原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自分の個性を表に出して勝ち取った娘の内定

2015年10月10日 | 仕事・就職
 またもや我が娘が、人生の岐路に於ける快挙を成し遂げた! 
 一昨日の10月8日、遅ればせながらも現在大学4年生 “就活落ちこぼれ”娘に「内定」が出た!


 私立中学受験合格、大学公募制推薦入試合格に引き続き、今度は就活内定ゲットだ。

 娘本人にとっては、今回の就活内定への道程が一番長く厳しい歩みだったかもしれない。
 と言うのも、中学受験及び大学受験に関しては娘のお抱え家庭教師である私との二人三脚での勝負だった。 私が敷いたレールを厳しいサリバン(私の事だが)の指導の下、素直に従順に努力すれば済んだとも言えよう。

 ところが就職ともなると、そうはいかない。 今度こそは親は決してしゃしゃり出ず、既に成人している娘に自力で頑張ってもらわねば将来がないと言ってよかろう。 一切のコネも使わず、就職に関するすべての活動を娘に任せ切った。


 まだ雪が降る寒さの3月上旬から季節が巡って一昨日の10月上旬まで、娘は一人で考え一人で選択し、一人で行動した。 就活先から落とされても、また振り落とされても弱音の一つも吐かず、電車に乗って足繁く求人先へ通い詰めた。

 猛暑が迫った7月頃、たった一度だけ娘の涙を見たことがある。
 某一部上場企業の一次筆記試験に合格し、二次の面接でも娘一人に40分もの時間をかけて面接して下さる就職先と巡り会えたのだ。 その日、自宅に帰りついた娘がすぐさま私に告げる。「今日は手応えがあった!」と。 「そう良かったね!」   そうして親子共々楽しみに結果を待ったのだが、届けられたのは不合格通知…。  一人自室で学習机の椅子に座り静かに泣いている娘の後ろ姿を見て“世の無情”を思い、台所へ去った私は娘の百倍泣きはらした。
 それでも娘はすぐさま心機一転し、翌日からまた日々元気に就活に出かけて行く。
  
 そして暑い夏が過ぎ去り10月が訪れ、大企業では早くも新卒者の「内定式」が執り行われた様子だ。 昼のテレビニュースでその映像を見た私の脳裏には、抑えても抑えても“敗北感”が込み上げて来て、そのマイナス感情が涙となって流れ出る…。 
 その日も娘は就活に出ていた。 一緒にテレビを見ていた亭主に「今日の内定式ニュースの話題は娘には隠しておこうね…。」と諭す私。   ところが娘の方が親の我々よりずっと人間が出来ていた。 帰宅した娘がシラっと言うには、「今日の街中は内定式帰りの学生でごった返していたよ。」 (娘よ、あんたはホントに偉いよ…)

 10月1日に内定式ニュースを見た翌日、私は亭主と話し合った。
 「もしもこのまま、あの子に内定が出ない状態が続いた場合、一度私が大学の進学課へ行って相談して来ようかと思う。 ちょうど12月上旬に卒論最終発表会があるから、その時就職課へ挨拶に行くよ。」 それに亭主も同意して…。

 夜就活から帰宅した娘に、早速その旨を伝えた。 そうしたところ娘曰く、「今日訪れた就活先で内定が出そうに思う。 だから(親の貴方が)大学の就職課へ行くのはそれを待ってからにして欲しい。」  (う~~ん。 そうだとよいが、7月に娘が同様の感覚を抱いた企業から不採用の通知が届いているし、これはまた娘の勘違いかもしれない…)との思いが強靭なのは、親として致し方無いだろう。
 そこで今回は、何故「内定」が出そうに思うのかを娘に単刀直入に質問した。
 
