる人物なのか気にかかる妙齢の娘を持つ母親の私だ。
 そこで、娘に尋ねてみた。 「一体どんな人なの?」
 娘が応えて、「仕事は出来るし、外見もまあまあイケてる。 独身で年齢は30代前半。」 


 あえて、この中途半端さで本エッセイを終焉に持ち込もう。

 母親として娘に何を問いたかったのかに関しては、皆様の想像にお任せしよう。
 ただ、一つの結論は導びけている私だ。
 この男性と娘とのかかわりは、今後も職場での同僚関係範疇に過ぎないであろう、と。

 それもしても、我が娘の“目の付け所がシャープ”であることには間違いなさそうだ。 とにかく自身の趣味にこだわりがある男性のプレゼントに目を惹かれた娘のセレクトも面白い!

 ただ、趣味にカネを消費する男って、将来的にどうかなあ…… (単なる老母の戯言です…)

この春、我が娘がロングヘアをバッサリ!切りました

2019年03月14日 | 自己実現
 (写真は、娘ではなく原左都子本人が28歳頃の写真。 大雨の富士急ハイランドにて。 ご覧のように、長き独身時代を通してずっとロングヘアを貫いていた。)



 長き独身時代を通してロングヘアを貫いていた私が髪の毛をバッサリ切ったのは、晩婚・高齢にて娘を妊娠した直後期だった。

 その理由とは他の何故でもなく、“これからは、母としてこの子を守ろう!”なる私なりの決意であり覚悟であったものだ。
 その頃、妊娠初期妊婦として“つわり”に悩まされてはいたが、未だお腹がまったく目立たない時期だった。

 当時は高校教員時代だったが、未だ職場で妊娠を公表していない時期の私がロングヘアをバッサリ切った姿で出勤すると。
 我が姿を見た皆(教職員及び生徒達)から、驚きの声と共に様々な感想が降り注いだものだ。
 まあ、教員達はさすがに比較的冷静だった。 まさか、「どうしたの!?? 何で切ったの?!!」と騒ぐ人はいない。 「意外と違和感無いねえ」「それも似合っているね」程度の反応だ。

 片や、生徒達の反応は全く異なる。
 一番多かったのが、「どうして切ったの、もったいない。」 あるいは「それも、いいよ!」と反応が二分する。
 男子生徒の中には、「何で切ったの!?」 「女が髪切っちゃダメだよ!」 「もうガッカリだよ…」と黄色いくちばしでの批判派が少なからず出現したものだ。 
 そんな可愛らしい生徒達に妊娠の事実がバレたのは、我が断髪から2ヶ月程経過し薄着になった夏頃だった。 


 ところで、この私が中高・独身時代との長きに渡りロングヘアを貫いたのには理由がある。

 我が実親ども(特に母親))が、娘二人が幼き頃より小学生時期にかけて“髪をのばす”事に対する「御法度令」を出していたのだ。 何故ならば、娘の髪を結ってやろうなどとの趣味も時間も一切無い共働きの母が、それこそが“自分が楽”との身勝手な事実に終結する。
 少しでも髪が伸びたならば、近くの床屋へ行って“おかっぱ頭”にすることを命じられていた。
 小学校高学年期にそれに反発した我々姉妹は、「中学生になったら自分で髪を結うから、ロングヘアを認めて欲しい!」との嘆願を親どもに出した。
 それに同意した親どもに対する大いなる反発心もあったのだろう。 我々姉妹はその後ずっとロングヘアを貫く人生を歩んで来た。 (私自身に関しては、大学時代及び上京直後期にはいろいろなヘアスタイルを楽しんだものだが。)


 この辺で、我が娘のロングヘア「断髪」に話を移そう。

 上記のごとく、子供時代にロングヘアを愚かな親どもより「禁止」されていた私は。
 娘が生まれた事実を大いに喜んだものだ。 これで我が親に対するリベンジが可能だと!?!

