原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日韓こじれ問題、日本国民はまず過去に何が起こったかを知るべき

2019年02月21日 | 時事論評
 ここのところ、日韓関係が悪化の一途を辿っている感がある。
 その問題に対する日本の対応とは、簡単に表現するならば、安倍首相を中心として「日本は既に謝っているのに、韓国こそがいつまでもしつこい。韓国こそが謝罪するべきだ。」との論理のようだ。

 本当にそうだろうか?
 私は純粋な日本人であるが、どうもこの安倍氏を中心とした“韓国批判”にずっと違和感を抱かされている人間だ。
 例えば韓国国会議長文喜相が、「慰安婦や元徴用工本人に対して日本の天皇か安倍首相が直接謝れ。それをしてくれたら韓国民は納得する。」と主張している。 これなど、天皇はともかく、安倍首相がそれを今一度実行しても損はないように私は感じるのだが。


 私事になるが、私は2010年8月に娘を誘って韓国ソウル旅行をしている。
 その出発前に綴ったエッセイより、以下に一部を紹介しよう。

 来る2010年8月27日~29日の3日間 韓国ソウルの新羅ホテルに於いて開催される “ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR SEOUL” の招待状を知人の美術家 長はるこ氏より頂いた。
 年に一度アジアのトップギャラリーがアジア各国のホテルに集結するアートフェアに、長はるこ氏は日本を代表して自らが主宰されている「B-gallery」をギャラリーごと出展されることに相成ったのだ。
 経済の急激な成長発展と共に芸術市場が大いに活気付くアジアの新興国は、今では経済が低迷を続ける日本とは比較にならない程に芸術分野も活性化していると見聞している。 アジアにおける芸術家の活躍の中心は今や日本ではなく、中国上海であり、韓国ソウルであり、はたまたシンガポール、台北、香港、そしてインドに既に移り変わっているとの情報も見聞する。 
 今後芸術家を目指す(あくまでも当時の話だが)我が子にとって、今回ソウル新羅ホテルにおいて開催されるアートフェアを訪れ今をときめくアジアのトップクラスの芸術に触れておくことは、明るい未来への一つのとっかかりとして貴重な経験となることであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)

 まさに素晴らしいソウル芸術訪問だった。
 アートフェアはもちろんのこと、ソウルの国立博物館へも娘と二人で足を運んだ。 その所蔵作品の数々とは膨大な数に上るようだが、日本の著名作品展示コーナーもあり、充実した美術鑑賞を堪能できたものだ。 
 また、娘と二人で地下鉄に乗ったり道を歩いていると、どうやら“ソウルっ子”と勘違いされるようで、現地の人々によく道を尋ねられたりした。 「I’m sorry. We are Japanese.」と告げると、「こんにちは!」と挨拶してくれたりして歓待を受けた。 食事処やお土産店等々何処へ行ってもソウル市民の皆さん実に親切で、有意義なソウル旅行だった。
 そのような経験も重ねた私にとって、韓国とは機会があればまた是非訪問したい隣国である。


 さて、冒頭の話題に戻そう。

 昨日2019.02.20付朝日新聞夕刊内に、国際政治学者 藤原帰一氏による「厳しさ増す日韓関係、映し鏡の犠牲者意識」と題する記事が掲載されていた。
 この藤原氏の論評が、僭越ながら原左都子の現在の「日韓問題」に対する私見と一致するのだ。

