冒頭表題の「原左都子エッセイ集」2017.02.09付バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。
原左都子も公立大学へ通った経験がある。
30代にして2度目の大学入学を志し無事合格し、大学院修士課程を修了するまでの6年間通学した大学が、首都圏に位置する某公立大学だった。
手前味噌ながら、当該公立大学に関して少し紹介しよう。
1882年(明治15年)創設、1949年(昭和24年)に新制大学として発展を遂げた老舗の公立大学だ。
2015年には、学生数5000人未満の世界大学ランキングで日本2位、世界16位にランクインしている。 文系を含む5000人未満の大学としては、日本1位の地位を誇っている。
私自身が2,3年前に垣間見た某雑誌の国内全国の“国公立大学ランキング”でも、比較的上位に選出されていた。
近年、経営危機に陥った地方の“私立大学公立化”の動きが相次いでいる様子だ。
いきなり私見だが、どうもこの動き、(同じく公立大学出身者である身の)私にとっては印象が悪い。
もちろん、国公立・私立にかかわらず、全ての大学が自らの特質を誇りつつ存在しているのであろうし、何が良くて何が悪いとステレオタイプに結論付けらるはずもないのだが…。
早速、この動き(私立大学の公立化)に関するネット情報を以下に要約して紹介しよう。
定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが、各地で相次いでいる。 2016年度からは京都府福知山市の成美大が福知山公立大と改称して再スタートを切ったほか、山口県山陽小野田市の山口東京理科大も公立大に衣替えした。 自治体側が地方創生の拠点となる大学の存続を願ったためで、学費が下がることで志願者が大幅に増えている。 しかし、安易な公立化は将来、自治体に重い財政負担を負わせるうえ、大学間の公正な競争を妨げることにもなりかねない。 日本私立大学協会の小出秀文常務理事は「公立大の在り方が問われている」と疑問の声を上げている。 18歳人口が急減する大学の「2018年問題」を控え、地方の大学はどこへ向かおうとしているのか。
(以上、ネット情報より引用したもの。 途中大幅略。)
新たに公立大を設置しても自治体の財政がさほど傷むわけではない。 公立大をもつ自治体には必要な経費が地方交付税交付金への積み増しの形で国から拠出されるからだ。 地元選出の有力政治家の後押しなども受けられるようになる。
<2016年頃の地方私大の公立化事例>
◆2009年度:・高知工科大学
◆2010年度:・静岡文化芸術大学 ・名桜大学(沖縄県)
◆2012年度:・鳥取環境大学
◆2014年度:・長岡造形大学(新潟県)
◆2016年度(予定):・山口東京理科大学 ・成美大学(京都府)
18歳人口がさらに落ち込む「2018年問題」を控え、地方の私大経営は今後ますます厳しくなる。 とはいえ「公立化」が安易な救済策として使われてしまえば、そのツケを納税者に回すことになる。
人口減少時代に多額の税金を投入してまで公立大を増やす必要があるか。
公立化された私大は、その意義を結果で示す責任がいっそう重く問われることになる。 (途中大幅略)
就職先を選ぶ自由は卒業する学生本人にあるが、地方企業への就職や、その地域における起業・独立結果などを集約し、他の進路実績との比較や要因分析等も実施し、一定の比率の地域就労目標値を設定し、地域・地場の産・官・学の協働を 強く推し進めるべき。
ただ、そうした場合、例えば人口数万人レベルの某市が、私立大学を市立大学化するというのは、無理がある。 少なくとも地方における公立大学化は、相当数の人口と周辺都市の人口を擁する都市に限定すべきである。
ついでに、国立の存在意義とは? 国立大学は、理念としては国家及びグローバル社会レベルで貢献する 人材の輩出機関と位置付けて良いと思う。
最後に私立大学に関しては、それぞれ独自の理念・目的をまさに私学として持ち、その 実現に取り組むべきだろう。
(以上、長くなったが“私立大学公立化”に関するネット情報より引用したもの。)
以下は、2016年当時の原左都子の私論の一部だが。
30代にして2度目の大学入学を志し無事合格し、大学院修士課程を修了するまでの6年間通学した大学が、首都圏に位置する某公立大学だった。
手前味噌ながら、当該公立大学に関して少し紹介しよう。
1882年(明治15年)創設、1949年(昭和24年)に新制大学として発展を遂げた老舗の公立大学だ。
2015年には、学生数5000人未満の世界大学ランキングで日本2位、世界16位にランクインしている。 文系を含む5000人未満の大学としては、日本1位の地位を誇っている。
私自身が2,3年前に垣間見た某雑誌の国内全国の“国公立大学ランキング”でも、比較的上位に選出されていた。
近年、経営危機に陥った地方の“私立大学公立化”の動きが相次いでいる様子だ。
いきなり私見だが、どうもこの動き、(同じく公立大学出身者である身の)私にとっては印象が悪い。
もちろん、国公立・私立にかかわらず、全ての大学が自らの特質を誇りつつ存在しているのであろうし、何が良くて何が悪いとステレオタイプに結論付けらるはずもないのだが…。
早速、この動き(私立大学の公立化)に関するネット情報を以下に要約して紹介しよう。
定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが、各地で相次いでいる。 2016年度からは京都府福知山市の成美大が福知山公立大と改称して再スタートを切ったほか、山口県山陽小野田市の山口東京理科大も公立大に衣替えした。 自治体側が地方創生の拠点となる大学の存続を願ったためで、学費が下がることで志願者が大幅に増えている。 しかし、安易な公立化は将来、自治体に重い財政負担を負わせるうえ、大学間の公正な競争を妨げることにもなりかねない。 日本私立大学協会の小出秀文常務理事は「公立大の在り方が問われている」と疑問の声を上げている。 18歳人口が急減する大学の「2018年問題」を控え、地方の大学はどこへ向かおうとしているのか。
