私は現在自転車にも車にも乗らない主義であり、ひたすら徒歩と公的交通機関に頼る日々だ。
以前は両者共に利用していた。
車に乗らなくなったのは5年程前の事であり、自転車を利用しなくなったのは7年程前に遡る。
私が何故両者を利用しなくなったのかに関しては、「原左都子エッセイ集」開設当初 ほぼ5年前の2007年9月バックナンバー 「徒歩生活のススメ」 に於いて公開済みだが、ここで今一度振り返る事としよう。
まず私が何故車に乗るのをやめたのかと言うと、環境保護に配慮して、…などとの優等生的表現は嫌みったらしくて天邪鬼の私は好まないが、確かにそれも理由のひとつである。 加えて、交通弱者である歩行者への配慮の観点からも車の利用は控えたいと常々考えていた。
正直なところ私が車に乗らない真の理由は至って単純で、運転が嫌いなためである。 都心で車を運転するのは大変な業だ。神経質な私は神経が磨り減ってしまう。 神経をすり減らすべき事象は他に盛り沢山存在するのに、たかが移動手段で疲れていても埒が明かない。
ついでに、どうしたことか我が身内も私に輪をかけて運転嫌いなのだ。 たまに身内運転のマイカーで遠出した暁には、翌日は必ず仕事を休んで丸一日寝込んむ始末だ。 そんなこんなで近年は家族で出かける都度二人で“運転なすり合いバトル”と相成ったため、子どもの習い事等の送り迎え業終了に合わせて廃車を決行したのだが、心底肩の荷が下りた。
私は現在自転車にも乗らないが、こちらは確固としたポリシーがあってのことである。
自転車を安全に乗るためには服装や履物が限定されてしまう。 (世間では女子高生を筆頭としてミニスカで平気でチャリンコを漕ぐ勇敢女性を見かけるが、私にはそこまで“身を挺する”勇気はない。) 若かりし頃から、ファッションを移動の一手段である自転車に合わせるというような、そういう“縛り”が受け入れ難い性分でもある。
加えて、日頃より放置自転車には辟易としている。 警視庁は車の駐停車取締りに関しては元々厳しいのに、何故放置自転車の取締りには未だにこうも中途半端なのか疑問だ。 我が家の近くには毎年満開に咲き誇る実に美しい桜並木歩道があるが、その場ですら放置自転車置き場と化し、道幅の半分は鬱陶しくも汚らしい放置自転車に占領されている。 しかもその狭い歩道の半分を放置自転車を避けつつ小さくなって歩行していると、我が身息災自転車が「そこどけ!」とばかりにチャリチャリ鈴を鳴らして猛スピードで通り過ぎるのだ。 実際にこの道で自転車と歩行者の接触事故を目撃した事もある。
このように自転車は走行上のマナー面での問題も大きい。 法的には自転車は車道を通行するとの規則であるようだが、都会の場合、現状の道路事情では自転車の車道走行は危険性が高いということは理解可能だ。 そこで、ほとんどの自転車が狭い歩道を通行する現実となる。 それは少し理解するとしても、前を行く歩行者相手にチャリチャリ鈴を鳴らさずとて、「すみません。」「通ります。」等、一言声を掛けてくれればよいものを…。 人間の性として“スピードが速い方が偉いんだぞ!”とでも無意識に思ってしまうのであろうが、歩行者をないがしろにせずとも、そこを何とか理性でカバーできないものなのか。
それにしても、この自転車の多さはどうしたことか。 いつの時代から日本国民はこんなに自転車を愛好し始めたのだろう??
特に都会に於いては、道路事情を考察すると安全に自転車走行ができる環境には程遠い。 自転車台数に相当する駐輪場も確保されていない現状である。
現在、自転車による交通事故が急増しているため自転車をめぐる法的整備が急速に進められているようであるし、自転車専用道を増やすことも検討されている様子でもある。
そうだとしても、やはり一番急ぐべき改革とは、自転車乗車者のマナー向上ではなかろうか。
(以上、「原左都子エッセイ集」2007年月バックナンバーより要約引用)
上記我がエッセイ集バックナンバーを公開して5年が経過した後、当時の比ではなく自転車関連の交通事故が激増している有様だ。
それを受けて警視庁は全国規模で自転車専用道を整備したり、自転車走行者のマナー改善に向けて指導を実施している様子ではある。
確かに私も我が故郷に帰省した際、主要駅に程近い場に立派な自転車専用道が整備されているのを目撃した。 ところが、過疎地の我が郷里でその専用道を通行する自転車をさほど見かけないのだ… 歩道を通行する歩行者もまばら状態… この地に自転車専用道が必要だったのか??
