原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

紙の手提げ袋も“一流”のお出かけバックです!

2013年09月14日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞9月12日夕刊記事 「おじさん自然体」より転載したもの)


 冒頭から今回のエッセイ趣旨より大幅に外れるが、一昨日の9月12日、早くも警視庁が東京五輪施設建設が予定される晴海地区で、初のテロ対策演習を行ったとのニュース報道だ。 演習はテロリストらが2万人働く高層オフィスビルの入り口に爆発物を仕掛けることを想定したシナリオを使って行われたようだ。

 2020東京五輪開催に向けて政府が第一に実施するべき「安全対策」とは、阿倍首相が世界に向けてブエノスアイレスIOC総会会場で公言した、福島原発汚染水の後処理ないしは東日本大震災復興支援であろうと、五輪招致反対派の私は信じていたのだが…
 阿倍政権の思惑はそうではなかったようだ。 何よりも優先して実施したのは、テロ対策。 
 五輪に於ける「安全保証」の意味合いも多様ではあろうが、我が国において最優先するべく安全対策課題とは、“原発事故放射線漏れ対応”に他ならないとの我が思惑とは大幅に異なる事を再認識させられた。
 (えっ? 阿倍政権の最たる安全保障とは「テロ対策」だったの? そんな対策を施さなきゃいけない程島国であるこの国は国際的に緊迫状態だとは決して思えないのだけど……)

 確かに、2016夏季五輪開催地であるブラジル リオデジャネイロでは、サッカーワールドカップ開催及びリオ夏季五輪開催のため、市民生活をも犠牲にして政府が関連施設建設に巨額の税金を投入している事実への国民の強い不満が高まった。 一時は市民暴動すら発生し、ブラジル政府はリオデジャネイロや首都ブラジリアなど主要5都市に治安部隊を派遣する事態と相成った。 
 
 私論としては、日本の民衆とはお上に“素直過ぎ”るが故に、決してリオやイスタンブールのように反政府デモを起こすべく民衆のエネルギーが高まらない軟弱な実態と捉えている。 
 そこでやむを得ず、こんな年寄りの原左都子が精一杯の反論を力なき「原左都子エッセイ集」で訴え続けている次第だ。  それでも阿倍政権としては、一部底辺市民の反五輪活動の動向こそを第一義に潰し去りたいのではあるまいか? 私は早々の警視庁によるテロ対策の趣旨を 「国内五輪反発派によるテロ対策」 と読んだ。
 いやはや、2020東京五輪反対派としては政府の唐突なやり方に恐怖心すら抱かされる始末だ。   底辺市民の一人として、この国の次世代及びその後の遠い未来まで見据え財政危機の我が国の今後のあり方に関して提案した上で、五輪反対を提唱しているのだ。  にもかかわらず、こんな早期にテロ対策…???
 極端な話、国家が五輪反対派市民をブラックリストに挙げ連ねるのか??  そんないわれなき制圧を施す事態から逃れるべきか? などとも推し量って一時恐怖に怯えた原左都子である。


 ずい分と余談が過ぎたようだ。

 今回のエッセイテーマは表題のごとく、単に、おじさんが持つ「紙の手提げ袋」を論評するのが趣旨である。
 にもかかわらず、冒頭から五輪開催に伴うテロ対策を我が脅威として取り上げたのには理由がある。 本気で政府のブラックリストに原左都子が列挙されてしまうのかと怯えたためだ。
 決してそんなはずはないではあろう事に薄々気付きつつも、敬老の日も迫っているし、この辺で少し「原左都子エッセイ集」のテーマをあえて軟弱化し、その脅威から逃れようとしているのが我が魂胆である。


 気を取り直して、冒頭で紹介した朝日新聞コラム写真「おじさん自然体」を原左都子の目線で紹介しよう。
 この夕刊のコラム、なんてことはないのだが、毎週私にゆったりとした癒しの時間をもたらしてくれるのだ。
 
 「おじさん自然体」の表題のごとく、朝日新聞記事のターゲットは今時の“おじさん”である。 (というよりも私の推測では既に定年退職した後、ケア施設にお世話になる程でもなく自力で世間を渡れるレベルの能力を未だ備えている熟年男性と捉えている。)
 私自身が家庭内に“この手”の身内を一人抱えているし、還暦に近い私が様々な場所でここのところかかわる事が多い男性陣も、この年代層が多いのを自覚している。

 誤解を怖れずに言うと、結局この年齢層の男性陣とは、同年代の女性にとっては“可愛い”存在ではなかろうか?

