原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私も “リカちゃんのヘッドスカーフ” 欲しいなあ

2023年01月05日 | 自己実現
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.12.22付「ひと」欄 記事「脱毛症の縁でリカちゃんのヘッドスカーフをデザインした角田真住さん」より転載した“リカちゃん”のヘッドスカーフ。)



 当該朝日新聞記事に関して要約すると。

 脱毛症にて髪の毛を失った角田真住さんは、その脱毛症のカバーのために「ヘッドスカーフ」を自らデザインして装着したとの事だ。
 要するに脱毛症を“隠す”のではなく、積極的にファッションとして楽しもうとされたとのこと。
 そんな折、タカラトミーが販売するリカちゃんと仕事をすることになり。
 円形脱毛症への理解を求める製薬会社の企画で、リカちゃんが推進役に選ばれたようだ。
 根本的な治療が難しくても、髪がないことで生きづらさを感じないでほしい。 手作りのヘッドスカーフには、そんな思いが込めらている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入るが。

 この私もちょうど40歳の時に頭部皮膚癌を患い、その摘出及び自分の足よりの植皮手術のため、頭頂部やや左寄りに直径約6cm程の傷跡を一生抱える運命を背負っている。

 私の場合は手術直後には「帽子」にて対応し、傷が安定した半年後頃からは「ウィッグ」にてずっとその傷跡をカバーしてきている。


 その我が“ウィッグ生活”もかれこれ20数年の年月が流れ、今に至っては既にウィッグは我が身体の一部である。
 その間にオーダーウィッグを既に30本程作り、その費用総額が何百万円にも上っている事実に関しては本エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。
 高齢域に達して以降は、現在のウィッグ市場の急拡大と共にバラエティに富んだウィッグが開発されたり、また費用面でも安価に移ろいでいる事実に大いに助けられている。

 普段の生活上、このウィッグが元で困惑するような事態もほぼ無く、ウィッグは我が身体の一部として違和感が無い状況だが。



 ウィッグ生活上一番困惑したのは,昨年10月末の左膝複雑骨折に際する入院生活に於いてだった。
 一応ウィッグを装着したまま入院して、私としては医学措置がある時以外はウィッグを装着して病院内で過ごそうと考えていたのだが。
 これが手術時以外にも日々随時医学措置があり、病室に頻繁に医療担当者がやって来たり呼び出したりされるのだ。 
 その都度いちいちウィッグを外すのが面倒だし、素の頭で入院生活を送るしかないと開き直ったものだ。
 その時思ったのは、さっと被れる“バンダナ帽”を持参するべきだったとのことだった。 これならばウィッグほどの仰々しさも無かっただろうにと反省した。



 今回取り上げた“ヘッドスカーフ”とは、その“バンダナ帽”のお洒落版と言えるだろう。

 冒頭写真の “リカちゃん版”は、リカちゃんが可愛すぎるせいかお洒落に見えるが。 角田さんが被っておられるヘッドスカーフは、それ程仰々しくはなく自然体である。

 
 まさに今時、病気による瑕疵を身体に抱えようが、それをカバーできる手段はいくらでもあるし。
 それ以前の問題として、身体に抱えている自身の瑕疵を気にしつつ生きる必要など何らない事実を思い知らされるものだ。

 むしろ過去の病歴による身体の瑕疵をむしろ有効利用し、ウィッグでもヘッドスカーフでも何でも取り入れて、お洒落道具として楽しめば済む良き時代になっている事実を実感させられる思いだ。 
 


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