(写真は、昨日介護施設に暮らす義母を訪問した後に立ち寄った回転寿司屋で、“一杯グイっとやった”冷酒。)
昨日、高齢者有料介護施設に住む義母を亭主と共に訪問した。
義母に会うのは、先月私が耳鼻科付添いをして以降ほぼ1か月ぶりの事だ。
その間にも我々保証人には、義母の認知症状故に頭を悩ませられる出来事が多数押し寄せて来ている。
その一つである、補聴器に関してだが。
9月に新調した補聴器が10月の1カ月点検後も聞こえない、との義母からの電話を幾度も受けた。
ただこれに関しては、既に上記1カ月点検時に補聴器担当者氏(例のギリシャ彫刻張りイケメン氏だが)と私との間で合意が叶っている。 要するに正確に言えば補聴器が聞こえないのではなく、義母の認知症状故に“補聴器の扱い方がいつまで経ってもトンチンカン”との状況下にあるという事だ。
そのため現在の我々を含む義母周囲介護者達の課題とは、実際補聴器が“聞こえない”と訴える義母の「苦悩」に周囲が如何に寄り添うかとの事実こそが第一義である。
この件に関し施設側も至って協力的で、少なくとも補聴器の定期的な電池交換に関して補助体制を整えてくれるとの嬉しい回答を得た。
その他にも義母に関する難題は数多いのだが……
それでも義母にとって一番嬉しいのは、我々夫婦の訪問である事には間違いなさそうだ。
いつもの事だが、我々二人が揃って義母を訪問すると満面の笑みで迎えてくれる。
その義母の本心の笑顔に応えるべく、あれこれと義母が喜びそうな話題を提供するのだが…
残念ながら補聴器を付けても耳が聞こえない義母に、話題の詳細が通じない。 そんな事に6年来慣れ切っているこちら側も、今となっては少しも動じる事も無い。 別に大して重要でも無い用件に関しては、聞こえなくてもよいとの夫婦間の暗黙同意も出来ている。
そんな中、昨日認知症状がある義母が、私が発した“ある話題”に心底興味を呈したのだ。
その話題とは、(既に当該エッセイ集にて公開済みの)我が米国の実姉に関する事案だったのだが。
参考だが。
私がいつも義母の施設を訪れる都度、真っ先に義母が私に尋ねる決まり文句とは、「郷里のお母さんはご無事ですか?」 である。
その義母の内面心理の程は痛い程理解している。 要するに義母としては、我が郷里の実母が元気ならば私が郷里へ行かずに済み、自分が嫁である私を独占出来る!、との安心感を得られるのだ。
それが証拠に、遠い過去に私が実母の世話に郷里へ旅立つと義母に告げるなり、「私はどうすればいいの…」と電話口で泣かれる事態が幾度となく発生している。 それを教訓としてその後は我々夫婦間の同意により、実際私が郷里を訪れる際にもそれを義母には決して告げず、留守中義母から電話があった場合にも「買い物に行っている」事として、ひた隠して来ているのだが…
さて、昨日も義母が私に真っ先に問うたのが、「郷里のお母さんはお元気ですか?」だった。
いつも通り、「はい」で済ませる事も可能だったのだが。
何だかこれでは何らの会話の充実も無い、と判断した私が、敢えて米国の姉の話題を義母に持ち出したのだ。 (この話題を承知して下さっている読者の方が多いと勝手に判断し、この場での反復は避けるが。)
そうしたところ、耳が聞こえにくはずの義母がこの話題に大いなる興味を抱いた様子で、私のすぐ隣に座るではないか!
そして、私に尋ねるには。 「えーー。 〇子さん(私の事)は郷里のお実母さんから米国のお姉さんの面倒もみて欲しいと言われたの!?!」
この正確過ぎる義母の問いかけに私は仰天した! 「その通りなのですよ、お義母さん! そんな理不尽な話は無いでしょ!」 と応えると、何と義母は。
「〇子さん(私の事)は、現在私と郷里のお実母さんの面倒も見ているのに、その上、アメリカのお姉さんの面倒もみるとなると大変よねえ。」と十分に私の負担話を理解してくれるのだ...
これはまあ、義母の“私を独占したい”との感情に基づいている発言であることを重々承知しつつ…
私側もこれ幸いと、晩婚後特に“経済面”で多大な貢献を頂いた義母にこれまでの感謝の思いを述べると共に。 「私は晩婚後は絶対的に“原家”の人間であり、今後も原家を優先する人生を歩む所存であります!」との思いを、認知症状がある義母相手に大声で熱く語るに至ったのだ!
それで正解だったと、今現在も実感している。
その我が「私は原家の人間です!」なる決意表明を傍で聞いていた亭主も、まんざらでは無かった様子だ。
今夜は寿司でも食べようか? との亭主の提案により、施設からの帰り道に回転寿司屋に立ち寄った。
そこで飲んだ冒頭写真の冷酒と寿司が、何とも美味しかったこと!!
