未曾有の大震災に於ける数々の被害に関して、これは「天災」だったのか、これは「人災」だったのかの白黒決着は今後も困難を極めることであろう。
その中において、国民皆に一番分かり易いのは福島第一原発事故である。
あれは誰の目から見ても「人災」以外の何物でもない。
この国において原発が推進された当初より、その推進政策の背景には政治面のみならず科学技術面においても不安定材料が数多く存在していた。 にもかかわらず、国民に対して何らの情報公開もせずしていい加減な“原発は安全”アピールの国民目くらませの下、水面下で原発建設により暴利をむさぼろうとする巨大な権力が暴走したことは否めない事実であろう。
その証拠に、福島第一原発事故早期に発生したメルトダウンによる水素爆発を止められる人物が誰一人としてこの国には存在しないことが、この3月以降証明された。
しかもその後の原子力安全保安院等々、国の独立行政法人の原発事故担当者の数々の不祥事更迭事件勃発にもほとほと呆れる思いだ。
表題の事案に移ろう。
去る8月10日、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが3月11日当日に大津波に巻き込まれ園児5名が死亡した事件に関して、4遺族が園側の対応に問題があったとして幼稚園に対して損害賠償を求める訴えを起こした。
大震災発生後、学校や幼稚園等の場で犠牲になった子どもを抱える遺族から学校や幼稚園に対して責任を問う動きが広がっている中、訴訟に持ち込んだ事例は今回が初めてとのことだ。
今回訴訟に持ち込まれた幼稚園に於ける3月11日当日の対応の様子をここで再現すると、大津波警報発令後の午後3時頃、園児を帰宅させるため高台にある幼稚園をバスが出発し、海辺の住宅地を回っている途中に津波と火災に見舞われて5名の園児が行方不明になったとのことである。(参考のため、高台に立地している幼稚園はその原型を保って存続している様子だ。)
これに対し、遺族側は「園は警報で津波の危険性を予見できたのに被害を受ける可能性が高い海側へバスを走らせた。 地震時のマニュアルを周知せず避難訓練も実施しなかった」と主張しているようだ。
この遺族側の主張に対し、園側代理人弁護士は「大津波が来るとは予想できず、園に責任はない」として原告側と争う構えであるとの報道である。
ここで原左都子の私事に移らせていただくことにしよう。
今から遡る事6年程前に私が住む関東地方においてかなり大きな地震があった。 その時東京は震度5弱を記録したのだが、これは私が上京してウン十年以来最大の震度だった。 (ただこの3月11日に東日本大震災の震度5強の大揺れを経験した身からすれば、今となっては大騒ぎするほどの揺れではなかったと振り返ることが出来る。)
ところが当時大いに困惑させられる事象が発生したのだ。 震度5弱の揺れで首都圏の電車がすべて不通となり、これに当時塾に通っていた小学生の我が娘が巻き込まれてしまったのである。 娘の携帯からの電話によると、塾での授業中に大きな地震があったが、自分の授業が終わった時点で普段通り塾から帰されてしまったとのことである。 娘が駅に着いてみると電車が動いておらず人がごった返しているとの電話だ。それは午後4時半頃の事であった。 私は安易にも「おそらく電車はもうすぐ動くから駅で待機していなさい」と娘に伝えた。
この一言が親として大失策だった。 直ぐに何らかの手段で駅まで迎えに行ってやればよかったと思っても後の祭りである。
その後首都圏は大混乱状態に陥った。 電車は何時間経っても動かない。道路も大渋滞。 携帯も繋がらない。
幸い時間が経過した後に、娘との携帯は再び繋がり始めた。 「まだ駅で待機している」との我が娘の気丈さに命拾いしつつ、電車が動き始めたのは午後11時過ぎの事だった。
深夜に自宅の最寄駅まで迎えに行き、11歳という年齢にして7時間もの長時間、塾の最寄駅で一人で耐えたその果敢さを賞賛してやったものである。
それにしても、年端もいかない子ども達を保護者から預かって暴利をむさぼっている塾が、何故に非常時の生徒の交通網の状態すら把握せずして安易に帰宅させたのか、との不信感を当時より抱き続けている私である。
時が過ぎ、今年の3月11日の大震災発生時にも上記の過去の苦い経験から、学校は首都圏の交通網が不通で大混乱状態の中、子ども達を無謀にも帰宅させるのであろうか?との大いなる懸念を真っ先に抱いた私だ。
やはり大震災の状況下において、我が子に持たせている携帯電話に繋がる訳はない。 それがパソコンメールにおいて繋がり始めた時には感激だった。 その後まもなく娘から「今夜は学校に留まることになる」とのメールをもらった時には、親として「これでとにかく我が子は帰宅難民になることだけは避けられ、命が繋がる!」との切実な安堵の思いだったものだ。
