原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

組織の風土はそこで働く人々の心(ハート)により創られる

2019年03月08日 | 医学・医療・介護
 昨日は、高齢者介護施設に暮らす義母の“耳鼻科受診”付き添い定例日だった。


 あいにくの春の雨の中、施設を訪れると。
 私を一見した義母が驚きつつ、「〇子さん(私の事)、その目どうしたの?! 真っ赤じゃないの!!」

 私こそが、その義母の言葉に驚かされた。
 認知症を抱える義母の着眼点がそんなところにあるのかと、意外性を持って実に驚いた。

 補足説明をするならば、我が「結膜下出血」はお陰様で随分と快方に向かっている。 自己診断だと(まあ、徹夜で受験勉強でも頑張って目が充血した程度かな?)感覚にまで気が楽になっていて、既に2日前からサングラスを外して外出している。

 そんなサングラスを外した私を見て素直に驚きを表現してくれたのは、義母が初めてだった。
 何と表現すればよいのか、現在の義母とはまるで子供のように気付いた事を直ぐさま相手に表出できる程に心が実に素直な状態なのだろう。

 そして、病院好きな義母が付き加える。 「眼科へ行かなきゃだめよ!」
 後の話が面倒臭い私は。 「はい、既に行きました。」(結膜下出血で眼科へ行ったのは10年前の一度きりなのだけどね…。「単に老化現象で問題ないそうですよ。」
 これを聞いた義母が曰く、「〇子さんがもう“老化現象”の年齢なのね…」

 ただこの開口一番義母から出た私に対する“思いやり?”発言により、昨日の耳鼻科受診付添い業の肩の荷が少し下りたのも事実だ。


 実は、義母はお世話になっている当該耳鼻科に一人勝手に“電話を掛け過ぎる”とのご迷惑を掛け続けている。
 認知症故にどうしても補聴器の使い方を心得えないがため常に耳の聞こえが悪い義母は、それがすべて補聴器と耳鼻科のせいだと信じて疑っていなかった。 
 そして聞こえない都度耳鼻科へ電話を入れて、「また聞こえなんですけど、どうにかしてくれませんか!」と訴え、それに対応した親切な耳鼻科が「それでは診察しましょう」と応えて下さっていたのだ。
 施設から耳鼻科が近い事もあり、一人で歩いて出かけては苦情を言っていたようだ。

 あるいは、義母が補聴器の電池を耳鼻科に置き忘れたと勘違いして耳鼻科へ電話を寄越し、「私の電池を返して下さい!」との勘違い電話を掛けたこともある。(この事件に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて公開したようにも記憶しているが。)

 そんな義母に対し、やっと耳鼻科より「自分1人の判断で電話を掛ける事を慎んで欲しい」旨と「今後は必ず付添人と共に耳鼻科を受診して欲しい」意向が、義母本人に伝えられたらしい。

 昨日の耳鼻科付き添いの際、必ずや保証人である私の方からこそ日頃の義母の電話での悪態ぶりを謝罪せねばと考えていた。

 そうしたところ義母が検査中に、耳鼻科担当者の方から付添いの私との面談を設けて下さった。 
 こちらこそが義母の醜態を謝罪せねばならない身であるのに、耳鼻科担当者氏の丁寧かつ認知症を抱える義母への配慮ある言葉の数々に恐縮させられる有様だ。 
 それでも私は義母の醜態を謝罪しつつ、今後は必ずや私が受診に付き添う旨と、今後また義母より意味不明の電話等があった場合には、保証人である我が家が電話対応する旨に快く同意した。 

 この耳鼻科への義母付き添いをしていつも感じるのだが。 とにかく医院職員皆さんの対応が懇切丁寧なのだ。 例えば、帰り道のタクシー迎車予約をしてくれたりもする。
 (何分“病院へ行かない主義”の私であり、近頃の病院・医院の患者に対する対応の実態を露知らない身であるが。)

 ただとにかく当該耳鼻科医院は院長であられる(?)医師先生を筆頭として、パラメディカル及び事務職員氏皆さんの対応が揃って素晴らしいのだ。
 ついでに付け加えると、外部から提携している補聴器会社職員氏(継続読者の皆様は覚えて下さっているだろうか? バックナンバーにて紹介した“ギリシャ彫刻イケメン氏”のことだが。 もちろん昨日もお会いしましたよ~~ )全ての対応が完璧に近いものがある。

 そんなこんなで考え付いた今回の我がエッセイ表題が、冒頭の通りと相成った訳だ。


 その実態は、義母が暮らす高齢者施設に於いても同様であろう。

 昨日義母を迎えに行った時にケアマネ氏と短時間の面談を持った時にも、それを実感した。
 ケアマネ氏曰く、「お義母さんが時折愚痴を私に訴えて来ますが、その内容とは高齢者が抱える本来の苦悩とは異質のものと私は捉えています。 施設に暮らす高齢者の主たる苦悩とは「自身の致命的疾患」、あるいは「金銭問題」でしょう。 その分、〇様(義母の事)に関しましてはそれらには一切該当せず、その他分野の(二の次の)訴えです。 要するにご自身に各方面で余裕がある証拠ですし、むしろその実態に安堵させられます。」
 
 ケアマネ氏のおっしゃる通りであろう。
 と感じた私も、「そのご意見に賛同致します!」との返答をした。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 義母が暮らす高齢者施設のケアマネ氏のご発言は、実に的を射ていると捉えていいだろう。
 結局義母の苦悩とは、自分自身の“我がまま”以外の何でもない事を実感させられる。

 それにしても私の老後とは如何なるものか? との命題を再度突き付けられた思いもある。
 集団嫌い故に、決して高齢者施設などへ入居したくない私の場合、何処へ“二の次の訴え”を起こせばいいのやら…

 それぞ、当該「原左都子エッセイ集」がその役割を担ってくれるのか…
 と思っても、今からこの毒舌言いたい放題の“我がまま”ぶりでは、先が危ういよなあ……