 今回の朝日新聞記事の題目である 「侮るなかれ これが俺の一流バック」 に関して、記者である古田真梨子氏が記事に綴っておられる。 以下に、その一部を紹介しよう。
 JR上野駅。 改札を出ると写真のごとく手提げ紙袋を持ったおじさんがいた。 中には文庫本、タオル、ペットボトル。 まさにカバン代わり。(以下略)

 いやはや、驚いた。

 まさに我が亭主が婚姻以来(と言うよりもそのずっと前から)、この“紙の手提げ袋”愛好派なのだ! 
 いくらお互い40前後の晩婚とは言え、今思えば、そりゃもうまだまだお互いに若い時代の結婚当初は亭主の奇行にびっくりさせられたものだ。
 婚姻後仮住まいとして亭主の親が経営する集合住宅の一室に、住居費を支払うでもなく元々ちゃっかり住んでいた亭主自宅に居候した私だ。 その押入れの中が“紙の手提げ袋”の数々だ! 紙袋の中に何が入っているのか確認した私は更に仰天し、泣きたくなった。  会社の出張で各所に泊り込みで訪れる都度紙の手提げ袋に下着類を入れて持参し、帰宅後洗濯もせずそのまま押入れに放置していた有様だ。
 もちろんすぐさま紙袋のすべてを廃棄処分とした私だが、その後の亭主の会社出張の際にも、何処に出向くにも手には“紙の手提げ袋”の有様だ。 
  
 決して我が亭主が“貧乏人”ということではない。 (いえいえ、私と結婚した後は貧乏を強いる毎日かもしれないが)、そもそも亭主は実家の親が稼ぎの良い家庭に恵まれて育っている。 ならば何故、我が亭主が若い頃から外出時に“紙の手提げ袋”にこだわり愛用し続けているのかと言えば、その理由とは実にシンプルである。 本人曰く 「軽いから」 だそうだ… 
 それが証拠に、自分の資金で私のカバンより数段高価そうなビジネスバックを幾つが買い求めて持っている。「ちょっと、なんでアンタだけブランド物のカバン買ってるのよ!」と時折責めると、「○子(私のこと)が使っていいよ」と言うのだが、男用鞄は重過ぎて私とて使う気にはなれない…   

 “紙の手提げ袋”に頼る事のセキュリティ対応にもこだわれよ! と亭主にアドバイスした私だが、確かに“紙袋”を提げているいい年こいた男性は世間の俗人には「貧乏人」に映るであろうこと間違いない。 これでセキュリティ問題もクリアできていたんだね……?? 


 今尚、我が亭主は“紙の手提げ袋”愛用家である。
 そんな亭主のために、私は自分が洋服等の商品を買い求めた時に提供してもらった“紙の手提げ袋”のコレクションをしている。 その数たるや現在では300枚近いであろうか。 古くなったのを捨て去り新しいのをキープしつつ、小中大そして巨大袋も合わせ常にその数を絶やさぬようにクローゼットに保管している。
 時に亭主は、ショッキングピンクの紙の手提げを持って出ようとする。 それは「いくら何でも派手過ぎ!」と諭しても「これが気に入った」と言う亭主の意向を尊重する私だが、何だか似た者同士の派手好き夫婦を実感させられる思いでもあるなあ。

 もはや、亭主が“紙の手提げ袋”を好んで持ち歩く行動は私には十分許容範囲だし、これぞ“一流”のこだわりお出かけバックであるかもしれないね。