8月3日の朝日新聞報道によると、首都圏の小学校では今までの防災マニュアルを見直して「大地震の時には学校待機」を表明したとのことである。
どうしてこんな簡単な結論が今まで導けなかったのかと不思議でさえある。
ただしこれは首都圏特有の改善策であり、大津波が押し寄せる地域にある教育機関においては、今後その立地の検証も鑑みつつ改善策が検討されるべきであろう。
子どもを預かる学校や幼稚園とは、在校、在園中のその小さな“命”を当然ながら保障してくれると信じて保護者は我が子を教育機関に託しているのだ。
確かに、まさか本当に未曾有の大津波が押し寄せるとは考えてもいなかったとの弁解が成り立つと信じる弱小組織が数多く存在する日本の貧しい教育事情なのでもあろうが……
ただ歴史的大震災が勃発してしまった我が国の今後においては、もう既にその種の甘っちょろい弁解が成り立たなくなっている実情を、たとえ零細教育機関であれ肝に命じて欲しいものだ。
その観点から、今回の幼稚園児死亡に対する保護者の訴訟の行く末を見守りたい私である。
その中において、国民皆に一番分かり易いのは福島第一原発事故である。
あれは誰の目から見ても「人災」以外の何物でもない。
この国において原発が推進された当初より、その推進政策の背景には政治面のみならず科学技術面においても不安定材料が数多く存在していた。 にもかかわらず、国民に対して何らの情報公開もせずしていい加減な“原発は安全”アピールの国民目くらませの下、水面下で原発建設により暴利をむさぼろうとする巨大な権力が暴走したことは否めない事実であろう。
その証拠に、福島第一原発事故早期に発生したメルトダウンによる水素爆発を止められる人物が誰一人としてこの国には存在しないことが、この3月以降証明された。
しかもその後の原子力安全保安院等々、国の独立行政法人の原発事故担当者の数々の不祥事更迭事件勃発にもほとほと呆れる思いだ。
表題の事案に移ろう。
去る8月10日、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが3月11日当日に大津波に巻き込まれ園児5名が死亡した事件に関して、4遺族が園側の対応に問題があったとして幼稚園に対して損害賠償を求める訴えを起こした。
大震災発生後、学校や幼稚園等の場で犠牲になった子どもを抱える遺族から学校や幼稚園に対して責任を問う動きが広がっている中、訴訟に持ち込んだ事例は今回が初めてとのことだ。
今回訴訟に持ち込まれた幼稚園に於ける3月11日当日の対応の様子をここで再現すると、大津波警報発令後の午後3時頃、園児を帰宅させるため高台にある幼稚園をバスが出発し、海辺の住宅地を回っている途中に津波と火災に見舞われて5名の園児が行方不明になったとのことである。(参考のため、高台に立地している幼稚園はその原型を保って存続している様子だ。)
これに対し、遺族側は「園は警報で津波の危険性を予見できたのに被害を受ける可能性が高い海側へバスを走らせた。 地震時のマニュアルを周知せず避難訓練も実施しなかった」と主張しているようだ。
この遺族側の主張に対し、園側代理人弁護士は「大津波が来るとは予想できず、園に責任はない」として原告側と争う構えであるとの報道である。
ここで原左都子の私事に移らせていただくことにしよう。
今から遡る事6年程前に私が住む関東地方においてかなり大きな地震があった。 その時東京は震度5弱を記録したのだが、これは私が上京してウン十年以来最大の震度だった。 (ただこの3月11日に東日本大震災の震度5強の大揺れを経験した身からすれば、今となっては大騒ぎするほどの揺れではなかったと振り返ることが出来る。)
ところが当時大いに困惑させられる事象が発生したのだ。 震度5弱の揺れで首都圏の電車がすべて不通となり、これに当時塾に通っていた小学生の我が娘が巻き込まれてしまったのである。 娘の携帯からの電話によると、塾での授業中に大きな地震があったが、自分の授業が終わった時点で普段通り塾から帰されてしまったとのことである。 娘が駅に着いてみると電車が動いておらず人がごった返しているとの電話だ。それは午後4時半頃の事であった。 私は安易にも「おそらく電車はもうすぐ動くから駅で待機していなさい」と娘に伝えた。
この一言が親として大失策だった。 直ぐに何らかの手段で駅まで迎えに行ってやればよかったと思っても後の祭りである。
その後首都圏は大混乱状態に陥った。 電車は何時間経っても動かない。道路も大渋滞。 携帯も繋がらない。
幸い時間が経過した後に、娘との携帯は再び繋がり始めた。 「まだ駅で待機している」との我が娘の気丈さに命拾いしつつ、電車が動き始めたのは午後11時過ぎの事だった。
