原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人の生命力こそ医療の限界に打ち勝ちたい!

2013年01月05日 | 医学・医療・介護
 昨年末より、本エッセイ集の著者である原左都子自らが親族に余命短い末期癌罹患者を抱える身となっているため、新年早々から読者の皆さんに明るいエッセイ話題を提供できず恐縮である。

 そうとは言いつつ、私は比較的マイペースを貫く日々を送っている。 
 それは決して、突然末期癌宣告を受けた義理姉を軽視せねばならない事情や思想によるのではない。 むしろ元医学関係者としては、義理姉が医療現場で患者として置かれている立場を私こそが一番理解できているものと内心自負し続けている。
 ただ現在義理姉の容態が悪く、親族が面会することも叶わない現状を受け入れざるを得ない現実である。

 
 今を遡る事40年程前、私は生まれ育った過疎地で医学関係の学問に励み、新卒後医学分野の国家試験に合格すると同時に、臨床現場の病院ではなく自らの希望で医学関係民間企業を選択して東京に本社がある当該企業へ就職した。 
 元々「医学」分野とは私にとっては親から強要されたが故にやむなく進学したのであり、自分が希望して選択した進路ではないとの思いを引きずり続けていた。 そのため、身勝手にも臨床現場である病院への就職のみは何が何でも避けたい思いが強く、当時あえて民間企業への就職を望んだといういきさつだ。
  
 そんなマイナス背景が存在したものの、(元々負けず嫌いの私は)上記民間企業で最大限の精進を続け自分なりの地位を築いてきた。 
 ところが、30歳直前にして新たな学問分野への大幅な進路変更を目指す目標を掲げることと相成った。
 その後は、我が次なる分野の大学及び大学院への合格を次々とゲットしつつ学問に没頭した結果、30代後半にして「経営法学修士」を取得するに至っている。 (参考ではあるが、自力で苦労して取得したこの学位が、我が後々の人生の各方面に於いて有形無形の輝かしきご褒美を与え続けてくれている。 やはり学位とは様々な意味合いで取得しておくべきであることを今更ながら実感の日々である。)
 その間の我が独身時代におけるあくまでも“食い扶持”としての就職先を選択するに当たっては、過去に業績を積み上げてきた医学分野を利用するのが一番の方策であろう。 ところがその期に及んで私は尚、臨床現場である病院を徹底的に避け続けて、やはり民間企業への派遣社員として割高な収入を得てきている。


 前置きが長くなってしまったが、そんな半生を歩んできたが故に、今後の人生も含め一生に渡り病院現場を忌み嫌い続けるであろう原左都子であるとも言えるのだ。

 病院現場の何がそんなに私にとって嫌なのか??
 現在に至っては、徹底して基本的に「病院へ行かない主義」の私である。 この理由に関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて幾度となく記載しているため、それを参考にして頂きたく思う。
 簡単に一言で説明するならば、私は医療における政府と医師会と製薬業界等々との癒着故の無駄な医療行為の現状を基本的に否定的に捉えている、というのが正直な回答であろうか。 (どうか医学素人の皆さんは決して私の真似をせず、必要に応じて適宜に病院受診をされますように。)


 人間が突然死に至る病に苛まれるか否かは、産まれ持って備えているDNAによるところも大きいであろうか。 
 あるいは、自分が産まれ持ったDNA体質を人生早期に捉え理解し、冷静に対処しようと努力して身体改善に励んでいる人物はある程度長生きできると考察するべきか??

 まずは、現代医学が既に解明を終了している病理分野DNAに関しては、最先端医療が既に太刀打ちできるまでに進化しているのであろう。

 片や、現代医学が未だ解明できていないDNA分野の病に不幸にも突然取りつかれてしまった場合、自分の命はないものと覚悟を決めねばならないのか……
 と言うのも、何故人間が自分の意思とは裏腹に欲さない疾患に罹患し命を落とさねばならないのかに関して、DNA観点を含め考察して私が思うに不可思議この上ない感覚を抱かせられる故だ。


 そんな我が考察の前提として、やはり医療とはまだまだ発展途上であることを思い知らされる。
 医療という科学の一分野が今後市民の命をどれ程助けられるのかを改めて慮った場合、初心に戻って今この世に生命を宿している市民の健康を保つ事からスタートし直すべきなのは言うまでもない。

 何故人間がそれを望まないにもかかわらず若年にして突然命を落とさざるを得ない病に苛まれるのかに関しては、ある程度の遺伝子分析科学が進展している時代背景ではあろう。

 そんな現在までの医学の歴史におごることなく、今後はあらゆるDNAを持ってこの世に生まれ出て来る多様性ある生命体が、現代医学の限界を超越して、できるだけ長い生命を宿せるごとくの社会的文化的視野を含め多面的発想で医学発展がなされることに期待したい思いである。