去る4月12日に自宅ベランダにて転び、左鎖骨及び右手首骨折(右手首に関しては骨ヒビ割れと解釈していたが結局骨折状態のようだ)の重傷を負って以降、本日で12日が経過した。
昨日4回目の整形外科医受診時に、負傷箇所X線撮影により治癒具合を確認した。
その結果とは、骨折後未だ11日程度しか経過していない段階での平均的回復具合であるようだ。(要するに大して回復していないという意味だが。)
自己診断としては、左鎖骨側は回復が見られる実感がある。
と言うのも、元々左鎖骨骨折の方が重症度が高いため左手が全く使用不能だった事に加えて、日々利き手である右腕を優先使用して左手をかばっていたせいであろう。 片やその間、骨折状態にもかかわらず“酷使”した右手が相当悪化している感覚があった。
結果としては、“両腕共にギブスとコルセットで固定して今後共絶対安静!(動かすべからず!)”との医師のご指導の下帰宅し、その後も相変わらず両腕を酷使している日常だ。 (だってそうしなきゃ、お手伝いさんなど雇えない我が家の日常生活が成り立たないのよ~)
そんな折、骨折から1週間ほど経過した日に我が郷里の実母より電話があった。
実は私は自分の骨折負傷状態に関して、郷里の母には一切伝えていなかった。 伝えたとて心配させるだけで、こちらとしては何かの役に立つでもない。 どうせ「気を付けろ」とでも説教されるのが関の山だ。
そうしたところ案の定母が言うには、「骨折は“日にち薬”だよ。直ぐに治るよ。 それにしても気を付けてくれないと、あんたに世話にならねばならない年老いた身としては困る。(中略) 私はあんたのように骨折など一切しないで一人で頑張ってるよ~。例えば……」
黙って聞いていれば電話は長時間続きそうだ。 (元々そう思っているが、こいつ、親じゃないなあ…)と改めて落胆しつつ、長話を中断し私は言い放った。 「さっき言ったでしょ! 私は両腕骨折していると。 受話器を持つのも辛い事があんたは分からないの?! それから“骨折が日にち薬”との言葉は、入院でもして絶対安静に出来る相手に言う言葉だよ! 私は回復が遅れることを承知の上で日々無理をして、重傷にもかかわらず早朝に起きていつもと変わらぬ家族の世話をしているよ! 少なくとも全治2か月の6月中旬までは郷里に行ってあんたの葬式を出せる身ではないから、それまでは死ぬな!」
私も言い過ぎたかもしれない。
だが、全治2か月の重傷を負って間もない実の娘に対して尚、電話口にて自分の言いたい放題の長話をしようとの“客観性をまったく失っている実母”に呆れるやら、“老いぼれる”とはこういう事態と実感させられるやで実に切ない感傷的な気分に晒され、私の負傷度合いが悪化した気がするのだ。
そんな折に目にしたのが、朝日新聞「悩みのるつぼ」4月19日の相談である。
40代女性よりの相談の題目だけ記すならば、「70代の母親の振る舞いが我慢できない」である。
それの回答者であられる三輪明宏氏のご回答のごく一部のみを以下に紹介しよう。
お母さんとは離れて暮らしているわけだから、放っておくことです。 帰省した時ぐらいは仕方ない。 数日間だけ介護士になったつもりで、人類愛やボランティアの精神をもって我慢したらいいでしょう。 70代にもなって矯正しようというの無理な話です。
(もしも読者の方の中に高齢者側の立場の人がいるならば)、 自分の葬式に於いて泣いてくれる人がどのくらいいるか思い浮かべるといいでしょう。 家族内ですら「やっと死んでくれ良かった」と心の中で思っていたとしたら… そんな惨めな葬式はないでしょう。
(以上は、三輪明宏氏の回答より一部を引用したもの)
ところが、原左都子は既に実母にその話はしている。 「あなたの葬式は私が喪主になる事が決定しているけど、もし泣いてくれる人がいなかったらどう思う? 実は私は誰も泣かない葬儀に出席した経験があるよ。」 この私の質問に対する母の回答とは、葬儀出席者の誰も泣かずとも次女である私に葬儀を執り行って欲しい様子だった…
それだけの重圧を実母から担っている私は、こんな老いぼれた実母の人生終末まで心の拠り所とならねばならないのか…
両腕骨折の重傷を負った現在の体で、骨身にまでこたえる使命である。
(参考ですが、明日は我が所有賃貸借不動産物件の補償問題解決のため、重傷の身にして単身で横浜まで出向き、その解決に当たります!)
