原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

嫁の立場での人生終盤義母との健全な付き合い方

2014年04月06日 | 人間関係
 一昨年の夏にケアマンション(介護付き有料老人施設)へ入居した義母の保証人代行を任されて以降、既に1年3か月の月日が経過した。

 元々実業家として先祖代々続いた事業を発展させ、ある程度まとまった額の経常利益を年々上げつつこの世を渡り、華々しい歴史を刻んで来た義母である。
 それでも、ここのところ物忘れの激しさと耳の聞こえにくさが加速している現実だ。


 そんな義母が昨年義理姉を壮絶な膵臓癌闘病の後亡くした後、自分の後見人として実質上一番に頼ってくれているのがこの私である。
 何があってもなくても、真っ先に私に電話で一報をくれるのだ。

 それ程に義母から信頼されている身であることは嬉しい。 その義母の思いに最大限応えるべく対応したいと日々志している。

 
 その一環として、先月3月初頭に私は娘と共に義母の敬老旅行に出かけた。
 過去に於いて義母が「イルミネーションを見たい」と私に告げた言葉を手掛かりに、それが叶う一泊二日の旅を計画し実行した。

 これぞ綿密な旅行計画だった。

 何分、義母はまだ一人で歩けるとはいえ、その歩行速度や距離が限られている。
 例えば新幹線を利用する場合、広大な東京駅構内での乗換の道程を配慮せねばならない。 そのため、新幹線乗り場までのエレベーター利用距離等の詳細までを事前にネット上で調査した。 しかも、新幹線は編成車両が長い事も考慮し、義母が短距離で歩ける範囲内の車両予約も心得ていた。

 目的新幹線駅に到着した後も、駅前からホテルのシャトルバスを利用できる方策を取れるよう、事前にネット検索しておいた。
 更には新幹線下車後の時間にも余裕を持ち、義母がゆったりとトイレへ行ける時間も確保した。 加えて、買い物好きな義母がいきなりお土産店に立ち寄るであろうことも想定し、次なるシャトルバスの発車時間も把握していた。
 私の思惑通り、義母は上記のすべてに時間を費やした。 そうだとして、私にとっては「旅程範囲内」の義母の行動である。 「お義母さん、十分時間がありますからご自由に行動下さいね」と涼しい顔をして義母の相手を努めたものだ。

 その後シャトルバスにてホテルに到着して後も、義母は勝手気ままな行動に出ようとする。
 それも想定内だ。 少なくとも夕食の開始時間を予約している事のみ念を押し、それまでの時間は義母の意向に従い行動した我が母娘である。

 今回の旅行に於いて義母が一番気に入ってくれたのが、ホテル最上階での「フレンチディナーコース」夕食だった。 元々静岡県生まれで幼少の頃その地で暮らした義母が、もしかしたら間近で“富士山”を見たいのではないかと私は想像したのだ。 あいにく天候に恵まれず“富士山”の裾野しか展望できなかったものの、ホテルリゾート施設内のイルミネーションも相まって、義母には久々に見る素晴らしい景観だったようだ。
 
 次の日は、あいにくの大雨に苛まれた。 義母の体調に配慮して早々に帰路に着くことを提案した私だが、どうも義母はもっと土産物を買い求めたい意向のようだ。 それにも快く応じ義母に付き合った私と娘だが、買い物途中で義母から私に提案してきたのは、悪天候を視野に入れ「早めに帰りましょうか」との決断だった。 
 お年寄りとはボケているようで実は明瞭に思考可能な部分が脳裏に混在するものである。 少し時間が経過し場面が変化すると、私の提案事項に従うべきとの論理思考が脳裏にカムバックするのかと認識させられた次第だ。
 結局義母は我が提案通り、早めにケアマンションへ帰る決断を下してくれた。 その意向に沿い、我々は予定よりも早い時間帯の新幹線に乗り、東京までの帰路に着いた。


 この「敬老旅行」が義母にとっては素晴らしいまでに思い出に残る場面の連続だった様子である。
 それまでは、「私はもう年老いたし旅行なんかしたくない」と言っていたのに、その後「また、旅行に行きたい」と私に訴えてくれる。 

 「そうしましょうね!」と義母を励ましつつも…

 
 ケアマンション暮らしの義母と多少ご無沙汰状態に相成ると、直ぐに何かの不都合を私に電話にて訴えてくる義母である。
 
 ある時は「机が低いから新しいものが欲しい」との要求だ。 その義母からの要請に応えケアマンションにお邪魔するととても嬉しそうで、これまた義母の脳内が活性化されている事態を私は読み取れる。
 「それではお義母さんが欲しい高さの机を私がネット検索して送りますから、お待ち下さいね。」と告げ、後日その机をネット検索経由で送付すると、それはそれは嬉しい様子ですぐに電話をかけてくれる。
 同じく「机に合う椅子も欲しい」との要望を義母から聞き入れた暁には、はたまたケアマンションまで参上し、帰宅後ネット検索により義母ケアマンションまで届けているとの有様だ。

 我が義母の場合、当然ながら後日その代金(以上の金額)を私宛に確実に支払ってくれるからこそ成り立っている関係なのだが。 (義母がその記憶まで不明瞭になった場合、私は一体如何に対応するべきか?!?


 今回、このエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞3月1日「悩みのるつぼ」を見た事に遡る。

 相談者であられる、上野千鶴子氏のご回答が印象に刻まれているため、その一文を以下に紹介しよう。 
 戦前の時代とは女性が嫁いでから姑が先立つまで平均11年だった。 ところが現在に至っては(その期間が伸び過ぎて)、いつ終わるとも知れない「超高齢化社会」だ。
 問題は、相談者の貴方が姑の介護から報われたのかどうか。  その報われ方は二つ。
 まず、今までの姑への貢献を評価して夫からの相続分が増えたか否か?? 受け取る立場があなたでなくとも、いずれ夫名義の資産は半分あなたのもの。 そのためにも、夫より長生きしよう。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上野千鶴子氏が、上記“悩みのるつぼ”で回答している内容とは、もしかしたら、未だ公証役場にて先代の遺産の配分手続きを済ませていない人達を対象としておられるのではなかろうか。 
 確かに一家の世帯主である人物が他界した時点に於いては、法的にその相続とはまずは配偶者へ3分の2、その残高を子どもをはじめとする遺産相続人が等分に配分して引き継ぐのであろう。
 ところが、一旦正式「遺言状」を公証役場にて作成している場合に於いては、たとえ義母の面倒を死ぬまで看たとて、義母分の相続が一切介護担当人に来ない事も有り得るのだ!

 私にもその恐れは十分にある。
 もしも我が夫が、義母の死後受け継いだ財産を自分の死後全額娘に委ねるとの遺言書を「公証役場」にて作成したならば、私は自分が個人的に築き上げた財産のみで死ぬまでこの世を渡っていかねばならない切実な運命にあるし、その可能性が大である。

 まあ、たとえそうだとしても、私は義母の保証人代行として今後も機能していく所存だ。
 今現在、心の拠り所として(多少ボケた頭脳と耳の聞こえにくさを備えている身で)私を一番信頼し、依存してくれている現実に応えたいためだ。