原左都子自身が今までの人生に於いて「就職活動」なる活動を行ったためしがない事に関しては、当エッセイ集「仕事・就職」カテゴリーバックナンバー等に於いて幾度か記述している。
決して職業経験がない訳ではなく、特に長き独身時代は日々働きまくる人生を堪能してきている。
我が主たる職業として医学関連民間企業に於ける専門職社員、及び高校教員をはじめ、独身時代を中心に様々な分野の仕事に携わって来ている。
にもかかわらず、私は「就職活動」などという活動を行った記憶がない。 履歴書送付の上に直接就職現場へ出向き、入社試験を通過して就職が決定し、その後就業と相成っている。
(我が若き時代には「内定」なる用語も存在せず、あくまでも「就職決定」扱いだった。)
そうそう、一つ思い出した。
今から10年程前の原左都子50歳近い頃の話だが、我が医学経験を活かそうと考え某大手民間人材派遣会社への登録を試みた事がある。 時は既に世が不況期に突入しているのに加えて、高年齢故に人材派遣の対象外として“はじき飛ばされる”のを覚悟の上で履歴書を送付したところ、試験及び面接の電話がかかってきた。
登録担当者氏曰く、「○月○日に登録試験及び面談を実施します。当日は黒か紺系のスーツでお越し下さい。」 これに驚いた私が返して曰く、「えっ!? スーツを着て登録試験に伺わねばならないのですか? 私の志望医学職種はスーツで行う業務ではないと心得ていますが、何故スーツ着用で試験に臨まねばならないのか、その理由をお答え下さい。」 (私としては、この電話で登録拒否されてもそれで結構!との覚悟の上での発言だ。 何分現在の世の“理不尽な規律の規制化”と闘いつつ生きている私とも言えるしね。) 電話の相手は若き男性だったと記憶しているが、冷静に対応されたような記憶がある。「当日は数人の登録試験を実施しますが、おそらく他の皆さんはリクルートスーツでお越しになると思います。 スーツでなくても構いませんが、周囲に浮かない服装の方が登録試験に臨み易いのではないかと思います。」 この担当者の冷静対応に配慮して、当日私はスーツではないものの色合いを抑えた恰好で出かけた。
案の定、私より“ずずずーーっ”と若い世代のリクルートスーツを着用した人達の登録希望者に交じっての試験及び面談だった。 一般教養、英文読解、ビジネス漢字、ワープロ能力等々各種試験の最後に、電話の若き男性が私の個人面談を担当して下さった。 「この度、履歴情報を拝見して登録試験にお越しいただきました。 結果として“合格”ですので我が社の派遣社員としてご登録申し上げます。 ただ、我が社の場合“人材派遣業務”故に派遣先企業の意向に沿う必要性があります。 ご年齢に関して、もしかしたらオファーがない場合もあります。」
それも結構。 そもそもこの人材派遣会社は大手ではあるが「医学分野」に関して至って“疎い”ことも実際に試験に臨んで理解できた。 若い人達と一緒に登録試験を受けさせてもらえただけでも、我が今後の社会批判に活かせる貴重な人生経験であったと言える。
話を「就職活動」に戻すが、昔から「就職活動」なる言語が存在しただろうか??
少なくとも原左都子の場合、冒頭で述べた通りそれを一切経験していないと言い切れる。
我が度重なる大学及び大学院修了後の就職に際しては、国家専門資格及びそれに準ずる資格取得を全面に出してその専門力に基づく社会的優位性を誇ってきたが故に、「就職活動」なる言語に触れることすらなかった時代背景だったと考察する…。
現在我が娘が「国家資格」取得を条件として社会への就業を目指す事を主たる学業としている単科大学へ進学している。 そのため大学から随時届く各種資料により、我が過去の「医学経験」が蘇る思いでもある。
おそらく娘が在学している大学生の多数は「就職活動」をしないままに、「国家資格」取得を条件の下、直接就職先職場の入社(入職)試験を受験して就職をゲットするのであろう。 そうであるからこそ、娘の所属大学とは現在関東私立女子大学の中でナンバー1の就職率実績を積み上げられているとも考察する。
ところが、この種の「国家資格」を取得して社会へ羽ばたける世界とは、今の時代の一般的若者から敬遠される分野でもあることを私も理解できている。
自分自身の将来を自分自身で描き直して、実行する事もあるのは当然だろう。
そうだとすると、“人も羨む”国家専門資格を取得したとは言え、自分自身で積極的に「就職活動」を展開して自己の就職先を決定したい、との若者の生き様も肯定できるというものだ。
私自身が30歳以降は試行錯誤の繰り返しで生きてきているし、現在も揺れ動きつつの人生の歩みである。
ところで、今後大学生の「就職活動」の時期が変わるとのマスメディア報道である。
制度が変わったところで、そもそも「就職活動」なるものの経験すらない私の場合はどうだっていい話題でもあるのだが…。
「就職活動」って、そもそも一体何なの?
要するに「経団連」等の経済界が少しでも(自分達年寄りの観点から)優秀な学生を確保したいがために、大学生早期から企業に「御挨拶参り」をさせたいだけなのだろう??
そうではなく、就職に先立ち専門力さえも身に付けずにフラついている学生の心理状態を逆手にとって、早期段階で企業に「願掛けに来い」と?? そうした従順な奴らには「内定」出すぜ!、との仕組みだったのか??