 そこで、当該藤原氏の論評記事の一部を以下に要約引用させていただく事としよう。

 日韓関係は国交樹立後もっとも厳しい情勢を迎えた。
 元徴用工による訴えを韓国最高裁が認め、新日鉄住金に損害賠償を命じた件。 慰安婦財団解散による日韓慰安婦合意事実上の破棄。 昨年12月には海上自衛隊の哨戒機がレーダー照射を受けたとする日韓対立。 最近では、韓国国会議長文喜相による天皇が謝罪せよとの発言問題。
 何故こんなことになるのか。 に対する日本での解釈とは、文大統領が左派のポピュリストであり反日感情を煽る事で政権を支えているというものだ。 だが、文政権が煽ったから問題が生まれたというだけでは、何故韓国で反日感情が強いかという問いが残される。
 国際的には、徴用工と慰安婦について韓国政府の主張に賛同する声が多いと言っていい。 私も慰安婦は性犯罪であり、売春一般と慰安婦を同視する議論は暴論と考える。 
 日韓の歴史問題を論じた木村幹は、歴史問題は沈静化するどころか1990年代に入って悪化したと指摘し、この問題は過去の事実のみならず現在の政治、ポピュリズムの台頭とナショナリズムの高揚の中で捉えねばならないと主張した。
 日本の犠牲者という認識を韓国国民が共有し、その韓国の訴えが国際合意を踏みにじる行いとして日本で伝えられる時、「われわれ」は「やつら」の犠牲者だという認識が両国で加速し、鏡で映し合うように犠牲者意識とナショナリズムが高揚してしまう。
 韓国で語られる歴史が「正しい」訳ではない。 それでもここで問いかけたい事がある。 植民地支配下に置かれた朝鮮半島の社会、そして戦後に動員された労働者や女性が強いられた経験について、日本でどこまで知らされているのか、ということだ。
 日本の朝鮮半島支配を正当化し、徴用工は強制動員されていない、慰安婦は売春婦だと切って捨てる人間が日本国民の多数だとは私は信じない。 更には、植民地支配と戦時動員との過去を見ようとせず、知らない事の中に自分達を置いている日本国民が少なくないことも否定できない。 過去を知らない責任を問われても仕方ない。
 何が起こったのかを知らなくても謝罪はできる。 謝る前に必要なのは、何が起こったのかを知る事だ。 自分達を支える国民意識に引きこもって日韓両国民が非難を繰り返す時、ナショナリズムと結びついて単純化された国民の歴史から自分達を解放する必要は大きい。
 (以上、国際政治学者 藤原帰一氏による朝日新聞記事論評より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の「日韓こじれ問題」に関する現在の思いを伝えよう。

 いや~~~。 上記藤原帰一氏による論評に大いなる拍手をお贈り申し上げたい。
 これまでこの日韓問題に関し、何を読んでも如何なるニュース報道を聞いても、我が思いを的確に表現してくれる媒体に巡り合えないでいた。

 特にとんでもなかったのが、安倍政権筋の発表だ。 
 「日本は既に韓国に対し謝罪して決着している問題だ。 何故何度も繰り返すのか。韓国こそがその失言に謝罪するべきだ。」等々…、 
 そもそも、安倍氏の日韓問題に対する姿勢が当初よりこの路線だった。
 教科書問題然り。 安倍政権に移り変わって、どれ程社会科教科書の中身が日本本位に書き換えられたことか。

 まさに、藤原氏の論評通りである。
 「植民地支配」や「戦時動員」など、過去に於いて日本が韓国含め近隣諸国相手に犯した過ちを国民に正しく伝えることから再出発するべきだ。
 過去に何が起ったのかを政府が国民に隠蔽し続けたのでは、今後も日韓関係の好転は期待できないであろう。
 我が国日本にとって、「過去を知らない(政府が過去を国民に知らせない)」責任は多大だ。

女子カーリング “ロコ・ソラーレ” 完敗に胸がすく思い!

