(写真は、昨日原左都子が出場した“市民ランニング大会”の「完走証」。)
いえいえ決して昨日のランニング大会会場にて、上記表題の言葉を投げかけられた訳ではない。
ただ数年前に出場した大会で沿道より我が走る姿を見て、「うわ~、足が細い!!」なる咄嗟の感想を述べた女性ギャラリーがいたのだ。
これがランニング大会ではない場であれば、我が耳にはプラスの意味合いに響いたことであろう。
何故ならば特にファッション分野に於いて、私はこの“足の細さ”で絶対的に得をし続けている実感がある故だ。
ところが殊、ランニング大会会場内でこの言葉が発せられると…
市民ランナーの私にとっては冒頭表題のごとく、「あの人、あの細足でよくぞまあランニング大会に出てるわねえ~~」 なる蔑んだマイナスの意味合いで“足が細い”事実を認識せざるを得ないのだ。
と言うのも既に10年近くの期間に渡り、年に2度のペースで市民ランニング大会に出場し続けていると。
必ずや会場にはプロ(あるいは“箱根駅伝出場等々のセミプロ)もどきの高速ランナー達が“練習の場”として出場している。
男女を問わずそれら高速ランナー達の「身体」を観察拝見し続けるに、特に“足の筋肉差”が歴然なのだ!
いやはや一番最初に出場したランニング大会にて既にその“筋肉格差”に愕然とした私は、「やはり何処の世界でもプロにはどうあがいても一生叶わない…」宿命を痛い程実感させられている……
さてここで。
何故我が足はこれ程までに“筋肉”に恵まれなかったのかに関して記した、当エッセイ集3年程前に公開のバックナンバーを振り返らせて頂こう。
私には現在“50の手習い”で始めたランニング趣味がある事を、時折「原左都子エッセイ集」内で披露させて頂いている。
何分、小学生時代には「逆上がり」にすら困難した“運動劣等生”の私だ。
あの屈辱には懲り懲りの実体験を幼き心に学校現場より我が脳内に刻み付けられた私だが、その体験から、後後好き好んで体育会系の部活になど所属するはずは断じてあり得ないと考えていた。 我が人生に於いては、おそらく「スポーツ」なる分野とは無縁の人生を歩むものと、過去の歪んだ学校教育より信じさせられていた私だ。
その一方、「音楽」好きが高じてそちらの分野よりダンスの趣味が芽生えた。
20代初頭に上京した私がディスコに興じない訳がなかったし、その後も自分自身が都内に探し当てたプロ経営の「ジャズダンススタジオ」にて、その鍛錬にも一時励んだ。
ところが、基礎体力及び身体の柔軟力に欠ける私は、プロ育成を主柱としている当該スタジオにて我が趣味を貫くのは不能と思い知った。 (ただ参考だが、ダンス部門とは昨今を問わず舞台映えするにはダンサーの「体型」こそが命である。 私の体型が主催者の目に留まっていた事を理由にダンススタジオに一旦引き止められたことを、自慢話として付け加えておこう。)
その後20数年の年月が経過し、私は今後老齢に移り行くに際し長寿を目指すには身体を鍛えねばならないとの使命感を抱き始めた。
その使命を実行するべく民間ジム会員として通い始め、その流れで開始したのが「ランニング」である。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
それでも、ランニング素人にして「素人ランニング大会」に出場する実態とは、まさに標題が物語っているような“劣等感負荷”を出場の都度私は感じさせられる事実でもある……。
要するにプロから言わせれば、「お前など“場違い”だよ」との事ではなかろうか?
その通り! と私も実感出来ているよ。
ここで素人ランナーにとって自身の弁護に役立つのは、自分が現在紡いでいる(あるいは過去に於いて紡い来た)「専門力」ではなかろうか?
ランニング大会では悔しい思いをさせられ続けているが、こんなにヘボい私にも「実は別の専門があるんだぞ!」と(水面下で誇れる)分野がある事こそが、ド素人にしてのあくまでも“趣味範疇”のランニング大会連続出場を支えているような感覚もある。
などと貧相な“能書き”を垂れるよりも、実際ランニング大会で素人各自が完走出来る事実こそが爽快であることには間違いないだろう。
昨日の市民ランニング大会で共にゴールを目指し完走した素人市民ランナーの皆さんへ。
その達成感が紡ぐ今後の輝かしき人生へのエールを贈りたいものだ!
