原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

某知人女性のご子息

2019年12月07日 | 教育・学校
 昨日の我がエッセイ集 “Popular entries top 10”の第2位に、2007.12.14公開の「受験時の面接対策」がエントリーしていた。

 そう言えば、早くも今年も師走に入り、年が明けたらすぐに私立中学受験、高校受験、そして大学受験のシーズンに突入する。
 受験生を抱えるお宅では受験生本人のみならず、保護者の皆さんもこの時期は受験準備最後の仕上げ時期であろう。

 このエッセイ本文に関しては、後程紹介するとして。
  
 実は、このエッセイにはコメントが12本入っている。 
 2007年12月と言えば、本「原左都子エッセイ集」開設後未だ4ヶ月目だ。  そんな早期に、一体何のコメントが入っていたのだろう??!  と不思議に思った私が読み直してみると…
 そのコメントすべてが現実世界での知人女性H氏とのやりとりだったのだが、これを読み返して私は笑い転げた。😁 

 コメント最後の部分に、「H先生のご子息」をテーマにひとつエッセイが書けそうですね!」、と記載させていただいている。
 それをあれから12年の年月が流れた本日、実行しようとの訳だ。
 
 それでは、以下に「H氏とのコメント欄のやりとり」を再掲載させていただこう。

 中学受験その2 (H)  2007-12-18 18:56:23
自慢じゃないけど、我が子たちは第2志望も落ちて、それでも娘は大学院でやっとリベンジを果たしましたが、息子は「勉強」そのものが嫌いになってしまいついに大学も中退・・・全くトホホです。でももう遠い過去の事で記憶も流れ去ってしまうから生きていけるんですね。

 H先生のご子息 (原左都子) 2007-12-18 20:01:42
 H先生のご子息って、もしかしたらすばらしい野心の持ち主だったりしませんか? なんて、勝手な推測をしては失礼なのですが、何だか私は興味深々です。  大変失礼申し上げました。

 いえ (H) 2007-12-19 19:46:58 
 単なるお人好しのアホという気もしますが・・・もう家を出て久しいので、今は「生きてりゃいいさ」または銃乱射しなけりゃいい、新聞にいきなり顔写真が載らなきゃいいという心境ですね。

 H先生のご子息ーその2- (原左都子) 2007-12-20 09:58:09 
 完全独立されているのですね。
 私も親元離れて長年独り身で好き勝手をやってきた人間ですので、やっぱりH先生のご子息には興味があります。
 今度、じっくりご子息の続報をお聞かせ下さい。
 
 27歳 (H) 2007-12-20 19:13:45
  独立というよりは「ケツまくって出て行った」という感じで・・・小さい頃は良い絵を描いていたのですが、私が芽を摘んだのでしょうかねえ?一応ウェブデザインの会社を起業しているようですが、実情はどんなもんでしょうか。とにかく事件を起こさないで欲しいです。

 H先生のご子息ーその3- (原左都子) 2007-12-20 19:25:02 
 やっぱり、逸材でいらっしゃいますね。
 すばらしいですね。
 私はなおさら興味津々です。
 さらなる続報をお待ち申し上げております! 

 L.A. (H) 2007-12-21 22:20:13
  一昨年だったか、いきなり西海岸からローマ字(英語ではない)のメールが届いた時は仰天しましたが、元来語学力が弱いせいか馴染めなかったようで2,3ヶ月で帰国したようです・・・

 H先生のご子息ーその4- (原左都子) 2007-12-22 06:51:03 
 いや~、個性派でいらっしゃるし頼もしいですね。
 これだけ話題の種を提供して下さるご子息に恵まれてはるこ先生もある意味幸せでいらっしゃいますよね。
 たまには会われるのですか? 

 小麦粉 (H) 2007-12-22 22:17:33 
 実はコッソリ練馬のアパートを見に行ったことがあったのですが、玄関の横の窓が台所のようで、小麦粉の袋が透けて見えたんです・・・何か怪しいでしょう?年内には還暦祝いの赤い品を持って顔を見せるよう再三メールしてるのですが。

 H先生のご子息ーその5- (原左都子) 2007-12-23 08:34:36
  練馬に住んでいらっしゃるのですね。女性といっしょという訳ではないんですか?
でも、今時はいつまでも自宅でぬくぬくと親のすねかじって生きてる子どもが多い中で、果敢にも家を飛び出して苦労を背負おうとしているH先生のご子息は見上げたものだ、と亭主とも話しているんですよ。
 
 つい (H) 2007-12-23 22:49:02 
 色々言いたくてスミマセン。実は夫が銀座に事務所を借りた時、保証人やら書類を揃えるのが大変で、で、その時息子の保証人の話になり、つまり誰も保証人になっていなかったのと、小麦粉を考え合わせるとどうも怪しい・・・

 H先生のご子息ーその6- (原左都子) 2007-12-24 08:47:41 
 保証人がいないのと小麦粉との相関関係が私には把握できないので、またお教え下さい。  「H先生のご子息」をテーマにひとつ記事が書けそうですね!