昨日、高齢者有料介護施設に住む義母を亭主と共に訪問した。
義母に会うのは、先月私が耳鼻科付添いをして以降ほぼ1か月ぶりの事だ。
その間にも我々保証人には、義母の認知症状故に頭を悩ませられる出来事が多数押し寄せて来ている。
その一つである、補聴器に関してだが。
9月に新調した補聴器が10月の1カ月点検後も聞こえない、との義母からの電話を幾度も受けた。
ただこれに関しては、既に上記1カ月点検時に補聴器担当者氏(例のギリシャ彫刻張りイケメン氏だが)と私との間で合意が叶っている。 要するに正確に言えば補聴器が聞こえないのではなく、義母の認知症状故に“補聴器の扱い方がいつまで経ってもトンチンカン”との状況下にあるという事だ。
そのため現在の我々を含む義母周囲介護者達の課題とは、実際補聴器が“聞こえない”と訴える義母の「苦悩」に周囲が如何に寄り添うかとの事実こそが第一義である。
この件に関し施設側も至って協力的で、少なくとも補聴器の定期的な電池交換に関して補助体制を整えてくれるとの嬉しい回答を得た。
その他にも義母に関する難題は数多いのだが……
それでも義母にとって一番嬉しいのは、我々夫婦の訪問である事には間違いなさそうだ。
いつもの事だが、我々二人が揃って義母を訪問すると満面の笑みで迎えてくれる。
その義母の本心の笑顔に応えるべく、あれこれと義母が喜びそうな話題を提供するのだが…
残念ながら補聴器を付けても耳が聞こえない義母に、話題の詳細が通じない。 そんな事に6年来慣れ切っているこちら側も、今となっては少しも動じる事も無い。 別に大して重要でも無い用件に関しては、聞こえなくてもよいとの夫婦間の暗黙同意も出来ている。
そんな中、昨日認知症状がある義母が、私が発した“ある話題”に心底興味を呈したのだ。
その話題とは、(既に当該エッセイ集にて公開済みの)我が米国の実姉に関する事案だったのだが。
参考だが。
私がいつも義母の施設を訪れる都度、真っ先に義母が私に尋ねる決まり文句とは、「郷里のお母さんはご無事ですか?」 である。
その義母の内面心理の程は痛い程理解している。 要するに義母としては、我が郷里の実母が元気ならば私が郷里へ行かずに済み、自分が嫁である私を独占出来る!、との安心感を得られるのだ。
それが証拠に、遠い過去に私が実母の世話に郷里へ旅立つと義母に告げるなり、「私はどうすればいいの…」と電話口で泣かれる事態が幾度となく発生している。 それを教訓としてその後は我々夫婦間の同意により、実際私が郷里を訪れる際にもそれを義母には決して告げず、留守中義母から電話があった場合にも「買い物に行っている」事として、ひた隠して来ているのだが…
さて、昨日も義母が私に真っ先に問うたのが、「郷里のお母さんはお元気ですか?」だった。
いつも通り、「はい」で済ませる事も可能だったのだが。
何だかこれでは何らの会話の充実も無い、と判断した私が、敢えて米国の姉の話題を義母に持ち出したのだ。 (この話題を承知して下さっている読者の方が多いと勝手に判断し、この場での反復は避けるが。)
そうしたところ、耳が聞こえにくはずの義母がこの話題に大いなる興味を抱いた様子で、私のすぐ隣に座るではないか!
そして、私に尋ねるには。 「えーー。 〇子さん(私の事)は郷里のお実母さんから米国のお姉さんの面倒もみて欲しいと言われたの!?!」
この正確過ぎる義母の問いかけに私は仰天した! 「その通りなのですよ、お義母さん! そんな理不尽な話は無いでしょ!」 と応えると、何と義母は。
「〇子さん(私の事)は、現在私と郷里のお実母さんの面倒も見ているのに、その上、アメリカのお姉さんの面倒もみるとなると大変よねえ。」と十分に私の負担話を理解してくれるのだ...
これはまあ、義母の“私を独占したい”との感情に基づいている発言であることを重々承知しつつ…
私側もこれ幸いと、晩婚後特に“経済面”で多大な貢献を頂いた義母にこれまでの感謝の思いを述べると共に。 「私は晩婚後は絶対的に“原家”の人間であり、今後も原家を優先する人生を歩む所存であります!」との思いを、認知症状がある義母相手に大声で熱く語るに至ったのだ!
それで正解だったと、今現在も実感している。
その我が「私は原家の人間です!」なる決意表明を傍で聞いていた亭主も、まんざらでは無かった様子だ。
今夜は寿司でも食べようか? との亭主の提案により、施設からの帰り道に回転寿司屋に立ち寄った。
そこで飲んだ冒頭写真の冷酒と寿司が、何とも美味しかったこと!!