私が過去において癌を経験し一時期闘病生活を余儀なくされたことに関しては、既に本ブログの健康・医療カテゴリーのバックナンバー「癌は突然やってくる」において公開済みである。
術後12年が経過した今、再発転移もなく私はこの通りごく普通に生きている。
ただ、癌及び周辺組織の摘出手術及びその部位をカバーするための植皮手術による手術跡は一生の置き土産として私の体に刻み付けられ、共に人生を歩み続けているのであるが。
私の癌は体の表面に出現したため、癌の成長すなわち癌細胞の増殖が自分で手に取るように把握できていた。そのため、癌細胞の増殖スピードが急速化してから摘出手術までの期間が短く周辺組織への転移が回避できたため、大事には至らなかったお陰で予後が良好であると思われる。
私は病気をはじめ自分や家族の“弱点”や“ハンディ”を売り物にすることを元々毛嫌いしている人間である。そのため、自分の過去の癌闘病に関しても上記のごとく、本ブログにおいて一度公開した以外は一切公表していない。
世間を見渡すと、何とまあ、自分や家族の癌をはじめ難病克服や闘病に関する書籍やブログの多いことか。もちろん表現の自由が保障されていることだし、自己責任の範囲内で公開する分には誰からも非難される筋合いもないのであろうが。
私が癌闘病中にある信頼できる知人から、癌闘病を綴った一冊の書籍を届けていただいたことがある。大変失礼ではあったが、私はその書籍をパラパラとページをめくっただけで、読む意思がないことを明確にお伝えしお返し申し上げた。理由は上記のごとくその種の自伝を売り物にすることを毛嫌いしていたこと、また、私は元々医学分野の仕事に従事していたために自分の癌について冷静沈着に客観的に把握できていたこと、加えて、死生観や病気に対する考え方、また置かれている立場等は人それぞれであり他者の闘病の様子が私にとって参考になりにくいと判断したためである。
そんな私が最も毛嫌いするのは、有名人の癌をはじめ難病罹患等のマスメディアの情報である。確かに、社会で活躍中の著名人が癌に罹患したとなればニュースにはなり得るであろう。この私でも「へえ、そうなんだ。」ぐらいには受け止める。
ところが辟易とするのは、本人自身がもう元気に復帰して通常に活躍しているにもかかわらず、いつまでもいつまでも癌闘病の過去を書籍出版等の形で売り物にすることなのだ。
その心理がわからなくもない。生死にかかわる修羅場をくぐってきた過去は自分にとってはひとつの勲章である。その類稀な経験が今の自分の人格の一部を創り上げていると言っても過言ではないであろう。それを公表して自慢したい感覚は少しは理解できるのだが、他者の視点から見ると単なる手前味噌に過ぎず、みっともなささえ私は感じる。 有名人の場合、知名度を利用して金儲けのためにそれを売り物にしようという魂胆がみえみえだ。
私も癌を克服した身であるから言いたいのだが、元気になったのならそれでいいではないか。癌をいつまでも売り物にするのはみっともないからやめよう。
術後12年が経過した今、再発転移もなく私はこの通りごく普通に生きている。
ただ、癌及び周辺組織の摘出手術及びその部位をカバーするための植皮手術による手術跡は一生の置き土産として私の体に刻み付けられ、共に人生を歩み続けているのであるが。
私の癌は体の表面に出現したため、癌の成長すなわち癌細胞の増殖が自分で手に取るように把握できていた。そのため、癌細胞の増殖スピードが急速化してから摘出手術までの期間が短く周辺組織への転移が回避できたため、大事には至らなかったお陰で予後が良好であると思われる。
私は病気をはじめ自分や家族の“弱点”や“ハンディ”を売り物にすることを元々毛嫌いしている人間である。そのため、自分の過去の癌闘病に関しても上記のごとく、本ブログにおいて一度公開した以外は一切公表していない。
世間を見渡すと、何とまあ、自分や家族の癌をはじめ難病克服や闘病に関する書籍やブログの多いことか。もちろん表現の自由が保障されていることだし、自己責任の範囲内で公開する分には誰からも非難される筋合いもないのであろうが。
私が癌闘病中にある信頼できる知人から、癌闘病を綴った一冊の書籍を届けていただいたことがある。大変失礼ではあったが、私はその書籍をパラパラとページをめくっただけで、読む意思がないことを明確にお伝えしお返し申し上げた。理由は上記のごとくその種の自伝を売り物にすることを毛嫌いしていたこと、また、私は元々医学分野の仕事に従事していたために自分の癌について冷静沈着に客観的に把握できていたこと、加えて、死生観や病気に対する考え方、また置かれている立場等は人それぞれであり他者の闘病の様子が私にとって参考になりにくいと判断したためである。
そんな私が最も毛嫌いするのは、有名人の癌をはじめ難病罹患等のマスメディアの情報である。確かに、社会で活躍中の著名人が癌に罹患したとなればニュースにはなり得るであろう。この私でも「へえ、そうなんだ。」ぐらいには受け止める。
ところが辟易とするのは、本人自身がもう元気に復帰して通常に活躍しているにもかかわらず、いつまでもいつまでも癌闘病の過去を書籍出版等の形で売り物にすることなのだ。
その心理がわからなくもない。生死にかかわる修羅場をくぐってきた過去は自分にとってはひとつの勲章である。その類稀な経験が今の自分の人格の一部を創り上げていると言っても過言ではないであろう。それを公表して自慢したい感覚は少しは理解できるのだが、他者の視点から見ると単なる手前味噌に過ぎず、みっともなささえ私は感じる。 有名人の場合、知名度を利用して金儲けのためにそれを売り物にしようという魂胆がみえみえだ。
私も癌を克服した身であるから言いたいのだが、元気になったのならそれでいいではないか。癌をいつまでも売り物にするのはみっともないからやめよう。

毎日元編集長の、あの人が出演しているCMです。
カズさん、お暇だったらもう一度詳細を教えて~。
私は昔はその類の番組って結構好きだったんです。
でも、自分がこの記事に書いた癌をはじめ様々な修羅場(家族の病気等でも散々苦労しています。)をくぐり抜けている現在、その種のドキュメンタリーを見るとあの国営放送局(NHK)の番組でさえ、製作者の主観や過度の演出が見え見えで、そのお涙頂戴ぶりが胡散臭くて白けてしまいます。
現実ってもっと厳しいです。物語では済まない現実を皆一生懸命生きているのに、軽々しい番組は放映しないで欲しいですよね。
uba3さん、またブログ本体にお越し下さい!