(以上、ネット情報より引用したもの。 途中大幅略。)
新たに公立大を設置しても自治体の財政がさほど傷むわけではない。 公立大をもつ自治体には必要な経費が地方交付税交付金への積み増しの形で国から拠出されるからだ。 地元選出の有力政治家の後押しなども受けられるようになる。
<2016年頃の地方私大の公立化事例>
◆2009年度:・高知工科大学
◆2010年度:・静岡文化芸術大学 ・名桜大学(沖縄県)
◆2012年度:・鳥取環境大学
◆2014年度:・長岡造形大学(新潟県)
◆2016年度(予定):・山口東京理科大学 ・成美大学(京都府)
18歳人口がさらに落ち込む「2018年問題」を控え、地方の私大経営は今後ますます厳しくなる。 とはいえ「公立化」が安易な救済策として使われてしまえば、そのツケを納税者に回すことになる。
人口減少時代に多額の税金を投入してまで公立大を増やす必要があるか。
公立化された私大は、その意義を結果で示す責任がいっそう重く問われることになる。 (途中大幅略)
就職先を選ぶ自由は卒業する学生本人にあるが、地方企業への就職や、その地域における起業・独立結果などを集約し、他の進路実績との比較や要因分析等も実施し、一定の比率の地域就労目標値を設定し、地域・地場の産・官・学の協働を 強く推し進めるべき。
ただ、そうした場合、例えば人口数万人レベルの某市が、私立大学を市立大学化するというのは、無理がある。 少なくとも地方における公立大学化は、相当数の人口と周辺都市の人口を擁する都市に限定すべきである。
ついでに、国立の存在意義とは? 国立大学は、理念としては国家及びグローバル社会レベルで貢献する 人材の輩出機関と位置付けて良いと思う。
最後に私立大学に関しては、それぞれ独自の理念・目的をまさに私学として持ち、その 実現に取り組むべきだろう。
(以上、長くなったが“私立大学公立化”に関するネット情報より引用したもの。)
以下は、2016年当時の原左都子の私論の一部だが。
定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが活発化している現状を、当該市町村に住む住民の皆様が本心で承知しているのであろうか??
いや、もしかしたら、我が子が“そこなら入れるかもしれない!” などとのわずかな望みに親は賭けているのであろうか??? そうした場合、公立化すれば学費が半額以下になるし~~。 なる親負担の軽減に安直に親として酔いしれるのだろうか??
その前に、上記ネット情報内にある、公立・国立・私立の果たすべき役割として掲げられている卒業生人材輩出に関する専門家氏のご意見に関してだが…。
ごもっとものご意見と一応賛同しようとも、まず“叶わぬ夢”ではないだろうか?
今の時代、やはり卒業生本人の意思と希望こそを尊重したいものだ。 公立出たからその市町村内で働け?? 国立出たら、グローバル社会で貢献するべき?? 私立はそれぞれの理念の元で自由にしてよい???
これぞステレオタイプ過ぎて、失礼ながらせせら笑いたくもなる。
現実とは決してそうではなく、むしろ卒業生の学力や特質、自身の希望に沿った進路を描くのが現代の社会では理想と私は心得る。 (私自身がそうして来たし、我が娘もその進路を歩み始めたところだ。)
そうした場合、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動き”とは、必ずや破局を迎える!であろうと、私は結論付けたい。
それは早期にやって来るだろう。 そうなってから当該市町村が“公立化が失敗だった”と嘆きあたふたしたところで、その負担は市町村に住む人々の血税にかかるのだ。
そもそも、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大” など、在校生を卒業させた暁には入学者募集を取り止め、とっとと破産宣告してこの世から去るべきと考える私だが。
(以上、本エッセイ集2017.02付バックナンバーより一部を再掲載したもの。)
それから6年程の年月が経過した今現在も。
相変わらず 「私立大学の公立化」をはじめとする公立大学設置ニーズは衰えることなく、2023年春には都道府県や市などが設置する公立大が100校に達しているらしい。😖
そう言われてみるに、近年やたらと「○○県立大学」「△△市立大学」等々と称する公立大学が全国規模で増殖している感がある。😵
最近の朝日新聞記事によれば。
近年は定員割れが続く私立大学を地元自治体が公立化するケースが目立つらしい。 ところが、地方では都市部以上に少子化が深刻で学費の安さだけでは学生を集めることができず…
また、学問分野によっては企業や行政などから研究費や寄付等の外部資金を得ることも容易でないとのことだ。😷
そんなこと、原左都子に言わせてもらうなら、2017年頃の私立大学の公立化ブーム頃から自明の理であっただろうに…
何故に深い思慮も無く、単にブームに乗ってしまうのか?!?
こんな安直な思考で新設公立大学を全国に増殖させたとて、入学した学生達が「学問の府」たる大学教育を享受できることなど望むべくもなく。
またもやすぐさま潰れ去る大学を量産するのみではないのか!?!!
ここは「大学とは“学問の府”である」、との本来大学があるべく原点に立ち戻って。
安易な公立大学設置を、国も地方自治体も規制する方向性で動くべきではあるまいか?!!!