 そうしたところ、娘から返ってきた回答とは以下の通りだ。
 今回娘が訪れた就活先とは、比較的小さい規模の民間企業だ。 そのため新卒採用面接に当たり(おそらく50代位の会社役員と思しき)年配男性がその試験を担当してくれたとの事である。 新卒者の採用人員が少ない事も幸いして、その人物が個々の新卒就活生に快く声掛けをしてくれるのに加え、他の社員の皆さんも気軽に娘に声を掛けて下さったらしい。 
 そしていよいよ娘の面接の時に50代と思しき男性が娘に対して曰く、「貴方は口下手で人とのコミュニケーションが苦手なタイプですね。」 それに娘応えて 「はい」。 50代男性曰く「それならば貴方が我が社に入社したなら、まずは技術面の充実に努めましょう。」

 いやはや、少し個性が強い娘を持つ親の身としては、上記企業役員と思しき男性の力量に驚き感動するばかりだ。
 通常の就活面接に於いては、就活生の欠点部分になど決して触れる事無く、ただ単に自社が要求する新人を確保したいがために最初から切り落とす作戦に躍起になる事だろう。

 特に巨大企業に於いては、たかが新人採用の場に企業役員がわざわざ出てくるなど到底あり得ない。 私もテレビ報道等で散々接しているが、大企業とはまず新入社員と同年代の若手社員連中に集団面接をさせている映像を何度も見せられている。
 まあ要するに巨大企業組織に於いては、大学新卒者を何千人規模で採用しておいて、それを入社初期段階で振り落す魂胆であろうから、その採用実態で必要十分なのだろう。

 我が娘に視野を移した場合、何千人規模で新人が大量採用されるがごとく(武道館で入社式を執り行う程の)大企業の内定を取ったところで、入社後の実態とはマンモス大学にでも入ったと同様の“ゴミ扱い”だったのではなかろうか。
 それらの経験が一度も無い元々集団嫌いな親の私とて、大量新人入社式の風景などメディアで見せられたものなら、娘にはそんな環境には決して身を置かせたくないとの恐るべく感覚を抱かされると言うものだ。
 

 元より、所属大学(単科女子大学だが)よりの“就職推薦”も嫌い敬遠し続けていた我が娘が、自力で最終的に内定ゲットしたのは上記某最新技術系の小規模企業だ。

 既に入社試験段階で、良き(将来の)上司に出会えたものと母である私は理解し安心している。
 娘よ、来年4月からは、とにかく自力で内定を勝ち取ったその企業で頑張りなさい!

公教育現場は “阿呆の一つ覚え” がお好き

2015年10月08日 | 教育・学校
 まったくもって、公教育は子供の命を如何なるものと捉えているのか!?!

 毎年全国で多数の怪我人を出している運動会の一行事を、恒例だからというそれのみの理由で“阿呆の一つ覚え”感覚で安穏と続行するその怠惰ぶりには実に辟易とさせられる。


 早速、ネット情報から怪我人を多数出している学校運動会行事を批判した文章を紹介しよう。

 去る9月27日に、大阪府八尾市の大正中学校で起きた組み体操10段ピラミッドの崩壊事故。 同校では、昨年も練習中を含め組み体操で4人が骨折していたことが明らかになり、さらなる波紋が広がっている。
 ネット上では組み体操の是非をめぐり大論争に発展。 報道直後から<物理的に無理がある>と危険性を主張する声が続出したほか、<練習でも成功したことないのに本番強行とは大日本帝国の軍隊かよ>といった学校への批判も少なくない。
 一方、<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘や、<せいぜい四段でええやろ>とピラミッドの段数に制限をかければ良いのではないか、とする意見もみられる。
 著名人達も今回の事故に反応した。 3日には教育評論家の尾木直樹氏がブログで痛烈に批判。「やらせる学校も学校なら眺めて感動する親も親」「毎年毎年繰り返される人間ピラミッド事故 もう見たくありません! 校長の一声で中止出来ますよ」と、ピラミッドの廃止を主張。 4日には「文科省は組体操事故 緊急調査すべきです」と訴えた。
 キャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたら、スポーツってできなくなるんだよね」と組み体操を擁護する趣旨の発言をするなど、著名人の間でも意見が割れている。
 論争はまだまだ続きそうだ。
 (以上、ネット情報より引用。)