昨日4回目の整形外科医受診時に、負傷箇所X線撮影により治癒具合を確認した。
その結果とは、骨折後未だ11日程度しか経過していない段階での平均的回復具合であるようだ。(要するに大して回復していないという意味だが。)
自己診断としては、左鎖骨側は回復が見られる実感がある。
と言うのも、元々左鎖骨骨折の方が重症度が高いため左手が全く使用不能だった事に加えて、日々利き手である右腕を優先使用して左手をかばっていたせいであろう。 片やその間、骨折状態にもかかわらず“酷使”した右手が相当悪化している感覚があった。
結果としては、“両腕共にギブスとコルセットで固定して今後共絶対安静!(動かすべからず!)”との医師のご指導の下帰宅し、その後も相変わらず両腕を酷使している日常だ。 (だってそうしなきゃ、お手伝いさんなど雇えない我が家の日常生活が成り立たないのよ~)
そんな折、骨折から1週間ほど経過した日に我が郷里の実母より電話があった。
実は私は自分の骨折負傷状態に関して、郷里の母には一切伝えていなかった。 伝えたとて心配させるだけで、こちらとしては何かの役に立つでもない。 どうせ「気を付けろ」とでも説教されるのが関の山だ。
そうしたところ案の定母が言うには、「骨折は“日にち薬”だよ。直ぐに治るよ。 それにしても気を付けてくれないと、あんたに世話にならねばならない年老いた身としては困る。(中略) 私はあんたのように骨折など一切しないで一人で頑張ってるよ~。例えば……」
黙って聞いていれば電話は長時間続きそうだ。 (元々そう思っているが、こいつ、親じゃないなあ…)と改めて落胆しつつ、長話を中断し私は言い放った。 「さっき言ったでしょ! 私は両腕骨折していると。 受話器を持つのも辛い事があんたは分からないの?! それから“骨折が日にち薬”との言葉は、入院でもして絶対安静に出来る相手に言う言葉だよ! 私は回復が遅れることを承知の上で日々無理をして、重傷にもかかわらず早朝に起きていつもと変わらぬ家族の世話をしているよ! 少なくとも全治2か月の6月中旬までは郷里に行ってあんたの葬式を出せる身ではないから、それまでは死ぬな!」
私も言い過ぎたかもしれない。
だが、全治2か月の重傷を負って間もない実の娘に対して尚、電話口にて自分の言いたい放題の長話をしようとの“客観性をまったく失っている実母”に呆れるやら、“老いぼれる”とはこういう事態と実感させられるやで実に切ない感傷的な気分に晒され、私の負傷度合いが悪化した気がするのだ。
そんな折に目にしたのが、朝日新聞「悩みのるつぼ」4月19日の相談である。
40代女性よりの相談の題目だけ記すならば、「70代の母親の振る舞いが我慢できない」である。
それの回答者であられる三輪明宏氏のご回答のごく一部のみを以下に紹介しよう。
お母さんとは離れて暮らしているわけだから、放っておくことです。 帰省した時ぐらいは仕方ない。 数日間だけ介護士になったつもりで、人類愛やボランティアの精神をもって我慢したらいいでしょう。 70代にもなって矯正しようというの無理な話です。
(もしも読者の方の中に高齢者側の立場の人がいるならば)、 自分の葬式に於いて泣いてくれる人がどのくらいいるか思い浮かべるといいでしょう。 家族内ですら「やっと死んでくれ良かった」と心の中で思っていたとしたら… そんな惨めな葬式はないでしょう。
(以上は、三輪明宏氏の回答より一部を引用したもの)
ところが、原左都子は既に実母にその話はしている。 「あなたの葬式は私が喪主になる事が決定しているけど、もし泣いてくれる人がいなかったらどう思う? 実は私は誰も泣かない葬儀に出席した経験があるよ。」 この私の質問に対する母の回答とは、葬儀出席者の誰も泣かずとも次女である私に葬儀を執り行って欲しい様子だった…
それだけの重圧を実母から担っている私は、こんな老いぼれた実母の人生終末まで心の拠り所とならねばならないのか…
両腕骨折の重傷を負った現在の体で、骨身にまでこたえる使命である。
(参考ですが、明日は我が所有賃貸借不動産物件の補償問題解決のため、重傷の身にして単身で横浜まで出向き、その解決に当たります!)