深夜に自宅の最寄駅まで迎えに行き、11歳という年齢にして7時間もの長時間、塾の最寄駅で一人で耐えたその果敢さを賞賛してやったものである。
それにしても、年端もいかない子ども達を保護者から預かって暴利をむさぼっている塾が、何故に非常時の生徒の交通網の状態すら把握せずして安易に帰宅させたのか、との不信感を当時より抱き続けている私である。
時が過ぎ、今年の3月11日の大震災発生時にも上記の過去の苦い経験から、学校は首都圏の交通網が不通で大混乱状態の中、子ども達を無謀にも帰宅させるのであろうか?との大いなる懸念を真っ先に抱いた私だ。
やはり大震災の状況下において、我が子に持たせている携帯電話に繋がる訳はない。 それがパソコンメールにおいて繋がり始めた時には感激だった。 その後まもなく娘から「今夜は学校に留まることになる」とのメールをもらった時には、親として「これでとにかく我が子は帰宅難民になることだけは避けられ、命が繋がる!」との切実な安堵の思いだったものだ。
8月3日の朝日新聞報道によると、首都圏の小学校では今までの防災マニュアルを見直して「大地震の時には学校待機」を表明したとのことである。
どうしてこんな簡単な結論が今まで導けなかったのかと不思議でさえある。
ただしこれは首都圏特有の改善策であり、大津波が押し寄せる地域にある教育機関においては、今後その立地の検証も鑑みつつ改善策が検討されるべきであろう。
子どもを預かる学校や幼稚園とは、在校、在園中のその小さな“命”を当然ながら保障してくれると信じて保護者は我が子を教育機関に託しているのだ。
確かに、まさか本当に未曾有の大津波が押し寄せるとは考えてもいなかったとの弁解が成り立つと信じる弱小組織が数多く存在する日本の貧しい教育事情なのでもあろうが……
ただ歴史的大震災が勃発してしまった我が国の今後においては、もう既にその種の甘っちょろい弁解が成り立たなくなっている実情を、たとえ零細教育機関であれ肝に命じて欲しいものだ。

その観点から、今回の幼稚園児死亡に対する保護者の訴訟の行く末を見守りたい私である。
それとも園の誰かが、生徒をいち早く家に届けなさいと、バスの運転手に命じたかです?
帰宅させるか、園で待機かの微妙な時間ですが、園には津波の情報は入手していたものと思われます。
津波は、高台にあった園には届かなかった。
さて、津波警報はどんなレベルのものを、園が入手していたのでしょうか?
事実を検証するには、材料は足らなさ過ぎです。
私は、園と親達が、証言台に上がるのですが、悲しい裁判になりそうです。
「責任を取らされたらタマランから帰してしまえ」と言う訳でしょうが、責任の取り方を知らない国になってしまった事を痛感いたします。
危機管理に「FAIL-SAFE」と言う言葉がありますが、ただ帰宅させるのではなく、いくつかの案を準備しておくべきです。家庭⇔家族間の連絡方法についても同様にPCメール、Twitter、ブログコメントなど複数の連絡方法を日頃から検討しておく必要があるようです。スマートフォンばかりでなく、インターネットカフェの経験も必要かも知れません。私は一度だけ体験しています。
勤め人の方は ありえそうだなあとか思うはず
基本的に日本の勤め人は自己判断しない様に教育されて
いますし、判断したら首が飛ぶかも知れないと思うで
しょうしね。
決められている通りに送っていかないと、後で上に
何を言われるかとの怯えもあったのでしょうね。
これは長い間の経済優先の教育のたまもので
(調子が良い時は判断しない方がスピードはあって
たまたま日本は上手くいっていた時代があった)
私の働いている会社などでも 判断力と決断力の
ある人間は日の目をみる事はありませんので
良くわかりますね、他社の友人とかに聞いてみても
同じ様な答え、実際は今の様な国際的な経済危機
だったり、国際的に放射能汚染をまき散らせたり
してしまっている状態だと国自体に判断力を問われて
いるのでしょうけども、どうも日本人の考え方の
根源にあるのは、あいかわらずの事なかれ主義
事が起こっていて 事なかれ主義って言うのは
ありえないはずなんでしょうけど。
まあ、そういう僕自体 その場 そのポジションに
いたら どうしたかと 問われると ちゃんと責任ある
行動がとれていたかどうかは ?ですけど。
自分自身も反省も込めて こういう事件を読み直したり
しています。
反省位しか僕に出来る事は無いですしね。
5名の園児が今回の津波で亡くなり、4家族が訴訟を起こし、残る1家族は何故訴訟に加わらなかったのか?それが最初に私の頭をかすめました。
残る1家族のコメント等が一切ないので心理は解りません?