 この話題をネット上で発見して、私は過去に「原左都子エッセイ集」にて綴った 「逆上がりの屈辱」 なる2009.5.26 バックナンバーを思い出した。 以下にその一部を要約引用しよう。

 現在の小学校でも、全員が必ず「逆上がり」が出来なくてはいけないなどという“意味不明な縛り”を、まだ全児童に課し続けているのであろうか?
 人間とは、(公教育で下手に教わらずとも)人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面や技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には訳がわからず、(学校から)言われるままにただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
 それに加え、人間としての“成功感”が大きくものを言うようにも私は感じる。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は出来るぞ!」とのごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力が力強い後ろ盾となって、体を突き動かしてくれるように感じることをよく経験する。
 話を冒頭の小学校の頃の「逆上がり」に戻すが、この私もなかなかクリア出来ずクラスで最後の2、3人にまで残った“「逆上がり」落ちこぼれ”児童だった。  あれは、我が幼き日の屈辱的な光景として今尚忘れずにいる。
 まず我が折れそうな細腕が体を支えられない。  それ以前の問題として、昔の小学校には体育専任教師など配備されていなかったため、技術的に「逆上がり」を指導できる指導者が誰一人としていないのだ。 そんな劣悪環境の中で、ただただ周囲の児童が成功するのを見よう見真似で頑張るのだが、どう足を上げても成功には程遠く疲れ果てるばかりだ。
 更に極めつけは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた。「皆出来るのに、何であんたは出来ないの!」との教員の罵声が「逆上がり」が出来ない児童の劣等感に追い討ちをかける。 「だったら、あんたがちゃんと教えろよ!」と今なら言い返すだろうが、当時の幼き私に教員に逆らう手立てなど何もない。
 それでも、その“出来の悪い”2、3人で日が暮れるまで学校の校庭で毎日頑張った。 一緒に残って元気に遊び回っている“出来る子”をお手本にしつつ、ある日、何とか「逆上がり」が出来た私であった。  残念ながら当時から“ひねくれ者”の私には何の達成感もなく、豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手と、“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残った。
 昔の小学校の体育教育において、何故にたかだか鉄棒の一種目でしかない「逆上がり」ごときに、教育行政があれ程までにこだわったのかは不明である。 もしかしたら、東京オリンピックで男子体操チームが大活躍したことに、単に浮かれ連動した安易な教育行政だったのだろうか??? 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 上記のごとく、私が公教育現場である公立小学校から全員「逆上がり」クリア!を無責任に強制されたのは、もはや半世紀前の話だ。

 その後50年の年月が流れた今の時代に於いては、公教育現場も進化を遂げているのかとの期待と共に、保護者の立場で我が娘を通して運動会を観察する機会はあった。

 確かに、娘が通った小学校でも6年生時点で「組体操」が運動会で実施された。
 我が家の場合、娘が生来的に抱えている事情に関し親(私)から学校に申し出ていた事が有効に作用したのかもしれないが、娘の「組体操」での位置を小学校現場が吟味してくれた様子だ。 身長が高い割にはか細い娘を、如何なる場所に配置するかをおそらく教員の皆さんが配慮して下さったものと理解している。 お陰で娘は骨折等の怪我をするでもなく無事に運動会を終えている。

 ただ、我が家のように親が学校に要望を言えるなどの、そんな家庭は現在に至っても極少の存在ではなかろうか。
 たとえ自分の子供が身体的に何らかの事情を抱えていようが、保護者からの申し出がない限り学校側が「組体操」なる種目を運動会で実施する場合、生徒全員を一律に取り扱わざるを得ないのであろう。

 その結果として、毎年骨折等児童・生徒の負傷が後を絶たないとの憂慮するべき事態を招く現実となっている…。


 ここは、上記ネット情報で公教育現場の実態を知らずして(安倍内閣が何とかその開催に漕ぎつけた 2020東京五輪に賛同して安倍政権に迎合しているのか?)身勝手なご意見を述べている見識者の方々に、原左都子から反論申し上げよう。
 (<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘。 更にはキャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたらスポーツってできなくなるんだよね」…)

