(写真は、朝日新聞一昨日4月20日別刷「be」に掲載されていた パズル「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。 朝日新聞さん、応募締切日に先立ちネット上で解答を公開し申し訳ございません。)
幼稚園児の頃に一番没頭できた“遊び”が「知能検査」だったというエピソードを持ついかにも“嫌われキャラ”の私が、この期に及んでパズル好きであるのは言うまでもない。
何せ、我が記憶が辿れる幼少の頃より「集団嫌い」の片鱗が漂っていた私である。
お歌やお遊戯、すべて好きで上達も早いのだが、“皆で一緒に”の指導がどうも苦手だった…。 (指導者がこう指導すると、必ずや“ヘボいのに出しゃばり”の奴らが前面にしゃしゃり出てくるでしょ。 あれが我が幼心に許し難かったような感覚がある。)
一人で黙々とこなせる「折り紙」や「切り絵」等のお遊びは好むのだが、これに関しては当時の時代背景により元々「左利き」を無理やり矯正された因果で、右手ではさみを持つ事自体に困惑したような思い出がある。
元々左利きだった私の場合は右手で字を書く事も得意ではなかったのだろうが、幼稚園年中組の頃に初めて経験した「知能検査」が何とも面白く、一人没頭してしまった記憶が今尚脳裏に鮮明にある。
今現在「知能検査」なるものが教育現場で実施されているのか否かの認識すらない。 参考のため「知能検査」とは、そもそも指導者の指示通りに各テーマ毎に1ページ内に納められている課題の出来る所までを、被験者それぞれの進捗度に応じて回答していく検査システムだったであろう。
ところが、私の場合(自慢じゃないが)どんどんと課題をこなせてしまい、指導者からストップがかかる前に次のページへ移行してしまえるため自然とそうしたのだ。
これに気付いた教員から、「次のページをめくっちゃダメ!」なる“待った”がかかった。 (こんなに面白い事なら私はどんどんやりたいのに、何で待たされるの?…)と幼心にじれったい思いを抱かされたものだ。
結果として私は当時所属していた幼稚園の“知能指数歴代新記録”を樹立したようで、幼稚園側は「家庭で一体どんな教育をしているのか!?」と我が親どもに迫ったとの事だ。
(その質問に今の私が解答しよう。 幼い頃から親は共働きで子どもを放ったらかしていた家庭だよ。 「知能検査」なんて幼き私個人の単なる一趣味だったって訳さ…)
上記のごとく「知能検査」など個人の趣味の範疇を抜け出せていないからこそ、現在教育現場から消え去っていると解釈している私である。
ところが、還暦近い原左都子が今尚“パズル”の類をこよなく嗜好しているのも事実だ。
例えば、上記写真で紹介した「絵むすび」であるが、このパズルに関しては私は朝日新聞紙面で初めて経験した。 現在朝日新聞土曜版「be」に毎週掲載されている各種“パズル”の中で、私が一番嗜好するのがこの「絵むすび」である。
毎週掲載の「数独」ももちろん好きで、必ずや挑んでいる。
ただ「数独」の場合、時間がかかる割には半分程やり終えた時点で、既にパズル完成が見通せるところがつまらない要素でもあろう。
実は「数独」に関しては、自分で手作業により問題を作成する事にも挑んだ私だ。 簡単な問題ならば直ぐに作成可能だが、(朝日新聞が呈示するところの「レベル5」等)難しい問題作成はまだまだ叶わない。 朝日新聞の場合、おそらくコンピュータ作業で問題を作成しているのであろうが、私の場合、出来るならば是非とも手作業で難題を作成できるレベルに到達したいものだ。
さてさて、上記写真の朝日新聞「絵むすび」に話を戻そう。
一昨日の課題は「レベル4」だった。 私の記憶によると、朝日新聞掲載「絵むすび」で「レベル4」は初めてだったのではあるまいか?
これには難儀させられた。 昨日の日曜日に初めてトライしたのだが悔しい事にこれが解けない。
絶対にギブアップしたくない私は日を変えて本日改めて見直すことで、大いなる発想の転換が可能となった。 何を下の欄から回すかに関して、上記写真の通り6番のタオルを下から回す手法に出たところ、その後5分で回答が叶った。
この「絵むすび」とて、今度は是非共“出題者”側に回りたいものだ。
暇な時間を見つけて、手作業で「レベル4」以上の出題者になれるべく原左都子も精進するぞ!
いやいやほんと、パズルの世界など出題側に位置してこその醍醐味であろう。
将棋の世界でも、先立って日本一のタイトルを持つ棋士がコンピュータ対戦で破れたとの報道だ。
ただコンピュータの場合はチーム開発が主流であろうし、月日をかけて開発されているのはなかろうか?(我が趣味の範疇外でよく把握していないのだが) そうだとすれば、緊迫した現場で単独で闘う棋士との勝敗判断は困難なようにも思うのだが…。
この種の闘いとは勝敗基準判定が難しいと感じつつも、出題者、解答者いずれの立場にあれどもやはり勝ってこそだよなあ~~。
という訳で、日々決して暇ではない原左都子の“パズル好き”“勝負好き”人生はまだまだ続きますよ!
