原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「子どもの人生は、その子が持つ“パワー”によって決まる!」

2021年09月24日 | 教育・学校
 暑いな~~~。
 9月も終わりが近づいているにもかかわらず、朝から真夏の暑さだ!
 台風が近づいているせいだろう。
 
 これじゃあ、高齢の我が集中力が続かない。

 という訳で、本日も「原左都子エッセイ集」バックナンバーの公開でお茶を濁させていただこう。
 本日再掲載するのは、2020.03.29付公開の「子どもの人生は、その子が持つ“パワー”によって決まる!」と題するバックナンバーだが。
 早速、以下に引用しよう。



 本日朝、元教育者として“首をかしげる”ネット情報に出くわした。

 これは放置しておけない! と朝から苛立っている私だ。 😡
 本日のエッセイテーマはこれ以外に無い!
 
 それでは、早速そのネット情報の一部を以下に引用しよう。

 子供の人生は「生まれた家庭と地域」で決まる……日本の“教育格差”の厳しすぎるリアル  早稲田大学准教授の松岡亮二氏が昨年7月に上梓した『 教育格差 』(ちくま新書)が話題だ。 膨大なデータを丁寧に分析し、日本の「教育格差」の実態に迫っている。

 発売中の「文藝春秋」4月号では松岡氏と慶應義塾大学教授の中室牧子氏との対談が実現。 このまま教育格差が広がれば日本はどうなってしまうのか、徹底的に議論した。
  < 「生まれ」で最終学歴が決まってしまう >
松岡 日本では、データをしっかり取得・分析して「社会の現状がどうなっているか」を把握しようとする情熱がすごく弱いです。
中室 確かに、問題の所在がはっきりしないままに、たくさんの対策が打たれている例を見ることが多い 。例えば、不登校やいじめ、暴力が増加している原因がはっきりしないのに、思いつくままに対策が打たれているというようなケースです。
松岡 教育は結果が出るまで時間がかかるので、政策が的外れでも空が割れるわけでもないし人が大量死するわけでもありません。 しかし、実際には子供たちの可能性という血は毎日流れています。 このままでは「生まれ」によって人生の可能性が大きく制限されている現状が繰り返されてしまう可能性が高いことを多くの人たちに知っていただきたくて、『教育格差』を書きました。
 詳しくは拙著に様々な視点によるデータをまとめましたが、端的に述べますと、戦後日本社会はいつの時代も、「出身家庭の社会経済的地位(経済的・文化的・社会的要素を統合した地位)」と「出身地域」という、本人が選んだわけではない「生まれ」によって最終学歴が異なる「教育格差社会」です。 日本全体を対象とした大規模社会調査のデータを分析すると、出身家庭の社会経済的な状況に恵まれなかった人や地方・郡部の出身者が非大卒にとどまる傾向が、どの世代・性別でも確認できます。 こうした日本の教育格差を経済協力開発機構(OECD)のデータで国際比較すると、OECD諸国の中では平均的です。 つまり日本は国際的にみて「凡庸な教育格差社会」だといえます。
  < 日本では教育格差がタブー視される >
中室 社会学だけではなく、経済学もまた「教育格差」を研究対象にしています。 最近の研究では、住民税の支払い記録と国勢調査を照合し、貧困世帯の子供が、「親よりも所得が高くなる確率」(=貧困の世代間連鎖から脱出できる確率)を推定し、これには大きな地域差があることを発見しています。 つまり、貧困の世代間連鎖が生じやすい地域とそうではない地域があるのです。そして、政府が引っ越しのためのバウチャー券を提供し、貧困の世代間連鎖が生じやすい地域から子供が幼少期のうちに引っ越しをすれば、大人になってからの学歴や経済状況が改善することもわかっています。
 これはアメリカのデータを用いて行われた研究ですが、日本ではこのように格差のメカニズムそのものに焦点を当てた研究は多くありません。教育現場でも、教育格差の議論はタブー視されているように感じます。
松岡 教育格差の存在を感じている人は多いと思いますが、日本では「生まれ」による格差が目に見えづらいからこそ社会問題化しにくい状況があると私は考えています。 たとえば高校だと、偏差値60以上の進学校と偏差値40以下の「教育困難校」では、生徒の「生まれ」が平均的には大きく異なりますが、大半の生徒の見た目は同じ日本人です。 でも、進学校と「教育困難校」に通う生徒を比べると、たとえば親の学歴はかなり違います。 高校によって生徒の「生まれ」は全然違うのに、それが「見た目」ではわからない。 そのため、高校受験の結果は個人の能力や選択によるものだと見なされてしまうという解釈です。
  < データに基づく議論がない >
松岡 一方、米国では事情が異なります。 私はあちらに10年いましたが、米国社会は肌の色と社会経済的地位が大きく重なっているので、「生まれ」が「可視化」されています。 たとえば、高校でも勉強ができる特進クラスは、白人と東アジア系ばかりだったりする。 一方、基礎クラスは東アジア系を除く有色人種の割合が明らかに高い。 能力で選抜すると「生まれ」で別クラスに振り分けているのとあまり変わらないことが可視化されているわけです。 だから米国では、「生まれ」による格差が社会の問題だという共通認識を得やすいのだと思います。 貧困を含む格差は大統領選でも候補者に問われる重要課題ですし、その対策として真っ先に上がるのは教育です。
中室 なるほどね。
松岡 ただ、このような指摘に対して「経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、刻苦勉励して大学を卒業し、成功した人を知っている」という反論があります。 しかしながら、データが示すのは全体の傾向ですから、それと一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないんです。 「データが示す社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離があり、萩生田大臣の身の丈発言の背景にもそれがあると思います。

