原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

規律の既成化が強まる社会

2012年04月03日 | 時事論評
 (写真は、昨日4月2日に原左都子が保護者の立場で訪れた某大学に於ける入学式の風景)


 昨日、我が一人娘が大学に入学した。

 その入学式に先立つ我が親子の最大の関心事とは、(くだらない事は承知だが)何を着ていくか、だった。
 と言うのも娘が見聞したところによると、今時の大学の入学式には皆“黒のリクルートスーツ”姿で出席するのが常識であるらしいのだ。
 それに反応して私曰く、「なんで18,9の子どもが自分のおめでたい式典に“葬式もどき”の恰好で出席せねばならないの? 自分が好きなものを着ていきゃいいじゃないの! 私なんか大学の入学式は(大学院も含めて)3度出席したけど、3回共自分の思い通りの好き勝手な恰好で行ったわよ。」
 
 実にその通りだったし、当時はそれが当然の“自由な”世の中だった。
 早速、原左都子自身が過去に於いて着用した入学式の衣装に関してここで語らせて頂くことにしよう。

 まず1回目、我が18歳の時の入学式には、エメラルド色の流れるようなラインのロングフレアスカートスーツに真っ赤なエナメルパンプスのいでたちだった。
 事前に母が「入学祝いにあなたが好きな洋服を買ってあげる」と申し出たのをよいことに、私は以前よりショーウィンドウを見て気に入っていたそのスーツが欲しいと回答した。 早速スポンサーの母を伴ってブティックで試着したところ、まるでオーダーしたかのようにサイズがピッタリでよく似合ったのだ! それを見た母もまんざらではない様子で即決で買ってくれた。 私のセンスにより真っ赤のエナメルパンプスをコーディネートして、入学式に着ていくことと相成った。 (その姿はやはり相当派手だったようで入学後私の衣裳を記憶していた教官や学生が多数存在し、プラスマイナスそれぞれのご感想を頂戴したものだ。)

 2度目は30歳にして再び入学した大学の入学式だが、この時私はまだ民間企業を退社しておらず(参考のため夏のボーナスをゲットした6月末に退社した)多忙な合間を縫って入学式に出席せねばならない身であったため、いつも通りの普段着で出かけた。  
 当時“規律の既成化”道程を時代が歩み始めた時期だったのか、(まさか“黒一色”ではないのだが)フォーマルっぽい正装をしている新入生が多かった記憶がある。

 3度目の30歳半ばの大学院の入学式には、当時流行していたミニスカボディコン・ショッキングピンク色スーツで出かけた。 会場内の多くは大学入学学生であり、大学院席が会場の隅っこに位置していて大学院入学生が数少なかった事もあり、さほど目立つ存在ではなかったと記憶している。


 さて、娘の今回の大学入学式衣装に話題を戻そう。

 今時の大学入学式は“黒のリクルートスーツ”スタイルが常識と聞き、その実態を(何と阿呆らしい…)と落胆しつつも、我が娘が入学した大学で無事に生き抜ける方策を模索してやるのも母親としての役割である事には間違いない。
 そこで母である私が採った方策とは、ネット上で展開されている「ベストアンサーなんたら…」の質問コーナーをチェックすることだった。
 今時ウェブ上でその種のサイトが山ほど存在するのだが、その中で私が見聞した幾つかのサイトの「ベストアンサー」とは、やはり“黒のリクルートスーツ”案が圧倒的多数だった。

 その中で、大学入学予定学生の母親が投稿した質問に応えた現役大学生による“我がベストアンサー”を発見したのだ!  その回答を以下に紹介しよう。
 「今後大学生となる人物が入学式に着ていく服など、本人自身が考慮し判断実行すれば済む話だ。お母上はご自身が着ていく服に関してもお迷いのようだが、そもそも大学の入学式に親など来なくていいのではないのか。」
 この現役大学生の回答にいたく感動した原左都子である。 こんな骨太の現役大学生が現在存在している事実を知っただけでも、私はこの国の明るい未来が描けた気さえさせてもらえたのだ!

 まあそれにしても、我が子が生まれ持った個性は上記アンサーの大学生とは大いに食い違う。 それを承知しつつ我が娘と再度相談・確認した。
 結果として、私の背中を見て育っている娘が言うには「“黒のリクルートスーツ”は着ていかない!」との結論だった。  「リクルートスーツを着ないにしても“黒”でまとめた方が無難かも…??」と提案した母の私に対して、娘はそれに従い黒のエレガントドレスコーディネートで入学式に出席する事と相成った。

 ここで上記大学入学式の写真を解説するならば、前方に位置している入学生の皆さん全員が“黒スーツ”を着用している姿を認識いただける事であろう。


 日本の社会はいつの時代からこのように“規律の既成化”にまみれ窮屈になってしまったのだろう??

 その話は、我が高校教員時代に遡る事を記憶している。
 ちょうど我が国の義務教育において「日の丸・君が代」問題が勃発したのが、私が高校教員に赴任した頃の事だったと記憶する。 当時の学校職員会議の場で、卒業式や入学式にそれらを掲げ全校生徒に歌わせる事の是非に関する議論が展開した。 「反対!」意見に同調する原左都子であったのは当然だが、その我が認識の前提として、何故近代市民社会においてこんな“くだらない事象”が今現在議論されねばならないのかこそが不可思議であり、実に悔しく情けない思いだったものだ。

 おそらく私が所属していた学校が公教育現場とは言え義務教育ではない「高校」であったため、反対意見を唱える教職員に対する処罰対応の程が緩やかだったのか?とも考察する。 当時はまだしも「日の丸・君が代」に反対する職員が法的処罰の対象となる時期ではなかった様子だ。(反対志向の強い教員に対しては、人事異動面でマイナーな対応が施されていた事は認識しているが……。) 
 その後私は教育現場を去りその議論に参加せずに済む立場にはあるが、この種の議論が教育現場の教員を更に苦しめる事態に陥っている現状を危惧して余りある現状だ。


 今回の我がエッセイに於いては、これ以上の「日の丸・君が代」議論を展開することは差し控えるが、現実問題として、上記写真の大学でもご覧のように「日の丸」が壇上に高々と掲示されていている現実である……

 おそらく日本国中すべての国公立及び私立大学に於いて、同じ現状である事だろう…。


 それにしてもだ。
 大学新入学生が入学式に着ていく服など何なりと自由でよいであろうに。
 にもかかわらず、何故若き世代の皆が“黒のリクルートスーツ”を着用せねばならないのだ??
 それってもしかしたら、今の若者は「日の丸」を掲げ「君が代」を斉唱する事を深い思慮も無く受け入れらる事実と同一レベルの話なのか??  あるいは、そんなくだらないことで“処罰”を受けている場合ではない、との“我が身息災”逃避行動なのか???

 今の日本とは世界規模での政治経済危機と共に、そんな“全体主義”観点から一アジアの小国として落ちぶれてしまったのではないのか??? 
 何故、今の若者達は組織体制に迎合するばかりで現状打破を志さないのか!? その“黒のリクルートスーツ”の着心地がそれ程よいのか??

 参考のため原左都子はDNAに於いて純粋な日本人であるがこそ故に、この種の軟弱な若者層に“歯がゆいまでの懸念”を抱きつつの今回の論評である。