 あのねえ。 おそらく世の親達とは貴方達が考えている以上に体づくりの必要性を実感し、子供達に運動をさせていると私は認識しているのだけど。 
 現在の公教育現場に於いては、「野球」「サッカー」等々を部活動として公教育内で実施している現状だ。
 我が家でも、娘の音楽・ダンス好きな特性を勘案してクラシックバレエを6歳から13歳に至るまで週2回ペースで習わせ続けてきている。 その経験から、娘は今となっては私と一緒に市民ロードレースに出場して完走できる程の体力及び持久力が身に付いている。
  
 「リスクを考えたら」どうのこうのの議論の前に、公教育現場で全員一律に「組体操」をさせる事の是非こそをまずは議論するべきなのは歴然だ。

 その結果として、多様性ある子供達にそれぞれの個性に見合った体力作りの推奨こそが優先されるとの結論が、馬鹿でも導けるものと私は信じたい。

 昨日(10月7日)の安倍改造内閣にて、元プロレスラーの 馳浩氏が新たな文科相大臣として任命されたようだ。  この人物が底辺庶民の公教育に関し、特に子供達の個々の未来に理解ある人物である事に期待したいものだが…

そんなに私が悪いのか?!!

2015年10月05日 | その他オピニオン
 (写真は、集合住宅である我が家の南側バルコニーから撮影した、現在大規模修繕工事中につき足場が組まれ建物全体に幌が被せられた風景。)


 私は生来的に“気難しい”人間である事を認める。 
 そして、物事の白黒をはっきり付けたい人種であることも自覚している。
 更には、どちらかというと“短気かつ喧嘩っ早い”性分であるとも自己分析出来ている。

 そんな私に、一昨日とある「格闘」の挑戦状を叩きつけられるごとくの事件が発生した。


 私の現在の住居である集合住宅が、9月より第一回大規模修繕工事に突入している。

 そもそも我が家は今回の修繕工事“先送り案”支持派であり、9月からの工事実施に関して「反対」の立場を貫いてきた。 
 その理由とは複数ある。
 一つには、現在東京は2020五輪開催に伴い建設工事が多発している現状であり、必然的に市場の工事費用が高騰している。  物件の痛みが激しいのならば早急に修繕工事に入るべきだろうが、事前調査によるとさほどの痛みはないとの結果が出ている。 ならば工事費用高騰現象が収まって後に実施しても遅くないと、管理組合を通して幾度となく訴えた。
 二つ目として、我が家の場合築32年を経過した別物件(昨年売却)を所有していた関係で、「大規模修繕工事」の実態の程を詳細に把握している。 それに対し集合住宅を購入する人のほとんどが初回の購入者であり、修繕工事を実施したら見違えるように物件が蘇るとの感覚があるようだ。 確かに、こと外見に関しては“”一見”美しく蘇ったかの感覚は抱く。ところが物件の劣化とはそれ程甘くはなく、第一回大規模修繕では着手しない建物内側の給排水設備等々の劣化を防げる訳ではない。 
 三つ目は、物件管理会社(長谷工だが)とその下請工事会社との癒着の実態だ。 これに関しても、我が家はその現状を厳しく追及した上で、出来るならば癒着の無い工事会社と修繕契約を結ぶことを主張した。 と言うのも、現在我が物件の修繕積立金が ¥4,000万円 積み立てられているのだが、その全額が今回の修繕工事に必要と言う。 そんな偶然があるはずがなく、詳細な資金計画を提出せよ!と迫った我が家だ。

 結果としては管理組合員大多数賛成決議により、我が家としては不本意ながらも「第一回大規模修繕工事」に9月から突入してしまったのだ…。 
 (世の庶民とは何故これ程“素直”なのだろう? それは単に馬鹿なのか? あるいは巨大組織相手に“闘う”との選択肢を避けたいのだろうか??)