それも大いなる歪みである事は認めるものの、実際生まれた女児である我が娘が実に可愛くて、幼少の頃よりお洒落の一端としてヘアスタイルにはこだわっていた。

 我が娘の場合、幼き頃よりクラシックバレエを習わせたのが一番の理由であるが、その練習時にロングヘアを結び頭頂部に団子を作る作業を要したものだ。
 そのクラシックバレエ歴が中学2年まで続行した事もあり、娘自身も自らロングヘアである事を必然的と捉えていたようだ。

 年月が流れ、中2最後にクラシックバレエを辞めても、我が娘は自分の趣味でロングヘアをつい最近まで続けた。
 その理由とは、これまた我が娘教育に於ける「お洒落心」の育成が花開いたものと母の私は自負しているのだが…。


 それでもやはり娘が社会人までに成長し既に3年の年月を経た暁には、「お洒落」を主眼としていられない事実に直面したことだろう。

 2ヶ月前頃に、娘が「ロングヘアを切る!」と私に宣言していた。
 どれ程切るの?  と私が尋ねると…
 娘の回答とは、「今回は、思い切りたい!!」

 そうして昨週末、娘が切って来たヘアスタイルに、正直言って私は愕然とさせられた…

 我が予想以上の“ザン切り”状態だったのだ!!

 ここで、過去に私に浴びせられた高校教員時代の男子生徒達の言葉が我が脳裏に過った……
 「何で切ったの!?」 「女が髪切っちゃダメだよ!」 「もうガッカリだよ…」
 
 それでも、私は娘に告げた。
 「貴方の今回の“覚悟”の程を親の私も受け入れる!」 と。
 我が娘にも何らかの決意や覚悟があってのロングヘアのバッサリ切りだったことだろうと想像した…。 

 その娘本人は今日も足取り軽く、元気に職場へ出かけて行った。
 あの子、もしかしたら職業人4年目の春に及んで、益々自身の仕事を充実せんと志しているのではあるまいか?!?

 なる、単なる“親の欲目”で今回のエッセイをまとめておこう。  
 

「東日本大震災」より8年、被災地にて未だ続く“非日常”の日々…

2019年03月12日 | 時事論評
 (写真は、原左都子作 皿絵付け「東日本大震災」。大震災直後期 2011.03末頃、知人美術家氏のスタジオにて制作したもの。 当時の私の脳内には、この光景が蔓延っていたものだ… )



 昨日、「東日本大震災」発生より8年を迎えた。

 昨日昼間外出したため大震災関連エッセイを綴れなかったのだが、本日我がエッセイ集の Popular Entries を一覧すると、数多くの「東日本大震災」」関連バックナンバーがエントリーしているではないか。

 本日午前中にそれらを全部読み直したのだが…。
 あの悪夢の大震災が、まるで昨日の事のように我が脳裏にフラッシュバックした。
 私の場合東京での被災のため、東北現地の人々の苦悩に比して大したことは無いのだが、それでもしばらくは大都会東京なりの苦悩に襲われる日々だった。


 以下に、大震災発生日翌日(2011.03.12)より4月頃にかけて原左都子が公開した、大震災関連エッセイ群を標題のみ以下に紹介しよう。 (日付が新しい順となっている事をお詫びします。)
 参考ですが、この後も大震災関連エッセイは、通常エッセイと混じりつつ続行しています。


大震災がメモリーとして語られる遠き日 2011-04-14
今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。 2011-04-09
放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!? 2011-04-04
季節は新たな出発の時候に移り行き… 2011-04-02
避難生活能力のない私 2011-03-28
「レベル6」汚染列島でどう生き延びようか? 2011-03-26
確証なき 放射能“安全報道”に警告を発したい! 2011-03-22
非日常の日々が通り過ぎつつある中で… 2011-03-20
大震災被災者支援強化に向けての一提案 2011-03-17
大震災を追討ちする 原子炉爆発 の地獄絵図 2011-03-15
悪夢の大震災、その時私は… 2011-03-12


