原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日韓こじれ問題、日本国民はまず過去に何が起こったかを知るべき

2019年02月21日 | 時事論評
 ここのところ、日韓関係が悪化の一途を辿っている感がある。
 その問題に対する日本の対応とは、簡単に表現するならば、安倍首相を中心として「日本は既に謝っているのに、韓国こそがいつまでもしつこい。韓国こそが謝罪するべきだ。」との論理のようだ。

 本当にそうだろうか?
 私は純粋な日本人であるが、どうもこの安倍氏を中心とした“韓国批判”にずっと違和感を抱かされている人間だ。
 例えば韓国国会議長文喜相が、「慰安婦や元徴用工本人に対して日本の天皇か安倍首相が直接謝れ。それをしてくれたら韓国民は納得する。」と主張している。 これなど、天皇はともかく、安倍首相がそれを今一度実行しても損はないように私は感じるのだが。


 私事になるが、私は2010年8月に娘を誘って韓国ソウル旅行をしている。
 その出発前に綴ったエッセイより、以下に一部を紹介しよう。

 来る2010年8月27日~29日の3日間 韓国ソウルの新羅ホテルに於いて開催される “ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR SEOUL” の招待状を知人の美術家 長はるこ氏より頂いた。
 年に一度アジアのトップギャラリーがアジア各国のホテルに集結するアートフェアに、長はるこ氏は日本を代表して自らが主宰されている「B-gallery」をギャラリーごと出展されることに相成ったのだ。
 経済の急激な成長発展と共に芸術市場が大いに活気付くアジアの新興国は、今では経済が低迷を続ける日本とは比較にならない程に芸術分野も活性化していると見聞している。 アジアにおける芸術家の活躍の中心は今や日本ではなく、中国上海であり、韓国ソウルであり、はたまたシンガポール、台北、香港、そしてインドに既に移り変わっているとの情報も見聞する。 
 今後芸術家を目指す(あくまでも当時の話だが)我が子にとって、今回ソウル新羅ホテルにおいて開催されるアートフェアを訪れ今をときめくアジアのトップクラスの芸術に触れておくことは、明るい未来への一つのとっかかりとして貴重な経験となることであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)

 まさに素晴らしいソウル芸術訪問だった。
 アートフェアはもちろんのこと、ソウルの国立博物館へも娘と二人で足を運んだ。 その所蔵作品の数々とは膨大な数に上るようだが、日本の著名作品展示コーナーもあり、充実した美術鑑賞を堪能できたものだ。 
 また、娘と二人で地下鉄に乗ったり道を歩いていると、どうやら“ソウルっ子”と勘違いされるようで、現地の人々によく道を尋ねられたりした。 「I’m sorry. We are Japanese.」と告げると、「こんにちは!」と挨拶してくれたりして歓待を受けた。 食事処やお土産店等々何処へ行ってもソウル市民の皆さん実に親切で、有意義なソウル旅行だった。
 そのような経験も重ねた私にとって、韓国とは機会があればまた是非訪問したい隣国である。


 さて、冒頭の話題に戻そう。

 昨日2019.02.20付朝日新聞夕刊内に、国際政治学者 藤原帰一氏による「厳しさ増す日韓関係、映し鏡の犠牲者意識」と題する記事が掲載されていた。
 この藤原氏の論評が、僭越ながら原左都子の現在の「日韓問題」に対する私見と一致するのだ。

 そこで、当該藤原氏の論評記事の一部を以下に要約引用させていただく事としよう。

 日韓関係は国交樹立後もっとも厳しい情勢を迎えた。
 元徴用工による訴えを韓国最高裁が認め、新日鉄住金に損害賠償を命じた件。 慰安婦財団解散による日韓慰安婦合意事実上の破棄。 昨年12月には海上自衛隊の哨戒機がレーダー照射を受けたとする日韓対立。 最近では、韓国国会議長文喜相による天皇が謝罪せよとの発言問題。
 何故こんなことになるのか。 に対する日本での解釈とは、文大統領が左派のポピュリストであり反日感情を煽る事で政権を支えているというものだ。 だが、文政権が煽ったから問題が生まれたというだけでは、何故韓国で反日感情が強いかという問いが残される。
 国際的には、徴用工と慰安婦について韓国政府の主張に賛同する声が多いと言っていい。 私も慰安婦は性犯罪であり、売春一般と慰安婦を同視する議論は暴論と考える。 
 日韓の歴史問題を論じた木村幹は、歴史問題は沈静化するどころか1990年代に入って悪化したと指摘し、この問題は過去の事実のみならず現在の政治、ポピュリズムの台頭とナショナリズムの高揚の中で捉えねばならないと主張した。
 日本の犠牲者という認識を韓国国民が共有し、その韓国の訴えが国際合意を踏みにじる行いとして日本で伝えられる時、「われわれ」は「やつら」の犠牲者だという認識が両国で加速し、鏡で映し合うように犠牲者意識とナショナリズムが高揚してしまう。
 韓国で語られる歴史が「正しい」訳ではない。 それでもここで問いかけたい事がある。 植民地支配下に置かれた朝鮮半島の社会、そして戦後に動員された労働者や女性が強いられた経験について、日本でどこまで知らされているのか、ということだ。
 日本の朝鮮半島支配を正当化し、徴用工は強制動員されていない、慰安婦は売春婦だと切って捨てる人間が日本国民の多数だとは私は信じない。 更には、植民地支配と戦時動員との過去を見ようとせず、知らない事の中に自分達を置いている日本国民が少なくないことも否定できない。 過去を知らない責任を問われても仕方ない。
 何が起こったのかを知らなくても謝罪はできる。 謝る前に必要なのは、何が起こったのかを知る事だ。 自分達を支える国民意識に引きこもって日韓両国民が非難を繰り返す時、ナショナリズムと結びついて単純化された国民の歴史から自分達を解放する必要は大きい。
 (以上、国際政治学者 藤原帰一氏による朝日新聞記事論評より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の「日韓こじれ問題」に関する現在の思いを伝えよう。

 いや~~~。 上記藤原帰一氏による論評に大いなる拍手をお贈り申し上げたい。
 これまでこの日韓問題に関し、何を読んでも如何なるニュース報道を聞いても、我が思いを的確に表現してくれる媒体に巡り合えないでいた。

 特にとんでもなかったのが、安倍政権筋の発表だ。 
 「日本は既に韓国に対し謝罪して決着している問題だ。 何故何度も繰り返すのか。韓国こそがその失言に謝罪するべきだ。」等々…、 
 そもそも、安倍氏の日韓問題に対する姿勢が当初よりこの路線だった。
 教科書問題然り。 安倍政権に移り変わって、どれ程社会科教科書の中身が日本本位に書き換えられたことか。

 まさに、藤原氏の論評通りである。
 「植民地支配」や「戦時動員」など、過去に於いて日本が韓国含め近隣諸国相手に犯した過ちを国民に正しく伝えることから再出発するべきだ。
 過去に何が起ったのかを政府が国民に隠蔽し続けたのでは、今後も日韓関係の好転は期待できないであろう。
 我が国日本にとって、「過去を知らない(政府が過去を国民に知らせない)」責任は多大だ。

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