 実際問題、我が家の意に反して9月に大規模修繕が開始されている。 もはや、これを許容して日々暮らすしか方策が採れない。 (と思いつつも冒頭写真のごとく、展望と日当たりが自慢だった我が家も南側バルコニーに鉄柵と幌を施されてしまっては、まるで「牢獄」に出も入れられている気分だ。 これを工事期間である年末まで耐えねばならない…。


 そんな折、事件が発生した。

 我が家の場合、当該物件を購入する時点で「オプション」工事を複数申し出ている。 「オプション」とは市場価格に対し大幅に割高なのだが、とにかく入居前に工事を終えてくれるのが魅力で、複数のオプション工事を依頼した。
 その一つが、南側バルコニー床面に設置した「タイル」だった。 当時のオプション時価で50万円程の費用を計上している。 ところが今回の大規模修繕において長谷工側が指示した内容とは、「バルコニーに設置しているタイル等は自費にて撤去廃棄するように」との事だ。
 これにも噛みついた私だ。 購入時に時価より大幅に高い価格で購入させておきながら、今更自費で撤去・廃棄せよとは何事か! 我が家の意向としては、撤去及び再設置費用を支払ってよいから、長谷工側でその手配をして欲しい旨を伝えた。  そうしたところ、長谷工側から6万円との有償で撤去・再設置工事を実施するとの返答が来て、それに同意した。

 さて一昨日(10月3日)、実際にバルコニータイル撤去工事が始まった。
 まず工事作業に来てくれたのが長谷工の下請組織の工事員氏だった。 足場から来て頂いたのだが、私としては直にご挨拶を申し上げたく思い、バルコニー側の窓を開けその旨の挨拶をした。 作業員氏はそれに心良く応じて下さり一人で粛々と工事を実施されていたようだ。
 その作業の途中に、突然長谷工の作業員氏と思しき男性が足場から我が家のバルコニー内にいきなりやって来て大声で言うには、「こんなにバルコニーを汚されては迷惑だ!」
 ちょうど南側室内で「原左都子エッセイ集」を綴っていた私は、その発言に驚き大衝撃を受けた。 その時感じた私の反感は次の通りだ。  (誰がバルコニーのタイルを買って設置せよと言った!? しかも市価より高額で! 大規模修繕時にそれ程迷惑ならば、最初から売るなよ!! 少し考えてみろよ。 一旦バルコニーにタイルを敷き詰めたならば、素人がその下を掃除出来る訳がないだろ! 綺麗好きな私とてタイルの下が想像を絶する程に汚れている事など百も承知だが、どうやって掃除しておけと言うのか!)
 それでも、私は一生懸命作業をしている長谷工下請職人の方が作業を終わるまで耐えた。 そして下請け職人氏が作業を終えた時点で、長谷工本部に上記( )内趣旨の抗議電話を入れた。

 そうしたところ返って来た回答はさすが、大手建設企業ならではの模範回答だった。 「明日の午前中までに現場調査をしまして、謝罪に伺います」との事だ。
 そして、昨日午前中に今回の長谷工大規模修繕最高責任者氏と、現場監督氏が我が家にやって来て謝罪を述べた。その謝罪内容を紹介するに、結局暴言を吐いた現場作業員氏を厳重注意としたとの事だ。
 それに多少の不安を感じた私は、「その作業員が本当に自分が失言したと認めていますか? 厳重注意したと言っても、その方が我が家のバルコニー修繕にまた来るのですか??」 いろいろ尋ね返す私に対し、どうも私よりも若いと思しき長谷工本社職員の回答がしどろもどろなのも察知した。 


 要するに、今後も自力対応するしか方策が取れない事を実感だ。

 巨大企業内で、ある程度上部社員とて弱者。 
 しかも下請け職人氏とて、もっと弱者。  
 更には、我が家のベランダで「迷惑だ!」と叫んだ長谷工職員こそが一番下っ端の弱者。……