2019年02月19日 | その他オピニオン
 こんなテーマのエッセイを公開したものならば、“ロコ・ソラーレ”ファンより袋叩きにされブログが炎上しそうだが。

 それでもとにかく原左都子にとって、平昌五輪前哨戦頃から“ロコ・ソラーレ”とは色々な方面で「気持ちが悪い」存在だった。


 私にとって“いけ好かない”チームではあるが、以下にウィキペディア情報より“ロコ・ソラーレ”に関する情報の一部を引用しよう。

 カーリング競技にて2度の冬季オリンピック出場を経験した本橋麻里だが。
 それまでに自身も含め多くのカーリング選手を輩出した地元・北見市において、市民の生涯スポーツとして広い年代に親しまれているカーリングの地盤がある一方で。 アスリートとして世界レベルを目指しトップレベルで競技続行できる環境(特にスポンサーとなりうる大企業)に乏しく、有力選手が就職や進学を機により良い競技環境のある青森県や長野県などの強豪チームへと流出してしまったり、カーリング競技から離れてしまう状況に一石を投じたい、また北見・常呂に深く根差し、地域に愛され続ける「実業団ではない」クラブチームを作りたい、など複数の要因からなる強い思いによりチーム設立に至った。
 チーム名の由来は「ローカル」と、「常呂っ子」から「ロコ」+イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」。
 チーム創設当初はスポンサーも無く、カーリングチームの活動費には用具・スタッフ費・遠征費など年間3000万円は最低必要とされるが、ロコ・ソラーレ発足当初の活動資金は400万円ほどだったという。 海外遠征など遠征費用も多いカーリング競技の活動資金確保のため、本橋が飛び込み営業で地元企業を回りスポンサー集めに奔走した。 本橋はトリノ五輪以後のCM出演などで先に知名度が有り、テレビ局からのバラエティー番組出演依頼なども多くあった。 カーリングが盛んと思われる北見地域であっても「カーリングって何?」「オリンピックの時だけでしょ?」と全く相手にされないこともある中で地道に交渉に回り続け、地元に支えられるチームの地盤を築いた。
 本橋はチームのあり方として「みんなが一時的に競技をやめる状況になったとしても、戻って来られるような環境をつくりたい」と語る。
 平昌オリンピック試合中「そだねー」「押ささる」「○○かい?」などの北海道方言を多用して戦術を話し合っていたことから、特に「そだねー」は世間でも流行した。
 第5エンド終了後にある7分間のハーフタイムでイチゴやバナナ、チーズケーキなどを食べていたこと(「おやつタイム」「もぐもぐタイム」と呼ばれた)が話題になり、特にメンバーが食べていたチーズケーキ(地元北見市の清月が製造する「赤いサイロ」)は注文が通常の10倍近く殺到する事態となった。
 生中継されたNHK総合のテレビ視聴率は準決勝・韓国戦で26.4%、3位決定戦のイギリス戦では25%の番組平均視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。3位が決定した22時43分の毎分瞬間視聴率は42.3%の高視聴率を記録し、高い注目を集めた。
 2018ユーキャン新語・流行語大賞候補に、「そだねー」と「もぐもぐタイム」がノミネートされ「そだねー」が年間大賞に選ばれた。
 (以上、ウィキペディアより“ロコ・ソラーレ”に関する情報の一部を引用したもの。)


 さて、私見に入ろう。

 “ロコ・ソラーレ”。
 その命名、特に“ロコ”の部分が「気持ち悪い」と不快感を抱いていた私だが。
 上記ウィキペディア情報引用により、命名由来が“北見・常呂に深く根差している”事実に基づいている事を今回初めて知った。
 それならば尚更、敢えて万人に分かりにくいカタカナを使用して奇をてらうよりも、地元に根づくことを真に目指したいのならば「北見常呂チーム」の方がずっと説得力があったのではなかろうか?
 もしそうだったならば、この天邪鬼の私も「北見常呂チーム」を快く応援しただろうに…

 次なる我が不快感だが。
 過去に於いて五輪に出場した女子カーリングチームのメンバーの中で、一番活躍していたのが小笠原歩選手(婚姻後の苗字)だと私は認識していた。 その小笠原選手はその後も五輪に出場し活躍したように記憶している。
 現役時代に女子カーリング界では小笠原選手に次ぐ二番手以下の位置付けだった本橋選手が、“美女”故に??、メディア界で一時もてはやされる事態となったのを私は記憶している。 それに気をよくした本橋選手が採った行動が、上記ウィキペディア情報に記載されている通りだ。
 この本橋選手のブログが、当時gooの“オフィシャルブログ”として編集画面に毎日のようにピックアップされていたのも私は記憶している。 元々オフィシャルブログなる存在の信憑性を頭から疑ってかかっていた私であるが故に、ただの一度とて本橋選手のブログを覗いたことは無いのだが。 ただ、ほんの少しでも著名になるとこういう扱いになるのだなあ、なる感覚を庶民の一人として抱かされたものだ。