仮に私が送迎バスの運転手だったならば?天災時のマニュアルがあれば、マニュアルに従って行動をしたと思います?
マニュアル等が無い、知らなかったとしたら、運転手の判断で津波が来る前に、一刻も早く保護者の元へとの心理が働くのでは???
(まさか未曾有の大津波が襲うとは予測しなかったのであろう???
国も原発側も、まさか予想を超える未曾有の津波がと発言した事が問題視されていますが、幼稚園側も似たようなコメントが保護者4家族を訴訟へと駆り立てたのでしょう?
結果が出た後に物申すは簡単な事です、結果が出る前に改善や対策を施し未然防止をする事は、その何倍も難しい事です!
(例、あの時ハンドルを右に切っていれば相手車にぶっつかる事はなかった!結果だけ見れば簡単な判断です!では何故右にハンドルを切らなかったのか???)
想定外の事が起こりうる事を想定する事は難しい事ですが、それを言い訳にする事は、大変な問題です!園側が真摯に受け止め保護者に謝罪すれば訴訟までには至らなかったと思います。
私が東京の自宅で震度5強の大揺れに見舞われた20分後頃にテレビ画面をつけた時には、確かにテレビ画面は大津波情報をある意味ではヒステリックに伝えていました。 私自身はその報道の“ヒステリックさ”を敏感に感じ取りました。
その頃にもっと強度の揺れに見舞われた東北地方では、既に停電状態だったのでしょうか? だとすると、メディアからの大津波情報が得られなかったことになります。
そうではなく、あの今までにはない“ヒステリック”とも言えるテレビの大津波情報を得たにもかかわらず、その異常さを感じ取れなかったとするならば、やはり受信者側にも責任があるのかとも思うのです。
その後テレビのニュース報道を熟視していた私は、実際に大津波が押し寄せる場面を“生”で見るはめとなりました。
この大揺れでは大津波が本当に来る、との危機感を既に抱いていた私は“やはり…”との絶望感と共に多くの家や車が流される影像をただただ絶望感と共に見守りました…
さて、私が大津波が押し寄せた東北地方に実際住んでいたとして、どのような行動を取り得たでしょう?
これに関しては、その経験がないため実証しようがないのですが、今回の地震が尋常ではない感覚はあったと思うのです。
もしも私が幼稚園の園長であり、園が高台にあることをその時に思い起こせたならば、少なくとも自分自身の尋常ではない危機感に頼って、とりあえずは園児をその高台の幼稚園に留める決断を下したようにも思います。
ただ、私とて我が娘が塾から帰された時に「電車はすぐ動くから駅で待機して」との指示をしたことを鑑みると、園長の判断は責められないのかとも思ったりもします。
下っ端である運転手氏の判断はどうだったのでしょう?
これに関してはTT・MX27さんが詳細情報を書かれていますが、それを参考にさせていただくと運転中に大津波回避の判断材料があったものと捉えます。
組織に所属している人間が、その組織からの管理にどこまで従うべきかとの命題も残りますが、taguさんが書かれている事実も組織の力学においては揺ぎない事実であるのでしょう。
ただ私は、組織に所属してようがいなかろうが、人間とはその時々に自分自身が責任を持てる判断をし結論を出すべきだと思うのです。
東日本大震災において、一番の被害を被っている東北地方の皆様を責める気持ちなど毛頭ないのですが、3月11日の大震災発生直後に自分で感じた尋常ではない危機感に従って行動をして欲しかった思いはあります。 特に幼き人命を預かる小中学校や幼稚園においては…
それにしても、国や自治体の指導こそが手薄過ぎました。
国政は今尚混乱を続けていますが、今後は大震災発生時にはもっと確固たる指導力を発揮して欲しいものです。