まったくもって、公教育は子供の命を如何なるものと捉えているのか!?!
毎年全国で多数の怪我人を出している運動会の一行事を、恒例だからというそれのみの理由で“阿呆の一つ覚え”感覚で安穏と続行するその怠惰ぶりには実に辟易とさせられる。
早速、ネット情報から怪我人を多数出している学校運動会行事を批判した文章を紹介しよう。
去る9月27日に、大阪府八尾市の大正中学校で起きた組み体操10段ピラミッドの崩壊事故。 同校では、昨年も練習中を含め組み体操で4人が骨折していたことが明らかになり、さらなる波紋が広がっている。
ネット上では組み体操の是非をめぐり大論争に発展。 報道直後から<物理的に無理がある>と危険性を主張する声が続出したほか、<練習でも成功したことないのに本番強行とは大日本帝国の軍隊かよ>といった学校への批判も少なくない。
一方、<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘や、<せいぜい四段でええやろ>とピラミッドの段数に制限をかければ良いのではないか、とする意見もみられる。
著名人達も今回の事故に反応した。 3日には教育評論家の尾木直樹氏がブログで痛烈に批判。「やらせる学校も学校なら眺めて感動する親も親」「毎年毎年繰り返される人間ピラミッド事故 もう見たくありません! 校長の一声で中止出来ますよ」と、ピラミッドの廃止を主張。 4日には「文科省は組体操事故 緊急調査すべきです」と訴えた。
キャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたら、スポーツってできなくなるんだよね」と組み体操を擁護する趣旨の発言をするなど、著名人の間でも意見が割れている。
論争はまだまだ続きそうだ。
(以上、ネット情報より引用。)
この話題をネット上で発見して、私は過去に「原左都子エッセイ集」にて綴った 「逆上がりの屈辱」 なる2009.5.26 バックナンバーを思い出した。 以下にその一部を要約引用しよう。
現在の小学校でも、全員が必ず「逆上がり」が出来なくてはいけないなどという“意味不明な縛り”を、まだ全児童に課し続けているのであろうか?
人間とは、(公教育で下手に教わらずとも)人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面や技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には訳がわからず、(学校から)言われるままにただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
それに加え、人間としての“成功感”が大きくものを言うようにも私は感じる。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は出来るぞ!」とのごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力が力強い後ろ盾となって、体を突き動かしてくれるように感じることをよく経験する。
話を冒頭の小学校の頃の「逆上がり」に戻すが、この私もなかなかクリア出来ずクラスで最後の2、3人にまで残った“「逆上がり」落ちこぼれ”児童だった。 あれは、我が幼き日の屈辱的な光景として今尚忘れずにいる。
まず我が折れそうな細腕が体を支えられない。 それ以前の問題として、昔の小学校には体育専任教師など配備されていなかったため、技術的に「逆上がり」を指導できる指導者が誰一人としていないのだ。 そんな劣悪環境の中で、ただただ周囲の児童が成功するのを見よう見真似で頑張るのだが、どう足を上げても成功には程遠く疲れ果てるばかりだ。
更に極めつけは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた。「皆出来るのに、何であんたは出来ないの!」との教員の罵声が「逆上がり」が出来ない児童の劣等感に追い討ちをかける。 「だったら、あんたがちゃんと教えろよ!」と今なら言い返すだろうが、当時の幼き私に教員に逆らう手立てなど何もない。
それでも、その“出来の悪い”2、3人で日が暮れるまで学校の校庭で毎日頑張った。 一緒に残って元気に遊び回っている“出来る子”をお手本にしつつ、ある日、何とか「逆上がり」が出来た私であった。 残念ながら当時から“ひねくれ者”の私には何の達成感もなく、豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手と、“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残った。
昔の小学校の体育教育において、何故にたかだか鉄棒の一種目でしかない「逆上がり」ごときに、教育行政があれ程までにこだわったのかは不明である。 もしかしたら、東京オリンピックで男子体操チームが大活躍したことに、単に浮かれ連動した安易な教育行政だったのだろうか???