 更なる我が不快感に話題を進めよう。

 実際「気持ち悪い」のが、“そだねー” なる言葉がメディアにて取り上げられた後に、五輪試合現場でロコ・ソラーレ”メンバー達がそれを試合中に幾度も繰り返した実態だ。
 ましてや、休憩時間中にイチゴ等々で水分補給をしてもちろんよいのだが、その休憩中映像が日本国民皆に受け入れられたと勘違いした“ロコ・ソラーレ”メンバーが、それを執拗にメディア配信許可した事実に私は大いなる違和感を抱かされた。
 いや、スポーツ選手にとって途中水分補給は必須だ。 たとえばマラソンなどではその補給場所が正式に設けられている。
 片やカーリングの休憩時間とは、マラソン程に厳しくなさそうなのは誰が見ても明白だ。 ここは、イチゴををほうばっているその場面を積極的にメディア配信する事よりも、その間に極秘作戦を練る場面でも公開した方が得策だろうと私は感じるのだが。


 とにもかくにも、“ロコ・ソラーレ”は先だって開催された世界選手権代表争いにて「中部電力」女子カーリングチームに完敗した。

 いやはや、「中部電力」の素晴らしいまでの“負けなし圧勝”だった! 一エンドで大量得点をはじき出せる中部電力の実力の程が光り輝いた大会結果だった。

 今回の完全敗北により、“ロコ・ソラーレ”も平昌五輪以降試合以外のろくでもない部分ではしゃぎ過ぎたみっともない事実を反省し、今後少しは目を覚まさざるを得ない事だろう。
 

今時の70代って、未だ“旧人類”なのか?!?

2019年02月17日 | 人間関係
 冒頭から私事だが。

 我が郷里に、70代の叔母夫婦(叔母は私より11歳年上のため現在74歳のはずだが)が暮らしている。
 私の実父が60代の若さで突然死を遂げた関係で、実母はその後長期間に渡りこの叔母夫婦と懇親にしつつ、お世話になっている身だ。
 その叔母だが、昔からとにかく聡明かつ行動的・社交的で人に好かれる人物である。

 そんな叔母が遠い昔に夫であるパートナーと恋愛結婚後、夫氏側のたっての希望により仕事を退職し「専業主婦」を貫く事と相成った。
 二人の息子に恵まれた後は叔母自身が子供達の教育指導に当たり、二人とも熱心に勉学に励んだ後、現在長男は国家省庁の幹部、次男は国立大学理系学部教授として現役活躍中だ。

 郷里帰省の際、叔母宅へお邪魔する機会があるのだが、毎日夕刻になると夫であるご亭主より“帰るコール”が入る。 ある時、私が正直に問うた。「〇ちゃん(叔母の事)、これを毎日やられて鬱陶しくない??」 その叔母の回答とは、「鬱陶しい時もある。」
 そう言いつつもやはり叔母夫婦は仲良しだ。 未だにダブルベッド生活。 何処へ行くにも何をするにも二人三脚。 しかもご亭主の希望により叔母には運転免許を取らせず、定年退職後は叔母の送り迎えを一手に引き受けている夫氏でもある。

 私に言わせてもらうならば、至ってアンビリバボーな生活風景だ。 これじゃあ、監獄に入れられているも同然!
 それでも叔母夫婦がそれで良けりゃ、他人がどーのこーの言うべきではないのだろう。


 昨日2019.02.16付 朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談は、70代女性による投書だった。
 早速、その相談内容を以下に要約して紹介しよう。

 70代女性だが、7年前に親友を亡くした後そのご主人の事で悩んでいる。 近所に住むそのご主人は近くに友達がおらず、亡き妻の友人である我々親友女性達のことを「嫁が残してくれた宝物」と言い、私達を自分の友人と思うようになった。  互いに同性のように接し、3人で旅にも出た。
 ただそんな関係に違和感を覚えるようになった私は、その後2人からの誘いを断るようになった。
 その2人には資産が十分にあり、年金暮らしの私と夫とは金銭感覚も違う。 食事の誘いを断るうちに、2人から“引きこもり”呼ばわりされ、「そんな人生ではダメだ。もっと出歩かないと」と言われた。 私は何度も「放っておいて」と言ったが聞いてくれない。
 1年程前から、自宅近くのジムに彼が来る度「古くなった家の外観を修理しないのか」「車が家にずっと止まったままだ」などと口出しするようになった。 家のチャイムが鳴れば居留守を使い、嫌悪感で心臓がバクバクする。まるで監視されているようだ。
 夫は相談にのってくれないが、どうすればよいか。
 (以上、“悩みのるつぼ”70代女性の相談より引用したもの。)


