原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「東大脳」?? そんなものこの世に存在し得ないよ

2013年01月19日 | 教育・学校
 例年1月中旬のこの時期に実施されるセンター試験が、今年も本日(1月19日)より全国707会場で始まった。
 13時過ぎ時点での報道では、57万人の受験生が試験に臨んでいるとのことだ。
 昨年は、新たな方式を取った「地歴、公民」問題用紙配布に関して全国各地の試験場で大規模なミスが勃発し、大勢の受験生が再試験等の大迷惑を被った。
 今年は現在のところ大きなミスの報告はないという。

 昨年は、我が娘もこのセンター試験に挑んだ。
 娘の場合、大学に於いて秋に実施される公募制推薦入試の合格を既にゲットしていたため、センター入試はあくまでも高校生としての学力が維持できているかの確認目的受験だったものの、それでも当日大雪等の悪天候とならないか等々、親として気をもんだものだ。

 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが人の性(さが)である事を実感する。 現在及び今後の受験生の皆様には大変申し訳ないが、我が子が無事大学生となり真面目に学業に励んでいる今となっては、この手のニュースを耳にしても正直なところ“他人事”感が否めないことをお詫びしたい。

 それにしてもセンター試験ニュース報道に於いては、どういう訳かいつもいつも東京本郷に位置する某国立大学(東大のことだが)からの影像が真っ先に流れるのには辟易とさせられる。 全国津々浦々に受験会場は707箇所もあるのだがら、少しは国民の多様性に配慮して報道姿勢を改めては如何なものか!?


 さて、今回のエッセイ本題に入ろう。

 先だって1月13日付朝日新聞オピニオンページ「ザ・コラム」と題する欄において、「東大脳」なる妙な造語を発見した。
 この記事の筆者は(東京・社会部長)山中季広氏と記されているが、おそらく朝日新聞東京支部社会部長であられる山中氏とやらが東大出身であり、自らの“東大経験”に基づき今回の記事をオピニオンとして記されたのであろう。

 早速、「ああドラゴン桜 東大脳の限界を知りました」 と題する山中氏による記事の一部を以下に要約して紹介しよう。
 「ドラゴン桜」の作者である三田紀房氏は、私立高校における一人や二人の東大合格は学校再建の決め手にはならないと話す。 氏曰く、「新設高校の評判を上げる即効薬として東大合格と甲子園があるが、東大は甲子園よりもはるかに達成し易い目標である。ところがある年にポッと受かったくらいでは経営は好転しない。」
 (「東大脳」なる造語は、三田氏による漫画内で使われたようだが)、東大文Ⅱと理Ⅲを卒業した「東大脳」の持ち主である現在57歳の福井氏によると、東大合格に求められる東大脳とは、当時も今も  ①効率のよい暗記能力 ②高速処理能力 に尽きる。 すなわち、東大入試には発想力は問われない。記憶力と解法をすばやく脳から引き出す力と超難問を見切る力、それのみである。
 「時間のかかる超難問」と聞いて尖閣等領土問題や巨額の政府債務が頭に浮かぶが、東大卒の官僚や政治家達の脳裏でも一向に解決しないのは何故か。 福井氏によると、それは脳科学的に言えば使う部位が違うから。 交渉事には政治的鋭敏さや人間的魅力が欠かせないが、それらは脳内の別の部位が関与する。 東大入試で鍛えた側頭葉や海馬だけでは国家的難題はとても解けないわけである。
 東大出身である自分(山中氏)自身のアタマの限界を母校のせいにするつもりはないが、東大はグローバルな競争で他国に伍していけるような東大生をもっと外向きに刺激して欲しい。 日本が殻を破るにはあるべき「東大脳」の定義を東大自身が思い切って変える他ない。
 (以上、朝日新聞「ザ・コラム」1月13日記事よりその一部を要約引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 「原左都子エッセイ集」において、私は幾度か「東大」に関する種々のエッセイを綴り公開している。 いずれの記事も我がエッセイ集公開趣旨に逸脱することなく、辛口論評を展開した内容である。

 ただし私が東大(及びその出身者)に対し手厳しいオピニオンを展開する背景として、決して“東大コンプレックス”を抱えている訳ではないと自己分析している。
 と言うのも私自身、過去に東大大学院修士課程入学を志して東大に願書を提出した経歴がある。 それは法学研究科だったのだが、入試3科目のうち民事訴訟法の勉強が間に合わず直前に受験断念したものの、その後別大学で自分が望んだ分野の学問に精力的に励み「経営法学修士」を取得し目標達成が叶っている。 
 もう一点述べさせていただくと、上記「ザ・コラム」内に取り上げられている、東大を2度卒業された福井氏との人物は、偶然原左都子と同年齢のようだ。 私も大学は異なるが氏と同じく理系と文系両方の学業に励んだことにより、現在の思考回路を作り上げていると自負している。 全国に位置する大学の教官には東大出身者あるいは東大教授(助教授)が数多く非常勤で勤務しているが、私も大学在学中にはそれら尊敬するべく東大大学教官のお陰もあって、十分に我が欲する学業をまっとうしてきている。
 

 そのような我が経歴も含めて考察するには、そもそも朝日新聞の山中氏が書かれているところの「東大脳」の定義が、あくまでも“東大受験段階”を超えていないことにどうしても“未熟”感を抱いてしまう私だ。 人間18、9歳とはまだまだ成長途上の子どもでしかない。 そんな段階で培った能力をいつまでも測りにかけられて議論されたのでは、東大卒業生こそがたまったものではないだろう。
 少なくとも「東大脳」と言うからには、東大現場に於いて培える学問力、すなわち学生が卒業後にどれだけの学問力を身につけているかをもって議論するべきだ。
 そして、もっと重要なことは社会進出後の東大卒業者の社会貢献度も踏まえて「東大脳」を解明しないことには、世界中に数多く存在し各方面で活躍を続ける東大卒業生に対して失礼この上ない話でもあろう。

 さらに原左都子の趣味で付け加えさせていただくと、東大を2度卒業され医学博士として現在東京都内の高齢者施設で働いておられるという福井氏の脳科学分野の発言を、山中氏が殊更取り上げている事に関してだが、特段目新しい情報ではなく昔から論じられている陳腐な内容であることにも少し寂しい思いがする…
 (高齢者施設が置かれている現実も厳しいものがあろうが、東大を2度卒業され朝日新聞紙面で取り上げられる程“顕著な「東大脳」の持ち主”の福井氏には、私個人的な希望としては一生に渡り医学最先端分野で闘い続けて欲しい思いもするが…)


 最後に冒頭のセンター試験に話を戻そう。

 受験生の皆さん、とにかく大学に合格しないことには自分が目指す学問に触れることすら叶わないのは明白な事実だ。 だからこそ、現在まで受験のために培って来た力をフルに受験の場で発揮しよう!
 貴方が入学する大学が「東大」でなくとも何らの支障はないと私は思う。 もし貴方が東大出身の優れた学者先生から学問教授を賜りたいのだとしても、東大の門をくぐらずとて全国各地の大学においてその実現がいくらでも可能だ。

 「東大脳」??
 わずか18,9歳にして、そんなものを自負している奴らの人生こそが危ぶまれる今の厳しい時代背景を認識しよう。 
 今後様々な経験を積みつつ歩む個々の人生にこそ、自らの脳を活性化できる様々なチャンスが待ち構えている!