 何故「原左都子エッセイ集」にて、この時期これ程に大震災関連エッセイが続いたのかと言えば。
 まさに我が脳内が「大震災」一色に染まっていたからに他ならない。

 当時我が娘が高3を迎える直前期であり、娘のサリバン先生として大学受験準備の補助任務も熱心に遂行していた時期だった。
 その身にしても、やはり歴史的大規模災害勃発に対する脅威感や絶望感とは、そんな日常の戯言など吹っ飛び人生観が変わる程のショックだったものだ。
 日々ニュースに着目し、東京の放射能汚染をネットで調査し、東京に住む私としては如何に行動するべきかを熟考しつつ身を振ったものだ。


 上記に掲げた我がエッセイ集内 大震災関連バックナンバーの中から。
 今回のエッセイ表題に掲げた“非日常”を余儀なくされている被災地の状況を綴った 2011.03.20公開の「非日常の日々が通り過ぎつつある中で…」 と題するバックナンバーを以下に要約して再掲載させていただこう。

 歴史的大震災が東日本を襲った悪夢の3月11日から9日間の日時が経過した。
 福島第一原発の原子炉爆発事故は、自衛隊や警視庁消防隊による懸命の放水活動にもかかわらず現場付近の放射線量に目立った変化はなく、未だ危機状態を脱出できない状況である。
 一方、東日本各地における放射線量のデータがネット上等で容易に入手できるようになる等、市民への“情報公開面”での進捗が大いに見られる今日この頃である。
 東京に住居を構えている原左都子の場合も、日々刻々と発表される東京地方の放射線量や風向き等をチェックしては、「今日は何時から何時頃まで洗濯物と布団をベランダに干そう」等々、自己管理しつつの日々である。 
 参考のため、福島から200kmの距離がある東京地方の放射線量は昨日IAEAによっても測定報告された通り、その測定値は今のところ人体にほとんど影響を及ぼさないデータである。 申し訳ないことに当然ながら福島に距離が近い程放射線量値が高くなっているため、その地方の皆さんは引き続き我が身を守るべく行動されますように。
 何はともあれ、今回の歴史的大震災の復興には、過去における我が国の震災被害とは比較対象にならないレベルの多大な時間を要することは明白であろう。
 被災地域では義務教育小中学校をはじめ高校、大学等の校舎が全半壊したり、あるいは地域住民の避難所としての役割を果すべく機能している地域も多い。
 4月の新学期に至るまでさほどの時間的余裕がない現状であるが、当然ながら文科省はその対策に追われていることであろうと推察する。 どうか、特に義務教育課程である被災地の小中学生全員が4月から何らかの手段で学校に通える方策を急いで欲しい思いだ。
 ここで原左都子自身の現在の日常に話を移させていただくならば。
 つい先ほど午後3時前後に「緊急地震速報」が発令される等未だ余震が続く中ではあるが、上記のごとく福島原発の放射能の影響に関して客観的データが得られる現状において、既に“非日常の日々”が遠ざかったのかとの安堵感もある。
 ただ、福島第一原発事故の危機的状況は今後も予断を許さない。
 そして東京地方に於いても余震や若干の食糧不足のごとくの多少の不自由が続行するとは言えども、震災発生後9日目にして、原左都子にとっては既に“非日常の日々が通り過ぎた”と表現できる段階に入っているのかもしれない。
 まだまだ“非日常”の続行を余儀なくされている被災者の皆さんの過酷な日常を慮ると共に、日本を挙げての援助活動により、少しでも早く“非日常”から脱出できる日が到来することを望んでおります。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 昨日(2019.03.11)見聞・視聴した「東日本大震災」関連ニュースによれば、震災発生から8年が経過した今尚、現地からの避難生活を余儀なくされている被災者の皆さんが5万人を超過しているとの報道だ。
 そのほとんどが、福島原発事故周辺地域の人々でもあるらしい。

 安倍首相よ。
 その現状を知り得た上で、あなたは今尚「原発推進」を政策として打ち立てるのか!?!
 聞くところによれば、あなたは東日本大震災慰労訪問に於いて“故意に”福島原発地域を避け続けているとの報道ではないか!
 安倍首相こそが本気になって「東日本大震災」復興を政策の主眼としない限り、「東日本大震災」は終わり無き悪夢の運命を辿ることであろう…。


 それにしても、東日本大震災被災者の皆様方の復興自助努力の程は目覚ましいものがあるようだ!
 今後共苦難を乗り越えつつ、未だ続く“非日常”の日々を乗り越えられますように!!
 