 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 まず冒頭の我が叔母に関する私事に対する私見だが。

 これどう考察しても我が叔母は、結婚当初にご亭主より「専業主婦」である事を望まれ叔母を自己所有物としたご亭主に“人生を潰されて”しまっている。
 いや実際この叔母、十分に優秀な人材なのだ。 持って生まれた性質に大いなる歪みがある私め・原左都子と比較しても、その“素直さ”故に将来的に大成可能な人物だったであろう。 
 まあ、産んだ子供達を大成させたとの意味合いで、叔母自身も満足な人生なのであろうが。
 ただその発想こそが、“旧人類”感覚ではなかろうか? と私は考察するのだ。
 叔母よりも11年後に生まれた私は、とにかく自分自身が大成したかったものだが。 
 その感覚差こそが、昭和の終戦期に生まれ出た人間と“もはや戦後ではない”と言われた時代に生まれた人間との格差なのだろうか??


 次に、上記に紹介した朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容に関する私見に入ろう。

 いやはや、何とも気の毒な相談と私は解釈した。
 どうしたと言うんだ? その近所に住む旧友の亭主との人物は!
 これぞ、嫌味な“旧人類”の典型例なのであろう。 
 他人の個人生活にまで入り込み自分より相手が劣っている事実を嗅ぎ付け、それをご本人に直接提言した挙句の果てに、自己の優位性に酔いしれる有様……

 これぞ、みっともない“旧人類”がこの世を無責任に生きるべく醜態なのかと思い知らされる…

 この私も当該ブログ界やあるいはランニング練習中等々に、70代と思しき男性群と相まみえる機会が少なくないのだが。
 いえいえ私を取り巻く70代男性の皆様は、ご対応を心得ていらっしゃる方々ばかりで安堵申し上げているが…


 最後に、今回の“悩みのるつぼ”ご回答者であられる歌手・俳優 三輪明宏氏の回答「なぜ嫌か、はっきり伝えましょう」の最後の一部を要約引用しよう。

 きちんとした大人同士の付き合いというものはあっさりしていて、だからこそ長く続く。 人間関係とは本来そうあるべきだ。 人格的に出来た付き合いはお互いに一定の境を越えない。その境を越えると戦争になりかねないからだ。 相談者の場合、相手は既にストーカー行為をしていて、事によっては法律違反にもなる。 このままエスカレートするならば、公的機関に相談せねばならないだろう。」

 いやはや、三輪明宏氏のご回答通りであろう。

 あ~~~、ごめんなさい!  と、この原左都子も、ブログ付合い70代の方々に謝罪せねばならないのかもしれない。
 と言うのも、読者皆様のコメント欄にて “言い過ぎ” の事実を常に反省している故だ。
 (今回の冒頭表題とて、70代読者皆様に喧嘩売ったでしょうし……  )

 いや、本心で反省しておりますので、70代の皆様、どうかお手柔らかに……  

「パズル推理」( 朝日新聞 2019.02.16編)

2019年02月16日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞本日2019.02.16付バスル「推理」に原左都子が解答したもの。)



 本日の朝日新聞パズル「推理」は“難易度4”とのことで、久々にその解答を公開することとした。


 まず注目するべきは、登場人物の“年齢差”ではなかろうか?
 
 設問を読むと、年齢が2歳差と3歳差の話題が出ている。
 
 C氏曰く、「水野は私より2歳年上」とのことだ。
 図を見ると、2歳差の二者関係は “27歳と29歳” 及び “32歳と34歳”に絞り込むことが可能だ。
 その関係に於いてC氏が水野氏より2歳年上とのことは、水野氏の年齢が29歳か34歳のいずれかになろう。
 それはひとまず置いておいて。

 D氏も「私は内川さんと3歳差」と発言している。
 この発言により、3歳差の二者関係は “29歳と32歳” 及び “34歳と37歳”に絞り込める。

 その関係下に於いて、とりあえずC氏と水野氏の年齢二者関係を“27歳と29歳”であると推定しよう。
 そうすると自ずとC氏が27歳となり、ここで、D氏の年齢が34歳か37歳であることが判明する。
 