歩行者・自転車・車が大勢行き交う大都心に於いてこそ、それを早めに整備して欲しいものだ。 結局はゼネコンとの癒着が強く癒着実行が容易な地方においてのみ、国政のこの種の事象の改善(あるいは“無駄な公共事業”と表現するべきか)が可能ということなのか??
朝日新聞10月4日夕刊記事によると、自転車運転者の悪質化に伴って警視庁では「講習」を義務化することが検討されているようだ。
警視庁のこの動きを受けて、自治体や学校現場でも“自転車登録制度”を含め自転車安全講習等の対策を始めているとの報道である。
最後に原左都子の私論に入ろう。
“おそらく自転車には一生乗らない派”の私の感覚では、どうも警視庁が今回呈示した議論は“自転車愛好者”側の利益に立っているとしか考察できない。
警視庁による「講習会」義務化に関しても、それをクリアさえすれば(例えば“悪徳自転車走行者”とて)、これまで同様に自転車に自由に乗れることを前提とした提案であるとの感覚を抱く。
私は既に自転車に乗らなくなって7年の年月を経過しているが、市民の皆さんにとってはそれ程に自転車とは魅力的なのか?
あるいは、政治・経済難に直面している現在の日本においては、失礼ながら自力で運行可能な「自転車」こそが、庶民移動の原動力の地位を誇っているという話に過ぎないのであろうか??
同じく庶民の私は、地面を踏みつつ前進する 「徒歩」 こそが二本足で歩く人間の原点と考えているのだが…。
ここは、皆でこの地球を踏みしめて歩きませんか!!
以前は両者共に利用していた。
車に乗らなくなったのは5年程前の事であり、自転車を利用しなくなったのは7年程前に遡る。
私が何故両者を利用しなくなったのかに関しては、「原左都子エッセイ集」開設当初 ほぼ5年前の2007年9月バックナンバー 「徒歩生活のススメ」 に於いて公開済みだが、ここで今一度振り返る事としよう。
まず私が何故車に乗るのをやめたのかと言うと、環境保護に配慮して、…などとの優等生的表現は嫌みったらしくて天邪鬼の私は好まないが、確かにそれも理由のひとつである。 加えて、交通弱者である歩行者への配慮の観点からも車の利用は控えたいと常々考えていた。
正直なところ私が車に乗らない真の理由は至って単純で、運転が嫌いなためである。 都心で車を運転するのは大変な業だ。神経質な私は神経が磨り減ってしまう。 神経をすり減らすべき事象は他に盛り沢山存在するのに、たかが移動手段で疲れていても埒が明かない。
ついでに、どうしたことか我が身内も私に輪をかけて運転嫌いなのだ。 たまに身内運転のマイカーで遠出した暁には、翌日は必ず仕事を休んで丸一日寝込んむ始末だ。 そんなこんなで近年は家族で出かける都度二人で“運転なすり合いバトル”と相成ったため、子どもの習い事等の送り迎え業終了に合わせて廃車を決行したのだが、心底肩の荷が下りた。
私は現在自転車にも乗らないが、こちらは確固としたポリシーがあってのことである。
自転車を安全に乗るためには服装や履物が限定されてしまう。 (世間では女子高生を筆頭としてミニスカで平気でチャリンコを漕ぐ勇敢女性を見かけるが、私にはそこまで“身を挺する”勇気はない。) 若かりし頃から、ファッションを移動の一手段である自転車に合わせるというような、そういう“縛り”が受け入れ難い性分でもある。
加えて、日頃より放置自転車には辟易としている。 警視庁は車の駐停車取締りに関しては元々厳しいのに、何故放置自転車の取締りには未だにこうも中途半端なのか疑問だ。 我が家の近くには毎年満開に咲き誇る実に美しい桜並木歩道があるが、その場ですら放置自転車置き場と化し、道幅の半分は鬱陶しくも汚らしい放置自転車に占領されている。 しかもその狭い歩道の半分を放置自転車を避けつつ小さくなって歩行していると、我が身息災自転車が「そこどけ!」とばかりにチャリチャリ鈴を鳴らして猛スピードで通り過ぎるのだ。 実際にこの道で自転車と歩行者の接触事故を目撃した事もある。