3月は別れの季節…

2019年03月10日 | 人間関係
 既に学校や職場等の組織から去り、現在は特段何処への“組織”にも所属していない私にも「別れ」は訪れるものだ。


 この1週間内に、そんな私の元に3名の人物との“別れ”が押し寄せて来た。


 まず、週1のペースで食材配達を担当してくれていた女性だが。

 当該食材配達組織が現在組織改編中のため人事異動が頻繁に実施されているとのことで、昨年春より3度の担当入替があった。 そのため、この女性とは短期間のお付き合いだった。
 にもかかわらず、私にとっては印象深い女性だったのだ。
 おそらく職場に於いて上司の立場にあるのだろう。
 とにかく作業がテキパキしていてブレがまったくない。 加えて、短時間内の顧客との会話もつつがなくこなせる。 
 担当最終日に、女性の部下(?)と思しき女性よりも年上風の男性を引き連れて我が家へ来たのだが、その指導ぶりも板についていた。 (私自身も医学関連企業現役時代には係長を経験し複数の年上男性部下を持つ立場だったが、これ程に部下指導が板についていただろうか??と、今更ながら反省させられる場面でもあった…)
 私からのメッセージだが、<短期間でしたがお世話になりました。 今後も女性上司としてご活躍されますように。>


 次なる別れは、現在の住居に転居した直後期から16年間の年月お世話になった、掃除モップ交換業者(早い話がダスキンだが)の担当女性だ。
 いつも交換モップと代金を玄関先に置いておけば新しいモップと交換してくれるため、直にお会いする機会は稀だったのだが。 それでも幾度か何らかの連絡事項があってお会いしたことがある。 
 先週火曜日に、新しいモップと共に置手紙があった。 「次回より担当が代わります。長い間ありがとうございました。」  
 涙もろい私は、この二文で十分に泣けてしまった… 
 私からのメッセージだが、(こちらこそお世話になりました。 ダスキンには前々々住居時代より25年の年月に渡りお世話になっています。 特に冬場は手荒れが目立つ私にとってダスキンモップは必需品的存在です。 今後共よろしくお願いします。)


 そして、三つ目の別れとは…

 これぞ、私にとっては一番辛い別れだった。
 そのお相手とは、我が年金受給のお世話を頂いた自宅住居近くの金融機関の年金担当者氏だ。
 私が年金受給以前より我が家を訪ねて下さっていた記憶がある故に、既に5年程のお付き合いかと思いきや。 先週火曜日に我が家に最後の挨拶に訪れた担当者氏がおっしゃるには、「4年9ヶ月です。」

 その初回面会当時に、当該金融機関担当者氏が私に対し提供して下さった話題を未だに忘れていない。 
 本エッセイ集2015.04.16付「著名人と同姓同名であることのエンターテインメント力」と題するバックナンバーに於いて、その時の様子を綴っているため、以下に再掲載させていただこう。