 さらに、B氏が「俺は37歳ではないよ」と発言している点に注目だ。
 この発言により、D氏が37歳であることが判明する。


 それらの関係を図の中に〇✖にて書き込んで、上記写真に紹介した我が解答が導けたとの結論だ。



 今回の朝日新聞パズル「推理」が何故“難易度4”扱いとなったのかを、原左都子が“推理”するに…。

 “難易度3”以下の設問の場合、「推理」と銘打つパズルにして何ら「推理」せずして設問を順繰りに読むのみで解答可能な課題ばかりだ。


 今回の「推理」の場合は上記我が解説のごとく、「C氏と水野氏の年齢二者関係を“27歳と29歳”であると推定」する作業を要した。


 この差が難易度の差として一ランク上の位置付けとなったのであろうと私は「推理」するのだが、どうだろう。



義理チョコ30個を一気に配ったバレンタインデーの思い出

2019年02月14日 | 雑記
 私の場合もしかしたら、バレンタインデーに“本気チョコ”を本気で配った経験は皆無かもしれない。

 それに比し、職場で“義理チョコ”を配った記憶は未だに蘇る。
 中でも特に記憶が鮮明なのは、今は亡き東京駅丸の内口ド真ん前の旧丸ビルに勤務していた時代に、職場男性全員分の30個を超えるチョコを“一気爆配り”した経験だ。


 この話、私に取っては実に印象深く、毎年バレンタインデーを迎えると必ずや思い出す出来事である。
 そのためこの出来事をエッセイとして綴るのは今回で3、4度目であり、ご記憶ある読者の皆様もいらっしゃるかもしれない。

 この“チョコ爆配り”経験から約30年の年月が経過している事もあり、本日、過去に私が旧丸ビルで何の仕事をしていたのかに関する話題も「公表」することにしよう。
 私はこの旧丸ビルに4年間勤務していたため、その当時に旧丸ビル近辺に勤務していた特に男性の方々とお会いしていて、もしかしたら私の事をご存知かもしれない。