 (以上、今朝見たネット情報より一部を引用したもの。)


 私見に入ろう。

 この対談形式のネット情報を読むと、あくまでも“弱者救済観点”にて記述されているところには一応救われる気もする。
 ただ、子ども達の格差の分類基準が“通り一遍”的であり、どうも著者である論者ご自身に潜在的な「差別意識」が内在しているのではないか?? との疑問も抱く。

 米国の事例が上げられている。
 それを繰り返すと、「米国社会は肌の色と社会経済的地位が大きく重なっているので、『生まれ』が『可視化』されています。 たとえば、高校でも勉強ができる特進クラスは、白人と東アジア系ばかりだったりする。」との文言があるが。 
 我が姉(現在絶縁中)が米国暮らし30余年になり、姉が米国で産んだ息子は白人と東アジアのハーフになる訳だが。  その甥は米国の公立・州立学校・大学にて何の差別環境も不自由も無く勉学に励み、州立大学院修了後はNASAへの就職を早期に決定している。
 「米国では、『生まれ』による格差が社会の問題だという共通認識を得やすい」との記載もあるが。  我が甥などずっと公立学校の環境下に於いて、“人種のるつぼ”の真っ只中との境遇下で、現在も学問に励んでいることだろう。

 上記ネット情報の最後の部分、 「このような指摘に対して『経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、刻苦勉励して大学を卒業し、成功した人を知っている』という反論があります。 しかしながら、データが示すのは全体の傾向ですから、それと一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないんです。 「データが示す社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離があり」 との箇所も、大いに気がかりだ。

 加えて、「経済的に恵まれない家庭…… 刻苦勉励して大学を卒業した人を知っている…」に関してだが。
 経済的に恵まれずとも生まれ持っての資質に恵まれているため、 “刻苦勉励”とまでの涙ぐましい努力をせずとて、成功している事例もあろう。
 何だかこの辺の記載も実にステレオタイプであり、私など何だか“せせら笑っちゃいそう”だが。 😁

 その事例がこの私だ、とは言わないが。  ただ、近いものはあろう。
 私の場合、“経済的に恵まれない”と表現するほどの貧困家庭では決してなかった。 むしろ両親共々共働きとの環境下のため、経済面で難儀させられてはいない。
 ただ、親どもに “放ったらかされて育った” のは揺るぎない事実であろう。
 何故私はそんな環境下で2度も大学・大学院へ通い、十分過ぎる程に勉学に励めたのか? 
 その一番の素質として、私が先天的に持って生まれた「勤勉・努力家・律儀さ・負けず嫌い」等の資質が挙げられるであろう。
 加えて、幼稚園児のIQ検査に於いて園創立以来の最高得点である168点を樹立した! との事実を、幼少時に親から聞かされたことも大きなプラス要因であろうかと考える。(その後も小中とIQ高得点を挙げ続けていたようだが。)
 その事実とは正直言って未だ幼い私が勉学に励むに当たり、大いなる“パワー”の源となったものだ。
 親などいなくても、私は一人で勉学に励める能力に恵まれている! と信じて疑っていなかったと我が子ども時代を振り返る。 

 まとめに入ろう。
 要するに子どもを活気づけ、一生に渡り頑張り抜く“パワー”を与えるきっかけとは。
 “いい家に生まれた” だの、 “親が教育熱心” だのはあくまでも二の次の位置づけに過ぎず。
 子ども本人が何でもよいから“自分は何らかの能力に恵まれている!” との実感を引き出す一番のきっかけを、周囲の大人が与える事ではなかろうか?

 もちろん、そんな子どもの足を引っ張るがごとくのマイナス環境(虐待・いじめ等々)を親や周りの大人が作り出すべきではないのは当然の事だ。

 今の時代、「生まれ」「地域」どうのこうのよりもこれ(虐待・いじめ環境)こそが、子ども生育環境に於いて深刻な社会と移ろいでいる事態を実感させられざるを得ない。



 我が1年半前のバックナンバーに、異議なし!
 というのが、2021.09.24 現在の我が結論だ。