原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学新卒社員に対する入社前教育に複雑な心境ながら賛同

2015年10月21日 | 時事論評
 我が娘が先だって就活「内定」を取った事に関連し、必然的に「原左都子エッセイ集」にてそれに関するテーマのエッセイが多発している現状を、冒頭よりお詫びしておく。


 今回もその例外でないのだが、前回のエッセイ内で記した通り、娘が明日内定先企業へ来春4月の入社に先立ち伝達事項があるとの事で出かけるスケジュールとなったようだ。

 (サリバン業務から一旦身を引こうと頭の片隅で思いつつも)現在の社会の諸動向が大いに気になる原左都子の性分…。
 「で、明日は具体的に如何なる目的で内定先へ行くの?」と娘にどうしても聞きたくて、それを実行に移すのが私の悪い癖である事は自覚出来ている。

 素直(に育った)娘がそれに応えて曰く、「明日は私の教育担当者氏と直に面接して、(技術社員として迎え入れる)私に対する入社前までの具体的教育内容を伝授してくれるようだ。」 
 サリバン(私の事だが)応えて、「要するに4月入社前までに最低限これだけは学習しておけ、との教育内容を明日貴方に伝授して、貴方がそれに従い4月入社まで自宅で学習を頑張るとのことね。」
 娘応えて曰く、「おそらくそういう事だと思う。」


 一旦、原左都子の私事と私論に入ろう。

 労働基準法に基づいて“厳格に”考察した場合、おそらく上記のごとくの入社前新入社員の扱いとは(もしもそれが無給にて施される教育であるならば)「法令違反」となるのではないかとの思いが、過去に於いて法学を学んだ我が脳裏に過る。

 実際問題私が40年程前に民間企業へ就業するに当たっては、その種の入社前教育など受けたためしもなければ、4月1日の入社日まで一度たりとて入社企業へ訪れた事もない。 我が大学にて培った専門学問・技術(及び国家資格取得との事実)を全面的に信頼し、新卒直後に専門職社員として採用してくれた故と思い起こす。

 ただ、(我が娘も含め)何らの国家資格も取得していなければ、採用側にしても、どれだけの活用潜在力があるのか否か不明の“貧弱能力”大卒者を雇い入れねばならない民間企業側の苦悩の程も重々理解可能だ。


 ここで、「原左都子エッセイ集」2015.7.13 バックナンバーにて公開した 「国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点で支持する」 なるエッセイから一部を紹介しよう。

  安倍政権は国立大学文系学部廃止を訴える以前の問題として、成すべき課題が盛沢山だ。
 安倍氏自身は私立大学文系学部出身でおられるが、国立大学が置かれている現状を一切認識不能の立場にして、他人事のごとく国立大学文系廃止案を提示したのであろうか。
 ただ、現在我が娘を理系(正確に言えば理系文系融合分野)単科私立大学内学科へ進学させている親の立場で思う事がある。  私立大学理系学部とは、おそらく文系学部に比し2倍以上の学費負担が発生するのが実情だ。(実験・実習等々を実施するための設備建設維持費は実際相当の金額に達するであろうことは想像がつくが。)  ならばむしろ、理系学部に要求される施設設備費を国家がすべて請け負っては如何なのか?   要するに安倍政権が国立大学をすべて理系学部に移行したいのならば、その施設設備負担こそを国庫金で賄うべきだ。  残された学部(すなわち文系学部)をすべて私立大学に任せるとの方策であるならば、自分の子を国公立・私立に進学させる親間での“学費負担不公平意識”も多少薄れるのではないかと単純に考え、評価したい思いにもなる。
 いや実際、国立大学に文系学部など要らない気がする私だ。  (その理由をここで説明するならば、特に長き独身時代に我が身を打ち立てた“食い扶持”のほとんどを国立理系学部で学んだ学問に頼る現実だった故だ。)
 京大総長が懸念されている「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。」とのご見解に関しては、私も賛同申し上げる。 大学とは「学問の府」であるべきであり、将来の“食い扶持”稼ぎ目的は本来二の次の課題であろう。  この課題に関しては、「一般教養課程」こそがその役割を重点的に果たすべきかとも考える。 現状の大学は(国公立も含め)この過程が貧弱と言えないか?  私の学生時代の経験からも周囲の若き学生達は単位取得に必死で、肝心の学問内容を素通りしている感があったものだ。
 もしも地方国立大学文系学部を全面的に排除したならば、過疎地地方の高校生達は今後県外の私立大学の文系を目指すが、高校段階で進学を諦めるしか方策が取れないであろう。 
 私の場合、中学生段階から「理系」を目指していた故に現在の上京が叶い、現在の自己実現が叶っているとも言える。 そうだからこそ、国家には是非とも、日本国内の何処の子供達の可能性を潰さないで欲しいものだ。

 昨日(10月21日)の報道によれば、文科相は更なる国内地方26国立大学の「文系」見直し案を提出したとの事だ。
 その内容のごく一部をここで紹介するならば、「地方国立大学文系学部生は地元企業への就職を踏まえていない」との事のようだ。
 (明日以降、「原左都子エッセイ集」にてこの話題に関し論評する予定です。)


 さて、話題を冒頭の我が娘の“就職前教育”に戻そう。

 再度繰り返すが、法学をわきまえる私としては、4月入社前に新卒内定者を来社させ今から新人教育をしようとの事態とは、一瞬「労働基準法」違反である感覚を抱かされるものだ。
 ただ冷静に考えた場合、その措置を施してでも(さほどの能力無き)大卒新卒者を採用しようとの(親の立場から言うと“出来の悪い娘”を採用してくれるとの有り難い)ご意思を持つ企業が存在している事実を、むしろ、今の時代に際しては国家や自治体こそが奨励するべきではあるまいか。
 そして学生側にしても、大学にて学べなかった実地で役立つ専門スキル等を企業側から早々教育してもらえる事とは、本人自身のキャリアアップ及び自己啓発にもつながるとの一石二鳥の効果もあろう。

 地方国立大学「文系」学部を安直に廃止しようと企てる以前の課題として、国家こそがなすべき課題が盛沢山なのではなかろうか??

 私の出身過疎県にも、今や大手企業が多く進出している実態だ。
 地方の地元国立大学学生達が過疎県内の企業に就職してくれないと嘆くよりも優先して実行するべきは、国家や自治体こそが地元企業に対し、国立大学文系学生を地元に留まらせるべく入社前事前スキル教育を施してでも採用するよう指導する事ではあるまいか??