このように自転車は走行上のマナー面での問題も大きい。 法的には自転車は車道を通行するとの規則であるようだが、都会の場合、現状の道路事情では自転車の車道走行は危険性が高いということは理解可能だ。 そこで、ほとんどの自転車が狭い歩道を通行する現実となる。 それは少し理解するとしても、前を行く歩行者相手にチャリチャリ鈴を鳴らさずとて、「すみません。」「通ります。」等、一言声を掛けてくれればよいものを…。 人間の性として“スピードが速い方が偉いんだぞ!”とでも無意識に思ってしまうのであろうが、歩行者をないがしろにせずとも、そこを何とか理性でカバーできないものなのか。
それにしても、この自転車の多さはどうしたことか。 いつの時代から日本国民はこんなに自転車を愛好し始めたのだろう??
特に都会に於いては、道路事情を考察すると安全に自転車走行ができる環境には程遠い。 自転車台数に相当する駐輪場も確保されていない現状である。
現在、自転車による交通事故が急増しているため自転車をめぐる法的整備が急速に進められているようであるし、自転車専用道を増やすことも検討されている様子でもある。
そうだとしても、やはり一番急ぐべき改革とは、自転車乗車者のマナー向上ではなかろうか。
(以上、「原左都子エッセイ集」2007年月バックナンバーより要約引用)
上記我がエッセイ集バックナンバーを公開して5年が経過した後、当時の比ではなく自転車関連の交通事故が激増している有様だ。
それを受けて警視庁は全国規模で自転車専用道を整備したり、自転車走行者のマナー改善に向けて指導を実施している様子ではある。
確かに私も我が故郷に帰省した際、主要駅に程近い場に立派な自転車専用道が整備されているのを目撃した。 ところが、過疎地の我が郷里でその専用道を通行する自転車をさほど見かけないのだ… 歩道を通行する歩行者もまばら状態… この地に自転車専用道が必要だったのか??
歩行者・自転車・車が大勢行き交う大都心に於いてこそ、それを早めに整備して欲しいものだ。 結局はゼネコンとの癒着が強く癒着実行が容易な地方においてのみ、国政のこの種の事象の改善(あるいは“無駄な公共事業”と表現するべきか)が可能ということなのか??
朝日新聞10月4日夕刊記事によると、自転車運転者の悪質化に伴って警視庁では「講習」を義務化することが検討されているようだ。
警視庁のこの動きを受けて、自治体や学校現場でも“自転車登録制度”を含め自転車安全講習等の対策を始めているとの報道である。
最後に原左都子の私論に入ろう。
“おそらく自転車には一生乗らない派”の私の感覚では、どうも警視庁が今回呈示した議論は“自転車愛好者”側の利益に立っているとしか考察できない。
警視庁による「講習会」義務化に関しても、それをクリアさえすれば(例えば“悪徳自転車走行者”とて)、これまで同様に自転車に自由に乗れることを前提とした提案であるとの感覚を抱く。
私は既に自転車に乗らなくなって7年の年月を経過しているが、市民の皆さんにとってはそれ程に自転車とは魅力的なのか?
あるいは、政治・経済難に直面している現在の日本においては、失礼ながら自力で運行可能な「自転車」こそが、庶民移動の原動力の地位を誇っているという話に過ぎないのであろうか??
同じく庶民の私は、地面を踏みつつ前進する 「徒歩」 こそが二本足で歩く人間の原点と考えているのだが…。
ここは、皆でこの地球を踏みしめて歩きませんか!!