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
上記のごとく、私が公教育現場である公立小学校から全員「逆上がり」クリア!を無責任に強制されたのは、もはや半世紀前の話だ。
その後50年の年月が流れた今の時代に於いては、公教育現場も進化を遂げているのかとの期待と共に、保護者の立場で我が娘を通して運動会を観察する機会はあった。
確かに、娘が通った小学校でも6年生時点で「組体操」が運動会で実施された。
我が家の場合、娘が生来的に抱えている事情に関し親(私)から学校に申し出ていた事が有効に作用したのかもしれないが、娘の「組体操」での位置を小学校現場が吟味してくれた様子だ。 身長が高い割にはか細い娘を、如何なる場所に配置するかをおそらく教員の皆さんが配慮して下さったものと理解している。 お陰で娘は骨折等の怪我をするでもなく無事に運動会を終えている。
ただ、我が家のように親が学校に要望を言えるなどの、そんな家庭は現在に至っても極少の存在ではなかろうか。
たとえ自分の子供が身体的に何らかの事情を抱えていようが、保護者からの申し出がない限り学校側が「組体操」なる種目を運動会で実施する場合、生徒全員を一律に取り扱わざるを得ないのであろう。
その結果として、毎年骨折等児童・生徒の負傷が後を絶たないとの憂慮するべき事態を招く現実となっている…。
ここは、上記ネット情報で公教育現場の実態を知らずして(安倍内閣が何とかその開催に漕ぎつけた 2020東京五輪に賛同して安倍政権に迎合しているのか?)身勝手なご意見を述べている見識者の方々に、原左都子から反論申し上げよう。
(<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘。 更にはキャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたらスポーツってできなくなるんだよね」…)
あのねえ。 おそらく世の親達とは貴方達が考えている以上に体づくりの必要性を実感し、子供達に運動をさせていると私は認識しているのだけど。
現在の公教育現場に於いては、「野球」「サッカー」等々を部活動として公教育内で実施している現状だ。
我が家でも、娘の音楽・ダンス好きな特性を勘案してクラシックバレエを6歳から13歳に至るまで週2回ペースで習わせ続けてきている。 その経験から、娘は今となっては私と一緒に市民ロードレースに出場して完走できる程の体力及び持久力が身に付いている。
「リスクを考えたら」どうのこうのの議論の前に、公教育現場で全員一律に「組体操」をさせる事の是非こそをまずは議論するべきなのは歴然だ。
その結果として、多様性ある子供達にそれぞれの個性に見合った体力作りの推奨こそが優先されるとの結論が、馬鹿でも導けるものと私は信じたい。
昨日(10月7日)の安倍改造内閣にて、元プロレスラーの 馳浩氏が新たな文科相大臣として任命されたようだ。 この人物が底辺庶民の公教育に関し、特に子供達の個々の未来に理解ある人物である事に期待したいものだが…
毎年全国で多数の怪我人を出している運動会の一行事を、恒例だからというそれのみの理由で“阿呆の一つ覚え”感覚で安穏と続行するその怠惰ぶりには実に辟易とさせられる。
早速、ネット情報から怪我人を多数出している学校運動会行事を批判した文章を紹介しよう。
去る9月27日に、大阪府八尾市の大正中学校で起きた組み体操10段ピラミッドの崩壊事故。 同校では、昨年も練習中を含め組み体操で4人が骨折していたことが明らかになり、さらなる波紋が広がっている。
ネット上では組み体操の是非をめぐり大論争に発展。 報道直後から<物理的に無理がある>と危険性を主張する声が続出したほか、<練習でも成功したことないのに本番強行とは大日本帝国の軍隊かよ>といった学校への批判も少なくない。
一方、<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘や、<せいぜい四段でええやろ>とピラミッドの段数に制限をかければ良いのではないか、とする意見もみられる。
著名人達も今回の事故に反応した。 3日には教育評論家の尾木直樹氏がブログで痛烈に批判。「やらせる学校も学校なら眺めて感動する親も親」「毎年毎年繰り返される人間ピラミッド事故 もう見たくありません! 校長の一声で中止出来ますよ」と、ピラミッドの廃止を主張。 4日には「文科省は組体操事故 緊急調査すべきです」と訴えた。
キャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたら、スポーツってできなくなるんだよね」と組み体操を擁護する趣旨の発言をするなど、著名人の間でも意見が割れている。
論争はまだまだ続きそうだ。
(以上、ネット情報より引用。)
この話題をネット上で発見して、私は過去に「原左都子エッセイ集」にて綴った 「逆上がりの屈辱」 なる2009.5.26 バックナンバーを思い出した。 以下にその一部を要約引用しよう。
現在の小学校でも、全員が必ず「逆上がり」が出来なくてはいけないなどという“意味不明な縛り”を、まだ全児童に課し続けているのであろうか?