 そんな弱者だらけの世の中に於いて、誰相手にも喧嘩を売れる訳などないとの結論に達するのだろう。

 「あんたが悪い!」と誰かに喧嘩を売られたとしても、年長者の立場としてはその言葉を一旦我が胸に潜め、「そうですね。」と軽く反応出来る力量を培いつつこの世を渡って行くべきなのだろう。

時代の要請と共に弱者保護へと進化する道路交通法

2015年10月03日 | 時事論評
 (写真は、運転免許証更新時の講習に於いて配布される「安全運転のしおり」22、23頁より抜粋して転載した、「大震災(震度6弱以上)発生時における交通規制」 の図。)


 決して私は警視庁の“回し者”ではないことを最初にお断りしておく。

 その上で、先だっての9月29日に5年に一度の運転免許更新に出向いた際、(「優良」者の場合30分間の)講習に於いて実際市民に役立つ情報を得たため、今回のエッセイではその内容の一部をかつつまんで紹介しよう。

 特に印象深かったのは、「最近の道路交通法の改正」に関する講習だ。

 まず、その一。

 皆さんは、「環状交差点」 なる交差点を車で通行したことがおありだろうか?
 私の場合、現在ペーパードライバーの身であり元よりその経験がないのだが、テレビか何かのメディア情報源より当該交差点が日本国内でも浸透しつつあるとの報道を見聞した事はある。 要するに十字交差点に於いて信号を設置しない事により運転者の信号待ち時間ロスを少なくすると共に、特に交通事故が多発する「右折」の危険性をも回避する目的で考案された交差点と理解している。

 この「環状交差点」に関して、近年警視庁が「道路交通法改正」の項目として法制度化したとのことだ。
 ところが、私個人的に今回の講習において興味深かったのは、この交差点が東京都内に於いては“1箇所”しかないとの講習担当者氏の話だ。 
 私見だが、分かる気がする。 交通量が膨大な都会に於いてこの種の交差点を設置した場合、おそらく大渋滞を引き起こすことだろう。 要するに「環状交差点」とは、交通量が少ない地域に於いてこそ本来の役割を最大限に発揮可能と推測した。

 その二。

 今や事故が多発している「自転車走行」に関する法規制改正内容だ。
 私自身が既に十数年前より“自転車に乗らない主義”を貫いている。 加えて10年程前より車にも乗らず、あくまでも“最大交通弱者”である歩行者の立場を主体的に貫きつつこの世の交通網を渡っている。
 その私として、一番身近に迷惑なのが「自転車」と言って過言でない。 特に大都会東京の場合、「歩道」自体が人一人歩ける程までに狭い! その狭い歩道を“そこどけ!”とばかりに通り過ぎる自転車走行者は後を絶たない。
 どうやら近年の道路交通法では基本的には「自転車は車道を通行するべき」との定めがあるようだが、都心の交通事情を知っての法改正なのか??? と私は常々疑ってかかっている。 確かに都心でも少し郊外の大規模道路へ行ったならば、自転車走行路と歩行者走行路が区別されている事も経験する。 ところが自転車事故が一番多発するのは、私が住んでいる地域のような都心にしての小規模道路ではなかろうか?
 先だっての免許更新時の講習では、大都市に住む市民個々が苦悩している狭い道路にての「自転車走行」被害に関する内容面での考慮が不足していたように感じる。 自転車走行に対する法制度は、これだけ国民が自転車を愛用している現実下に於いて困難な事態と想像するが、地域特質性を考慮した上で、自治体法制度も勘案する時期なのではなかろうか。
 私論としては、ここは思い切って自転車台数規制を実施し、自転車台数自体を減らす施策を取るしか手がないような気もする。