 (以上、2007.12.14公開の「受験時の面接対策」のコメント欄に頂戴したH氏とのやりとりを再掲載させていただいたもの。)

 2019.12現在の我が感想を述べよう。
 H先生(と呼ばせていただくのは、我が娘の美大受験時にかかわって頂いた恩師だったためだが)の息子さんに関する記載だが。 
 近年H先生とお目に掛かるのは年に1度程度のため、その後の息子氏の消息を伺いそびれている。  それにしても、H先生ご自身は現在尚プロの美術家氏として現役バリバリにご活躍の身だ。 おそらく、息子氏もその血を引いて世界規模でご活躍のことだろう。

 要するに、単に若き頃に 「受験に合格する事 イコール 後々の自身の成功」 と短絡的に捉えるのはどうか?!?  と原左都子としても指南しておきたい気もするという話だ。


 それでは、昨日の “Popular entries top 10” 第2位に輝いたバックナンバー「受験時の面接対策」 本文を、以下に再掲載させていただこう。
 
 受験に関する記事が続いているついでに、受験時の面接対策について私なりの考えを述べることにしよう。

 私立中学受験において、面接のない学校は皆無であろう。 受験者のみの個人面接、少人数の集団面接、あるいは親子面接、その形は違えども受験生は面接を避けては通れない。時間的には短い学校で2,3分から長い学校は一受験生に30分程時間をかけるところもある。(小さい子どもをつかまえて、そんなに長い時間一体何を聞くの?と私など老婆心ながら言いたくなるのだが…。)

 2年前の我が子の私立中学受験時に、受験校の説明会においてこの面接の位置づけにつき確認した。(あくまでも私が確認した範囲では)面接の第一目的は本人確認、そして応答能力(問いかけに応じられるか)の確認という位置づけとのことであった。応答内容については、まだ子どもであるため重視はせず何をしゃべろうが優劣はなしとのことである。重視するのは面接待ち時間の態度(許可なくいなくなったり、多動行動、また隣同士での無駄話等は減点対象とのことだ。)であるらしい。 まあ、妥当な線であろう。

 我が子の場合、口数が少なく緊張しやすい性質であるため、この面接対策には親子で尽力した。緊張のあまり、上記の応答能力が発揮できず黙り込んでしまう危険性があったためだ。受験塾でも直前期に模擬面接を実施しているようだが、家庭でも再三再四私が模擬面接を行った。これが多少は功を奏したようで、質問に応答せずに黙り込むという最悪の事態は避けられたようだ。

 私は教員経験があるため受験時の面接を担当したことがある。 その立場で面接を実施する側から感じた事を言うと、我が子のような特別緊張しやすい等の事情がある場合を除き、面接に神経質になり過ぎる必要はないと考える。むしろ、模範解答のような応答をされると、私など「通り一遍で芸がなくつまらない奴だなあ。」という印象しか持たない。(だからと言って、それが理由で不合格にはしないのでご安心下さい。) 相手は子どもである。自然体で自由に答えてくれたほうが人間味があって私は好感が持てる。最低限、言葉使いに常識的な範囲で留意さえすれば、特段問題はないであろう。
 面接の質問事項のひとつによくあるのが「志望動機」である。これに関しても立派な志望動機は必要ないと思われる。“貴校の教育理念がすばらしい。”等の優等生回答は、聞いている方は嘘くさい。(少なくとも私は。) それが事実ならば熱く語ればよいが、作り話は聞いていてみえみえのため避けたほうがよい。“親に勧められた。”“校舎がきれい”等、子どもらしい動機で十分であろう。
 もうひとつ、よくある質問は「併願校はあるか。」である。これは、私も嘘がつけない人間で判断に迷うのだが、第一志望校の場合は“ありません。”でよいだろう。第二志望以下に関しても、面接する側としては自信を持って“あります。”と明言されると“来る気がないな。”という印象を持ってしまうため、とりあえずは“ありません。”でよいかもしれない。

 なにはともあれ(普通の学校は)学科試験が最優先ですので(不透明な学校のことは知りませんが)、受験生の皆さん、今は学科勉強の最後の追い込みを頑張って下さい。そして、どうか当日は自信を持って面接に臨まれますように。皆さんの合格をお祈りしております!
 
 (以上、2007.12.14付 「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)