 当該エッセイを綴るきっかけを得たのは、昨日私の元に某来客があったことによる。 その来客人物とは、我が家の近くに位置する某金融機関の営業担当氏である。
 昨年夏、原左都子単独所有の賃貸不動産物件を売却しその売却資金すべてを当該金融機関へ入金した時点から、どうやら私は当金融機関の“VIP顧客”扱いとなっている模様だ。(?) それは二の次としても、賃貸物件を売払った私にはもはや金融機関へ“奉仕”可能な資産などその時点では一銭たりとて無い有様だ。 故に営業担当氏が自宅集合マンションオートロックを訪れる都度、1階玄関で門前払いにてお引き取り願っていた。
 ところが、昨年11月に我が自宅近くの支店に新就任したとの上記金融機関担当氏の営業力の程が並大抵ではない事実に、私も気付いていた。 度々1階玄関先で自宅への訪問を断わろうが、その後幾度もマンションを訪れ我が家のチャイムを鳴らす始末だ。 しかも「モニター」にて確認するその態度が常に低姿勢であることを確認していた私は、昨日初めて上階の我が家まで招き入れたとのいきさつである。
 最初に当該金融機関への我が資産預入れに関して感謝の言葉を述べられた後、当営業担当氏が言い始めた話題に私は驚かされるはめと相成った。
 「私は元々映画ファンでよく映画を見に行くのですが、特に昭和期の小津安二郎氏のファンでもあり氏の映画を鑑賞する趣味があります。 そのため主役を務めている女優氏に関しても十分把握し、昭和の大女優○○○氏に関して素晴らしい女優氏と感嘆致しております。 この度、私が転勤した支店の顧客様の中に同姓同名の女性が存在することに驚きました。 是非とも一度お会いしたく、何度も訪問致しましたことをお詫び申し上げます。」
 これがたとえ営業マン氏の“リップサービス”であったとはいえ、確かに半端ではない映画観賞力である事実には間違いない! それに恐れ入った私はしばらく営業マン氏と語り合う事態と相成った。
 それがそもそも営業担当氏からの更なる預金勧誘手順だったとしても、私側もそんな事は二の次でよい感覚にもなったといえよう。 「お若い年齢層(おそらくアラフォー世代??)ですのに、よくぞまあ小津安二郎氏の映画など見たいと思われましたね! 実は私本人が某女優と同姓同名であるにも係らず、テレビでしか氏の映画を見たことがないのですよ。」と言う私に対し…
 「それは残念です! 小津安二郎氏の映画を是非とも映画館でご覧下さい。」 「女優○○○氏とは、昭和史は元より、日本映画史に残る名女優であることに間違いありません。 それにしても素晴らしいご氏名ですね!」と言い残し、当該営業担当氏は何の営業活動をするでもなく我が家を去って行った。 
 原左都子の私論だが。 はてさてこの金融機関の営業担当氏は、今後著名人と同姓同名である一顧客の私から何らかのフィードバックが得られるのであろうか??
 それぞ困難かつ難儀なのは、「金融機関」に於ける今後の歪んだアベノミクス経済政策にかかわっているが故だ。 昨日のニュース報道によれば、日銀黒田総裁は今後も安倍氏に迎合しつつ金融緩和を続ける意向らしい。 少しは本気でこの世を将来引き継ぐ世代である若者の意向も慮った上で、経済政策を考え直せよ!と言いたくもなる。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)

 その後も4年9カ月に及び、当該年金担当者氏は、我が家へ頻繁に足をお運び下さった。
 そして、昭和の某大女優氏に関する情報を遂次伝えて下さるのだ。 元々は当該女優氏の特段ファンでもなかった私だが“同性同名”にあやかれたその偶然を実にラッキーと感じさせてもらえる場面でもあった。
(そんな影響を年金担当者氏から大いに受けた私は、その後も我がエッセイ集にて某女優氏関連記事を綴り公開している。)

 いやはや今となっては、昭和時代に活躍した私と同姓同名の大女優氏の話題を我が年金担当氏よりもっとお伺いしておきたかったものだ。 


 ただ如何なる別れであれ、「別れ」とは受け入れねば次の発展が望めない事実も重々理解できている、既に高齢域に達しようとしている我が身でもある。

 本エッセイの最後に、この3月に別れが訪れた私を取り巻く各企業担当者の皆さんの今後の更なるご活躍の程を、大いに応援申し上げている旨をお伝えします!