原左都子の私論で締めくくろう。
とにかく、大学生とは学問に励むべきだ。 学問こそが人生の道筋を導いてくれる最大の武器であると私は確信している。
確固たる自我を育成し実力を身に付けた後に「就職」を考慮すればいいのではなかろうか。 その将来において同じ輩(企業組織団体あるいは個人)が必ずや存在すると私は信じたい。 その種の輩と業を共にする人生こそが醍醐味ではなかろうか。
決して職業経験がない訳ではなく、特に長き独身時代は日々働きまくる人生を堪能してきている。
我が主たる職業として医学関連民間企業に於ける専門職社員、及び高校教員をはじめ、独身時代を中心に様々な分野の仕事に携わって来ている。
にもかかわらず、私は「就職活動」などという活動を行った記憶がない。 履歴書送付の上に直接就職現場へ出向き、入社試験を通過して就職が決定し、その後就業と相成っている。
(我が若き時代には「内定」なる用語も存在せず、あくまでも「就職決定」扱いだった。)
そうそう、一つ思い出した。
今から10年程前の原左都子50歳近い頃の話だが、我が医学経験を活かそうと考え某大手民間人材派遣会社への登録を試みた事がある。 時は既に世が不況期に突入しているのに加えて、高年齢故に人材派遣の対象外として“はじき飛ばされる”のを覚悟の上で履歴書を送付したところ、試験及び面接の電話がかかってきた。
登録担当者氏曰く、「○月○日に登録試験及び面談を実施します。当日は黒か紺系のスーツでお越し下さい。」 これに驚いた私が返して曰く、「えっ!? スーツを着て登録試験に伺わねばならないのですか? 私の志望医学職種はスーツで行う業務ではないと心得ていますが、何故スーツ着用で試験に臨まねばならないのか、その理由をお答え下さい。」 (私としては、この電話で登録拒否されてもそれで結構!との覚悟の上での発言だ。 何分現在の世の“理不尽な規律の規制化”と闘いつつ生きている私とも言えるしね。) 電話の相手は若き男性だったと記憶しているが、冷静に対応されたような記憶がある。「当日は数人の登録試験を実施しますが、おそらく他の皆さんはリクルートスーツでお越しになると思います。 スーツでなくても構いませんが、周囲に浮かない服装の方が登録試験に臨み易いのではないかと思います。」 この担当者の冷静対応に配慮して、当日私はスーツではないものの色合いを抑えた恰好で出かけた。
案の定、私より“ずずずーーっ”と若い世代のリクルートスーツを着用した人達の登録希望者に交じっての試験及び面談だった。 一般教養、英文読解、ビジネス漢字、ワープロ能力等々各種試験の最後に、電話の若き男性が私の個人面談を担当して下さった。 「この度、履歴情報を拝見して登録試験にお越しいただきました。 結果として“合格”ですので我が社の派遣社員としてご登録申し上げます。 ただ、我が社の場合“人材派遣業務”故に派遣先企業の意向に沿う必要性があります。 ご年齢に関して、もしかしたらオファーがない場合もあります。」
それも結構。 そもそもこの人材派遣会社は大手ではあるが「医学分野」に関して至って“疎い”ことも実際に試験に臨んで理解できた。 若い人達と一緒に登録試験を受けさせてもらえただけでも、我が今後の社会批判に活かせる貴重な人生経験であったと言える。
話を「就職活動」に戻すが、昔から「就職活動」なる言語が存在しただろうか??
少なくとも原左都子の場合、冒頭で述べた通りそれを一切経験していないと言い切れる。
我が度重なる大学及び大学院修了後の就職に際しては、国家専門資格及びそれに準ずる資格取得を全面に出してその専門力に基づく社会的優位性を誇ってきたが故に、「就職活動」なる言語に触れることすらなかった時代背景だったと考察する…。
現在我が娘が「国家資格」取得を条件として社会への就業を目指す事を主たる学業としている単科大学へ進学している。 そのため大学から随時届く各種資料により、我が過去の「医学経験」が蘇る思いでもある。
おそらく娘が在学している大学生の多数は「就職活動」をしないままに、「国家資格」取得を条件の下、直接就職先職場の入社(入職)試験を受験して就職をゲットするのであろう。 そうであるからこそ、娘の所属大学とは現在関東私立女子大学の中でナンバー1の就職率実績を積み上げられているとも考察する。
ところが、この種の「国家資格」を取得して社会へ羽ばたける世界とは、今の時代の一般的若者から敬遠される分野でもあることを私も理解できている。
自分自身の将来を自分自身で描き直して、実行する事もあるのは当然だろう。
そうだとすると、“人も羨む”国家専門資格を取得したとは言え、自分自身で積極的に「就職活動」を展開して自己の就職先を決定したい、との若者の生き様も肯定できるというものだ。
私自身が30歳以降は試行錯誤の繰り返しで生きてきているし、現在も揺れ動きつつの人生の歩みである。
ところで、今後大学生の「就職活動」の時期が変わるとのマスメディア報道である。
制度が変わったところで、そもそも「就職活動」なるものの経験すらない私の場合はどうだっていい話題でもあるのだが…。
「就職活動」って、そもそも一体何なの?
要するに「経団連」等の経済界が少しでも(自分達年寄りの観点から)優秀な学生を確保したいがために、大学生早期から企業に「御挨拶参り」をさせたいだけなのだろう??
そうではなく、就職に先立ち専門力さえも身に付けずにフラついている学生の心理状態を逆手にとって、早期段階で企業に「願掛けに来い」と?? そうした従順な奴らには「内定」出すぜ!、との仕組みだったのか??
原左都子の私論で締めくくろう。
とにかく、大学生とは学問に励むべきだ。 学問こそが人生の道筋を導いてくれる最大の武器であると私は確信している。
確固たる自我を育成し実力を身に付けた後に「就職」を考慮すればいいのではなかろうか。 その将来において同じ輩(企業組織団体あるいは個人)が必ずや存在すると私は信じたい。 その種の輩と業を共にする人生こそが醍醐味ではなかろうか。