連休初日に飛び込んできた群馬県藤岡市の関越自動車道高速バスツアー事故のニュースには、国民皆が震撼させられたことであろう。
乗客7人が死亡し運転手も含め39人が重軽傷を負った29日未明の上記事故においては、長距離長旅ツアーであるにもかかわらずバスに運転交代要員は同乗しておらず、一人の運転手に到着までのツアー全行程の運転を任せていたとのことだ。
「居眠りしていた」と運転手が供述している通り、ブレーキをかけた跡形は無く時速92kmの猛スピードで高速壁に激突し大惨事となったとの報道だ。
連休前には、集団登校中の児童達に車が飛び込む事故が連日繰り返され、尊い幼い命が犠牲になったばかりである。
その加害者である車の運転手達も、皆口をそろえて「ボーッとしていた」、あるいは「考え事をしていた」等々運転手にあるまじき心身状態で車を運転しカーブを曲がり切れず登校中の集団に突進してしまったようだ。
近年発生する交通事故大惨事の共通項として、運転手の極度の疲労状態や各種疾患治療薬剤の副作用がその背景要因として挙げられるのが特徴ではなかろうか?
例えば昨年4月に栃木県鹿沼市で発生した、クレーン車が集団登校の列に突っ込み6名の児童の死者を出した事故においては、運転手がてんかん薬の副作用により睡魔に襲われていたとの事後分析だったと記憶している。
もちろん、そうであったとしても当然ながら運転手の過失責任は問われよう。
それにしても、運転手が極度の疲労に襲われたり、副作用がある事を理解していながら持病の治療薬に頼ってでも運転を続ける背景には、自身の心身極限状態を承知の上で、経済不況に伴う過酷労働付加の重圧に耐えねばならない事情があるのも大きいのではなかろうか。
今回の藤岡市関越道バスツアー事故に関しては、今後バス会社は元よりツアーを手配した旅行代理店にも取調べが及ぶことであろう。
運転手のみならず、その管理責任者、そしてツアー会社のツアー企画のあり方等々に至るまでその責任が追求されることとなろう。
ただそれをクリアした段階で事故処理及び責任追及が終結してしまっては、今後も交通大惨事が繰り返されることは想像がつく。 ここはもっと根本部分まで掘り下げて、労働者管理のあり方、適正な労働時間の指導等々、行政が積極的に指導を強化するべきである。
交通事故に限らず、建設中のクレーン車や足場が倒れ通行人が犠牲になる事故も後を絶たないが、すべての事故に於いて労働者に対する過酷労働付加の要因があることは否めない現状と捉える。
話が大きく変わるが、実は原左都子も現在疲労困憊状態なのだ…
3月から4月末の現在にかけて我が子の卒業進学に伴う環境の大きな転換を筆頭に、各種ビックイベントへの出席や親しい知人の突然死等々、非日常的出来事(本エッセイ集に於いては決して公開したくないプライベート上の事件も含めて)が我が身に怒涛のごとく押し寄せた。
何分弱音を吐きたくない我が性格である。 その環境の流れに心身がついて行っている振りを強気でしているつもりでいて、実はそうではないことも頭の片隅で理解できていた。
そのギャップ感の下、ついに昨夜体が拒絶反応を起こしてしまった。
私の場合ストレスが胃や腸の消化器系を直撃するタイプで、過去においても「十二指腸潰瘍」や「胃潰瘍」を何度か患っている。 さほどの重症ではないし回復力も強靭なためいつもは時間の経過と共に自然治癒に向かうのであるが、今回は3月よりずっとこの不具合が長引いていた。
