昨日(10月25日)のテレビ新聞等の報道によると、現在多くの大学受験者を対象として毎年1月に全国一斉に実施されている「大学入試センター試験」を、2016年度より難易度別に2種類に分割するとのことである。
たまたま前日の24日の日曜日に、現在高2の我が娘が某予備校主催の“センター模試”に初挑戦してきたばかりである。
実は私自身が大学受験に挑んだウン十年前の高3時は、センター試験はおろか共通一次試験も未だ実施されていない時代だった。 当時(国立受験の場合)は国立一期、二期時代であり、3月に受験する大学へ直接出向き各大学が独自に課す一発勝負の試験に臨んだものである。 (参考のため、30歳を目前に原左都子が再び受験した公立大学は“特別選抜”枠でチャレンジした故に、この時もセンター試験は受験していない。)
そのため現在娘の“お抱え家庭教師”として君臨している私とて、残念ながら“センター試験”に関する我が実感としての情報は持ち合わせていないのだ。
娘がセンター模試受験に際し「科目内での詳細の選択はいつどう登録すればいいの?」「自己採点とのことだけど問題用紙に自分の答に印を付けておくの?」等々あれこれと確認するのだが、こればかりは残念ながら推測でしか答えようがない原左都子なのである。
今回の独立行政法人「大学入試センター」が呈示したセンター試験難易度2分割の趣旨とは、“大学全入時代”対策にあるようだ。
えり好みしさえしなければ誰でも全員が大学へ入れる全入時代がすぐそこに到来している今、受験生の学力の多様化に対応するべくセンター試験にも2段階の難易度を設け、大学のレベルに応じたセンター試験を受験生に課そうとすることに今回の2分割の目的があるらしい。
現段階で想定されているのは、主に国公立大学(一部の私大も含む)の志願者向けの試験と、その他私立大向けの基礎科目型に分ける案とのことである。
ここで一旦、私論に入ろう。
今回のセンター試験難易度2分割案が、誰でもいいから受験生を入学させて何としてでも大学の定員を満たしたいと欲する“名のみの形骸大学”をゆくゆくは自然淘汰させることが目的であるのならば、その意義もあるのではないかと原左都子は捉える。
ところがそうは簡単ではない問題点も存在するようだ。
現在のセンター試験とは概ね平均点を60点と設定して作成されているらしい。 元高校教師でもある私としてはこの平均点の設定は妥当であると捉える。 ところが実際のセンター試験の結果とは、科目間格差もあるようだがどうやら学力2分化傾向にあり、その科目の学力がない受験生からは問題が難しいという指摘もあるらしい。
そういう実態であるならば私論としては2分化した下方である底辺の受験者を大学が切り捨てればそれで済む話とも思えるのだが、受験者の中には得意分野の科目では高得点を上げる者も多く、大学の学科の特性によってはその種の学生を獲得したいという思惑も存在するようだ。
この受験生の科目間得点格差要因として、現在の高校に於ける必修科目の比率が減っているという実態的背景が大いに影響しているとのことである。
元々国立理系を志望していた私に言わせてもらうと、私が高校生だったウン十年前にも私立大学受験者とは“3科目”受験が一般的だったものだ。 国立理系志望の場合7科目受験が標準であるためヒーヒー悲鳴を上げて勉強している私の傍らで、例えば私立文系志望者など高2から国英と社会1科目の勉強だけすればよく、余裕で恋愛など楽しんで悠長に過ごしていた記憶が今尚私の脳裏にあるのだ。
歴史的背景としては、その後私立大学も入学者の受験3科目以外の低学力を解消するべく国公立と共にセンター試験に参加するようになったのだろうと私は考察するのだが。(私立の現状をよく知らないで書いていますが違いますか??) ところが結局は今の高校も昔と似たり寄ったりのようで、バリバリ名立たる受験高と言えども科目自由選択制の拡大により必修科目が少なくなり、科目全般に渡る学力がないまま高校を卒業し大学へ進学する生徒が量産されている現状のようだ。
再び私論になるが、それにしても今回の“センター試験難易度2分割案”は安直過ぎると言わざるを得ない。
やはり大学の存在命題とは、今後世を担って立つ若者のためにもあくまでも「学問を教授する学府」であるべきだ。 そのためにはセンター試験2分割案など出す以前に解決すべき課題として、難易度が低くても誰でも合格できる大学など自然淘汰の上に抹消していくことが先決問題であると原左都子は直言したい!
そういう意味において、今後共大学を「学問の府」として存在させようとする発想が今回のセンター試験2分割案にはまったく欠けていると判断せざるを得ない。 (大学とは名のみの)形骸化している低レベル大学に迎合するが故に、現状の子ども達の学力低下に拍車をかけている場合ではないことに教育行政も少しは思いを馳せよう。
対中国問題、とどまることを知らない円高問題等々… これらを解決できる学問的バックグラウンドのある次世代を担う若者を今こそ本気で育てずして、この国は一体この先何処へ彷徨うつもりなのか!??