 その三。

 冒頭に掲げた転載写真に関して説明しよう。

 この課題に関しては講習内で最後の最後に取り上げられたのだが、大都会東京都心に住む私としては実に“明日は我が身”の切実なテーマと解釈した。
 まずは、東日本大震災発生翌日に公開した 2011.3.12「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 から一部を紹介しよう。
 その日の午後、外出予定があった私はその準備に取り掛かろうとしていた。  「あっ、揺れている。これは地震だ。」  (これは尋常な地震ではないぞ!)と思い始めるのと同時に、和室に設置してある高さ230cm程の書棚が前後に大きく波打ち始め、上部が後ろの壁にぶつかってはドーンと大音量を発し開き戸が全開した。  (書棚が倒れる心配よりも自分の命をつなぐ心配をするべきだ!)と少し冷静さを取り戻してみるものの、和室から見えるリビングルームの置物はすべて床に放り落とされ、壁に掛けていた絵画等も落ちて散在している。  とりあえず自分の命を守ることを優先した私は、自宅内の物が落下しない場所に立った。 立っていられない程の揺れだが、座ると上から物が落下してケガをする恐怖感で座る気になれないのだ。 おそらくこのまま自宅にいるのが一番安全だと悟った私は、まだ大揺れ余震が続く中、家中の見回りを開始した。
 次の心配は(当時高校生だった)我が娘! であるのは親として当然だ。
 首都圏の交通網は全面マヒ状態。 そろそろ娘の下校時かと思い早速携帯通話を試みたものの、報道で見聞しているごとく携帯電話は一切繋がらない。 16時を過ぎてパソコンからメールをしてみると、やっと繋がった! どうやら学校の指示で学内に留まった方が安全であるため学校で待機しているとのことで、娘からそのメール一報を受けて一応安心した私である。  今度は夕食の準備をしようとするとガスが付かない。(そりゃそうだろうなあ。この余震が続く中“火”など使ったものなら被害を拡大するだけだ。)と悟った私だ。 それでも、我が家では電気と水道が寸断されていなかったことが大いなる救いだった。
 娘に話を戻すと、首都圏の鉄道交通網は復旧不可能状態のようだ。  「下手に大混乱の首都で“帰宅難民”になるよりも、もしも学校で一夜を明かせるならばそれが一番の安全策!」との母の私の指示に素直に従った我が娘は、所属高校の体育館で「緊急対策グッズ」を配られ眠れぬ中何とか一夜を凌いだようだ。
 ところがその数日後に、娘が通う私立高校から3月11日に発生した「東日本大震災」時に娘を迎えに来なかった保護者に対する“批判めいた”文書(夜を徹して大混雑の中、子供を迎えに来た保護者を賞賛する内容)が届いたのだ。 これに憤りを感じた私は、抗議文を高校宛に記して届けた。
 それに対する高校からの返答がない時期に、既に国家より「大震災時はその場に留まる事を奨励する」なる指示に迎合する文書が高校より届く段取りと相成った。


 話題を、冒頭に紹介した写真に戻そう。

 冒頭写真内に掲示されている、「通行禁止」都心地区内に我が家も位置している。
 娘が高校生だった当時に発生した東日本大震災時に、もしも娘が通う私立高校側が何が何でも全保護者が子供を学校まで迎えに来い!と言い張るはらば、私は既に大混雑極限だった(上記写真の)「通行禁止」区域に車(タクシー)を走らせたのだろう。(タクシーなど捕まるはずもないのだが。) その結果とは更なる大渋滞を引き起こし火災や救急搬送要請に都内幹線道路が機能しない事実を煽ったと切なくも推測する。

 それ故、今年9月末に私が訪れた「免許更新講習」にて最後に実施された、大都会に於いて今後想像される大震災に関する講義内容は素晴らしかったと評価するのだ。
 実際問題、環状7号線内部に住居がある我が家の場合、可愛い娘が大震災時に何処にいるとて、「その場に待機して身を守れ!」と伝えるしか今後も方策が取れないと思っている。


 日本は2011年の「東日本大震災」を経験した事によって、災害対策の分野で「進化」出来たと感じられただけでも、私は9月に運転免許更新に行ってよかったと実感する。