その挙句、昨日夜中に「胃けいれん」症状が突然起こってしまったのだ。 これも何度か経験があるが、これこそが私にとっては(これ以上ストレスを我が身に付加し続ける無理を繰り返すととんでもないことになるぞ!)との体内よりのサインである。 キュイ~ン、キュイ~ンと波打つように繰り返す激痛に布団の中で朝まで耐えつつ、娘の“お抱え家庭教師”稼業が今後まだまだ続行する我が身を思い、知人突然死の後を追ってはいられないなあ、娘のために生き延びねば… などとの思いが脳裏を巡ると キュイ~ン の胃激痛が強まるばかりだ。
何とか朝まで持ちこたえた後は、本日(休日にもかかわらず)大学の授業がある娘を送り出してやらねばならない。 まだ胃に キュイ~ン の痛みが襲う事は娘には内緒で元気なふりをして、娘の本日の大学のスケジュールと提出課題の確認をする。 そしていつも通りファッションチェックをして「今日も可愛いね!」とニコニコと娘を送り出した後、3度程トイレに駆け込んだ私である。(夜中に「胃けいれん」発作が起こった後は、胃と連携している腸にもダメージを及ぼし激しい下痢状態に襲われるのが常である…)
原左都子の「胃けいれん」発作の記述が長引いてしまい恐縮だが、現時点においては比較的安静状態であるからこそ現在このようにエッセイを綴る事が可能だ。
ただし、どうも私の場合この発作は真夜中に来るのが今までの特徴である。 おそらく後2、3晩は夜中にこの キュイ~ン 激痛に耐えねばならないのかもしれない…
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
人間とは心身共に健康状態が整っていてこそ、平和で健全な日常を営めるものである。
私の場合は単に個人的な事情で現在ストレスを溜め込んでいるだけの話だが、社会的な立場で世に貴重な労働力を提供している人達が、極限のストレスを溜め込んでいる事態を決して放置してはならないであろう。
人が疲れ果てると正常な思考が不能となるものだ。
それはいわれなき「いじめ」に遭った時と同様の感覚とも想像する。 労働者に対する過酷なまでの労働付加とはまさに「いじめ」でしかない。 たとえ本人より生計を立てるために長時間働いて“奉公”したいの嘆願があったとしても、それに管理者は甘んじてはならないはずだ。
それ以前の問題として行政機関は今後交通事故よる大惨事を繰り返さないためにも、運転を主たる業としている労働者達が人並みに生きていける権利の確保を急いで欲しいものである。
乗客7人が死亡し運転手も含め39人が重軽傷を負った29日未明の上記事故においては、長距離長旅ツアーであるにもかかわらずバスに運転交代要員は同乗しておらず、一人の運転手に到着までのツアー全行程の運転を任せていたとのことだ。
「居眠りしていた」と運転手が供述している通り、ブレーキをかけた跡形は無く時速92kmの猛スピードで高速壁に激突し大惨事となったとの報道だ。
連休前には、集団登校中の児童達に車が飛び込む事故が連日繰り返され、尊い幼い命が犠牲になったばかりである。
その加害者である車の運転手達も、皆口をそろえて「ボーッとしていた」、あるいは「考え事をしていた」等々運転手にあるまじき心身状態で車を運転しカーブを曲がり切れず登校中の集団に突進してしまったようだ。
近年発生する交通事故大惨事の共通項として、運転手の極度の疲労状態や各種疾患治療薬剤の副作用がその背景要因として挙げられるのが特徴ではなかろうか?