理系、文系、芸術系… その他いずれの分野の学問を子ども達が大学において目指そうとて“高卒程度”の一通りの学習能力なくして学問が全うできるはずもない。
そのための根本的な発想を構築するべく、独立行政法人「大学入試センター」は文科省と共に義務教育にまで遡ってその教育のあり方につき対話を繰り返しつつ出直した方がよかろう。
少子化時代における大学の正常な存続を語る前提として、大学を志す対象者である受験者の“高卒程度の学力”とは如何なるレベルなのかにつき、原点に引き戻って議論がなされるべきである。
その議論が成就して後に、「大学入試センター試験」の改革に着手しても決して遅くないと原左都子は異議申し立てしたいのだ。

たまたま前日の24日の日曜日に、現在高2の我が娘が某予備校主催の“センター模試”に初挑戦してきたばかりである。
実は私自身が大学受験に挑んだウン十年前の高3時は、センター試験はおろか共通一次試験も未だ実施されていない時代だった。 当時(国立受験の場合)は国立一期、二期時代であり、3月に受験する大学へ直接出向き各大学が独自に課す一発勝負の試験に臨んだものである。 (参考のため、30歳を目前に原左都子が再び受験した公立大学は“特別選抜”枠でチャレンジした故に、この時もセンター試験は受験していない。)
そのため現在娘の“お抱え家庭教師”として君臨している私とて、残念ながら“センター試験”に関する我が実感としての情報は持ち合わせていないのだ。
娘がセンター模試受験に際し「科目内での詳細の選択はいつどう登録すればいいの?」「自己採点とのことだけど問題用紙に自分の答に印を付けておくの?」等々あれこれと確認するのだが、こればかりは残念ながら推測でしか答えようがない原左都子なのである。
今回の独立行政法人「大学入試センター」が呈示したセンター試験難易度2分割の趣旨とは、“大学全入時代”対策にあるようだ。
えり好みしさえしなければ誰でも全員が大学へ入れる全入時代がすぐそこに到来している今、受験生の学力の多様化に対応するべくセンター試験にも2段階の難易度を設け、大学のレベルに応じたセンター試験を受験生に課そうとすることに今回の2分割の目的があるらしい。
現段階で想定されているのは、主に国公立大学(一部の私大も含む)の志願者向けの試験と、その他私立大向けの基礎科目型に分ける案とのことである。
ここで一旦、私論に入ろう。
今回のセンター試験難易度2分割案が、誰でもいいから受験生を入学させて何としてでも大学の定員を満たしたいと欲する“名のみの形骸大学”をゆくゆくは自然淘汰させることが目的であるのならば、その意義もあるのではないかと原左都子は捉える。
ところがそうは簡単ではない問題点も存在するようだ。
現在のセンター試験とは概ね平均点を60点と設定して作成されているらしい。 元高校教師でもある私としてはこの平均点の設定は妥当であると捉える。 ところが実際のセンター試験の結果とは、科目間格差もあるようだがどうやら学力2分化傾向にあり、その科目の学力がない受験生からは問題が難しいという指摘もあるらしい。
そういう実態であるならば私論としては2分化した下方である底辺の受験者を大学が切り捨てればそれで済む話とも思えるのだが、受験者の中には得意分野の科目では高得点を上げる者も多く、大学の学科の特性によってはその種の学生を獲得したいという思惑も存在するようだ。
この受験生の科目間得点格差要因として、現在の高校に於ける必修科目の比率が減っているという実態的背景が大いに影響しているとのことである。
元々国立理系を志望していた私に言わせてもらうと、私が高校生だったウン十年前にも私立大学受験者とは“3科目”受験が一般的だったものだ。 国立理系志望の場合7科目受験が標準であるためヒーヒー悲鳴を上げて勉強している私の傍らで、例えば私立文系志望者など高2から国英と社会1科目の勉強だけすればよく、余裕で恋愛など楽しんで悠長に過ごしていた記憶が今尚私の脳裏にあるのだ。
歴史的背景としては、その後私立大学も入学者の受験3科目以外の低学力を解消するべく国公立と共にセンター試験に参加するようになったのだろうと私は考察するのだが。(私立の現状をよく知らないで書いていますが違いますか??) ところが結局は今の高校も昔と似たり寄ったりのようで、バリバリ名立たる受験高と言えども科目自由選択制の拡大により必修科目が少なくなり、科目全般に渡る学力がないまま高校を卒業し大学へ進学する生徒が量産されている現状のようだ。
再び私論になるが、それにしても今回の“センター試験難易度2分割案”は安直過ぎると言わざるを得ない。
やはり大学の存在命題とは、今後世を担って立つ若者のためにもあくまでも「学問を教授する学府」であるべきだ。 そのためにはセンター試験2分割案など出す以前に解決すべき課題として、難易度が低くても誰でも合格できる大学など自然淘汰の上に抹消していくことが先決問題であると原左都子は直言したい!