いえいえ決して昨日のランニング大会会場にて、上記表題の言葉を投げかけられた訳ではない。
ただ数年前に出場した大会で沿道より我が走る姿を見て、「うわ~、足が細い!!」なる咄嗟の感想を述べた女性ギャラリーがいたのだ。
これがランニング大会ではない場であれば、我が耳にはプラスの意味合いに響いたことであろう。
何故ならば特にファッション分野に於いて、私はこの“足の細さ”で絶対的に得をし続けている実感がある故だ。
ところが殊、ランニング大会会場内でこの言葉が発せられると…
市民ランナーの私にとっては冒頭表題のごとく、「あの人、あの細足でよくぞまあランニング大会に出てるわねえ~~」 なる蔑んだマイナスの意味合いで“足が細い”事実を認識せざるを得ないのだ。
と言うのも既に10年近くの期間に渡り、年に2度のペースで市民ランニング大会に出場し続けていると。
必ずや会場にはプロ(あるいは“箱根駅伝出場等々のセミプロ)もどきの高速ランナー達が“練習の場”として出場している。
男女を問わずそれら高速ランナー達の「身体」を観察拝見し続けるに、特に“足の筋肉差”が歴然なのだ!
いやはや一番最初に出場したランニング大会にて既にその“筋肉格差”に愕然とした私は、「やはり何処の世界でもプロにはどうあがいても一生叶わない…」宿命を痛い程実感させられている……
さてここで。
何故我が足はこれ程までに“筋肉”に恵まれなかったのかに関して記した、当エッセイ集3年程前に公開のバックナンバーを振り返らせて頂こう。
私には現在“50の手習い”で始めたランニング趣味がある事を、時折「原左都子エッセイ集」内で披露させて頂いている。
何分、小学生時代には「逆上がり」にすら困難した“運動劣等生”の私だ。
あの屈辱には懲り懲りの実体験を幼き心に学校現場より我が脳内に刻み付けられた私だが、その体験から、後後好き好んで体育会系の部活になど所属するはずは断じてあり得ないと考えていた。 我が人生に於いては、おそらく「スポーツ」なる分野とは無縁の人生を歩むものと、過去の歪んだ学校教育より信じさせられていた私だ。
その一方、「音楽」好きが高じてそちらの分野よりダンスの趣味が芽生えた。
20代初頭に上京した私がディスコに興じない訳がなかったし、その後も自分自身が都内に探し当てたプロ経営の「ジャズダンススタジオ」にて、その鍛錬にも一時励んだ。
ところが、基礎体力及び身体の柔軟力に欠ける私は、プロ育成を主柱としている当該スタジオにて我が趣味を貫くのは不能と思い知った。 (ただ参考だが、ダンス部門とは昨今を問わず舞台映えするにはダンサーの「体型」こそが命である。 私の体型が主催者の目に留まっていた事を理由にダンススタジオに一旦引き止められたことを、自慢話として付け加えておこう。)
その後20数年の年月が経過し、私は今後老齢に移り行くに際し長寿を目指すには身体を鍛えねばならないとの使命感を抱き始めた。
その使命を実行するべく民間ジム会員として通い始め、その流れで開始したのが「ランニング」である。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
それでも、ランニング素人にして「素人ランニング大会」に出場する実態とは、まさに標題が物語っているような“劣等感負荷”を出場の都度私は感じさせられる事実でもある……。
要するにプロから言わせれば、「お前など“場違い”だよ」との事ではなかろうか?
その通り! と私も実感出来ているよ。
ここで素人ランナーにとって自身の弁護に役立つのは、自分が現在紡いでいる(あるいは過去に於いて紡い来た)「専門力」ではなかろうか?
ランニング大会では悔しい思いをさせられ続けているが、こんなにヘボい私にも「実は別の専門があるんだぞ!」と(水面下で誇れる)分野がある事こそが、ド素人にしてのあくまでも“趣味範疇”のランニング大会連続出場を支えているような感覚もある。
などと貧相な“能書き”を垂れるよりも、実際ランニング大会で素人各自が完走出来る事実こそが爽快であることには間違いないだろう。
昨日の市民ランニング大会で共にゴールを目指し完走した素人市民ランナーの皆さんへ。
その達成感が紡ぐ今後の輝かしき人生へのエールを贈りたいものだ!