そうおっしゃって下さる方が多くて、私困っちゃう~。
じょ、冗談ですからね。
もう、癌に打ち勝って生きてて大正解で~す!!
今回の記事は思うところがあって、コメントを残したいと思いました。自己中心的な理由かもしれませんので、もしも不愉快に感じましたら、遠慮なく削除してもらって全然構いません。
私は今から大体十年くらい前から左耳が難聴になりまして、日常会話をするのも大変な部分がありますが、まぁ慣れと周囲の優しさのお陰でほとんど不自由はありませんので、初対面の人に驚かれるほどに『普通』でいられます。
難聴は確かに難病ではありますが、私のようにハンデを軽く感じることが出来る病ですが、誰もが同じように感じることは出来ないというのは分かります。
共感が欲しい。でも、傷の舐め合いはいらない。そんな歪な欲求です。
でも、駄目なんですよね。周囲や他人に感覚を求めたり押し付けたりしちゃ・・・。身に染みてます。
心構えを学ぶ必要なんて無いんですよね。必要になったら手探りで知っていけばいい。
他人の不幸は蜜の味、と言いますが、不幸すぎる話を延々と聞かされる立場ならお断りしたくもなりますし。
大事なのは、大病であっても克服できたならそれは盛大に祝い、「おめでとう!」と素直に喜びを分かち合えばいいという事ではないかなぁと。それが出来たら、人間として、誰かの友人として、充分だと思います。
長々と下らぬ話、長文失礼しました。
原さん、癌が治って、本当に良かったですね。
この記事は異論、反論覚悟で綴ったのですが、ご覧のように今のところまだその種のコメントは届いていないようです。
本文でも既述していますが、同じ病気同じハンディを抱えていても人それぞれ置かれている立場が全然異なります。
私が癌に罹患したのは、子どもが1歳の時すなわち育児に最高に手がかかる大変な時期でした。そんな時に母親である私が病気で入院するはめになり、周囲が大変混乱しました。私の病気の事よりも、子どもの世話を一体誰がするかが一番の関心事でした。しかも我が子は若干の事情を抱えて生まれてきていたため手取り足取りのケアが必要だったのです。結局、私の母が子どもの面倒を見ることになったのですが、母は半ばパニック状態でした。誰も私に同情などしません。むしろ「子どもにとって母親が一番必要な時期に病気なんかして…」と責められる身でした。
退院直後家に着いたその時から育児の現実が待ち構えており、抗癌剤の後遺症で抜け落ちる髪の毛とは裏腹に、私の体力はみるみる回復しました。
「退院おめでとう」もへったくれもありません。でも、そんな現実がむしろ私を早い回復へと導いてくれたと思います。
それでも、私の場合は完治しているからこそ今こんなに強気でいられるのだと思います。
kuisinさんの難聴は一生付き合っていく病気ですよね。まったく立場が異なります。ご苦労を察してあまりあります。kuisinさんの難聴の話をお聞きして以来、kuisinさん、こんな時には困ってるのかな、なんて時々想像してるんですよ。
また、暇を見つけてはコメント書きに来て下さいね!待ってま~す!!
これは、私ではないかと思います。
うろ覚えでごめんなさい。
病気の人の気持ちは、本人しか解りませんよね。
反省です。
本文中の本は別の方からお借りしたものでした。
“別の方”さん、もしも当ブログをお読みいただいておりましたら、この場で再度当時の失礼をお詫び申し上げます。
梅さんは入院中に何度かお見舞いにお越し下さり、大変お世話になりました。
手術の翌日梅さんがお越し下さった時に、私は既に起きて自力で歩いていたのを梅さんが驚いたり、植皮のために皮膚をとった足がつっぱる等の話を梅さんに聞いていただいたことを思い出します。
そして梅さんから「明るい癌患者」の称号をいただいたものです。
とにかく、はやく退院して子どもの世話をしなければの思いで頭がいっぱいで、自分の癌のことなど二の次だったのが幸いして速い回復につながったと思います。