そういう意味において、今後共大学を「学問の府」として存在させようとする発想が今回のセンター試験2分割案にはまったく欠けていると判断せざるを得ない。 (大学とは名のみの)形骸化している低レベル大学に迎合するが故に、現状の子ども達の学力低下に拍車をかけている場合ではないことに教育行政も少しは思いを馳せよう。
対中国問題、とどまることを知らない円高問題等々… これらを解決できる学問的バックグラウンドのある次世代を担う若者を今こそ本気で育てずして、この国は一体この先何処へ彷徨うつもりなのか!??

理系、文系、芸術系… その他いずれの分野の学問を子ども達が大学において目指そうとて“高卒程度”の一通りの学習能力なくして学問が全うできるはずもない。
そのための根本的な発想を構築するべく、独立行政法人「大学入試センター」は文科省と共に義務教育にまで遡ってその教育のあり方につき対話を繰り返しつつ出直した方がよかろう。
少子化時代における大学の正常な存続を語る前提として、大学を志す対象者である受験者の“高卒程度の学力”とは如何なるレベルなのかにつき、原点に引き戻って議論がなされるべきである。
その議論が成就して後に、「大学入試センター試験」の改革に着手しても決して遅くないと原左都子は異議申し立てしたいのだ。



確かに偏差値の問題ではないような気がします。記憶力中心の試験では人間の能力を十分に見極める事は出来ないと思います。試験問題の内容を含めた抜本的な改革が必要ではないでしょうか。
センター試験が一本なので、私立大学では、国立大学と比較して見られる、それを阻止したい私大の陰謀・・・。
受験戦争ブームを再び高めて、受験関連の産業を流行らせるのが目的・・・。
何かが変わる時は、役人が利益を得ようしている時だと考えます。
過去に全く税金をムダ使いしなかった役所なら信頼できるのですが、今の役所は信用出来ません。
まず、現存している大学自体に大いに問題があります。
この国は、大学とは名のみの形骸化している大学の設立を認可し過ぎています。 その実態と言えば、学生確保のための「実学志向」とは名のみの“職業訓練校”であったり、高校までの学習の復習機関であったり… そこには「学問」の匂いのかけらも存在しないのではないのでしょうか。 この種の大学の存続のために、難易度の低いセンター試験を用意してますます大学の低レベル化に拍車をかけることに、私は断固として反対です。
(その種の学校は「大学」ではなく、「職業訓練校」「学習復習塾」とでも名乗って存在すればよいのです。)
そして、高校までの教育の指導力の無さにも大いに問題があります。
高卒者の学力が低下の一途を辿っているようですが、これには、歪んだ受験戦争の弊害もあるのでしょう。 例えば名立たる名門高校でさえ大学進学実績を上げることに躍起になるがあまり、必修科目を減らして少数の受験科目だけ選択学習させる形を取り、全般的な学力の無い生徒を大学に送り出しています。 例えば、国英は優秀だが数学はほとんどやっていない生徒が平気で(世間が言うところの)名門大学に合格している有様です。
我が国が抱えている上記のごとくの教育全般を見直してからセンター試験の変革を論議してはどうかという趣旨で綴ったのが、今回の私の記事の趣旨です。
独立行政法人「大学入試センター」とは、役人の美味しい天下り先なのでしょうかね。
それから、現在のセンター試験が国公立私立をごちゃ混ぜにしている現状を私立側が阻止したいとの見解もとても興味深いです。
確かに、国公立と私立とはその存立趣旨や学風が大いに異なることでしょう。 私自身は国公立の学生しか経験がないのですが、これに関しては娘のオープンキャンパスに付き合っていて実感させられる事象です。特に芸術系大学の場合、私学は各大学の独自の学風が肌で感じ取れたものです。
そういうことを視野に入れると、私立とは万人が受けるセンター試験になど頼らずに、独自の入試体制を全うすればよいのかとも思えます。
ただし、高卒レベルの学力は最低限クリアしている学生を合格させるのが私の最低条件ですが…。
役人の論理とは、まったくドカドンさんが書かれている通りなのでしょう。
本気で教育改革しようと欲しているならば、今後の受験戦争にさらに拍車をかけそうな「センター試験難易度2分割」案など提示するわけもないですよね。
これじゃ、いつまで経っても教育行政改革は成されそうもないですね。