原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子どもとは親が育てた通りに育つもの

2014年01月16日 | 教育・学校
 (何度も娘の振袖姿を披露して恐縮だが、写真は先だっての成人の日に都心ターミナル駅に程近いファッションビル内で撮影したもの。)


 今回のエッセイは、前々回のバックナンバー 「我が娘よ、心から成人おめでとう!」の続編となる。

 当該バックナンバーでは、2009年3月に公開した 「We can graduate!」 と題するエッセイを参照しつつ、娘誕生以来中学を卒業するまでの道程を中心として、親子で歩んだ壮絶かつ苦難の日々に対する我が感慨深い思いを綴った。 (よろしければ、前々回のバックナンバーをご参照下さい。)

 エッセイ最後の部分のみを以下に再び紹介しよう。
 あれから5年の月日が流れ、我が娘は明日「成人の日」を迎える。  上記紹介の娘中学卒業時点で綴った我がエッセイを本日読み返してみて、原左都子自身が実に感慨深く思うと同時に、その後5年間の娘成長の度合いとは筆舌に尽くしがたい程の急発展ぶりだ。
 娘幼少の頃には、これ程までに成長した姿で我が子が「成人の日」を迎えられるとは 「お抱え家庭教師 サリバン」の私とて予想だにしていなかった。  
 もちろん未だ多少の課題を抱えている娘ではある。 だが、親である私の予想を大きく覆す成長を遂げ明日立派に「成人の日」を迎えようとしている娘が今ここにいる。  その姿、そして我が「お抱え家庭教師」として苦悩努力した日々の歩みや娘に対する思いを今一度分析し直し、次回以降に我がエッセイ集にて紹介したいと考えている。   同じような子供さんを持ち現在苦悩されているご家庭の一助となれば嬉しく思いつつ…。 
 (以上、前々回バックナンバーより一部を引用。)


 本題に入ろう。

 上記に紹介した今からほぼ5年前の娘中学卒業時点では、不安材料をまだまだ数多く抱えていた。
 子どもとは親の背中を見て育つもの。 そして、親が育てた通りに育つもの。 そう信じつつ「お抱え家庭教師 サリバン」の私はいつかはその夢が叶う日の姿を脳裏で描きつつ、まだまだ日々切磋琢磨していた。

 高校に内部進学した我が娘は、もちろん彼女なりにある程度の素晴らしい成長を遂げていた。 それまでと何ら変わりない真面目な態度の学習習慣を貫きつつ、校内(大して偏差値の高い高校でなかったことが幸いして)ではそれ相応の学業成績を修めていた。 
 同時に小学校の頃より造形美術方面専門家の下で精進させていたことが幸いして、高校入学と同時に自らが美術分野への進路志望をそれとなく志したようだ。 それを目敏く察した私は、すぐさま娘を夜間の美大予備校へ入学させた。

 ところがこれが大失敗と相成る運命だった。
 今までずっと娘の教科学習「お抱え家庭教師」として二人三脚で歩んできた私だが、何分美術に関しては自分の専門とは程遠い。 それ故にその専門である美大予備校に娘を入学させたものの、デッサン、色彩構成等々描くもの描くものが(レベルDなる)とんでもない低評価を容赦なく予備校から下される日々だ。 それでも私は娘の美術力を信じて陰ながらその上達を願っていた。 親の欲目では、娘の美術力は少しずつではあるが上達していた…
 高3進学前の春になって、娘が涙ながらに私に訴える。 「自分には全然美術の適性がないから、他分野に進路変更したい…」 忍耐強い娘が本気で大粒の涙を流す姿を見たのは幼少の頃以来だっただろうか…。 実は美術方面では娘に能力以上の期待をしていたことを薄々承知していた私は、すぐさま、「分かった!」と返答した。 
 その上で娘の進路先代替案をすかさず尋ねた私だが、その回答とはさすが私が育てている我が娘だったものだ。 厳しい「お抱え家庭教師」である私からそれを問われることを重々想定した上で、娘なりに高3直前に意を決した進路変更意思決定だったことに私こそが降参の思いだった。
 (参考だが、私は美大予備校担当教員氏とも娘の実態や指導のあり方等々に関して十分に話し合った。既に2年間の修業を積ませているのに、親としてこのまま黙って引き下がれる訳がないからだ。 担当教員氏の対応は真摯だった。これから入試までの1年こそが勝負時であるのに、今リタイアするのは予備校側としても実に無念とも言って下さった。 それでも私は娘の涙と進路変更意思を尊重し、後の1年を変更先進路成就に賭けるとの決断を下した。)

 その直後の我が対応が迅速・綿密かつ的を射ていた事が、「お抱え家庭教師」決定的な場面での“火事場の馬鹿力”だったことを自分で褒めたい思いでもある。
 即刻、娘が通っている私立高校から配布されている「校内推薦規定」及び「推薦先大学側の推薦基準」を確認した。 そうしたところ娘が新たに目指す方面の「推薦」基準を満たしており、結果として高校から辛くも推薦を得られたのである!

 娘は自分自身が新たに目指した大学入学の「公募制推薦」合格が叶い、現在その大学専門分野での学業に日々励んでいる。(断っておくが信憑性不明なコネになどには一切頼らず、あくまでも我がお抱え家庭教師力一本で大学推薦合格を導いてきているぞ!)
 今後大学卒業そしてその後に及んでまだまだ「お抱え家庭教師」としての不安材料が盛沢山であるのが正直なところでもある。 それでも、大学ゼミ教官を筆頭に他の教官の方々より頂いた娘宛の年賀状返答を覗き見すると、娘が地道に大学で頑張っている姿が想像可能なところが親としては少しばかり嬉しく顔がほころぶ次第だ。


 最後に私論で締めくくろう。

 子どもとは親が育てた通りに育つことを、娘20歳にしてやっと実感でき感慨深い思いである。
 出生時に事情を抱えてこの世に誕生せざるを得なかった我が娘の場合、親である私がその実感を得るために長い年月を要したのが事実だ。 

 そうだとして、もしも我が子が生来的に何らの障壁もなくこの世に誕生していたとしたら、私はこの子に「いい大学・いい就職」等々の単純に歪んだ英才教育でも施したのだろうか??

 私の場合は、どう転んでもそうではなかったような気がする。 それと言うのも、私自身がその種の表面だけしつらって中身のないくだらない人生には全く興味がないためだ。 そんな世界とは無縁の一貫した意思の下で、我が人生を意欲的に歩んで来ていると考察・実感するからだ。
 もしも我が子がこの世に普通に産まれ出ていたとしたなら、少なくとも私の娘の教育指導に関して裂く時間が大幅に軽減された事は事実であろう。 それでもおそらく私は基本姿勢として現在と同じような指導教育を娘に施し、我がポリシーに満ち溢れた親としての背中を見せつつ娘に接したであろうと思う。

 今後も親として娘に見せる姿は娘成人の後も何ら揺らぎなく、一生に渡り普遍であろうとの確信がある。
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