 それでは、2008.01.12公開の「丸の内でのお仕事」と題するバックナンバーを以下に要約して再掲載させていただこう。
 
 東京駅丸の内口駅前のビジネス街のビル群の中で最も駅近なのは丸ビルである。
 この丸ビル、2002年に建替えられた後はビジネスビルとしてのみではなく、後に建替えられた隣の新丸ビルと共に、今や東京駅前最大のグルメ・観光スポットとしてその名を轟かせている。
 建替えられて新しくなった丸ビルではなく、建替えのために壊されてしまった歴史的建造物時代の旧丸ビルに私は4年間勤めたことがある。 普通、女性が丸の内に勤務と言うとOLをイメージするであろうが、私の場合丸ビルでOLをしていた訳ではない。(私の職歴は多岐に渡るが、OL経験は一切ない。) 旧丸ビルの存在は有名であろうが、その最上階にバーラウンジが存在していた事実に関しては、当時その近辺に勤務していたビジネスマンしかご存知ない事であろう。 そのラウンジで私は、夜(とは言っても18時半~20時半までの早い時間帯の2時間のみ)ラウンジコンパニオンのアルバイトを2度めの大学時代の4年間続けたのである。
 私は30歳を過ぎて再び学生になり修士取得までの6年間学業に励んだことについては、当ブログのバックナンバー「パーコン」で既に述べている。 繰り返すが、私は30歳を過ぎた頃、自らの意思でそれまで勤務した医学関係の民間企業を退職し学生になった。 大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだ訳であるが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには、手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策だった。 民間企業勤務中に単独で購入した分譲マンションの住宅ローンもまだほとんど未返済であった。 大学の夏春長期休暇期間には医学関係派遣専門社員として集中的に稼ぎ、普段の土日はパーコンやワープロのデモンストレーター等単発の仕事で収入を得、土日夜には家庭教師をし、そして平日夜には当該旧丸ビルのラウンジでラウンジコンパニオンをしていたという訳である。
 パーコン(パーティコンパニオン)同様、当時は既にラウンジコンパニオンのアルバイトは私立女子大生の間ではそう珍しいことでもなかった。 しかし、国公立の女子学生のアルバイトコンパニオンはやはりまだ希少な存在だった。 したたかな私はその隙間を狙ったのも事実である。
 そして、この丸ビルの最上階のラウンジは客層が丸ビル及び周辺ビルに勤務する会社帰りのサラリーマンの常連固定客ばかりである。(三菱ブループ企業のエリートサラリーマンがほとんどだった。) 当時はまだ個人情報をオープンにすることにより自己アピールをすることが一般的な時代で、客からのよくある質問が「アルバイトでしょ、どこの大学?」が多発する。 国公立の学生であることを告げると一目置いてくれるというのか、とにかく客の受けがプラスなのだ。 断っておくが、ラウンジコンパニオンは着席はしない。あくまで立って歩きながら水割りを作ったり等々のサービス提供なのだが、客と二言三言程度の会話はする。 「もし良かったら連絡して。」などと言って、名刺を手渡される事は日常茶飯事である。 また、閉店時間が早く仕事の終了時間も20時30分と早い時間帯も功を奏して、「下で待ってるから。」と言って私の仕事終了を待って飲みに連れて行ってくれる客もいたりした。(常連客ばかりだから安心。もちろん相手は選ぶよ。) とにかく時給はいいし3倍美味しい仕事だった記憶がある。 人脈作りにはもってこいの仕事で、この仕事のお陰でよき相談相手や飲み友達に恵まれたものだ。 この仕事を辞めた後も長年(真面目な方面で)お世話になった方々も何人かいる。
 などと書くと不謹慎極まりない!とお怒りの方もいらっしゃるであろうが、その仕事内容は至って厳しい。 とにかく客商売は忍耐力が勝負だ。 当ブログのバックナンバー記事「パーコン」でも既述しているが、コンパニオンの仕事には、“華”“気品”そして“おもてなしの心”が要求される。 どんなに疲れていようが顔を塗りたくり、颯爽と姿勢を正し笑顔でいなくてはいけない。 片や客はお酒も入っているし、対応に苦慮した経験も数多い。それでも、お客様は神様である。失礼は許されない。
 私にとってこの客商売経験(パーコン、その他も含めて)は自己の人格形成に大いに役立ち、人間の幅が更に広がったと自負している。 故に、こうやってあえてブログで公開しているのだ。
 私は、このラウンジコンパニオンを大学4年の3月末日まで経験した直後に大学卒業後大学院へ進学し、後に高校教員として某公立高校へ赴任した。 生徒指導上、この客商売経験が大いなるプラスに作用したことは言うまでもない。 
 今後の教員研修の中に客商売を盛り込み、教員の生徒・保護者対応力を鍛え直した方が良いのではないかと私は真剣に考えているほどだ。
 様々な職業経験をすることにより、人間は自分自身の幅や人生経験の幅を広げていくことが可能だ。
それを短期間であるとはいえ自分自身の人生で実証してきた私が訴えたいのだが、どうか世間の皆さん、少なくともご自身の狭い見識で職業差別をすることはもう終わりにしませんか。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用したもの。)


 バックナンバーの引用が長過ぎて、肝心の「バレンタインに義理チョコを配った思い出」に関し記載するのが億劫になってしまった。

 それを要約するならば、義理チョコを配った1か月後の3月14日に。
 何と、想像をはるかに超える絢爛豪華なホワイトデーのお返しが30数個届いたとの結末だった。
 まさに“海老で鯛を釣った”事件であった。

 本エッセイの最後に、そのお返しの“絢爛豪華ぶり”のみを披露するならば。
 ブランド小物の数々、オルゴールに日記帳…  番外編として、4枚の便箋にしたためられた手紙、薔薇の花束にデートのオファー……

 私にとっては色々な意味合いで一生忘れもしない、丸の内旧丸ビルにてのラウンジコンパニオン経験譚だ。
 我が大学院進学後は、この丸ビル仲間とは(一部を除き)交流が無いまま年月が経過しているが…

 それにしても如何なる人生経験とて、自身のその後の生き様に於いて“血となり肉となる”ことには間違いない!