例えば昨年4月に栃木県鹿沼市で発生した、クレーン車が集団登校の列に突っ込み6名の児童の死者を出した事故においては、運転手がてんかん薬の副作用により睡魔に襲われていたとの事後分析だったと記憶している。
もちろん、そうであったとしても当然ながら運転手の過失責任は問われよう。
それにしても、運転手が極度の疲労に襲われたり、副作用がある事を理解していながら持病の治療薬に頼ってでも運転を続ける背景には、自身の心身極限状態を承知の上で、経済不況に伴う過酷労働付加の重圧に耐えねばならない事情があるのも大きいのではなかろうか。
今回の藤岡市関越道バスツアー事故に関しては、今後バス会社は元よりツアーを手配した旅行代理店にも取調べが及ぶことであろう。
運転手のみならず、その管理責任者、そしてツアー会社のツアー企画のあり方等々に至るまでその責任が追求されることとなろう。
ただそれをクリアした段階で事故処理及び責任追及が終結してしまっては、今後も交通大惨事が繰り返されることは想像がつく。 ここはもっと根本部分まで掘り下げて、労働者管理のあり方、適正な労働時間の指導等々、行政が積極的に指導を強化するべきである。
交通事故に限らず、建設中のクレーン車や足場が倒れ通行人が犠牲になる事故も後を絶たないが、すべての事故に於いて労働者に対する過酷労働付加の要因があることは否めない現状と捉える。
話が大きく変わるが、実は原左都子も現在疲労困憊状態なのだ…
3月から4月末の現在にかけて我が子の卒業進学に伴う環境の大きな転換を筆頭に、各種ビックイベントへの出席や親しい知人の突然死等々、非日常的出来事(本エッセイ集に於いては決して公開したくないプライベート上の事件も含めて)が我が身に怒涛のごとく押し寄せた。
何分弱音を吐きたくない我が性格である。 その環境の流れに心身がついて行っている振りを強気でしているつもりでいて、実はそうではないことも頭の片隅で理解できていた。
そのギャップ感の下、ついに昨夜体が拒絶反応を起こしてしまった。
私の場合ストレスが胃や腸の消化器系を直撃するタイプで、過去においても「十二指腸潰瘍」や「胃潰瘍」を何度か患っている。 さほどの重症ではないし回復力も強靭なためいつもは時間の経過と共に自然治癒に向かうのであるが、今回は3月よりずっとこの不具合が長引いていた。
その挙句、昨日夜中に「胃けいれん」症状が突然起こってしまったのだ。 これも何度か経験があるが、これこそが私にとっては(これ以上ストレスを我が身に付加し続ける無理を繰り返すととんでもないことになるぞ!)との体内よりのサインである。 キュイ~ン、キュイ~ンと波打つように繰り返す激痛に布団の中で朝まで耐えつつ、娘の“お抱え家庭教師”稼業が今後まだまだ続行する我が身を思い、知人突然死の後を追ってはいられないなあ、娘のために生き延びねば… などとの思いが脳裏を巡ると キュイ~ン の胃激痛が強まるばかりだ。
何とか朝まで持ちこたえた後は、本日(休日にもかかわらず)大学の授業がある娘を送り出してやらねばならない。 まだ胃に キュイ~ン の痛みが襲う事は娘には内緒で元気なふりをして、娘の本日の大学のスケジュールと提出課題の確認をする。 そしていつも通りファッションチェックをして「今日も可愛いね!」とニコニコと娘を送り出した後、3度程トイレに駆け込んだ私である。(夜中に「胃けいれん」発作が起こった後は、胃と連携している腸にもダメージを及ぼし激しい下痢状態に襲われるのが常である…)
原左都子の「胃けいれん」発作の記述が長引いてしまい恐縮だが、現時点においては比較的安静状態であるからこそ現在このようにエッセイを綴る事が可能だ。
ただし、どうも私の場合この発作は真夜中に来るのが今までの特徴である。 おそらく後2、3晩は夜中にこの キュイ~ン 激痛に耐えねばならないのかもしれない…
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
人間とは心身共に健康状態が整っていてこそ、平和で健全な日常を営めるものである。
私の場合は単に個人的な事情で現在ストレスを溜め込んでいるだけの話だが、社会的な立場で世に貴重な労働力を提供している人達が、極限のストレスを溜め込んでいる事態を決して放置してはならないであろう。
人が疲れ果てると正常な思考が不能となるものだ。
それはいわれなき「いじめ」に遭った時と同様の感覚とも想像する。 労働者に対する過酷なまでの労働付加とはまさに「いじめ」でしかない。 たとえ本人より生計を立てるために長時間働いて“奉公”したいの嘆願があったとしても、それに管理者は甘んじてはならないはずだ。
それ以前の問題として行政機関は今後交通事故よる大惨事を繰り返さないためにも、運転を主たる業としている労働者達が人並みに生きていける権利の確保を急いで欲しいものである。