人間とは、(公教育で下手に教わらずとも)人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面や技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には訳がわからず、(学校から)言われるままにただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
それに加え、人間としての“成功感”が大きくものを言うようにも私は感じる。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は出来るぞ!」とのごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力が力強い後ろ盾となって、体を突き動かしてくれるように感じることをよく経験する。
話を冒頭の小学校の頃の「逆上がり」に戻すが、この私もなかなかクリア出来ずクラスで最後の2、3人にまで残った“「逆上がり」落ちこぼれ”児童だった。 あれは、我が幼き日の屈辱的な光景として今尚忘れずにいる。
まず我が折れそうな細腕が体を支えられない。 それ以前の問題として、昔の小学校には体育専任教師など配備されていなかったため、技術的に「逆上がり」を指導できる指導者が誰一人としていないのだ。 そんな劣悪環境の中で、ただただ周囲の児童が成功するのを見よう見真似で頑張るのだが、どう足を上げても成功には程遠く疲れ果てるばかりだ。
更に極めつけは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた。「皆出来るのに、何であんたは出来ないの!」との教員の罵声が「逆上がり」が出来ない児童の劣等感に追い討ちをかける。 「だったら、あんたがちゃんと教えろよ!」と今なら言い返すだろうが、当時の幼き私に教員に逆らう手立てなど何もない。
それでも、その“出来の悪い”2、3人で日が暮れるまで学校の校庭で毎日頑張った。 一緒に残って元気に遊び回っている“出来る子”をお手本にしつつ、ある日、何とか「逆上がり」が出来た私であった。 残念ながら当時から“ひねくれ者”の私には何の達成感もなく、豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手と、“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残った。
昔の小学校の体育教育において、何故にたかだか鉄棒の一種目でしかない「逆上がり」ごときに、教育行政があれ程までにこだわったのかは不明である。 もしかしたら、東京オリンピックで男子体操チームが大活躍したことに、単に浮かれ連動した安易な教育行政だったのだろうか???
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
上記のごとく、私が公教育現場である公立小学校から全員「逆上がり」クリア!を無責任に強制されたのは、もはや半世紀前の話だ。
その後50年の年月が流れた今の時代に於いては、公教育現場も進化を遂げているのかとの期待と共に、保護者の立場で我が娘を通して運動会を観察する機会はあった。
確かに、娘が通った小学校でも6年生時点で「組体操」が運動会で実施された。
我が家の場合、娘が生来的に抱えている事情に関し親(私)から学校に申し出ていた事が有効に作用したのかもしれないが、娘の「組体操」での位置を小学校現場が吟味してくれた様子だ。 身長が高い割にはか細い娘を、如何なる場所に配置するかをおそらく教員の皆さんが配慮して下さったものと理解している。 お陰で娘は骨折等の怪我をするでもなく無事に運動会を終えている。
ただ、我が家のように親が学校に要望を言えるなどの、そんな家庭は現在に至っても極少の存在ではなかろうか。
たとえ自分の子供が身体的に何らかの事情を抱えていようが、保護者からの申し出がない限り学校側が「組体操」なる種目を運動会で実施する場合、生徒全員を一律に取り扱わざるを得ないのであろう。
その結果として、毎年骨折等児童・生徒の負傷が後を絶たないとの憂慮するべき事態を招く現実となっている…。
ここは、上記ネット情報で公教育現場の実態を知らずして(安倍内閣が何とかその開催に漕ぎつけた 2020東京五輪に賛同して安倍政権に迎合しているのか?)身勝手なご意見を述べている見識者の方々に、原左都子から反論申し上げよう。
(<運動しない今のガキには荷が重かったんやろなあ>と現代っ子がひ弱になったとする指摘。 更にはキャスターの小倉智昭氏は10月2日、朝の情報番組「とくダネ!」で、「リスクを考えたらスポーツってできなくなるんだよね」…)
あのねえ。 おそらく世の親達とは貴方達が考えている以上に体づくりの必要性を実感し、子供達に運動をさせていると私は認識しているのだけど。
現在の公教育現場に於いては、「野球」「サッカー」等々を部活動として公教育内で実施している現状だ。
我が家でも、娘の音楽・ダンス好きな特性を勘案してクラシックバレエを6歳から13歳に至るまで週2回ペースで習わせ続けてきている。 その経験から、娘は今となっては私と一緒に市民ロードレースに出場して完走できる程の体力及び持久力が身に付いている。
「リスクを考えたら」どうのこうのの議論の前に、公教育現場で全員一律に「組体操」をさせる事の是非こそをまずは議論するべきなのは歴然だ。
その結果として、多様性ある子供達にそれぞれの個性に見合った体力作りの推奨こそが優先されるとの結論が、馬鹿でも導けるものと私は信じたい。
昨日(10月7日)の安倍改造内閣にて、元プロレスラーの 馳浩氏が新たな文科相大臣として任命されたようだ。 この人物が底辺庶民の公教育に関し、特に子供達の個々の未来に理解ある人物である事に期待したいものだが…