幼稚園児の頃に一番没頭できた“遊び”が「知能検査」だったというエピソードを持ついかにも“嫌われキャラ”の私が、この期に及んでパズル好きであるのは言うまでもない。
何せ、我が記憶が辿れる幼少の頃より「集団嫌い」の片鱗が漂っていた私である。
お歌やお遊戯、すべて好きで上達も早いのだが、“皆で一緒に”の指導がどうも苦手だった…。 (指導者がこう指導すると、必ずや“ヘボいのに出しゃばり”の奴らが前面にしゃしゃり出てくるでしょ。 あれが我が幼心に許し難かったような感覚がある。)
一人で黙々とこなせる「折り紙」や「切り絵」等のお遊びは好むのだが、これに関しては当時の時代背景により元々「左利き」を無理やり矯正された因果で、右手ではさみを持つ事自体に困惑したような思い出がある。
元々左利きだった私の場合は右手で字を書く事も得意ではなかったのだろうが、幼稚園年中組の頃に初めて経験した「知能検査」が何とも面白く、一人没頭してしまった記憶が今尚脳裏に鮮明にある。
今現在「知能検査」なるものが教育現場で実施されているのか否かの認識すらない。 参考のため「知能検査」とは、そもそも指導者の指示通りに各テーマ毎に1ページ内に納められている課題の出来る所までを、被験者それぞれの進捗度に応じて回答していく検査システムだったであろう。
ところが、私の場合(自慢じゃないが)どんどんと課題をこなせてしまい、指導者からストップがかかる前に次のページへ移行してしまえるため自然とそうしたのだ。
これに気付いた教員から、「次のページをめくっちゃダメ!」なる“待った”がかかった。 (こんなに面白い事なら私はどんどんやりたいのに、何で待たされるの?…)と幼心にじれったい思いを抱かされたものだ。
結果として私は当時所属していた幼稚園の“知能指数歴代新記録”を樹立したようで、幼稚園側は「家庭で一体どんな教育をしているのか!?」と我が親どもに迫ったとの事だ。
(その質問に今の私が解答しよう。 幼い頃から親は共働きで子どもを放ったらかしていた家庭だよ。 「知能検査」なんて幼き私個人の単なる一趣味だったって訳さ…)
上記のごとく「知能検査」など個人の趣味の範疇を抜け出せていないからこそ、現在教育現場から消え去っていると解釈している私である。
ところが、還暦近い原左都子が今尚“パズル”の類をこよなく嗜好しているのも事実だ。
例えば、上記写真で紹介した「絵むすび」であるが、このパズルに関しては私は朝日新聞紙面で初めて経験した。 現在朝日新聞土曜版「be」に毎週掲載されている各種“パズル”の中で、私が一番嗜好するのがこの「絵むすび」である。
毎週掲載の「数独」ももちろん好きで、必ずや挑んでいる。
ただ「数独」の場合、時間がかかる割には半分程やり終えた時点で、既にパズル完成が見通せるところがつまらない要素でもあろう。
実は「数独」に関しては、自分で手作業により問題を作成する事にも挑んだ私だ。 簡単な問題ならば直ぐに作成可能だが、(朝日新聞が呈示するところの「レベル5」等)難しい問題作成はまだまだ叶わない。 朝日新聞の場合、おそらくコンピュータ作業で問題を作成しているのであろうが、私の場合、出来るならば是非とも手作業で難題を作成できるレベルに到達したいものだ。
さてさて、上記写真の朝日新聞「絵むすび」に話を戻そう。
一昨日の課題は「レベル4」だった。 私の記憶によると、朝日新聞掲載「絵むすび」で「レベル4」は初めてだったのではあるまいか?
これには難儀させられた。 昨日の日曜日に初めてトライしたのだが悔しい事にこれが解けない。
絶対にギブアップしたくない私は日を変えて本日改めて見直すことで、大いなる発想の転換が可能となった。 何を下の欄から回すかに関して、上記写真の通り6番のタオルを下から回す手法に出たところ、その後5分で回答が叶った。
この「絵むすび」とて、今度は是非共“出題者”側に回りたいものだ。
暇な時間を見つけて、手作業で「レベル4」以上の出題者になれるべく原左都子も精進するぞ!
いやいやほんと、パズルの世界など出題側に位置してこその醍醐味であろう。
将棋の世界でも、先立って日本一のタイトルを持つ棋士がコンピュータ対戦で破れたとの報道だ。
ただコンピュータの場合はチーム開発が主流であろうし、月日をかけて開発されているのはなかろうか?(我が趣味の範疇外でよく把握していないのだが) そうだとすれば、緊迫した現場で単独で闘う棋士との勝敗判断は困難なようにも思うのだが…。
この種の闘いとは勝敗基準判定が難しいと感じつつも、出題者、解答者いずれの立場にあれどもやはり勝ってこそだよなあ~~。
という訳で、日々決して暇ではない原左都子の“パズル好き”“勝負好き”人生はまだまだ続きますよ!